高い酒
どうしても悪い方に考えがちだか、確証があるわけではない。
山本の存在が消えたのは、例えばこんな理由かもしれない。
魔王を倒した山本は、お姫様と結婚して、異世界に残ることを決めた。
そしてこちらの世界とは完全に関わりを断ったのだ。
その方が色々やりやすいだろうし、そうしなければならないルールがあるのかもしれない。
という話をしたところ、
「そうかぁー。あの浮気性がなぁー。そりゃあ、おめでたいなー」
川南は目も合わせず、ほとんど棒読みでそう言った。
おとなしく自分の席に座り、猫背で頬杖をついている。
「あっちじゃハーレムだったぜ」
吐き捨てるように付け加えた。
川南は山本と異世界に行ったとき、何を見たのだろう。
「……こ、子どもができたとか……」
苦しいと思いながらも、片之坂が食い下がる。
「川村風花を捨てて?」
「…………」
子どもができたなら、そうするのが筋だと思うが、何となく想像がつかない。
山本なら両方の世界に家族を作って、平然と二重生活をしている方が似合う気がした。
「だいたい高校生で結婚とか考えないだろ。むしろ中学生か」
「そんな言い方しなくても」
馬鹿にされて腹が立ったが、どこか甘い考えであることも確かだと思った。
こんな根拠のない話を続けることも無駄に思えて、しばらく黙り込む。
「郡君が帰ってきたら、いろいろ聞けるんだろうけど」
片之坂の言葉に、川南はちらっと目を合わせただけで、何も言わなかった。
――帰ってくるのだろうか。
不穏な考えがよぎるが、口には出さなかった。
***
昼休みになり、いつものように片之坂は教室で昼食を食べていた。
片之坂はあまり食が進まなかったが、川南は素早く弁当を食べ終わり、スナック菓子の袋を開けていた。
にぎやかな昼休みの教室で、二人は何も話さなかったので、周りの声が大きく聞こえる。
ふと、同じ教室にいる川村風花の方を見ると、普段と何も変わらない様子だった。
何人かの友達と一緒にお弁当を広げ、誰かの話に時々微笑んでいる。
そのまま昼休みが過ぎていくかと思われたが、突然、教室の外の方からダン、という大きな音が響いた。
女子生徒の「きゃっ」という小さな悲鳴が聞こえ、教室が静まりかえる。
教室の入口近くにいる者たちが数人、外の様子を伺おうと窓や扉から廊下をのぞき込む。
やがて大きな足音が近付いてきて、教室の戸口付近にいる生徒を押しのけるように、郡が入ってきた。
片之坂は何か声をかけるべきかと思ったが、郡の様子が尋常ではない。
怒りに満ちた表情で、一挙一動が荒々しく、周りの生徒たちが自然と避けていく。
「おお、生きてたんすか郡の旦那」
川南が声をかけたのが気に食わなかったのか、郡はこちらの方を睨み付け、ずかずかと近寄ってきた。
片之坂は反射的に逃げようとして椅子から立ち上がり、勢いで机からお茶のペットボトルが転がり落ちる。
しかし郡の方が早く、狭い教室で目の前に立たれ、逃げ場を失う。
川南が郡に無言でスナック菓子を差し出すが、無視して片之坂を見下ろしている。
なぜ川南でなく自分なのか。
片之坂は殴られるのではないかと怯えていたが、郡はふいにしゃがんで、先ほど落としたお茶を拾い上げて机に置いた。
「…………あの」
「片之坂、話があるんだが――ここじゃまずい」
郡はそれだけ言うと、片之坂が返事をする前に教室の外に向かって歩き出した。
***
郡の後を着いて行く途中、隣のクラスの前にへこんだ金属製のゴミ箱が転がっていた。
なぜ廊下にあるのかは分からなかったが、さっきの物音の原因はこれだろう。
多分、郡が勢いよくつまづいたのか、苛立って故意に蹴り飛ばしたのか。
階段を上がり、屋上にたどり着く。
今日は鍵がかかっていたが、郡が持っている鍵で扉は開いた。
勝手に複製したのだろうか。
片之坂と川南が屋上に足を踏み入れると、郡が扉に再び鍵をかける。
今日は雲がある分、以前来た時よりも快適だ。
「川南に用はないが……まあいいか」
ここに来るまでの間に、郡は落ち着きを取り戻したらしく、もう睨み付けるような目はしていない。
一瞬俯いて、何か考えている様子だったが、やがてポツリと言う。
「……サカキが死んだ」
考えていたことではあったが、郡からの口から聞いて心臓が縮み上がるような感覚がした。
片之坂は何も言うことができず、ただ屋上の床に視線を落とす。
「ああ、そうだ、お前らに言っても分からないのか」
郡は頭に手をやり、困ったように言った。
「分かるよ。山本君、だよね」
片之坂が山本の名前を言うと、郡は少し驚いた顔をする。
「俺もその人知ってますよ」
川南も言う。
一息おいて、事態を把握したらく、郡は眉根を寄せる。
「まさかあいつが連れてったのか」
川南はそっぽを向いている。
「いや、俺は行ってな――」
片之坂は弁解しようとしたが、
「……今となってはどうでもいいか」
全てを聞く前に郡がそう言い、ため息を吐いた。
「お前らが知っているかどうか分からないが、あっちの世界で死んだ人間は、元の世界での存在がなかったことになる。だから、他の奴らはあいつのことを覚えていないはずだ」
「そう……なんだ」
片之坂はやはりそうかと思いながら、今知ったかのような言い方をする。
「出席簿からも写真からも消えてるぜ」
しかし川南は、正直に現状を伝える。
「そうか……」
実際に山本の存在が消えたことを知り、郡は寂しそうに俯いた。
しばらく沈黙が続いた後、郡がポケットから何かを取り出した。
「片之坂、これはお前にだそうだ」
郡が差し出したのは、金色の竜の鍵だった。
山本が異世界に行き来するのに使っているものだった。
「えっ、でも何で……」
片之坂が受け取るのを躊躇していると、
「酒の代わりだそうだ。何の話かは知らんが」
郡がそう言って、手の中に押し付けた。
片之坂本人も何の話か分からなかったが、しばらくして思い出す。
公園に行った帰りに、確か山本がそんなことを言っていた。
「これって大事なものなんじゃ……それに郡君はどうやって向こうに行くの?」
片之坂の疑問に、郡は首に提げている鍵を見せる。
銀色の竜が付いた鍵だ。
普段はシャツの下に隠しているらしく、またすぐにしまう。
「鍵は元々二つあるから大丈夫だ。まあ大事なものではあるんだろうが……あいつが自分の持ち物をどうしようと知ったことじゃない」
それでも片之坂が受け取るべきか悩んでいると、川南が郡に手を差し出す。
「あのー、俺には」
「お前に用はないと言っただろうが」
「ですよねー」
毎度川南の空気の読まなさ加減には感心すら覚える。
川南が手を引っ込めた後、郡はもう一つ、ポケットから小さな包みを取り出した。
「これは川村風花にと言われたが――どうやって渡したものか」
恋人だったとはいえ、覚えてすらいないのではどうしようもない。
郡は再び包みをポケットに戻す。
片之坂は割れ物じゃないだろうか、と余計な心配をする。
「これも何かの縁だろう。お前らだけでも覚えていてやってくれ」
郡ははっきりとした口調でそう言ったが、目線はよそを向いていて、その心はどこか違う場所にあるようだった。
***
あの後、郡は「まだやることがある」と言い、再び異世界に戻っていった。
片之坂は放課後になって、屋上の鍵が開けっ放しであることが気になり出した。
川南は午後の授業にはすでにいなかったので、一人で屋上へ向かう。
扉に手をかけると、やはり鍵は開いていた。
確かめたところで職員室から鍵を借りて来ないことにはどうしようもないのだが、適当な言い訳も思いつかない。
とりあえず扉を開けてみる。
屋上に踏み入ると、誰かが柵の上に腰かけているのが見えた。
危ないので止めるべきかと思ったが、よく見ると見慣れた顔だった。
勝手に帰ったものだと思っていた川南が、柵の上に座り、なぜか両手に花を抱えている。
花の種類はいくつかあるようだったが、いずれも白い色をしていた。
片之坂はどうしてあれで落ちないのか不思議だったが、川南なので放っておくことにした。
遠目に見ていると、川南は両手に抱えた花を放り投げた。
白い花々が舞い上がり、やがて下へと落ちて行く。
いくらかは風に流されて屋上の方に落ち、扉付近にいた片之坂の目の前にも一輪飛んできた。
拾い上げると、小さな小菊のような花だった。
「こらー!川南!またお前かー!!」
校庭から、部活を指導している教師の怒鳴り声が響いた。
「ははっ。さーせーん!」
続いて、川南が校庭に向かって適当に謝る声が聞こえてきた。