迷子
柚星が搬送された病院で、片之坂は壁際の長椅子に腰かけていた。
連絡を聞いて駆け付けた母親が、手術衣を着た医者と話ているのが見える。
「とりあえず傷口はふさぎましたが、出血が多いので何とも言えません」
「何ともって、そんないい加減な……! 何とかしてください!」
「できるだけのことはしていますから」
母親が声を荒げるが、医者は淡々としている。
「それにしても、なぜこんな大怪我をしたんですかね?何か大きな刃物で切り付けなければ、ああはならないはずなんですけどね」
医者に聞かれて、母親が無言でこちらの方を振り返る。
医者もこちらを見ている。
「ちょっと……分からない……です。俺が来た時には倒れてたんで……」
片之坂はたどたどしく答えた。
部屋でうずくまっている柚星を見つけた後、パニックになりながらもどうにか救急車だけは呼んだ。
到着を待っている間、止血の仕方も分からず、ほとんど何もできなかった。
そのくせ柚星の傍らに折れた剣を見つけると、それをベッドの下に押し込んで隠すという妙な余裕だけはあった。
医者は頷いたり首を傾げたりしながら、立ち去って行った。
「藤晴、あんた本当に何も知らないの?」
しかし、母親は納得いかない様子だった。
「だから知らないって」
「……そう。私あんたのことは信頼してるからね」
「……うん」
信頼していると言われ、逆に自分が疑われているのだと思った。
あの医者も何か物言いたげであったことを思うと、警察を呼ばれるかもしれない。
そうなったとしても、何もやましいことはないのだが、状況からしてかなり面倒なことになるだろう。
柚星の部屋もそのままになっている。
しばらくして手術室から出てきた柚星が、病室へと運ばれていった。
***
片之坂と母親は一晩中病室で付き添っていたが、翌朝になっても柚星は目を覚まさなかった。
「ちょっとだけ出かけてくるけど、柚星をお願いね」
数時間前から時計を気にしていた母親は、そう言って病室を出て行った。
一人になると心もとない気持ちになり、柚星の顔をのぞき込む。
点滴や包帯が痛々しかったが、その表情は苦しそうでもなく、ただ眠っているようだった。
何となく、大丈夫かもしれないという気がした。
――何にしても、今は生きている。
そう思ったら、緊張の糸が切れたのか、眠気がさしてきた。
***
ちょうど今の季節くらいだったろうか、ある晴れた日の午後のこと。
自宅の小さな庭に、ビニールシートを広げて、妹と二人で遊んでいた。
柚星は幼稚園に通っていて、片之坂も小学校に上がったばかりの頃だった。
一応ままごとをしていたのだと思うが、片之坂のロボットのプラモデルと、柚星の狐のぬいぐるみを会話させるという、不思議な遊びになっていた。
「そんな結婚は許しません!! どしゃーん!!」
鬼姑を演じていた柚星が、自分で効果音を言いながらぬいぐるみで突撃してきた。
「あっ!」
「あ」
ぬいぐるみにのしかかられて、ロボットの首がはずれ、腕はどこかへ飛んでいった。
柚星は自分のやったことに驚いて固まっていた。
「……柚のバカ!」
片之坂は怒った勢いで、柚星の頭を拳で殴った。
「……うわああああん!!」
柚星が大声で泣き出す。
片之坂はしまったと思ったが、
「お兄ちゃんのバカぁ――!!」
柚星は庭から飛び出していった。
すぐに追いかけたが、足の早い子だったため、見失ってしまった。
「柚ー!」
片之坂は妹を探しまわるうちに、知らない場所まで来ていた。
まだ日は高いのに、生い茂った木々に囲まれて暗い場所だ。
柚星も見つからず、自分まで迷子になっていまい、泣きそうになる。
「おーい」
ふいに背後から呼びかけられた。
驚きと恐怖でびくっとなるが、おそるおそる後ろを見る。
「これ、片之坂の妹?」
山本が、小さな柚星を抱えていた。
「山本君? 何で……」
死んだはずじゃ――
そう思った途端、これが夢であることに気付く。
いつの間にか、片之坂は現在の姿になっていた。
「結構かわいいじゃん。もらっていこうかな」
「だっ、ダメ!絶対ダメ!! まだ園児……中学生なのに!」
山本はニヤリと笑って、柚星を片之坂に渡す。
「だったら、ちゃんと見てろよ。女なんてすぐどっか行っちゃうんだからさ」
「女って……妹なんだけど……」
「妹でも女だろ」
「……」
山本の女がすぐどこかに行ってしまうのは、彼自身にも原因がある気がした。
「――そうだ、山本君に聞きたいことが……」
***
突然、着信音が鳴り響き、片之坂は目を覚ました。
慌てて電話に出ようとするが、間違えて切ってしまう。
「あっ…」
画面を見ると、学校からの電話だった。
無断で欠席しているせいだろう。
メッセージアプリに、川南と他のクラスメイトからの連絡もあった。
「っていうかここ病院……」
病室で椅子に座ったまま眠っていたらしい。
着信音を切り忘れていたことにも気付く。
ため息をついて、目の前で眠っている柚星の様子を見る。
――眠っていると思っていたが、微かに目が開いている。
「柚星?」
片之坂は慌てて立ち上がり、椅子が背後に倒れる。
「……お兄ちゃん?」
力のない、眠そうな声だったが、確かに返事をした。
「――よかった……」
そう言って、顔を伏せる。
片之坂が泣いていることに気付き、柚星は手を伸ばそうとした。
しかし、体が上手く動かなかったので、黙って見つめていた。