ノースポール
翌朝、ちょっとした事件によって教室はざわつくこととなった。
「昨日、学校の花壇が荒らされました。残念ながら、このクラスの中の誰かががやったようです」
担任は重い口調で、クラス全体に向かって言った。
「見ていた人もたくさんいます。心あたりのある人は、素直に申し出なさい」
それまでの話し声がぴたりと止んで静まりかえる中、
「はーい。俺がやりました」
あっさりと川南が手を挙げた。
全員の視線が彼に向けられる。
片之坂は、昨日川南がまいていた花を思い出し、「あれか」と思う。
「川南君、なぜそんなことをしたのですか」
「放課後まで部活動に励んでいる健気な女子たちに花を贈りたい気分になったからです」
担任の問いに、川南は平然と言った。
「だからといって、勝手に学校の花をむしるのはいけないことです。あれは私や用務員さんが手間暇かけて育ていたんですよ?」
担任は静かな口調だったが、さすがに川南の態度には怒りを感じているようだった。
しかし川南はそんなことには構わず、
「はあ、すいませんでした。ってか、晒し上げっすか?そういうの良くないと思います」
むしろ挑発的な態度をとる。
「そうですか。なら、この話はおしまいにします。その代わり川南君には放課後残って反省文を10枚書いてもらいます」
担任は川南の挑発をさらりと流し、机の上の書類をまとめはじめた。
「はぁ!?」
反省文の枚数に衝撃を受けた川南が立ち上がり、抗議する。
「ちょっ、10枚って! そんなに書くことないっすよ!?」
「書くことがないなら、残りは漢字の書き取りでいいですよ」
「漢字!? 何百字あると思ってるんだよ!?」
「何百字ではなく4千字です。では時間がないのでこれで」
「ちょっ、ちょい待てって!! ほんと晒し首でも何でもいいから反省文だけは!!」
取りすがろうとする川南を無視して、担任は教壇から降り、さっさと教室を出て行ってしまった。
***
放課後、担任は本当に原稿用紙を10枚持ってきた。
「足りなかったときにどうぞ」
と、さらにもう10枚ほど川南の机に置いて、教室を出て行った。
「帰りてぇー......でもバックレたらあいつ家まで来るんだよなー」
「熱心だよね、日渡先生」
他の生徒が帰っていく中、川南に付き合い、片之坂も教室に残っていた。
「敵を褒めるな!!」
「別に敵じゃないから……ていうか、もう川南の事まともに相手してくれるのあの先生くらいだから、もっと感謝した方がいいと思うよ」
実際、川南は担任以外の教師からは、ほとんど見放されていた。
授業をサボろうがナメた態度をとろうが、基本的に野放しである。
申し訳程度に注意したり、叱ったりすることはあっても、皆決して深追いはしない。
「そんなの求めてねーから! 俺は自由になりたいんだよ……!」
「うん、4千字書いたら自由になれるよ」
片之坂にとっては他人事なので、余裕の笑顔だった。
「…………」
川南は机の上の原稿用紙を一枚取ると、半分に折った。
「じゃあ俺が0.5枚書くからー、カタノは9.5枚な」
紙の真ん中にできた折り目にそって破り、半分だけを残して、残りを全部片之坂の方に押しやった。
「いや、書かないから」
片之坂が受け取らなかったため、何枚かが机から滑り落ちた。
「何だよ手伝ってくれるんじゃないのかよ!?」
「川南がサボらないように見張ってるだけだから」
「なんだそれ! 友達だろー? 裏切るのか!?」
川南は文句を言いながら、床に落ちた紙を拾う。
片之坂は手伝わないとは言ったものの、川南が花壇の花を盗むに至った経緯については、思うところがあった。
「川南さ、あの花まいたのって、本当は山本君に……だよね……」
それ以外に理由はないだろうと思っていたので、今まで話題にすらしなかった。
「はぁ? 何で俺が野郎に花なんか贈らなきゃなんねーのよ?」
しかし、川南はあっさりと否定した。
「えっ」
「大体、俺別に山本とそんな仲良かったわけじゃねーし。ぶっちゃけあいつがどうなろうが知ったこっちゃねぇわ」
「ええっ!? いや、でもじゃあ何であんな白い花ばっかり……」
「天使に似合うのは白だからに決まってるだろー。他に何があるよ?」
「…………」
エンジェル、と言いながらにやける川南に、片之坂は心底呆れていた。
帰ろうかとも思ったが、もしかしたら照れ隠しか何かかもしれないので、そこは思いとどまる。
「それよかさぁ、カタノ」
川南がにやにやして言う。
先ほどとは違い、何か悪いことを考えているようなにやけ顔だった。
「……何?」
一応聞き返す。
「山本にもらった鍵ー。ちょっと貸してくれよぉー」
「…………」
やはりロクでもないことを考えていたようだ。
先ほどの会話といい、昨日の今日でよくそんな事が言えたものだと思った。
「えっと……貸せない、かな」
片之坂はやんわりと断った。
川南なんかに渡したら、どうなるか分かったものではない。
「はぁ!? いいじゃんちょっとぐらい! カタノが持ってたってどうせ使えないだろー?」
どうせ使えない。
事実だったが、だからこそグサリとくる言葉だった。
「絶っっ対貸さない」
先ほどよりも強く拒否する。
「何だよ、ドケチー」
「はいはい。どうせ俺はドケチですよ」
言いながら、片之坂は席を立った。
「えっ。何、怒ったわけ?」
「……そうじゃないけど、何か俺がいたら逆に捗らなさそうだなと思って」
と言いながら、本当は割と腹を立てているのだが。
「ちょっと気になってることもあるから早く帰りたいし。じゃあ、反省文10枚か漢字4千字、がんばってね」
「ええー? マジで置いてくのかよー?」
川南を一人残し、片之坂は教室を出て行った。
***
川南には付き合いきれないというのもあったが、気になることがあるのも本当だった。
家に帰ると、真っ先に妹の柚星の姿を探した。
「柚星ー。いないのー?」
薄暗いリビングで名前を呼ぶが、返事はない。
玄関を見ても、いつも履いている靴がなく、柚星はまだ帰ってきていないようだった。
片之坂は先週末からずっと、妹の姿を見ていなかった。
いつも通りといえばそうだったが、山本の件もあり、以前にも増して心配になっていた。
「……大丈夫だとは思うけど」
とりあえず鞄を片付けるべく、二階の自室に向かおうとする。
ちょうどその時、二階からガタン、という物音がした。
「柚星?」
泥棒など他の可能性については考えず、階段を上がる。
「柚星、帰ってるの?――」
妹の部屋の前まで来ると、嬉しそうに声をかけた。
「――来ないで!!」
「――!?」
部屋の中から聞こえてきたのは確かに柚星の声だったが、かなり強い語気だった。
ドアを一枚隔てているにも関わらず、荒い息遣いが聞こえてくる。
嫌な予感がした。
「……――大丈夫?」
返事はない。
ドアを開けようとするが、鍵がかかっている。
「柚、開けて!!」
激しくドアを叩いても、柚星が鍵を開ける様子はなく、簡単に壊せそうにもない。
片之坂は急いで階段を下り、キッチンで食器棚の引き出しを開ける。
ごちゃごちゃと物が詰まった引き出しを漁り、小さな鍵を見つけ出す。
「あった!」
柚星は何度か部屋の鍵を失くしたことがあるため、親兄弟が見つけやすい場所にスペアがしまってあった。
再び階段を上がると、慌てて部屋の鍵を開けて、ドアを開いた。
「…………」
部屋の中では、柚星が床にうずくまっていた。
服や肌は所どころ赤く染まり、床には引きずったような血の跡ができていた。
腹に大きな傷を負っているようで、彼女がいる場所には血だまりができつつある。
「柚……!」
駆け寄って抱き起すと、柚星は震える手で服をつかんできた。
「――にいちゃ……ないでって……」
余程来てほしくなかったのだろうか、そう言って、柚星は目を閉じた。
「柚!しっかりして……柚――!」
必死で呼びかけても返事はなく、温かい血が流れ落ちるだけだった。