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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第一章 赤鏡伽藍の迷宮
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第一章 3



私はぶら下がりの姿勢から思い切り体を振る。後ろから前へ、足先まで使って振り子の加速を付け、そして自らを投げ飛ばす。

まずは洋風の丸テーブルへ、


空中でテーブルの縁の部分を掴んで体を反転、後ろ手を伸ばしてサイドチェストの角を把握し、腹筋を総動員して体を起こし、チェストに張り付く。そのままムカデのようにチェストを両腕で抱え込んで前進、多少みっともないが仕方ない。


『ほう、寝具のルートですか』


その通り。

そしてひときわ大きい天蓋付きのキングベッドに辿り着くと。


「よっ!」


私は天蓋部分に降り、そこに落下していたマットレスを下に蹴落とす。そして自分も落下。


『む……』


だん

空中で体を丸くし、マットレスに四肢を揃えて着地、思ったより衝撃があった。かなり運が悪ければ骨折していただろう。


そして疾走。いくらガレキの山と言っても天井を雲梯していくよりは早い。大型家電の上を飛び渡り、両足踏み切りなども交えつつ進む。


『なるほど、下を行くルートがありましたね、しかしゴールはおよそ15メートル上方です。平らな壁面をどうやって登りますか』


だからこのルートが良かった。寝具売り場とゴールの間にあるのはキッチン用品だ。


私は一瞬で壁までたどり着き、手近にあったロングキャビネットを引き起こし、空間の角に立てかける。めちゃくちゃ重いものは勢いのあるうちに運ぶべし。そして引き出しで階段を作って駆け上がる。


ずっ


途中で拾った包丁を壁面に突き立てる。渾身の力を込めた包丁は根本まで壁面にめり込み、私は腕一本で体を振り上げて柄の部分の上に立ち、さらに飛び上がって高い位置に包丁を突き立てる。そして同じく登る。

そして体を建物の角に押し込み、体をL字に、足を突っ張って背中と足の裏で体を支える。クライミングで言うとバック・アンド・フット。目測の通り壁面がざらざらしていて摩擦力が強い。私は腕を振り上げて火災感知器を掴み、一気に体を振り上げてゴールのアーチに片足をかける。



その瞬間、けたたましく鳴るベルの音。



「っ!」


気がつくと、周囲が暗い美術準備室に戻っている。

眼の前には三角形に組まれた「ダイダロス」。そして赤マントで全身を包んだ怪人。


私は腕が引きつるような感覚を覚える。拡張空間での疲労感や筋肉の緊張はログアウトすれば消えるが、そのために目覚めた瞬間に筋肉が混乱を起こすのだ。じきに消えるだろう。


『おめでとうございます。タイムはわずか1分22秒、私の予想を遥かに上回っています』

「七分もダラダラ行くのがだるかったのよ」

『さすがです……その身体能力、発想力、噂に違わぬ力です』


怪人は少し改まった様子になる。


『やはり、あなたしかいないようです。仕事を頼めるのは』

「仕事?」

『そうです。私とともに迷宮に挑んでいただきたい』


「ダイダロス」に一人の人物が映し出される。年の頃は30すぎ。髪に少しだけ白いものが混ざり、無精髭を生やした壮年の男。度の強い眼鏡の奥で、大きめの目をさらに見開いているように見える。不機嫌そうな、あるいは何か偏執的なものを感じさせる顔だ。


『彼は天塩創一てしおそういち、彼を知るものは天才とか変人と呼びますが、彼の作り上げた拡張世界の迷宮、それを走破していただきたいのです。それは言語を絶する魔境であり、およそ人智の及ばないほど奇っ怪極まる、その迷宮を』

「迷宮……」

『それが成されたならば、我々は多くのものを手に入れるでしょう。その暁には、あなたにも十分な報酬を支払います』


怪人は一瞬だけ言葉を切り、それを言うべきか否かという気配をにじませて声を放つ。


『あなたの……本当の望みをも』

「……」


私はいちど怪人から視線をそらし、窓辺に歩く。「ダイダロス」の中の怪人は、私の位置から見え方を計算しつつ像を動かしている、芸の細かいことだ。


「……なんだかなあ」


私は、ほとんど誰にも聞こえない程度の声でつぶやく。


「やり方がまだるっこしいというか、中二病というか……。私に仕事を頼みたいならバイトの募集かけりゃいいでしょうが。学園に三角のマーク残したり、噂を流したり、回りくどいのよね……。私のことはかなり前から調べてたって感じよ。そのぐらい分かる……」

『……? あの、何かおっしゃいましたか』


怪人はこちらの音声を拾えないようで、少し困惑したような声を出す。

私は口中でもごもごと、振動として成立するぎりぎりの声を出す。


「どうやったか知らないけど、天文学部のバイトだってあんたの差し金でしょ。いかにも偶然って体裁でこんなとこに呼び出したりして、怪人を装ったりして、理由があるのかもしれないけど、顔も見せずに協力しろってのが気に入らないのよね……」

『ちょっと聞き取れません……マイクの感度を』


私はすっと息を吸い込み。

振り向き、肺の空気を一瞬で吐き出す。爆音に変えて。


それは、正面にいたなら失神するほどの衝撃。

空間を膨張させ、ホワイトボードを揺らし、すべてのガラス窓がビリビリと振動する。


そして一瞬遅れて耳がそれを聞く。自ら発したのと同じ音を、学園の片隅、明かりのついている教室の一つから。


「そこか!」


床を蹴って跳ぶ。特大のストライドで夜半の廊下を進み、数歩で階段へ。

怪人はファントムの話をする時、「外部のネットに接続して」と言った。つまり最初に私の前に現れたときは、学園内のイントラネットを使っていたということ。つまり学園内からアクセスしているはず。読みが当たった。


グリップを最大に効かせて制動、階段に正対して両足で踏み切り、十四段の階段を一息で降りる。手すりを掴んで反転、さらに跳躍。飛ぶように降りる。着地の衝撃を踵に溜めて反動で加速、弾丸のように進む。


そいつはいた。私に気づかれたことを察して逃げるところだったか。ノートパソコンを脇に抱えて廊下に走り出てきた瞬間のようだ。廊下はとっぷりと暗いため、おおよその輪郭が分かるだけだが。

って、あれ、ここの廊下って。


「捕まえたあっ!」


言いつつ下半身めがけてタックル。相手を追い抜くと同時に裏投げの姿勢となり、廊下で背中をざりざりと削りつつ胴に腕を回す。制服の背中がほつれるかも知れないが、マトモに後ろから押し倒したなら顔面を打って死ぬだろうから仕方ない。


「ひ、ひいっ……」

「……え? この体……マジで?」


私はそいつを解放して起き上がる。廊下に膝立ちになり、眼の前で震えている人物を見る。

学園はにわかに騒々しくなっていた。今の爆発音のようなものは何かと、あちこちで誰何の声が上がっている。


「……あなたが、怪人デルタ?」


私の声に、その人物は。

身長は120そこそこ、細身でメガネをかけた、虚弱そうな男の子は、震えながらうなずいた。





「……小学生、って……」









「さて、ちゃんと説明してもらうわよ」


第Ⅱ棟、主に高等部の教室がある棟である。私の教室まで彼を連れ出し、私の席の隣に座らせる。


「まず名前は」

「……て、天塩五神楼てしおいかろ、です」

「イカロ……変わった名前ね。まあ、今どき変わった名前なんか珍しくもないけど」


と、私ははたと気づく。


「話にあった天塩創一って、あなたのお父さん?」


少年、イカロはこくりとうなずく。

あの怪人のアバターの慇懃無礼というか、うやうやしい感じはどこへやら、目の前のイカロは実に小さく、何かに怯えているように見えた。いや私に怯えてるんだろうけど。


その腕も足も骨が見えそうなほど細く。三部袖のシャツに膝丈のズボン、さらに丸メガネとあっては、活動的というよりモロにのび太くんスタイルである。細面で目が大きく、成長すればそれなりにハンサムになりそうだが、その虚弱そうな印象の下では、細面も単に栄養不足で痩せているようにしか見えない。


「なんで迷宮がどうのとか言い出したの。……まあ想像はつくけどね。私の噂を聞いて、無茶なことをさせようと企んだんでしょ」


私の噂を聞いて無茶な仕事を頼む、今までもあったことだ。

400脚のパイプ椅子を何往復で運べるか賭けようとか、隣町まで私の走りとバイクで競争しようとか。ひどいのでは素手で車を解体してみろってのもあった。ギャラが良かったからやったけど、体中がオイル臭くなってしまった。二度とやらない。


「……円」

「ん? なに?」


ぼそぼそと喋っていたイカロは、やがて何かを決意したように言う。


「……5200億円、手に入るんです」

「…………」


私は少し考えて、イカロの頬にそっと手を当て。

親指と人差し指で皮をつまみ、ねじる。


「あがががががが!!」

「大丈夫大丈夫、ものすごく軽くやってるから、でもお姉さんマジメに聞いてるから、ふざけるのはダメよ」

「ほ、ほんと! ほんとなんです!! あががが」


私はぱっと指を離す。少年だけあってモチのようにきめ細かい肌だ。力加減が難しい。

少年は赤くなった頬を擦りつつ、探るように視線を上げて言う。


「……ま、マイニング、って知ってますか」

「知ってるわよ、仮想通貨を掘り出すことでしょ。だいぶ前にブームになったじゃない」


私の大雑把な理解では、専用の高性能なPCを使い、特定の数式を演算させることでコインを得る、あるいはその仮想通貨の流通処理に貢献することで、報酬として仮想通貨を得るという仕組みだったはずだ。

その仮想通貨は一時期のバブル的な盛り上がりを経て、やがて流通の基礎として定着するに連れ種類が絞られ、市場価値は安定的になってきたと授業で習った。


「今、仮想通貨は数千種あります。安定した市場価値を持っている通貨は十数種です。大まかに言うと、標準的なサーバーマシンを一日稼働させたとして、およそ50円の仮想通貨を得ることができます。そしてマシン自体の減価償却、保守点検費用、電気代、相場変動のリスクなどを差し引いて、およそ一日あたり30円の収入があるんです」

「ふうん」


マイニングは大企業などが、多数のPCを用いて大規模にやってると聞いている。1000台で行ったとすれば一日に三万円の収入か、なかなか悪くないような気がする。今から設備投資して、それを回収するまでの時間を考えると自分から始める気はしないが。


「天塩創一は特別なプロトコルを用いて、世界に存在するあらゆるサーバーマシンの余剰演算力を操作する仕組みを作りました。公的機関のスパコンから家庭用のゲーム機まで、そのプログラムは自らを細かく分解し、誰にも気づかれずに世界のあらゆる場所に浸透して、そして仮想的に演算力を集約できる仕組みを作ったのです」

「……ん?」


よく意味が分からなかったが、何か不穏なことを聞いた気がする。


「これはマイニング専用のマシンに換算して、およそ400万台ぶん、天塩創一がこの仕組みを確立してから12年、集めた仮想通貨はひそかにラベリングされ、秘匿性の強い複数のオンラインバンクに分散されています。これだけで5200億円に相当するんです」

「…………」


私はきっと、目が点になっていただろう。

最初はあまりのことに信じられなかったが。

目の前のイカロ、この少年の目が嘘をついている人間のものかどうか、それぐらいは分かる。


それに天塩創一、名前ぐらいは聞いたことがある。

確かコンピューターの権威であり、PF、フィジカルフィードバックによる拡張空間を世界規格にしたのも彼だ。そして「ダイダロス」の開発者でもあるはず。しかし叙勲や褒章、学会での地位などをいっさい拒み、マスコミの取材も完全にシャットアウトしていた。世間では金の亡者だとか、研究中毒の変人だとか好き勝手に言われている。


イカロは少し静かな様子になって、呟くように言った。





「ですが、お金などは問題ではありません。手に入るものは、もっと価値のあるものです……」











Tips Tジャック


TとはTongue(舌)の略。舌に貼り付けるタイプの対人接続規格。電極のついたガーゼを舌に貼り付けて使用する。脊髄からの電気刺激に同調、および偽装し、使用者の五感を上書きできる。

かつては頭蓋骨を貫通して電極を埋め込む方法、盆の窪から脊髄に接続する方法などが考案されたが、現在では舌に接続する形態が一般的である。皮膚(上皮)からでも不可能ではないが、粘膜接触に比べると大幅に効率が落ちる。なおガーゼは一回の使用ごとに使い捨てる。



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