暴食と傲慢
「あの」
エアは通りがかった女子を呼び止めた。
「………はい」
(うわー、エアじゃん。最悪)
女子は、苦々しく振り返る。
声も低い。
「トイレはど」
「おい、どうみても嫌がってるだろ」
大柄の男子がエアの言葉を遮った。
「お前はいつもそうだな。また嫌がらせかぁ。痛い目見ねーと分かんねーのかぁ?」
男子、レイドはエアの胸ぐらを掴む。
女子はレイドの後ろに隠れ、頭だけひょっこり出して、恐る恐るエアを見る。
「いえ、すみませんでした」
エアは申し訳なさそうに謝罪した。
自覚はないが、どうやら迷惑なことをしてしまったらしい。
「ふん。もう二度とすんなよ」
レイドはエアを突き離した。
エアは一礼してその場を去る。
トイレは自分で探すことにした。
「ありがとう、レイド君」
「いや、当然のことをしたまでだ」
レイドは女子の頭をぽんぽんと叩く。
女子は少し嫌そうな表情をしたが、すぐに引っ込め、笑顔を見せた。
◇◇
無事トイレを見つけ、用をすませて教室に戻ったエアは、ひどく顔色の悪い女子を見つけた。
「大丈夫ですか?」
話しかけたが、女子はそれがエアだと分かると、舌打ちをして無言で視線を戻した。
相変わらず顔色は悪い。
ただ事ではないと思い、エアは女子の顔を覗きこむように強引に話しかける。
「あの」
「放っておいてよ!」
女子の声は教室中に響いた。
静寂。
数秒して、数人の女子が女子を囲んだ。
「ユキちゃんに近寄らないで」
「貴族だから何?ここではそんなの関係ないっ」
「親の力がなきゃ、なんにも出来ないくせに!」
女子達はエアを睨みながら、ユキを庇うようにエアから離れていく。
「……すみません」
エアは悲しげに頭を下げた。
ふと見渡すと、皆が冷たい視線をエアに向けていた。
「……すみません」
エアは再び頭を下げ、教室を出る。
その間も、皆の冷たい視線はずっとエアに突き刺さっていた。
(僕がいては、教室の雰囲気を悪くしてしまう)
エアはしばらくこの教室に戻らないことにした。
◇◇
アングレンと金髪の少年は学校の屋上を見下ろしていた。
アングレンは【鬼核武装】で浮遊能力を得ており、金髪の少年の方は悪魔としてもともと持っていた能力だ。
「ん?誰かいるぞ」
「美味しそうだね。食べてしまいな」
眼下では、少年がフェンスにもたれていた。
両手を制服のポケットにつっこみ、長めの黒髪を風に靡かせ、儚げな雰囲気を醸している。
「……あいつを見つけた」
金髪の少年は黒髪の少年――エアを見ているが、アングレンはその下の、窓から見える少女、ユキを見ていた。
「あいつを先に食う」
「目撃者が出るのは不可避だね。全員食べてしまいな」
悪魔の囁きに頷き、アングレンは降下を始める。
◇◇
「ツキヨ」
「うふふ。何かしら」
エアが名を呼ぶと、虚空から少女が現れる。
艶やかな黒髪は腰元まで伸びており、じゃらじゃらとした髪飾りが映えている。
一切の色彩を拒むように真っ白な肌。
黒い和服を着ており、全体的にモノクロだ。
青い瞳と桃色の唇だけがモノクロの少女に浮かぶ唯一の色彩。
現実味がないほど整った顔をしているが、不気味に歪む口の端が、逆に現実味を与える。
「あの少年は、悪魔かな?」
「そうよ。ただの獲物。うふふ」
不気味な笑みを貼りつけたまま、少女はエアにしなだれかかる。
「……殺さなければいけないのかな」
「そうよ。やっと見つけた獲物よ。じっくりとなぶり殺しましょう。うふふ」
暗い影を落とすエアに、和服をはだけさせ、甘い吐息を漏らしながら、少女が耳元で囁く。
「………」
エアは空を仰ぐ。
一個人の陰鬱な気分など関係なく。
残酷なほど、青く澄みわたっていた。
◇◇
(あれ?エア様がいない)
アリアはエアの教室を覗きこんでいた。
この学園は、従者だろうとなんだろうと関係なくクラスを割り振る。
本来ならば、アリアはエアと同じクラスになって当たり前のはずなのに。
ぎりりと歯軋り。
(……ん?)
窓の外に、人影。
二人いる。
ここは四階なので、浮遊系のスキルを使っているのだろう。
一人は、金髪の少年。
もう一人は、圧倒的存在感を放つ男。
(武装系スキル。……【鬼核武装】あたりですね)
全体的にごつごつした武装で、胸の周りは、肋骨のような紫色のものが囲っている。
「ひぃぃ!」
アリアの隣で、少女が奇声をあげた。
桃色の髪の、やたら胸の大きな女子だ。
その大きな胸を見ていると、何故かアリアは少しイラッとした。
(………ん?)
その女子は、【鬼核武装】の男ではなく、金髪の少年を見ていた。
普通、真っ先に目につくのは【鬼核武装】の男の方だろうに。
(まあいい)
アリアは少女から意識を外した。
そろそろ教室中が騒がしくなっていた。
中でも、茶髪の女子の怯え方は尋常ではなかった。以前エアに敵対していた女子だ。
愉快、愉快。
(エア様、どこですか?)
エアはいない。
だが、ここはエアのクラスだ。
直に戻ってくるだろう。
「死ね」
男が拳をつきだした。
窓ガラスが割れ、破片が飛び散る。
風圧で机や椅子も吹き飛び、教室は一瞬で滅茶苦茶になった。
アリアはイラッとした。
エアの教室が滅茶苦茶だ。
しかも多くの怪我人が出た。
アリアにとってはどうでもいいが、エアにとってはどうでもよくないだろう。
エアの悲しむ顔など見たくない。
「きゃぁぁぁ!!」
「化け物ぉぉ!!!」
皆逃げていくが、アリアは逆に教室に踏み込む。
一人、逃げ遅れた生徒がいた。
例の茶髪の女子だ。
こんな、ゴキブリ以下な奴でも、死んだらエアが悲しむ。
アリアはユキを庇うように立つ。
「あ、あんたは……」
ユキがアリアを見て目を見開く。
「エア様に感謝しなさい」
アリア少し振り向き、冷たい瞳でユキを見下ろす。
「目撃者は全員覚えたよ。後で始末しよう」
金髪の少年が、口の端を吊り上げながら言う。
ユキは震え上がった。
(逃げられない)
まさか、武装系のスキルを持っているとは思わなかった。
所詮、幻覚など使ったところで、逃げられない。
先程見た、男が人肉を貪る映像がフラッシュバックする。
「うぅ」
吐き気が抑えられない。
「この【鬼核武装】の元のモンスターは、ブラッディオーガ。限りなくランクAに近いと言われるランクBだ」
格が違う。
ランクBなど、雲の上の存在。
もし出会ってしまったら、死を受け入れるしかない。
しかも、限りなくランクAに近いだなんて。
そんな化け物をこの男は倒したというのか。
信じられないが、男が身に纏う【鬼核武装】が何よりの証拠。
ユキの歯がカチカチとなる。
「彼女の周りには、その姉やら剣聖やら、化け物がやたらいるんだ。今のアングレンには少々厄介な相手だからね。君達は、その為の糧にさせてもらうよ」
金髪の少年の話す内容はよく分からない。
アリアはイライラしていた。
まるで自分が格下に見られている。
エアの従者たる、この自分が。
「殺す」
「じゃあ少し場所を変えよう」
声は後ろから聞こえた。
教室の入り口に、エアがいた。
「エア様!」
アリアが顔を綻ばせる。
エアは涼しい笑顔を返し、ぱちんと指を鳴らす。
「………は?」
その声を発したのは一体誰なのか。
アリアとエア以外、何が起きたのか分からなかった。
視界の上半分が青。
下半分が白。
恐らくそれが地平線。
白い大地に、青い空。
それ以外、何もない。
そんなところに、五人はいた。
「少し物足りないかもしれないけど、存分に暴れな。アリア」
「はい。エア様」
ただ二人、エアとアリアだけがいつも通りだった。