エアの笑顔
「賞金100万テルを贈呈します」
見事一位を勝ち取ったシルヴィア達のパーティーが壇上で現金を受けとる。
(流石シルヴィア。僕の婚約者だ)
エアは柔らかい笑顔で壇上のシルヴィアを見守っている。
現金を受け取ったシルヴィア一向は一度皆の方へ向き、微笑む。
皆美少女だが、シルヴィアの美しさは一際輝いていた。
◇◇
少女とエアは、幼馴染みと呼ばれる関係だった。
屋敷がお互い近かったこともあり、二人はよく遊んだ。
ただし、他の者にはばれぬよう、こっそりと。
これは、少女がエアに頼んだことだった。
少女がエアに恋愛感情をもつのに、あまり時間はかからなかった。
ただ、少女には秘密があった。
それは、少女が人間ではないこと。
吸血鬼とよばれる、人類には知られていない、強大な力をもつ種族であること。
外見では吸血鬼と人間を区別することは出来ないので、ばれぬよう、ひっそりと吸血鬼は人間社会にまじって活動してきた。
これは、人類と無用な争いをしないためである。
もし知られてしまったら、その者を殺すか、伴侶とするか。
そういう掟が、吸血鬼社会にはある。
少女はこの掟を逆手に取った。
「聞いて、エア」
「なんだい、シルア?」
少女は赤い瞳を妖艶に細め、告げる。
「実は私、人間じゃないの」
◇◇
エアとアリアが屋敷に帰ると、複数のメイドが出迎えた。
「「お帰りなさい。エア様」」
エアへの嫌悪感は、静かに微笑む仮面の中。
少しでもエアの気に障れば、しつこく絡んでくる。
それがメイド達にとってこの上なく嫌だった。
自分の出迎えがエアの気に障っていないか。
障っていなければ、エアは素通りする。
緊張の瞬間。
「ありがとう」
エアは涼しい笑顔を返した。
メイド達は、エイリアンでも見たかのような表情。
そのうちの何人かは、頬を染めてエアの笑顔に見惚れた。
そのメイドをアリアが睨む。
「汚れが付いているよ、アリア」
だが、エアの手がアリアの肩の汚れを取ると、その不機嫌な表情は、一瞬にして恋する乙女のものへと変わる。
「あ、ありがとうございます。エア様」
「いいよ。ほら、入って」
エアが手を差し出すと、アリアは嬉しそうにそこに手を乗せ、中に入る。
エアは脱衣所へ直行する。
汚れた服を脱ぎ、かごに入れ、裸のエアは浴室に入る。
音でエアが浴室に入ったことを確認したアリアは、脱衣所に入り、汚れた服と新しい服を入れ替える。
この汚れた服を、洗濯の係に渡すのは日課だ。
「何をしているんですか……」
洗濯の係がアリアの所に来た。
エアの制服や下着をまとめて顔に押しつけ、濃密な呼吸をしていたアリアは、我に返り、洗濯物を渡す。
しばらくして、脱衣所から部屋着のエアが出てくる。
エアはそのままシルヴィアのいる部屋へ向かう。
扉を開けると、シルヴィアが紅茶を飲んでいた。
「お帰りなさい。兄様」
「ただいま、シルヴィア」
シルヴィアが妹になったことは事前にアリアから聞いていたので、エアは特に驚かない。
「今日は見事だったよ、シルヴィア」
席に座り、エアはそう切り出した。
エアらしからぬ、素直に相手を尊重する言葉。
シルヴィアは怪訝そうにエアを見る。
「ありがとうございます。お茶、淹れたてですよ」
「うん。ありがとう」
エアは隅に控えるメイドと使用人に微笑む。
使用人は眉をひそめ、メイドは驚きの表情で頬を染める。
「今日から、新しい剣の師が来たそうですよ」
「そうなんだ。……ところで誰の?」
「もちろん兄様のです」
「そうか。じゃあ後で挨拶してくるよ」
「……え?」
いよいよもってエアがおかしい。
シルヴィアは驚愕の表情でエアを見るが、エアは優雅に紅茶を飲んでいた。
紅茶を飲み終えると、エアは席をたった。
「ありがとう。おいしかったよ」
使用人達へのお礼は忘れない。
エアは部屋を出て、庭へ向かう。
シルヴィアは様子のおかしいエアを追う。
「おや」
庭には、精悍な顔立ちで、引き締まった肉体の初老の男性がいた。
「お初にお目にかかります。新しくエア様の剣の師として雇われました、デュラン・ヴィンセントと申します」
「エア・ネアレシスです。よろしくお願いします」
デュラン・ヴィンセント。
シルヴィアはその名を知っている。
元ランクAの冒険者。
現在はアインツ王国の騎士団に所属しているはずだ。
何度かシルヴィアの護衛をしたことがある。
「騎士団の方が、剣の師などできる時間があるのですか?」
「はい。私は騎士団の中でも下っぱでして、時間はかなり余っているのです」
シルヴィアの問いにデュランが答えた。
確かに騎士団でも下の方の者は、副業を持つ者が多い。
「こちらに顔を出すことが出来ないこともございますが、予めご承知ください」
「ええ。お忙しいなかご足労頂き、ありがとうございます」
エアは涼しい笑顔を返す。
「今日は挨拶だけの予定でしたが、稽古を始めますか?」
「ええ。ではお願いします」
エアは使用人から木刀を受け取り、稽古を始める。
「では自由に攻撃をしてきてください」
デュランは軽く構え、エアの初動を見逃すまいとする。
エアの剣の弱点や長所を見つけ、同時にエアの実力を測るのがまず第一である。
「ではいきます」
エアは右手に木刀を持ち、上体を傾けて走る。
(なかなか速い。それに綺麗だ)
デュランは肝心する。
恐らく、前の剣の師が良かったのだろう。
デュランに近づいたエアは、更に上体を沈ませ、防御の為に出されたデュランの木刀を避ける。
(――何!?)
デュランは、エアが止まるか横に避けるだろうと考えていた。
故に、予想外の避け方で懐へ入られたデュランは焦った。
エアは右斜め下から鋭く切り上げる。
(素晴らしい)
既にエアの実力を高く評価しているデュランは、予想通りの鋭い切り込みに対応し、木刀を滑り込ませる。
そして、デュランの木刀とエアの木刀がぶつかろうというとき、エアの木刀が消えた。
(なんだと!?)
来るはずだった衝撃は両腕に来ず、首の右側に冷たい感触。
(……あり得ない)
左から来た木刀を受け止めようと思ったら、右から首に木刀が当てられていた。
エアが何をしたのかは分かる。
木刀が触れる寸前にエアが右回転し、そのままデュランの首に木刀を当てたのだ。
だが、その速度が尋常ではない。
デュランは冷や汗が止まらなかった。
シルヴィアも驚愕していた。
(エア、まさか……)
今見たエアの動きにというより、その動きが意味するところに。
それはシルヴィアの待ち望んでいたことだった。
シルヴィアの表情が歓喜に染まっていくのを、アリアは苦々しく見ていた。
密かに覗いていたメイドは、開いた口が塞がらない。
エアは涼しい笑顔で木刀を下げた。
新しく雇われた剣の師がたった一日で辞めてしまったのは、仕方のないことかもしれない。