屋上の扉
「山本君と郡君はお休み、と……」
初老の担任教師は『誰かいない人はいませんか』、と大雑把な出席をとり、生徒二人が休みである旨を出席簿に書き込んだ。
山本と郡という二人の男子生徒は、最近休みがちだった。
二人ともとても丈夫そうな見た目なのに、病欠ということになっている。
これは言うまでもない、あれに違いない。
勇者として異世界に行っているのだ。
羨ましい限りだ。
ただ単にサボっているだけかもしれないが、今の片之坂には何もかもが異世界に関連しているように思えた。
昨夜の呪いに失敗した彼は、今朝も変わらず沈んだ表情で教室に座っていた。
***
いつもにも増して、異世界のことを考えていた。
授業中でも例のノートをこっそり見返したり、考察を書き足したりしていた。
自分でもどうかしていると思うほどだったが、昨日から立て続けに異世界転移とおぼしき現象が起きている。
それなのに自分は当事者になれないのだ。
今まで散々異世界に行く方法も試しては失敗してきたが、諦めきれるものでもないので、思い付く限りのことはしてみようと思った。
状況を変えるためには、とりあえずいつもと違う行動をしてみよう。
そう考えた片之坂は、昼休みに昼食を持ち一人で屋上の扉を開いた。
いつもは普通に教室で食べるのだが、ファンタジー小説や漫画などでは昼休みは屋上で過ごしていることが思い当たった。
現実の話ではないが、普段行く機会のない屋上という場所はいかにも何かが起こりそうだ。
「暑……」
『便所メシなんてやめた方がいい』と言う友人を振り切って、一人で屋上まで来てみたが、初夏とはいえ日差しが強い。
白い床が光を反射して無駄にまぶしく、昼食をとるのにはあまり向かない場所のようだった。
鍵は開いていたが、自分のほかには誰もいない。
「いや、でもせっかく来たんだし」
小さなひさしの下に少しでも入るようにして座り、コンビニの袋をあさる。
お茶が入ったペットボトルを傍に置き、パンの袋を開けてかじってみる。
どうにも落ち着かない。
しかし、この落ち着かなさが新たな扉を開けるのかもしれない。
先人たちの話よれば、何がきっかけになるとも知れないのだから。
初めこそわくわくしていたものの、数分も経つ頃には居心地の悪さはさらに増し、なんでこんな馬鹿なことをしているんだという気分になってきた。
「……暑い」
この実験はもっと天気の悪い日にしよう。
お茶を飲んで、ゴミをコンビニの袋に詰めると、この場を去るべく立ち上がった。
その時ふと、目の前で何かがきらめいて見えた。
「……?」
目の錯覚かと思ったが、次の瞬間には小さな光は空間を切り裂くようにして広がっていた。
突然、2、3メートルはある、小さな青い銀河のようなようなものが現れたのだ。
「異世界の扉……!」
驚きと期待でもたつきながらも、片之坂はその異空間に飛び込もうと駆け出した。
「あーいたいたカタノ」
同時に、背後のドアが開き名前を呼ばれる。
反射的に立ち止まり、振り返ると友人の川南の姿があった。
「便所にいないからさぁー。探したんだぞ女子ト――っおぉ?」
川南も目の前の光景に気付き、驚きの声を上げる。
若干リアクションが薄いが、普段からマイペースなのでこんなものだろう。
片之坂は状況にとまどい、前と後を交互に見る。
「あーやっと帰れたー。いやー本当俺仕事したわー」
そうこうしているうちに、目の前の異空間から人が出てきた。
この学校の制服に肩まで伸びた髪、だるそうな声。
「お?」
欠席しているはずのクラスメイトの山本だった。
当然、二人に気付き立ち止まる。
「まだ何も終わってないだろう。これからが――」
後から続いて、同じくクラスメイトの郡が出てきた。
高校生ながらマッチョと言っていいほど体格のいい彼が、こちらを見て動きを止める。
警戒する獣ののような目で見据えている。
何も悪いことはしていないのに、心臓が凍りそうになる。
二人が出てきてすぐに異世界の扉は消え、しまったと思ったが、とても何か言える雰囲気ではない。
4人の間に沈黙が流れた。
「あーえーっと、見た?……よな?」
しばらくして山本が口を開いた。
「……はい」
見てはいけなかったのだろう、ピリピリした空気を放つ郡が恐ろしかったが、片之坂は素直にうなづいた。
いつもなら騒ぎ立てるであろう川南だが、空気を読んで黙っている。
「川南とー……片之川?だっけ?」
「片之坂です」
あまり親しくない山本は名前を間違え、片之坂が訂正する。
別に腹は立たない。山本に比べれば覚えにくい名前だということは承知している。
「あー、そうだ、片之坂だ、ごめん。あのさー、今のやつだけどさぁー、うーん」
山本が困った様子でいると、
「お前ら、誰にも話すなよ」
低い声で、郡が口を挟んだ。
しゃべったらタダではおかないというニュアンスが感じられる。
「……はい」
片之坂はノートに書くだけなら許されるだろうか、などと考えながら返事をする。
川南はそっぽを向いていたが、郡に睨まれていることに気付くと、
「あ、はーい」
といいかげんな返事をした。
郡が小さく舌打ちしたのが聞こえたが、こいつに何か言っても無駄だと察したのだろう、屋上の扉に向かって歩き出す。
「なんかごめんな」
山本は軽く謝って、郡の後に続く。
片之坂はクラスメイトと険悪な空気になった緊張感と、異世界に行くチャンスを逃したことで混乱していた。
いろいろな感情がわきあがってくるが、異世界に行けないことの方が重大に思える。
何もせずに後悔するのは嫌だ。
「ま、待って!」
片之坂は衝動的に二人を呼び止めた。
振り返る二人。郡に攻撃的な視線を向けられ、うろたえる。
「えっと、その……」
汗の滲んだ手の平を握り込み、
「お願いします!俺も異世界に連れて行ってください!」
勢いよく頭を下げた。
その言葉に山本は少し驚いた顔をして、郡は眉をひそめた。
頭を上げるのが怖くもあり、しばらく下を向いたままだったが、
「へぇー、そんなに異世界に行きたいんだ」
山本が好奇心に満ちた笑顔でそう言い、片之坂は顔を上げた。
「あ、はい。その、話せば長くなるんだけど……」
「ダメだ!」
事情を話そうとする片之坂の言葉を、強い口調で郡が遮った。
「ふざけるな、これは遊びじゃないんだ。だいたいお前なんかが来たところで一体何になる?」
彼の態度が気に障ったらしく、今日一番恐ろしい形相で睨んでいる。
「……」
言葉に詰まる片之坂。
その背後から、事のなりゆきを見守っていた川南が顔を出す。
「そんな怖い顔しないでくださいよ旦那ー。こいつ悪気はないんですよぉ。ただ空気が読めないだけでー」
なぜか敬語で、しかも郡のことを旦那と呼びながらもフォローしているつもりらしい。
が、最後の一言は明らかに余計だった。
助けてくれるのはありがたいが、『空気が読めないなんてこいつにだけは言われたくない』と複雑な心境になり、良くも悪くも力が抜けた。
「すみません、だめならいいです……」
片之坂は何とかしゃべったものの、口から出たのは気の弱い謝罪の言葉だった。
「ええ、諦めるのかよぉ」
事を納めようとしているのに、川南が水を差した。
もうこいつがどうしたいのかさっぱり分からない。
「いや、だって……」
「そうだぞー諦めるなよー」
「……」
どういうわけか山本もいっしょになって煽ってくる。
「敵はあいつ一人だぞー。こっちは三人だから勝てるって」
「よし俺らで郡の野郎を倒そうぜカタノ」
「え」
味方をしてくれるらしい山本と、明らかに調子に乗っている川南に囲まれ、一瞬あれ?いけるんじゃね?という気がしたのだが。
「ふざけるな!!」
すぐに郡の怒鳴り声が飛んできて目が覚めた。
「しかもサカキ!お前まで何を言ってるんだ!?」
苗字のようでもあるがサカキというのは山本の下の名前だった。
本人は怒鳴られてもにやにやしている。
その様子に一層気を悪くしたらしく、
「……まぁいい、お前らがその気なら相手になっても構わないがどうする?」
郡は拳を握って三人を見回す。
「がんばれよーカタノ」
川南はささっと片之坂の背後に隠れた。
「えぇー!?」
「がんばれー」
へらへらしながら山本も手を振ったため、結局一人で郡に睨まれることになる。
どう対処するかしばらく考えていたが、
「……すみませんでした」
両手を上げて不戦敗を認め、その場はどうにか平和的に収まった。