第五章 7
蛙都嘯風、その名の通りここは騒音と風圧の世界。
本来は時間をかけてゆっくり進むはずの迷宮を、ほとんど足を止めずに疾走。不要になったサングラスとヘッドホンは適当に投げ捨てる。
左右から襲い来るのは大型トラックにスポーツカー、多様な重機、冗談のようなスピードで駆け抜けるF1マシンまである。
私は意識を先に伸ばす。ある車線を抜ければすぐに次の車列に入る、あらかじめ何本か先の車線まで意識を伸ばし、数秒後を予測しながら走る。
「くっ……こ、この集中、何分もやれるわけが」
車両は種類を増し、より大きな重機が増えていく。クレーン車、はしご車、大型のホバークラフトまで。
異変も起こる、天井すれすれを飛行する影は複葉機、数十メートルに渡って無人の自転車が密集する場所、切れ目なく走行し続ける貨物列車は並走しつつ飛び乗り、荷台の脇を通ってまた反対側から飛び降りねばならない。
そして極め付きは階層自体だ、10車線ほどを乗せた道路そのものがエレベーターのように上下している場所まである。そこに踏み込むと必然的に階層を移動するので、どこかで階段を利用して戻らねばならない。
そんな混沌とした迷宮だが、確かに時間をかければ走れなくはない、難易度としてはこれでも並なのだろう。
「ゴールは向こう……」
ゴールを示す指標も分かった、タクシーだ。
タクシーが黄色い矢印を乗せて走っているが、その矢印のすべてが一点を示している。上や下の階層に移動したときは上下にも動く。本来はこの気付きによってゴールを見つける仕掛けか。
『ミズナさん。スタート地点は全滅したようですわね』
地上のダイダロスから亜里亜の声が届く。彼女はバックアップ要員だ。万一のために地上で待機していた。
「亜里亜、スタート地点はまだ高熱の大気が残ってる、ログインするなら耐熱服を装備して」
『了解ですわ』
「でもこの迷宮……亜里亜には向いてないかも。天井付近を飛べば楽かと思ったけど、後半は飛行機まで出てきた、それに気流が激しすぎて……」
『やれやれですわ、誰に言ってますの?』
その通信が切れるのと、轟音で私の耳がいかれるのが同時だった。
天井付近に突き刺さる鋼の弓、スカッドミサイルは音もなく消え、中から手足がぐしゃぐしゃに折れ曲がった人間が。
それは着地する頃にはパンツスーツと包帯、そして日本刀を装備する。
「見ツけた」
顔の下半分が潰れていたが、喋り終わる頃にはそれも再生。そして死神は平然と立ち上がって刀を持つ。
「く……」
「往生際が悪いのですね、武士はもっと潔いものと聞いていますよ」
「武士じゃないっての……」
逃げ切れないか、プルートゥにはこの移動法がある。いくらなんでもミサイルより早く移動はできない。
どうすればこいつを止められる。液体窒素、高圧電流、あるいはコンクリートで固める、しかし、そんな用意は……。
斬撃。
身を引く、引いた先で後ろ足が車列に踏み込んだ感覚。そこに車が来てなかったのは偶然に過ぎない。背筋を凍らせながらさらに後退し、行き過ぎるキャンピングカーが視線を遮る。
「ああ、そうそう」
プルートゥがさらに追いすがり、上段からの袈裟懸け、体を沈めてかわす。
「ゴールのプレートはまだ健在のようですね、我々が回収しましょう」
「! まさか」
言ってから己の迂闊さに舌を噛む。しまった、今のはプレートが健在だと確認するためのカマかけ……。
だがプルートゥは首を振る。
「別に誘導尋問ではありませんよ。情報は得ています。ゴール手前の車列でトラックの屋根に乗せたと」
「! 誰かが、内通を……」
プレートを隠したのはタケナカ……いや、彼はドライアとキマイラにも話していたが……。
「情報源は誰でもいいでしょう、10億ドルで迷宮から足を洗う方ですから。助かりましたよ、迷宮をリセットするとまた24時間後に対人戦のやり直しですが、今の状態からここのプレートを手にすれば、皆さんの消費された演算力もごっそりと手にできそうです」
「くっ……」
――備えの、桁が違う。
迷宮と内と外で、あらゆる用意をしている。プルートゥの能力も技量も人間業ではない。しかもケイローンは姿すら見せていない。何でも出せるはずの迷宮ですら、彼女を止める手段がない。
これが、高位の走破者たちの戦い……。
耳が。
背後を振り向く、ミサイルの余波で耳に綿を詰め込まれたような感覚があるが、その状態でも聞き間違えはしない、この排気音は。
「ミズナさん、乗って!」
私はその姿を確認する前に駆けだし、車線の走行方向に沿って走る。並走するセダンのリアハッチを足がかりに屋根に上がり、そして飛ぶ。大丈夫、彼女なら私の動きに合わせる。
私の足元をフルフェイスのメットが通過し、私は吸い込まれるように後部座席に落ちる。
しがみつくのはゴスロリ服と、その奥に感じるゴージャスなボディ、そしてバイクが加速する。
「む、バイク使い……。馬鹿な、スタート地点から2500メートルあまり、わずか数分でたどり着くとは」
プルートゥの声を遠く聞く間に、バイクは稲妻のような軌道で十数列の車道を抜ける。
この迷宮は障害物のかたまり、右へ左へ行きかう車両を、しかし亜里亜は左右に車体を傾けながら抜けていく。迫りくるフロントノーズに密着しつつ左へ流れ、右へ流れつつ後輪が何かをかすめる。
「ちょ、ちょっと亜里亜、大丈夫なの!?」
「走って走破できる迷宮ですわよ、車両の間隔は十分な余裕がある。奥側の車両も全て見えている。ならばあとは度胸ですわ!」
あろうことかさらに加速。前に迫るトラックが衝突寸前で通り過ぎ、さらにリムジンへ向けて突進。テールノーズに前輪をかすめながら抜ける。
これは……そうか、迷宮のセオリー。
迷宮は走破者を裏切らない。バイクで走る走破者も考慮し、けして理不尽な詰みが生まれない構造になっているのか? 亜里亜はそれを読み取って走っていると……。
「ゴールが見えましたわ!」
演台ほどの大きさの土台。側面にGOALと刻まれている。
そしてトラックの車列も見つかる。向かって右側へ流れていく無限遠へのキャラバン。やや大型のものであり、荷台部分が箱型になっている。バンボデーとか言ったかな。
しかし車両の密集度がすさまじい。ラスト付近だからか、アクロバット走行のようにほとんど2メートルも空けずに行列を形成している。
「都合がいいですわ!」
襲いくるセダンの前で思い切り前輪を沈め、反動で振り上げると同時に絶妙の角度でボンネットに乗り上げ、フロントガラスを砕きつつさらに跳躍。ちょっとちょっとマジで!?
そして並走するトラックの運転席部分へ、さらに荷台部分へと跳ねるように躍り上がっていく。一手でも間違えれば二人ともセダンとトラックの間で揉みほぐされる荒業。そしてものの見事にボデー部分の天井へ着地。
「む、無茶苦茶な。モトクロスバイクじゃないのよ。普通の大型バイクであんな技」
「プレートは荷台の上にあるのでしょう? 上から見ないと分かりませんわ。さ、どんどん行きますわよ」
『亜里亜、これを使って』
空中から鉄骨のような板材が落ちてくる。それは道路工事で見るようなスチール製の橋だ。運転席部分とボデー部分に渡されて橋となり、それが次々と出現する。
「よかった、さすがにジャンプして前の車両に行くわけじゃないのね」
「そうですわね。飛べないこともないのですけど、荷台がアルミ製ですから衝撃に耐えるかどうか微妙ですわ。連続ジャンプはサスを痛めますし」
「あとはひたすら前に行くだけよ、タケナカって人がプレートをトラックに置いたのは、およそ25分前ってところだけど……」
亜里亜がぶつぶつと口中で計算する。
「このトラックの速度が43~44km/h。全長が7860mm、車両間隔がおよそ2メートル20センチ、20キロ先にあるとして、2000台ほど乗り越えて行かなければなりませんわ」
「ちょっと待って、車両の全長がミリ単位まで分かるの?」
「これいつづのメガですわ。誰でも知ってますわ。どこにでも走ってるでしょう?」
ごめんなさい、ボーッと生きてました。
『亜里亜、いまサポート用のドローンを用意します。そこはかなり風が強いので、横風対策を万全に施したものを……』
イカロの声を聞きつつも進みは早い。
次々と出現する橋に正確に前輪を合わせ、危なげなく渡っていく。揺れるのは仕方がないが、亜里亜が背中の私に呼吸を読ませてくれているのか、体重移動のタイミングも、いつ揺れの低減のために膝を使うのかも分かる。舌は噛まずに済みそうだ。
「プルートゥのミサイルにだけ注意しないと……」
「あの人も大概ですわね。でも大丈夫でしょう。あれで私達を追い越しても、トラックの上を探せませんわ。ミサイルの余波で車列が乱されれば大事故が起きかねない。プレートが発見不可能な状態になる可能性は避けるでしょう」
冷静な分析だ、こんな場面なのに亜里亜は落ち着いている。
あの人「も」というのが誰にかかるのか気になったけど。
『ミズナさん、背後から誰か来ます!』
「! まさか、プルートゥ?」
だが違う。それは栗色の影。
背後を見やれば、それはセダンとトラックの列の間の僅かな隙間、その空間を疾走するのは。
「馬……!?」
確かに馬だ。記憶にあるサラブレッドよりはかなり大きく、それでいて足がすらりと長い。後ろ足のつけ根がコブのように盛り上がっている。
顔は小さく鼻筋はすっと伸びていて、首は弓のように前のめりに曲がっている。そしてギャロップでトラックの列を追い抜きつつ迫る。
「イカロさま! 橋を伸ばして!!」
亜里亜が叫び、はるか前方まで次々と橋が生まれる。バイクが速度を上げ、橋の揺れを物ともせずに突っ走る。
「ミズナさん! プレートを見逃すんじゃないですわよ!」
「あいつ……ついに来たわ! ケイローンよ!」
まさしくそれは彼だ。糸目の東洋人はいつものような白衣姿であったが、鞍の上で手綱を持ち、暴風吹き荒れる車線の隙間で馬を走らせる。
そして速度は尋常ではない。みるみるうちに私達に追いつき、そして一瞥もくれずに追い抜いていく。
「なっ……」
驚愕するのは亜里亜である。追い抜かれる瞬間ハンドルに動揺が出る。
「しっ……信じられませんわ、あの馬」
私も分かる、あの馬は。
「時速200キロを超えてますわ!」
何かの本で読んだが、馬の最高速度は88km/h もちろんサラブレッドなどのスプリンター種での話だ。
自然界で最も早い哺乳類は言わずと知れたチーター。最高時速は120km/hに達すると言われている。それをはるかに超える速度を、あの馬は。
「くうっ! 逃しませんわ!」
亜里亜が速度を上げる。背後の橋がタイヤの勢いでかき乱され、鉄骨が撒き散らされて後方で大惨事を巻き起こしているが、それに関わっている暇はない。
「あれ……ロボットじゃないの? なにかの小説で出てきたようなサイボーグ馬……」
「いいえ、違いますよお嬢さん」
追いついた途端にケイローンが話す。何らかの手段で音声を拡大させているようだが、隣で話されているように違和感のない声だ。
「ただのドーピングです。仔馬の頃から体質レベルで作り変えているのですよ。もはや別種と言っていい。演算力があればそんなことも可能です」
――では、あの馬は本物。
つまり、あの馬はおそらく、Tジャックで全感覚投入をしている……。
「馬の走破者……!?」
「彼に代わりまして名乗るなら、名はアレイオンです。お見知りおきを」
「この不安定な橋では追いつけませんわ! ミズナさんは降りて!」
亜里亜がごとんと橋から降りる。ぞっとして後方に飛んだ瞬間にはすでにバイクは前後輪とも空中に投げ出され、サスペンションをフルに使って着地する。私は荷台の上でたたらを踏む。
「せ、せめて三秒前に言ってくれる……」
『ミズナさん。飛行用ドローンの調整がまだ終わりません、飛行可能なものはできましたが、人か掴まれるものは……とりあえず偵察用のものだけ出します』
と、真上に現れるドローン。プロペラが六ケ所についており、さらに左右に盾のようなパネルが付いている。このパネルが不安定な気流の中で役立つのだろうか。
「なんか「星で戦う人」って名前の戦闘機に似てるんだけど」
「? すいません、よく分かりません」
ともかく、私は橋を通って前に前にと進む。おそらくはあと数キロ、歩きでも行けぬ距離ではないはず……。
「イカロ、ドローンで亜里亜をサポートして、どこかのトラックの荷台にプレートが乗ってるはず」
「はい、ミズナさんにもモニターをお願いします」
新しいバイザー型サングラスが落ちてきた。かけてみると右半分がモニターになっており、走りながらドローンの見ている画像も見れるようだ。キマイラの使っていたビジュアルグラスと似たようなものか。
そして映像の中では、すでに激戦が始まっていた。
Tips トラックの荷台
トラックはその荷台の形状によって分類され、大きさや要素、装備によって様々に分類される。
一般的なものとして、平皿型の荷台を持つものが平ボディ、アルミ製の箱型の荷台を持つのがバンボディ、箱型の荷台で側面が開くものがウイングボディである。
他の分類としてはクレーンを備えたユニック車、荷台が傾斜するダンプ車、保冷車・冷凍車などがある。




