第五章 5
「参加するべきですわ」
迷宮から戻って、三人が額を突き合わせての話し合い、亜里亜はそう主張した。
「経験を積むのでしょう? ゴール封鎖についても今後は重要になるかも知れませんわ、ノウハウを学んでおくべきですわ」
「……」
不安要素は少なくない。
何しろ明日の18時、かなり急な話だ。しかしケイローンが次に迷宮に潜るのは五週間後、そんなに間を置くのは避けたい。
「大丈夫ですわ、走破者が何人も参加するのでしょう? 準備は万全のはずですわ」
「……そうかしら」
私が計画を聞いたのは今日だけど、ケイローンが動き出したのは数週間前だ。作戦を練る余裕はあっただろう。スタート地点を爆破し続けるという作戦もたしかに有効に思える。ケイローンは三回も死亡すれば時間切れが来る。たとえスタート地点を切り抜けても、大勢の走破者が追い続ける、ケイローンはそれをかいくぐってゴールを目指さなければならない……。
……しかし、それを言うならケイローンは何年この日を待っていた? 万端の準備を整えてから動き出したと考えるべきではないのか?
他の走破者が全力で妨害に来ることも読んだ上で、その上を行く手段を用意している? しかし、いったいどうやって……。
「……そうね、参加しましょう」
案ずるより産むが易し、か。
「なるべく準備はしておきましょう。亜里亜は乗り物のバリエーションを一つでも増やして。イカロ、私たちは怪我の補修の練度を高めましょう」
「はい」
私はソファに深く体を沈め、頬杖をつく。考えることは山ほどあるが、考え始めると何もできない、アスリートはそんな精神状態に陥ることがある。そういう時に心を無にすることも技術の一つだ。私はざわめく思いを、無理矢理に脳の片隅に押しやった。
「それよりミズナさんは乗り物出しませんの? スケボーとかローラースケートぐらいなら」
「回転軸がある道具って急に難易度上がるのよね……。ベアリングが難しいのよ」
「なるほど」
イカロがダイダロスを操作し、球体の図を示す。
「では球について検討しておきましょうか。球体は拡張世界における創造概念が現実と食い違うものの一つです。現実では物体の角を削ぎ落とすことにより生み出しますが、研磨においては把示点が常に動くため、ある一瞬において完全な球体だと評価できる指標は実は存在しません。しかし拡張世界においてはある一点において全方位放射の線を描き、先端を頂点とする超多面体を想像することで生み出すことができます。このように物体の形状を数学的評価でイメージすることがコツと言えるのは何度か説明しましたが……」
うすうす感づかれているかも知れないが。
数学が何よりも苦手だった。
※
「テレビで見た子だね」
バイザー型サングラスを掛けた黒人女性が言う。
「あなたもね」
私はあまり舐められたくなかったため、やや強がって答える。彼女はどっしりとした体型に丸太のような腕を持つ女性。私は何度か見たことがある。海外の動物ドキュメンタリー番組でナビゲーターを務めていた人だ。アフリカの国立公園の公認ガイドであり、たしか政治家でもあったはず。彼女も走破者だったのか。
その世界は、一言で言うなら積み重なった高速道路である。
まず世界にとてつもなく大きなコンクリートの板を用意し、それを何層にも積み重ねる。ほとんど無限に近いほどにだ。それぞれの板は柱もなく、不可思議な力で浮いているとしか言いようがないが、破壊を受ければ下の階層に落ちていく。
そのコンクリートの板に車線の白線を引き、ところどころに階段を作って上や下の階層に行けるようにする。それぞれの階層の間隔は20メートルほど。
そして車を走らせる。
軽自動車、オートバイ、大型バス、戦車、重機、連結型コンボイなどの超特大車両まで。目視できる範囲だけで、ざっと数千両。
それが左から右へ、あるいは右から左へ、車線ごとにまちまちのスピードで、ほとんど間隔を空けずに高速ですれ違っている部分もある。
そしてこの世界に信号など無く、走破者はわずかな車両の間隙を縫って、決死の道路横断を試みるしか無い。
ここはエンジン音で埋め尽くされた世界、車両の走行によって階層間には不規則な風が吹き荒れ、後ろで縛ってある私の髪を揺らす。
この迷宮の名は。
―――蛙都嘯風の涯―――
蛙とは蛙鳴蝉噪のように騒がしい、とか騒々しいという意味だろう。つまり騒がしくて風の吹き荒れる町、その果てを目指すという迷宮か。
この迷宮のコンセプトは実に分かりやすい。「フロッガー」だ。
カエルが川に浮かぶハスの葉を渡っていくというゲームであり、ときにはワニやヘビを回避し、あるいは高速道路にてトラックをかいくぐりながら進むという古典的ゲームだ。
だが、この迷宮は階層型というアレンジが加えられている。階段を使えば上や下に行くこともできるらしいが、どのような意味があるのかはよく分からない。
「おい、ゴールは押さえたのか!」
そう叫ぶのは髭の濃い白人であり、熊のような大男だ。緑のオーバーオールを着て、腕から肩にかけてが太い独特の筋肉のつき方をしている。スポーツ選手ではなさそうだし格闘家でもない。何者なのだろう。
ここは車両の切れ間にある開けた空間、右方向ではコンクリートに大穴が空いていて、走ってくる車はすべて下方に落ちていく。
三階層分ほど穴を開けているので爆炎も轟音も届きはしないが、何層か下は地獄のような眺めになっている。
「問題ありませんよ。プレートもすでに隠してあります。トラックの一つに乗せて世界の果てにね、もう見つかりません」
日本人もいた。黄色いヘルメッをかぶってワイシャツにカーキ色の作業ズボンという人物。フルハーネス型の安全帯を身につけている。
彼はけっこういろいろ自分のことを話してくれた。日本で最大級のゼネコン社員であり、爆発物のプロフェッショナルだという。ゴールプレートを見つけ出したのと、コンクリートに大穴を開けたのは彼だ。
その彼は私と並んで、スタート地点が目視できるこの場に待機している。私たちは臨時の同盟であって仲間とは言えない。彼がゴールプレートを使って全員から演算力を奪うことを警戒されたのだろう。
「これだけ迷宮を破壊しても、全員がログアウトしたら元に戻るの?」
「ああ、ゴールのプレートも初期位置に戻るよ。検証済みだ。パスワードを誰も入力していない場合は、パスも変化する。迷宮がクリアされたという判定はパスワードの入力と言われている。何かしらの配慮あっての仕様なんだろうね、よく分からんが」
割と気さくな印象の男性なのだが、やはり仲間とは言えないのだろう。タケナカ=清水=オオバヤシという名前も偽名丸出しだし。
他にも数人いるが、あまり近くにいたがらない。私の予想よりも走破者はたくさんいるのかも知れない。考えてみれば35日に一度ログインすればいいゲームで、プレイヤー同士が出会うことなどまず無いのか。時差もあるし。
「情報によればそろそろケイローンが公的な場所を離れる、攻撃を始めるぞ」
大男の指示に従い、全員が身構える。
この階層状になった世界は工作に都合が良かった。
スタート地点は道路の中央に唐突に出現するレストラン。冗談のように可愛らしいファミリーレストラン風の建物だが、プレイヤーはまずそこに出現する。
ちなみにレストランの背後にも階層状の道路は続いているが、車は走っていない。処理の低減というより、そちらにゴールはないという意思表示だろう。
そして、レストランの上方向には大穴が開けられている。およそ20階層ぶん、400メートルほど上空まで穴が穿たれており、崩落したコンクリートがレストランの倍以上の大きさで積もっている。
さらに言えば、レストランの下層部分はすでに鉄骨と強化コンクリートによって50メートル立方の土台が作られ、攻撃で下層への穴が空かないようになっている。ログインと同時に遥か下方に落ちられては生存の可能性があるからだ。
「よし、サングラスをかけな」
黒人の女性の指示がイカロにも届き、私のそばにサングラスが落ちてくる。
装着すると同時に、それは始まった。
レストラン上空、大穴から落ちてくるのは人の背丈ほどの爆弾。大型の落下傘で減速しつつ、レストラン上空で白煙を爆発様に噴霧する。
その爆薬とはハロゲン酸化剤、ホウ素、アルミニウム粉末、ケイ素粉末などで構成され、一次爆薬によって熱を加えられ、蒸散に近い形で一気に気化して広がる。0.1秒ほどで200メートル範囲に充填し、酸素と十分に混ざりあった瞬間に二次爆薬によって点火。
閃光、そして災禍の火焔。
1キロ近く離れていても、体を持っていかれそうな衝撃波が襲う。
立ちのぼる炎の柱と粉塵の波、階層世界の天地を焦がしつつ、あらゆる車両をなぎ倒して広がる赤き天変地異。
周辺で小型車やバイクがなぎ倒されて後続の車両を巻き込み、さらにガソリンなどに引火して二次爆発を引き起こす。
まさに世界を滅ぼす火、人類が生み出した核の次に強力な兵器、それが燃料気化爆弾だ。
しかも一撃ではない。15秒後、また同じ爆弾が落ちてくる。それは高熱の大気に炙られながらまたも燃焼剤を噴霧。そして再度の爆炎を巻き起こす。
大量の酸化剤と、さらに液体酸素をぶち込まれたことで周囲の火勢が一気に上がり、なぎ倒される数百台もの車両が目詰まりを起こし、後ろからの車両に押され、あらかじめ作ってあった大穴に飲み込まれていく。レストランの周囲だけは土台によって健在だが、地面ごと真っ赤に赤熱しているように見える。
「すごい眺め……」
「ああ、まあだいたい計算通りだね」
タケナカは技術屋らしく冷静な様子だ。爆発物を用意したのは彼であり、当初は核爆弾も検討されていたらしいが、タケナカが燃料気化爆弾を勧めたのだという。
「核だと何もかも吹っ飛んじまって第二波が撃てないからね。うん、酸化剤の量もバッチリだな」
三撃、四撃、世界の終わりのような爆発が立て続けに起こる。その破壊と熱の前では鉄の塊である車両も蝋のように溶かされ、その形状のままに輻射熱で燃え上がる。かなりの距離を置いているのに、炎に向けて吸い込まれるような風が吹いてくる。爆発の高熱で上昇気流が起き、大気が吸い寄せられているのだ。
「でもこれでスタートを防げるの?」
「逆にどうやってスタートするのか聞きたいね。中心部の温度は核ほどじゃないが千度はある。それに大気組成が不安定になってるから一酸化炭素でイチコロだよ。15秒以内に衝撃波の範囲外に行くのは無理さ」
確かに。
目の前で繰り返される炎と熱の乱舞。炎の巨人が足で踏みつけ、大気の巨人がコンクリート片も大型車両も吹き飛ばすような眺め。あそこで生存など想像すら難しい。
そして、17発目の爆弾が。
「ちなみに爆弾はかるく五千発以上は……おや」
タケナカがつぶやき、その視線の先には白煙。
レストランがあったであろう場所を中心に、白い爆発が生まれる。広範囲で荒れ狂っていた火焔が一斉に収まり、焼け付くようだった視界が急に晴れるように見える。そして17発目の爆弾は……炸裂しない。わずかに黒煙を上げて墜落する。
オーバーオールの大男が叫ぶ。
「おい! どうなった、不発か!?」
「ありゃ……まさか重炭酸ナトリウムか? そんなもん散布するとは、やるなあ」
高速度で広がり燃焼を抑える薬だという。まさか、あの熱量の中でそんなものを用意したというのか。
「どうするんだ!」
「いや生み出せたとしても生存なんか無理ですよ……。まあ一応第二弾いっときますか」
タケナカが指を鳴らす。すると周囲に半円球型の物体が出現し、私の足元に遮音ヘッドホンが。これはタケナカが人数分出したものか。
「ちょっとうるさいんで装着してください」
これは、まさかCIWS!?
大慌てでなんとかヘッドホンを装着。そしてドームから突き出された銃口が、ペンケース大の薬莢を撒き散らしながら駆動する。ほとんど切れ間のない射撃音が音の波となり、全身の細胞をかき回されるような衝撃がある。
それは毎分4000発を超える猛撃、20mm機関砲用徹甲弾が1キロ先の目標に向かって連射される。途中に立ちはだかる大型コンボイも重機も折り紙細工のように粉砕。
左右に一門ずつのこの猛攻。たとえ相手がアニメに出てくるようなロボットだろうと無事では……。
だが。
『ミズナさん、何か生まれています』
イカロの声が響く。そして高熱により歪んだ大気の中で、私の眼がそれを捉えた。
一瞬で出現し、尾部からジェットの赤い火を飛ばす円錐型の物体。何かのニュースで見たことがあるR-11型ミサイル。
またの名を、スカッドミサイル。
Tips フロッガー
1981年、国内メーカーによって開発されたゲーム。古典的名作であり、アーケード用ビデオゲームとしては最も古いものの一つである。数多くの機種に移植され、多くのクローンゲームを生み出した。家庭用としては1982年にLSIゲームとして発売されている。
なお、開発当時のタイトルは「Highway Crossing Frog」である。




