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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第六章 戴盆縫手の熱界
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第六章 2



「それで、対人戦やりますの?」

「どうしようかなって、いちおう日時は打ち合わせてきたけど」


三ノ須にある屋内運動場、今は他に人もおらず、私とイカロは自販機前のベンチに腰かけていた。

亜里亜はゴスロリの上からヘルメットとエルボーパッドを身につけ、バットの素振りをしている。振るたびにゴスロリがばっさばっさと音を立てる。


「ミズナさん、相手はオリンピアのリーダーだった人物です。今の僕たちで勝てるかどうか」

「うん……でも走破者としての実力あるなしと、リーダーを勤めるかどうかは無関係でしょ、見たところアスリートには見えなかったけど」


そこで汗だくになった亜里亜が戻ってきて、スマホで動画を見て打撃フォームを確認する。大人用のカラーバットを使っているので、初等部の亜里亜に対してだいぶ大きく見える。


「それだけでアメリカに行きましたの? 迷宮で落ち合えばいいでしょうに」

「直接会いたかったみたいよ。まあ私もアメリカに行く用事あったし。ジョンズ・ホプキンス大まで行ってお母さんのお見舞いしてきたの」


会ったこと自体は有意義だった。ゼウスのあの体、あの満足に運動できそうにない環境。彼は己の肉体を使うのでなく、何かを生み出すタイプの走破者なのだろう。それが知れただけでも意味はある。


「はいこれ、南部みやげのピーカンナッツ、収容所ってメキシコ湾沖にあったから」

「もう、こんなベタなもの買ってきて、アメリカ土産ならブランドもののチョコとかあるでしょう」


そのようなやり取りはさておき、ケイローンとの戦いについても振り返るべきことはある。

やはり演算力の差は戦力の差、それを実感したこともあるが、私たちにまだまだ技術が足りないとも感じた。


私はアスリートタイプの走破者だが、それだけで勝てるほど迷宮は甘くない。

亜里亜のように乗り物を出すのは難しそうだが、何かしら、私にしかできない演算力の使い方、迷宮の走り方のようなものがあるはず。


たとえばプロメテウス。

彼のように足元を変化させて走りやすい地形を生み出す、これも良さそうだが、練習してもなかなかうまくいかない。

私がさほど器用でないということもあるが、どうも迷宮で出せるものには個人の資質が関係しているようだ。あれはフットワークが命のボクサーならではだろう。


亜里亜はというとバイクや車は簡単に出せるが、それ以外の機械や道具、薬品などは大幅に精度が落ちるらしい。

それは長い時間を乗り物の訓練に費やし、エンジンを友人のように親しむ亜里亜の人生そのものが関係しているのだろう。


「うわピーカンナッツめっちゃ美味しいですわ! 新世界が開けましたわ!」


……現実世界では元気な小学生だけど。


「ところでなんで野球?」

「これも訓練ですわ! 1に素振りに2に素振り! 何かの役に立つはずですわ!」


と言ってまた素振りに戻る。ゴスロリに汗が染みてるのが分かるほどに汗だくである。運動の激しさというよりゴスロリ服に熱がこもるせいだろうけど。


「イカロ」


私は傍らの彼に呼びかける。彼はノートPCを操作しながら、今日も世論操作を続けているようだ。


「はい」

「私に向いてることって何だと思う?」

「向いてること……ですか? ええと、短距離走……ですよね、専門は」

「そうじゃなくて……走破者としての私って何ができるのかなあって、それを見つけなければ今後は勝っていけない、そう思うの」

「……」


イカロは困惑している。それはそうだろう。彼もまた迷宮のルーキーなのだ。ほんの数か月前、私に声をかけたあの夜からだ。


「ミズナさん! 迷ったときは運動ですわ! バットに魂を込めて振り抜けば道は開けますわ!」


清々しい青春の汗を飛ばしながら亜里亜が言う。偉いもので段々フォームがサマになってきている。でもやりすぎて筋肉切らないようにね。


亜里亜は先日の敗北以来、あのようにトレーニングに明け暮れているらしい。私がアメリカに行ってる間も、彼女はテニスだとかバスケに体験入部していたとか。

野球はともかく、亜里亜の姿勢は見習うべきだろう。彼女はドライバーとしてのルーツを持ちながら、違う技能も身につけようとしている。


「……」


ルーツ、私のルーツって何だろう。

子供の頃は、アスリートだった両親にずっと鍛えられた。走ること、跳ぶこと、格闘技や、クライミングも……。


「……そうか、クライミング」


各種スポーツや、運動競技の手ほどきを受けたけど、クライミングは個人的に好きだったと思える。ただスポーツ推薦で三ノ須に入ってからは、趣味であちこち登りに行くような余裕も持てなかった。クライミングはお金のかかる趣味なのだ。

だが、久しぶりにやってみるのもいいだろうか。


「イカロ、このあたりで適当なクライミングスポットない? ちょっと登ってきたいの」

「はい、検索します。車で行ける範囲ですと……」


と、イカロの手が止まる。


「ミズナさん、学内に一つありますが……」

「え?」







その岩は三ノ須学園の片隅、廃棄物処理棟のさらに奥にあった。

三ノ須ではバイオマスと高度焼却処理によってゴミの処理を行っているが、さほど臭いも出ないとはいえやはりゴミ処理場、一般生徒の近寄る場所ではない。


秋も深まる日々の中、紅葉の奥にそれはあった。

それは小屋のように大きな自然石。特に南側、こちらから見て右側はほとんど垂直に切り立って見える。玄武岩質の黄土色で、切り立った山脈のような岩だ。それが広場の中にどんと鎮座している。


周囲には(えのき)やクチナシ、低い位置に椿などもあり、今はこれ以上ないほど濃い緑の葉を繁らせている。


「こんなところに岩が……」


イカロと亜里亜とともに三人で行ってみると、それは予想以上に大きな岩である。大きく見上げるほどの見事な自然石、ゴミ処理場の白塗りの建物とのギャップはあるが、この巨大校にあっても迫力負けしていない存在感がある。


そして、その前で箒を操る人物が一人。


「おや、来たか……」


それは80がらみの老人だった。清掃員の淡いグリーンの服を着て、帽子を目深にかぶって首から汗拭き用のタオルをかけている。


「私のことを?」

「勿論だとも、今や日本中の有名人だからな」


老人は軽く汗を拭き、さほど多くはない落ち葉をちり取りに集めて立ち上がる。


「今朝、ヤマガラの声を聞いた。それで知ったのさ、今日、世界に劇的な出会いが起きるとね。岩と人は必ず出会う。なぜなら岩とは研鑽と鍛錬の終着点だからだ。あるいは人にとって歳月の積み重ねとは、自分にふさわしい岩に出会う旅なのだ」

「は、はあ……」


老人は岩を振り仰いで言う。


「こいつは三ノ須ができる前からここにある。あるいは、この国というものができる前からな。幾人もの古強者(ふるつわもの)が挑み、花と散っていった」

「死んでないわよね?」


老人は岩に触れ、何かに祈るように目を瞑る。


「南壁。そこは悲劇の碑文だ。こいつは染み付いた汗を、嘆きの涙を吸って大きくなる。やがてこの星が滅ぶときこいつは目覚め、天に昇って星の一つとなるだろう。分かるかいお嬢さん。こいつは生きている。永遠の命を持つ、神話の怪物なのさ……」

「え、ええと……」


なんか独特の世界観を出している人だ。腰は曲がっていて目付きも穏やかなのに、言葉に妙に重みが乗っている。プロメテウスとは違うベクトルで年輪を感じさせる。


老人はちり取りを水平に構えたままこちらに歩き、脇を通り過ぎて去っていく。


「挑む心を、そして祈りを」


その足音が遠くなって。

そして最初に発言するのは亜里亜である。


「イカロさま、119番を、いえやっぱり110番」

「やめなさい」


つまり……あの清掃員さんはこの岩の周りを整備してくれてたらしい。確かに地面はしっかりとしているし、周囲に落ち葉もなく清められている。

そして、この岩は……。


「これは……」


高さは7メートルほどの、石切場から切り出してきたような直方体の岩。私は脳内でシミュレートしつつ、登るルートを模索する。あのホールドに指をかけ、あの窪みを足場にして……。


「これ、とんでもない難易度よ……」


そう、南壁だ。

それは例えるなら鏡面。

手がかりにできる突起がほとんどなく、あったとしても腕を伸ばしきった先にあって次に続かない。ある部分では先をまったく見ないまま体を放り投げ、数センチの突起を掴む必要がある。一気に飛び上がって頂上を目指そうにも、足掛かりにできる平たい部分がない。一体どの部分からどうやって体を上に上げたらいいのかが見えない。

左右の角の部分に捕まるならせいぜいV6、しかしもし、南壁だけを使うルートが存在するとすれば。


「これはV14……いや、もしかしてV15か、それ以上あるかも……」

「なんですのVって」

「自然石のボルダリングって、簡単に言うと最初に登った人が難易度の目安をつけるんだけど、最高難易度がV17でこれは世界に一つしかないの。V16は国内に一つだけあったんだけど、何者かによるチッピング、岩を削って登りやすくする行為が行われて、今は消滅してるのね。この岩は、南壁だけを登るならV15はあるわ。とても貴重なものよ。でも変ね、V15の岩なんて私が知らないはずないんだけど」

「三ノ須は、学園ができる前は企業の私有地だったそうです。そのため見つかってなかったのではないかと」


それなら可能性はあるか。

先ほどのチッピングの問題もあって、自然石のボルダリングは下火になってしまっている。それでなくとも数センチのホールドを全体重をかけて掴むのだ。何十人もが挑めばホールドが破損してしまう事態も起こってしまう。自然石ボルダリングとは一期一会、その時にしか登れない課題に挑む競技なのだ。


「これそもそもスタートどこですの? 指をかけられる部分ありませんわよ」


亜里亜が岩に張り付くような姿勢で言う。彼女と比べると本当に巨人のように大きな岩だ。南壁を登っていくのは、空港の滑走路を歩くような広大さに思える。秋の三ノ須にあっては黄土色の岩は紅葉に溶け込み、そこはかとない風情がある。


「おそらくそこの右上、白っぽい部分があるでしょ、そこに人差し指をかける。次に左手を伸ばして、あそこの縦長の突起を掴む」

「本気で言ってますの……? あの一円玉みたいなやつを……?」


これは、まさに神話だ。

それに挑める。なんて光栄なことだろう。私は胸のうちが熱くなってくるのを感じる。


「イカロ、一週間後の日本時間08時、ゼウスに戦おうと誘われてる。それまで私はこの岩に挑むわ。何かヒントが掴めるかも」

「分かりました、僕もお手伝いいたします」


そうだ、今はとにかく、目の前のことに挑もう。

自ら課題を見出し、乗り越えていくのだ。


ゼウスとの戦いに、そして次なるケイローンとの戦いに備えて。













Tips チッピング

自然を対象とするクライミングにおいて、意図的に岩を削る行為。ホールドを作って難易度を下げたり、または減らして難易度を高めるために行われる。単なるいたずらの場合もある。

自然そのものを相手とする自然石ボルダリングにおいて、チッピングは課題の価値を失わせる行為であり、チッピングの行われた岩は登らないことが暗黙の約束と言われている。

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