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冨樫と別れたヒロは、高鳴る胸を押えながら医務室へ戻った。
なぜ、こんなに鼓動が激しいのかはわからない。
なぜこんなに口元が緩んでくるのか、わからない。
でも、一刻も早くアスラの顔を見たい。
そして、「俺の一番大切なアスラ」と、伝えたいんだ。
医務室では目が覚ましたアスラが、扉を開けたヒロの姿を見て思わず「ヒロっ!」と声を上げた。
「アスラ、気分はどう?」
「うん、大丈夫よ」
ヒロは急いでベッドのアスラに近寄った。
「目が覚めたはいいけど、ヒロくんはどこに行ったのかって五月蠅かったのよ」
「すみません、カナリさん」
ヒロは女医のカナリに丁寧に頭を下げた。
「じゃあ、後は任せたわね。今夜は特別にここで寝ることを許可するわ。ゆっくりお休みなさい」
「ありがとうございます」
ふたりきりになった医務室で、アスラはホッとした顔をヒロに見せた。
ヒロは部屋の灯りを消し、Tシャツとパンツになりベッドに寝るアスラの隣に寄り添った。アスラは嬉しそうにヒロの左腕に両手を回して、額を擦りつけるように顔を埋める。
ひとつの寝床で寝る時は、アスラはいつだってそうだ。ヒロの腕を離さない。
昼間は甘えたがりではないアスラが、寝付く時にヒロを欲しがるのが、ヒロには嬉しいけれど心配にもなる。
昔、由良じいが言っていた。
「本当に愛情に満たされていたら、どんなに離れていても、怖くはないんだ」って…
暗闇の中、アスラの瞳はヒロを見て、僅かに瞬き光る。それがアスラの不安を示すようで、ヒロはアスラの身体を優しく抱きしめた。
アスラは嬉しそうにクスリと笑い、また顔を埋めた。
「ホントの事言うとさ、ヒロに置いて行かれちゃったかと思って、ちょっぴり焦ったの」
「俺がアスラを置いてどこに行くって言うのさ」
「うん…。だけどさ、やっぱオレはお荷物じゃん。今日も熱出ちゃって、迷惑かけたし…」
「迷惑だなんて思わない。それより、もっと早くアスラを天上に連れて行くべきだったって、反省してる」
「どうして?」
「…」
ヒロはアスラの病気を正直に言うべきか悩んだ。
カナリの見立てでは、難しい病状であることは確からしい。だが、弱ったアスラに話して、もっと負担になると思わせたくない。
「アスラの身体、時々熱が出るだろ?天上でちゃんと治療をしないと良くならないんだって。あ、治療すれば治るから心配いらないんだけど、もっと早く天上に連れてけば、アスラを辛くさせることもなかったのに…ってさ」
「でも、ヒロとふたりでタカトのアジトで暮らしたの、楽しかったよ。すごく楽しかったもん」
「そうだね。でもさ、さっき居た女医さんとか、この船の船長さん、冨樫さんって言うんだけれど、見かけは怖いけれど、とても心優しい人なんだ。そういう大人たちがこの世には沢山いる。そういう大人たちを信じて頼るのも、必要なんだと思ったよ」
「…ヒロ、少し変わった?」
「うん、天上に居る葛城燿平…俺を生んだ人に、なんだか会いたくなった…かな」
「ふ~ん、良かったね」
ただ一言だけアスラはそう言った。その言い方があまりにもアスラらしいので、ヒロは思わず声を出して笑った。
「あのさ、冨樫船長の好意でなんとか種子島の港まで行けそうなんだ。明日、月華に連絡取って、なんとか上手く天上へ帰れるように頼んでみるよ」
「マジでホント?うわ~、やった~。でもこれでふたりだけの冒険も終わりなんだね」
「バーカ、これからだって俺とアスラはずっと一緒だよ」
「ホントに?…絶対?」
「絶対ホントに約束する。俺はアスラと幸せになるよ。だから早く病気治そうな」
「わかった」
ヒロはアスラの額にキスをした。
できるならもっと…恋人らしい事もしたいと思わない事も無かったけれど、アスラを興奮させて具合を悪くさせる方が怖い。
アスラを胸に抱いたまま、暗がりの天井を見上げた。
何もないはずの天井にさっきデッキで見た夜空の星空が、ヒロの瞳には見える気がした。
「星が綺麗…」
何も見えない天井を仰いで、アスラが呟く。
この薄いアメジストの瞳には、鉄の壁を越えて、夜空の景色が見えるのだろうか…
ヒロはアスラと並んで自分には見えない天井に指を指す。
「あれがスピカ、こっちがアークトゥルス、アスラと俺の星だよ」
「なんで?」
「夫婦星って言うんだって。それにスピカはアスラに良く似ているしね」
「そうなの?オレには眩しすぎて、長く見続けられないんだよね」
「そっか…でも似てるんだ。アスラみたいにまっ白に輝いてる」
「あのオレンジ色のが、ヒロのアークトゥルスだね。…うん、良く似てる。オレ、あの星大好きだ」
ヒロと同じものを見ていても、きっとアスラの瞳は違う輝きに映るのだろう。それなら、それを教えあえばいい。違いを知る喜びは二倍になるだろう、と、ヒロは思った。
「アスラ、ずっと一緒に星を探しあおうな。約束だ」
「うん、天上へ行ってもずっと一緒にいよう」
ふたりはお互いの鼓動の音を聞きながら眠りにつくのだった。
その夜、ふたりが見た夢は、宇宙空間に漂うふたりの姿だった。
大きな比翼の羽根で、どこまでも飛んでいく。
※
ヒロとアスラの種子島までの船旅は、これまでとは違い、心休まる時間だった。
確かにタカトの居た子供たちだけのアジトでは自由を味わうことが出来たが、この船では大人たちに守られて過ごす安心感を、ヒロはひとしきり感じていた。
それは由良じいと三人だけだった長く平穏な日々とも違う、活気づいた船上での時間だった。
冨樫船長を柱にした船員たちは、ガラは悪いが、皆精一杯に働くことを生き甲斐にしている。目の前にどんな荒波が来ようとも、経験と頭脳で切り開いていく。
ヒロはただじっと待つ事も、危険であっても進んでいかなければならない時がある事も大切だと感じた。
どちらを進むにも、選択するのは自分でしかない。
大事な事は、未来を怖れてはいけない事じゃないのかな。
「なんだか段々と楽しみになってきたよ」
「なにが?」
どこまでも真っ直ぐに広がる海原を眺めながら、ヒロは呟いた。傍らのアスラはゴーグルをしたままでヒロを見上げる。
「燿平父さんに会えることだよ。由良じいの代わりに俺が燿平を起こしてやるんだ」
「キスしてみたらいいよ。ほら、昔、由良じいが読んでくれた絵本にあったじゃん。魔法で眠ったお姫様が王子様のキスで目覚めるって。ヒロは由良じいの代わりに王子様になるんだね」
「いいのか?俺が別の奴の王子様になっても?」
「…?」
アスラは何度も瞬き、首を傾げた。
「ヒロは馬鹿だね。お父さんを王子様とは言わないだろ?オレはそんなに心は狭くないぞ」
「それは畏れ入りました」
ヒロはわざとらしく丁寧に頭を下げる。
「それにさ、ヒロを産んでくれたお父さんだもん。オレも会って話してみたいなあ」
「そうだな。…早く目覚めてくれるといいな」
ヒロは由良じいの事を思った。
燿平を想う由良じいを思った。
人は誰かを愛したら、喜びも切なさも悲しみも幸せも背負う事になるのだろう。




