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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第一章 赤鏡伽藍の迷宮
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第一章 2



その怪人は、血のように赤い筒状の帽子、白い卵型のマスクで顔を隠し、それには赤い線で逆三角形が描かれている。

さらには赤いマントを竜巻のように体に巻き付け全身を隠している。加工された音声でそいつは語る。


『私は怪人デルタ、世の若人の願いに形を与える者です。あなたのようなお美しい方のご依頼ならいつでも歓迎ですよ。短めの髪と健康そうな肢体が実に若々しい魅力にあふれています』


その中身の体格はうかがえず、マントは三角形の中で渦を描くようにねじれ、足元では見える範囲で大きく広がっている。

それは三角形に組まれた「ダイダロス」の中央にいるように見える・・・。背景に美術準備室を写し、中央にその怪人の像を表示することで、あたかもその場にいるように見せているのだろう。


『こんな夜更けに私を呼び出すなど、よほど深刻な悩みのようですね。さあそれは恋の悩みでしょうか、愛しの彼を振り向かせたい? それともしつこい彼と別れたい? 恋敵を呪い殺したい? 恋の相手を配偶者と別れさせたい? いえいえ珍しい願いではないのですよ。ネットにはその手の願いが溢れています』

「ずいぶんダサいのね。どこの手品師かと思ったわ」


私は怪人に指摘された短い髪に指を差し入れて言う。盆の窪が隠れない程度のショートボブだ。


『おやおや、これは勝ち気なお嬢さんだ。ですが女性にはあまねく優しくを信条としております。さあ何でも望みを言ってみて下さい。私に不可能はありませんよ』


「…………」


私は腕を組んで少し考え、そして言った。


「ファントム」

『ほう?』

「連続通り魔のファントムよ、知ってる?」

『世事には疎いもので、では外部ネットに接続してみましょう』


デルタは黒板の中で少し右に動き、空いた空間に新聞や雑誌が現れる。それは立体映像、いわゆるAR(拡張現実)というものだろう。空中に浮いた本が魔法のようにめくられる。


『ふむふむ、新聞や雑誌によりますと、この近辺に出没している通り魔のようですね。夜道で女性をハサミで斬りつける手口、被害者は7人、三人は無事に逃げましたが、服の一部を切られたのが二人、一人は軽い怪我を負い、一人は9針を縫う大怪我、なるほど凶悪犯ですね。おや、その重傷の一人は中等部で陸上部に所属、つまりあなたの後輩とも言えますね、それは憤懣やるかたないところでしょう』


デルタは仮面の奥でふむふむと相槌のような声を出す。その後輩は雑誌や新聞に名前が出ていないはずだ、どうやって調べたのか。

ついでに言うなら私が陸上部であることも知っているようだ。


「そのファントムを捕まえたいの。できる?」

『できますが、しかし、それはあなたの本当の願いなのですか?』


デルタは意味深に問いかける。

私は少し視線を強める、この怪人はどこまで知っているのか。


何かしら強い語彙を返すべきかと思ったが、私は息を吸って自制し、最小限の言葉だけ返す。


「本当の願いよ」

『分かりました。ではこちらを』


怪人の脇にウインドウが開き、映像が映る。

そこには黒いジャケットを着た男、複数人の警察官に囲まれ、パトカーに連れ込まれるところのようだ。


「なにこれ?」

『見てのとおりです、ファントムは逮捕・・しました・・・・

「なっ……」


絶句する。

私がその名前を出してから三分も経っていない。まさか、そんなことが。


『たまたま繁華街を歩いていたので、付近にいた警察官の端末に情報を与え、職務質問させました。裁ちバサミを所持していたため、銃刀法違反で拘束したようです。強引な逮捕ではありますが、現場の判断というやつでしょう』

「ちょっと待ちなさい! あれは誰なの!」

『こちらの映像を』


怪人の脇に、さらにいくつものウインドウが開く。多くは監視カメラの映像、どこかの掲示板サイト、通販サイトやアングラ系と思われるウェブサイトも見える。


『名前は矢倉沢 浩二、24歳、学生。七件の事件を詳細に分析しました。すべての事件で、現場付近の監視カメラがこの男を捉えています。四件目の事件については犯行時刻ちょうどに現場の路地から出てきている。かなり遠方からですが、有料駐車場のカメラがそれを捉えていました。ほぼ間違いなくこの男が犯人です。ちなみに言うならファントムというあだ名は、彼自身がアングラ系掲示板で広めていたようです』


ウインドウの一つが前に出てくる。遠方にわずかに見える黒い点、それが拡大され、細部が補正されて、最初に見た男の姿に近づく。


『さらに言うならこの男、ネット上での素行が非常に悪い。アングラ系サイトを巡回し、世の中のあらゆる物事を悪し様にののしっている。もちろんそれは犯罪ではありません。しかし2ヶ月前、ホームセンターで裁ちバサミを購入し、所持したまま何度も繁華街をうろついてることは見逃せません。多数のカメラがその様子を捉えている。この映像などではひそかに手に持ったまま移動している様子も確認できます』

「……だからって、本当に犯人かどうかは」

『もちろん、それを下すのは私ではありません、警察と裁判所の仕事でしょう。とはいえ、裁ちバサミから血痕や微細繊維を完全に除くことは難しい。所持していたハサミを科学鑑定にかければすぐに明らかになるでしょう。さらに言えば彼の人物像を分析した限り、取り調べに完黙を通せるとはとても思えない。まだ根拠が必要ですか?』

「本当にこんなことが……」


デルタは仮面のままの顔をわずかにかしげ、笑ったような気配を見せた。


『演算力ですよ』





『演算力とは、善と悪すら支配するのです』





怪人の言葉がいんいんと空間に広がり。

私はやや憮然とした顔になって、高めの位置で腕を組む。


「……それで?」

『それで、とは?』

「ファントムが逮捕されたのは分かったわ、それには感謝する、引き換えに私に何を要求するの」


怪人デルタは、画面の中でかるく手を払う、現れていたウインドウや雑誌類が煙のようにかき消え、そこでようやく本題に入れるとでも言いたげな、弛緩した気配を放つ。


『あなたのお噂は存じております。北不知きたしらずミズナ。三ノ須が誇るフィジカルモンスター、中学までにいくつかのスポーツで名を残しながら、しかしなぜか現在では部活に熱心ではなく、学内アルバイトを渡り歩く変わり者。一説では練習中に靭帯を痛めて一線を退いたとか、海外留学を目指して資金を貯めているとか聞きますね』

「私に何をしろと?」

『PF、というものをご存知でしょうか』


私は記憶を漁る、それは情報科の授業で習ったことがある。


「……フィジカルフィードバック、VR空間で身体感覚をアバターに反映させるための国際規格で、アバターの性能が使用者の身体能力に大きく依存するとかいう……」

『そう、発表された当初は不評でした。ブロックを殴って破壊できない。空中を蹴って二段ジャンプできない世界の何が面白いのか、と。ですが、プログラム処理が大幅に軽減される利点がある。そのため、現在では多くのゲーム、あるいはビジネス的メタバースの世界で採用され、国際規格となっているのです』

「それが何なの」

『迷宮に挑んでいただきたい』


デルタは、赤いマントに包まれた体をくの字に曲げて言う。


『このジャックを』


ダイダロスの一台から、赤いコードがにゅっと出てくる、カテーテル手術に使われるような三次元アームだ。先端には三センチ四方のガーゼのようなものが取り付けられており、透明なフィルムに包まれている。


「分かったわ」


仕方ない、怪人を呼び出したのも、望みを言ったのも私だ。怪人がそれを叶えてしまった以上、どこに連れて行かれ・・・・・・ようと・・・受け入れるしか無いだろう。


私はどっかりと床にあぐらをかいて座り、フィルムを剥がしてガーゼを舌にあてる。舌にピリッと来る電気的な刺激。

それは疑似パルス。舌からではあるものの脊髄からの電気的刺激に偽装し、脳幹のあらゆる部位に働きかける。電極と脳の間で何万回ものパルスの往復があり、その刺激が私の知覚に合わせて最適化される。味覚はもちろん、聴覚、嗅覚、視覚、そして触覚を上書きし、私自身の意識を別の領域へと連れ去る。


私は、意識を失うと同時に覚醒する。


「――!」


真上から光が降り注ぐ。周囲の物体が認識されて、空間の広さ、吹き渡る大気の流れ、私はゆっくりと五感の所在を確かめる。


そこは家具店。

広さはサッカー場ほどだろうか、広大なスペースに様々な家具が並んでいる。右方には寝具売り場、左方にはテーブルや椅子などインテリア類が並んでいる。私はその片隅にいて、頭上には花で飾られた「START」のアーチ、対角線上には「GOAL」のアーチが見える。距離にして120m弱。天井の高さは15m弱というところか。


『身体感覚に異常はありませんか』

「別に」


空中から響く怪人の声に、私は素っ気なく答える。


『ルールは簡単です、対角線に見えるゴールゲートまで七分で辿り着いていただきたい』

「おじいちゃんでも楽勝でしょ、そんなの」


僅かな沈黙、そこに何らかの緊張の気配を感じる。


『PF……この拡張世界での基本的なルールはご存知ですか』

「一応ね。物理現象は完璧にトレースされる。身体能力は当人が自覚しているものに準じる。本来の身体能力を大きく越えた力は出せない。身体への一定以上のダメージを受けると強制的にログアウトする」

『その通り、そして、ルールは空間を支配している人間のみが書き換えることができます。足元にバーが見えますね?』


視線を下ろせば、地面に鉄製のバーが埋め込まれている。高さは20センチほど、確かリンボーダンスの世界記録は22センチだったかな、ということをぼんやりと思い出す。


『それを両手で把持して下さい』

「こう?」


私が前屈になり、それを両手で掴んだ瞬間。


体が、真上に投げられる。


「おっ――」


いや、正確には下半身が下に落ちている。

視界の中で一瞬、時間が止まったような感覚。大型の箪笥が、椅子が、テーブルが、マッサージチェアと電気毛布のたぐいが、さらには家具と小物が、天井に向かって落下していく。

そしてけたたましい音が鳴り響く。


「重力が」

『そのとおり、重力を反転させました』


すべてが落ちたわけではない。いくつかの家具は今や天井となった床に張り付き、大型のベッドからはブランケットと枕だけが落ちている。

天井にあった照明が家具に埋もれ、光量が弱まっている。そのため左方にあった照明家具のあたりが煌々と光って見える。


『五分の一だけの家具を天井に接着しています。接着力は非常に強く設定しておりますので、剥がれ落ちる心配はありません。さあ、残存している足場だけを使って対角線まで辿り着いて下さい』


私は視線を凝らして遠くを見る。なるほど、近くにはキングベッドやワードローブなど大きな家具、対角線上のゴールに行くに従って座椅子やソファ、さらに写真立てや花瓶のような小さな手がかりだけになっていく趣向のようだ。


一瞬で様々なルートが見える。寝具など大きな家具を伝って行けば安全だが、後半がキッチン家具のエリア、大きなものはほとんど落ちていて厳しいルートになっている。直進すればゴミ箱やカゴ、ソファ類のルート、把握が難しい物もあるが、ゴールまで安定して道がある。照明家具やカーテンのルートは見た目は楽だが耐久性に不安がある。接着しているとは言っても、それ自体が壊れる可能性はあるはずだ。


真下を見れば落下した家具がコナゴナになって積もっている。目測で下までおよそ15メートル、建物の4階程度だろうか。砕けた木材の上に落ちればタダでは済まない。おそらくログアウトになるダメージを負うだろう。


この距離、この障害、オーバーハングだけの道のりを七分で走破、か。


「……」

『よろしいですか、では五秒後にスタートです』


広大な天井、今は下方の空間に、立体的な数字が浮かぶ。

数字は徐々に減っていき。3、2、1――




『スタート』












Tips 拡張世界


いわゆるVR空間。コンピュータ内に構築された仮想的な空間。ゲームを始めとして、遠隔地同士での対話や会議、通販サイトやオンライン美術館、僻地医療など様々に利用されている。拡張世界においては基本的に全ての物理現象は演算により再現されている。管理者権限を行使すれば物理法則の書き換えも可能である。


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