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 ヒロが五歳になった頃、由良光流は養女である月華に相談を持ちかけた。

 二十五歳の月華は、すでにパートナーと新しい家庭を築いており、月基地で医師として働いていた。


「聞くところによると地上も随分と浄化され、我々が移り住んでも大丈夫らしい。だから地上に戻ろうかと思うんだ」

「…そう」

 敢えて理由は聞かなかった。聞かなくてもわかる気がした。

 由良の隣でお土産のプリンを美味しそうに食べているヒロを月華は微笑ましく見つめた。


「ヒロ、美味しい?」

「うん、おいしいっ!月華がいつもここに居てくれると、おいしいのになあ~」

「いつも居たら、お土産はないわよ。たまに会えるから、お土産っていうの」

「ふ~ん。でも、俺はいつも月華が大好きだよ」

「ありがと」

 ヒロの大人びた言い回しに、思わず目尻が下がる。


 日一日とヒロは燿平に似通ってくる。

 まだ五歳のヒロは、仕草や話し方、笑い方、性格までも生きていた頃の燿平を彷彿とさせる。

 月華でさえそうなのだ。常時ヒロと一緒に居る由良の心はより複雑だろう。


「…本音を言えば…燿平がいない宇宙で暮らすのが、段々と辛くなってきたのさ。私も歳かな…」

「そう…。でも、地上に戻ったら、燿平を忘れられるの?」

「…白川の観測所跡を住処にして暮らすつもりだ。仕事は着いてから見つけるさ。あそこは昔、燿平と過ごした楽しい思い出が沢山あるんだよ。思い出の中で老いていくのも、悪くないだろ?」

「…由良じいらしいけれど、ヒロはどうするの?辺鄙な地域で子供が暮らしていけるの?まさか、ほったらかすつもりは…無いでしょうね?」

「無論、ヒロも連れて行くさ。今の私にヒロの成長を見守る事こそが生き甲斐とも言えるからね。でも…」

「え?」

「うん、もうひとり、養子を迎えようと思うんだ。ヒロの為にも同じ年頃の男の子がいいな。それもあんまり幸せじゃない子。親の居ない異種能力者…ネオ・チルドレンとか…」

「どうして?」

「幸せな子はそのまま幸せに生きて行くべきだから選択外だ。能力者の子供は養子になっても育て難いと言うけれど、ヒロならきっとその子と仲よくできるだろう。…あの子も変わっているからね」

「ヒロもネオ・チルドレンって事?…私には普通の子供に見えるけど」

「あの子の運動能力や適応能力は常人を遥かに超えているんだ。まだ幼いからわかりにくいけれど、いずれ自分でも違和感に思う時が来る。その能力を天上ここで潰したくないんだ」

「日本の地なら平気って事なのね」

「わからないけど、ここは人の目が多すぎる。私もひきこもりたい年頃なのさ」

「困ったお爺さんだ事。まだ四十七なのに」

「もう四十七さ」

 由良は決して老けては見えない。寧ろ同年代の男性よりも若く見えさえする。

 しかし、昔から由良は大人びて見えた。傍らの天然に明るく楽天的で人好きする燿平と比べるからかもしれない。

 由良は物静かで、表情をあまり外に出すこともなく、知らない人が見れば冷淡な奴だと思われたし、誰にでも心を曝け出す性質ではないから、大人びて見えていた。

 そんな由良を、小さな月華は「おひげのない仙人さま」と、呼び名を付けたりしていた。


「判ったわ。隠居してもせめてテレビ電話くらいはある所に住んでよね。私も出来るなら会いに行くつもりだけど、何かあったらすぐに連絡してちょうだい。約束よ」

「ありがとう、月華」


 その時、由良はもう二度と天上に戻るつもりはないだろうと月華には感じられた。

 由良の言葉通り、由良は燿平との思い出の中で生きる覚悟なのだと…。



 養育院から紹介された小さなアスラを見た時、由良は自分に育てられるだろうか不安もあったと言う。だがシクシクと泣いてばかりのアスラが、なんとも痛ましくて、誰かの救いの手を待っているように思えた。

 燿平を助けられなかった自分を責め、埋め合わす為の必要な矜持だったかもしれない。

 由良はアスラをどこか自分に投影している…気がしていた。


「ねえ、アスラ。私たちと地上で暮らさないか?」

「地上?」

「そうだよ。畑や田んぼが広がっててね、上を見上げれば青い空が一面に広がっているんだ。木々のざわめきや吹き抜ける風の冷たさを肌で感じることができるんだよ。天上では味わえないものばかりだ。まあ、多少不便ではあるが、それも慣れれば快適になるはずさ。どうだい?アスラ」

「…」

 アスラに選択する権利などない。それに、どこに行こうが、アスラには不安しかない。


「俺と行こうぜ、アスラ。俺がおまえを守るから、大丈夫。安心していいよ」

 アスラより少し大きいヒロと言う少年の屈託のない笑顔を、薄目を開けた紫の瞳で見つめた。黒髪と澄んだ黒い目が、アスラを優しく見つめている。

 ヒロはアスラに両腕を差し出した。


「…ヒロと…一緒に…行く」

 ヒロの手を掴んだアスラを抱き寄せると、ヒロは耳元で小さく「アスラはかわいい」と囁いた。

 ヒロの行為にアスラは驚き、そして興奮した。

 自分を必要とされた事の無いアスラにとって、ヒロの強さがこの上もなく嬉しかったのだ。


 『この人の傍にずっといよう』

 小さなアスラは、心に誓った。


   ※


 地上に移り住んだ三人は、山林に囲まれた奥深い山間の郷での生活を楽しんだ。何もない静かさに、時折寂しさも感じたが、お互いの繋がりが深まっていく。

 三人は本当の家族のように、穏やかな日々の中に居た。


 そして十年が経った。


 或る夜、由良はヒロひとりを部屋に呼んだ。

「ヒロ、アスラと一緒に天上へ行きなさい」

「え?どうして?」

「…理由は、月に居る月華に聞きなさい」

「いきなり言われても、俺、どうやって行けばいいのかわかんないし、由良じいが一緒じゃなきゃ無理だ」

「私はここを動けないんだ」

「どうして?」

「政府との約束だからね…」

「…」

「それにアスラはもうすぐ十四歳になる。第二成長期に必要な治療が必要だ。月へ行けば、治療ができるし、アスラも大人の男として成長できるだろうから…」

「今のままのアスラじゃ駄目って事?」

 由良はヒロの質問に口を閉ざし、目を逸らすだけだ。

  

 アスラの身体は成長と比例するように生命力が弱っていく。

 火星から地球に降り、郷に来た頃は健康だったのに、十を過ぎる頃になると、季節ごとに熱を出すようになった。

 その感覚が次第に短くなり、由良じいは月か火星の研究所ラボでメンテナンスするしか手立ては無いと言う。


「今のアスラには天上の方が体質が合っているのだろう…」

「そんなことないよ。アスラは…ここが好きだっていつも言ってる。俺と由良じいとずっと一緒に居たいって…。俺達を追い出さないでよ、由良じい」

「ヒロ、聞きなさい。アスラの事だけじゃない。おまえを天上に行かせるのは…おまえの本当の父親に会って欲しいからだ」

「本当の父親?…それって、葛城燿平の事?その人、火星で遭難して死んだんだろ?」

「…」

 またしても由良は口を閉ざす。

 今度は苦しげな、切ない顔をして俯くのだ。そんな由良を見て、ヒロはそれ以上言葉をかけることはできなくなった。


 しばらく経って由良はやっと口を開いた。

「遭難した場所から燿平が見つかった。氷河の谷間に落ちた燿平は、ちょうどコールドスリープ状態だったらしく、最先端の医療技術で、どうやら生き返ったらしいんだ」

「え?…ホント?」

「だが、意識の回復は相当に難しい…との、事だ」

「…」

「おまえにとって燿平は父親でもあるのだから、あいつに会って欲しい」

「俺の父親は由良じいだけだっ!燿平なんて知らないし、クローンだからって、俺は燿平じゃない。そんなこと、由良じいだってわかってるじゃないかっ!」

「…」

 

 ヒロは見たことも無い程に打ちひしがれた由良の姿を見た。

 由良と燿平…心から愛し合っていた…と、月華から聞かされていた。

 事故で死んでしまった燿平を受け入れる事にさえ、由良は何年もかかった。

 今また、燿平の身体が生きかえったとしても、由良が素直に喜べるほど簡単な話ではない。

 由良にとっての燿平は、あの時のままだ。

 そして その愛は今もずっと続いている。

 そんなことはヒロにもわかっていた。


 どうして今になって、生きかえったりしたのだ、と、ヒロは燿平を恨んだ。

 なんで俺がわざわざ苦労して、そんな奴に会いに行かなきゃならないんだ…

 アスラの身体の事があるとしても、ヒロは由良の命令を素直に受け入れられなかった。


「じゃあ、由良じいも一緒に行けばいいんだよ。由良じいの大切な人なら、由良じいと会えば、目が覚めるからもしれないじゃない」

 由良は黙ってヒロの身体を抱き寄せた。


「私はもう…燿平に会う勇気は…ない。それに…。私には天上へ昇る力は…もうないんだよ」

「…」

 

 ヒロは知っていた。

 由良の食事の量が減った事。

 時折、胸を押えて苦しそうな顔をする事。

 薬を飲み続けている事。


 由良は何も言わない。

 だけどある時、こう言ったのだ。

「猫は自分が死ぬ時を知った時、誰にも知らせないままに、姿を消すんだそうだ。どんなに可愛がった飼い主にも何に告げずにね。…孤高の姿とはああいうものなのかも知れない…」


 ヒロはもう何も言わずに、由良の言う通りにアスラと旅立つ事にした。

 由良は天上への旅券代わりのICタグの組み込まれたペンダントをふたりの首に掛け、十分な旅費を持たせた。


「旅券も旅費も十分にある。迷わないように詳しい道のりも綴ったからね」

「…」

 ふたりは泣きそうに由良を見上げた。

「大丈夫だ。おまえたちなら目的を果たせる。迷ったら星空を見上げてごらん。いつだっておまえたちの行く道を示してくれるだろう」

「…」

「…月に行けば、月華が待っててくれるからね」

「由良じいっ!」

 ふたりは由良にしがみついて泣いた。

 こんなに幸せなのに、どうして離れなきゃならないのだろう…。


「今はわからないことだらけだろうけれど、男の子はいつだって冒険者なのさ。見知らぬ未来を楽しめぬ者ほど、損な人生は無いのだよ…。さあ、行きなさい、未来へ」


 ヒロとアスラは由良に見送られて旅立った。

 何度も何度も振り返るその先に、小さくなる由良の姿がいつまでもふたりの瞳に映っていた。



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