1章 10
眠っている状態から覚醒した。
まだ、寝惚け眼で頭が上手く動いていないし、時間を確認していないけど、多分いつもより早く目が覚めたようだ。
起きようとしたら、息苦しい上に、拘束されたように動かない。
かといって、締め付けるような苦しさや痛みはなくて、柔らかい物に包まれたみたいに、暖かくていい匂いがして心地いい。
あまりの心地のよさに顔を擦りつけると、顔にぷにぷにした柔らかい感触が肌に貼り付け、さらにいい匂いが濃くなる。
あぁ、この抱き枕は最高だ、技術の進歩に感動と感謝の念を抱く。
「ん、あぁ、ダメ、はぁはぁ…」
その心地よさを堪能していると、直ぐ頭上から少しくぐもった色気の感じる声に、ハッとなって半覚醒状態から一気に頭の中のエンジンがかかる。
ちょっと待て、技術の進歩は日進月歩で、驚くほどめざましい進歩を遂げている。
そう遂げている、遂げているけど、抱き枕からこんなにいい匂いはしないし、人肌のような丁度良すぎる温度を維持出来ないし、今感じている人肌の感触を完全再現出来る技術が一般家庭に手軽に手に入るほど可愛い価格をしていない。
そもそも、僕の部屋に抱き枕は置いていない。
じゃあ、今僕が抱きついていて、僕を包みこんでいるものは何だ?
色々な可能性が頭の中に駆け巡る。
そして、長年の勘が告げている、とてつもなく嫌な予感がする。
それにこれに似ていた感触を日常的に味わっている気がする。
覚悟を決めて、恐る恐る目を開けるとそこにあったのは、非常に慎ましくも、しっかりとその存在を主張した女性の胸だった。
そうか、僕はこれに顔を擦りつけていたのか、なるほど、柔らかくて心地が良かった訳だ。
こういう行為を大昔はパフパフと言っていたらしい。
どこかで味わった事あると思ったのは、母さんの胸の感触だ。
失礼かも知れないけど、母さんの方が大きくて柔らかい。
「あーくん、は、お姉、ちゃんが、守っ、てあげるから、ね。」
一番嫌な可能性が当たってしまった。
僕を抱きしめていたのは、絹姉さんだった。
しかも下着すら着けていない素っ裸というおまけつきだ。
え、なんで!?昨日絹姉さんとの話が終わった後、リビングにある畳の部屋に布団を敷いて、そこで寝ているはずだ。
ラブコメのお約束みたいに、トイレに起きて後その帰りで、寝惚けて僕の部屋に来て、僕の布団に侵入してきたのか!
絹姉さん、恐ろしい子!ってこんなどうでもいい事を考えていないで、早く状況をなんとかしないと。
母さんに見つかったら…
「おっはよう~!茜ちゃん、絹ちゃんがお部屋に来………あらあら、まぁまぁ♪」
リビングから居なくなっていた絹姉さんを探しに来た母さんが、勢い良く僕の部屋の扉を開けて、部屋の中に乱入してきた。
なんて間が悪いんだよ、母さん。
ベッドの上で抱き合っている僕と絹姉さんを見て、母さんはそれはそれは楽しそうな顔をして、ふつふつと苛立ちがこみあげてくる声でにゅふふふ、と嬉しそうに笑う。
「もぉう♪茜ちゃんも絹ちゃんもお盛んなんだから♪
昨日は楽しみでしたね、でいいのかしら♪
ちょ~っと朝ごはん遅くなるけど、今からお赤飯炊くからね♪
それで、お昼は役所に婚姻届をもらってくるね。」
僕と絹姉さんが夜の組体操をしていたと、爆裂勘違い中の母さんを止めないと、今日の夕方には商店街から井戸端会議、しまいには近所の子供達までに誤情報が広まってしまう。
そうなったらマズい、ただでさえいじられキャラ扱いされているのに、余計な話題を提供して状況が加速してしまう。
悪い人達じゃないけど、本気で信じてしまう人や悪のりする人の多くを占めているこの街は、明日にはお祝いムード一色になるのは、今までの経験で簡単に予想出来る。
断固阻止せねば!
「ま、待って!母さん、話を聞いて!」
「長年離ればなれだった二人が、再会して恋人になる……。
すっごくドラマチックでロマンチックね!
ママと秋紘さんとの出会いも中々ドラマチックだったのよ。
思い出したら、ときめいてきちゃった♪」
「だから、絹姉さんが寝惚けて、僕のベッドに」
「分かってる分かってる、ママはぜ~んぶ分かってるから大丈夫♪
茜ちゃんは絹ちゃんの事が大好きだもんね♪」
いや、その言い方は全然分かってない。
そうだ!絹姉さんに説明して貰えばいいんだ!
何もしていない、ただ一緒のベッドで寝ていただけで二人とも清い体です、と。
冷静に考えたら、何もしてなくても、年頃の付き合っても結婚もしていない男女が一緒のベッドで一晩過ごした(片方が裸)とか、それはそれで問題な気がしてきた。
だが、大事の前の小事、今は優先させるべき事がある。
「起きて、起きて!絹姉さん!」
未だ夢の住人の絹姉さんを揺り動かして、目覚めを促すが、反応無し。
さらに強くしても、相変わらず、よく聞き取れない寝言を言っている事以外は反応無し。
「起、き、ろ!!そして早くこの状況をどうにかして!」
優しくも起きないから、絹姉さんの頬を強めに叩いたり、つねったりしても目覚める気配すら見せない。
ここまで起きないなんて、寝付き良すぎるだろ、この人。
寝ている絹姉さんは頬に感じる痛みが、不快だったみたいで表情を少し歪めると、僕の腕を絡めとると、更に強く抱きしめた。
「むぐぅ!?」
顔が胸に押し付けられて、息が出来ない。
なんか息苦しいじゃなくて、本当に苦しい酸素をくれ。
あまりの苦しさに、絹姉さんの背中をタップするけど、眠っていて、完全に無意識で技をかけている人が拘束を解くはずもなく、目の前が白黒に暗転する。
「こんなに抱きしめ合って、もう二人はラブラブなのね。
絹ちゃんなら嫁姑問題も大丈夫でしょうし、
あ!そうよ!少し早いけど、湊ちゃんと結婚式はどうするか、相談しなきゃ♪」
意識を落ちかけている息子を前に、勘違いを加速させ、結婚式の計画まで立て初めて母さんの姿に、世の無情を感じざるおえない。
「あー、くん、のため、…らお姉ちゃん、がなんで、もするね。」
僕のために何でもしてくれるなら、母さんの誤解をどうにかして欲しいです。
いや、その前に拘束を解いてください。お願いします。
無理、思考がまとまらない、もう落ちる、もう落ちる……。
僕には誰も味方がいない事に、心の中で涙を流しながら、眠りから覚めてばかりの僕は再び意識を手放した。ガクン