第7話 『勇人』
勇斗の過去の話になります。
Side:Isato
俺には兄がいた。
名前は勇人。俺たちは双子で、親でも見分けのつかない程に瓜二つだった。
けれど、似ていたのは容姿だけだった。兄は何でもできた。勉強も、運動も、お稽古も、愛想の良さも、何一つ俺は敵わなかった。それはもう、比べるのもおこがましい程に。
最初の頃は、努力はした。何か兄ができるようになれば、俺もそれを練習する。けど、俺が追いつく頃には兄は既に他の何かを成し遂げていた。どうしても追いつけない、才能の差。それを悟った。
俺たちは大企業の社長の息子だった。だから誰もが兄に期待し、俺に失望した。他者の兄への嫉妬は、俺への暴力として表れていった。非力な俺は、兄にいつも助けられた。それが余りに惨めで、俺は逃げてばかりいた。
ある日、俺たちは誘拐された。相手は身代金目的のチンピラだった。俺は恐怖で震えていたけど、兄が優しく声をかけてくれた。初めて兄に感謝した。
連れて行かれたのはとある廃墟だった。誘拐犯は二人で、一人は交渉、一人は監視をしていた。しかし、監視役は俺たちが何もしないと思い込んでいたようで、ボーッとしていた。監視役の目の前で、兄は何やらゴソゴソと動いていた。何事かと思うと、縄をナイフで切ったところだった。何でこんなものを、とか見つかったらどうするつもりだ、とかそんな台詞は浮かんで来ず、只々兄が頼もしかった。
二人分の縄を切り終えた兄が、再び笑顔を向けてくれた。そして何かを決意したのが分かった。逆に言えば、それしか分からなかった。このときに、俺も行動していれば何かが変わったかもしれない。けど、実際はできなかった。
「あっ、」
兄が、何かに気付いたように監視役の後ろに目を向ける。ボーッとしていたやつは咄嗟に振り向き、警戒する。そこには何もないと言うのに。
兄はナイフを片手に走りだした。監視役は演技だと気付いたけど、兄の方が圧倒的に速かった。接近して、腹を一突き。それだけで監視役は動かなくなった。俺にはもう、兄がヒーローにしか見えなかった。
しかし、一人を倒して気が抜けていたんだろう。丁度、もう一人がやって来てしまったが、対応が遅れてしまった。
交渉役は、倒れた男と兄の持つ血まみれのナイフを見ると、銃口をこちらへ向けた。明確な殺意と、死のイメージ。その恐怖は、幼い俺には耐えられるものではなかった。
しかし、兄は違った。銃口を向けられて尚、ナイフを持って駆け出したのだ。交渉役も、それは予想していなかったようで行動に迷いが生じた。そして兄は男の持つ銃を蹴り上げた。銃は綺麗な弧を描き、俺の直ぐ側へ落ちた。
兄が勝った。俺はそう確信した。ヒーローだから。
だけど現実はそうはいかない。当然だ。あちらは大人で、こちらは子供。不意討ちでもない限り、勝てる要素なんてないんだから。
だから、それは当然の結果だった。ナイフは相手に奪われ、兄の首に突きつけられた。
「おい、ガキ!その銃をこっちへ持って来い!じゃねぇとこいつが死ぬことになるぞ!」
「勇斗」
興奮気味の男の声に対して、兄の声は落ち着いていたが、不思議と耳によく届いた。そして兄の顔を見て、俺は恐怖した。その冷たい表情に。何を伝えたいのか、何をしてほしいのか、全て理解してしまった。
それは懇願ではなかった。
それは脅迫だった。
それは要望ではなかった。
それは命令だった。
感情に反して身体が動く。震える手で銃を握った。重く、冷たい感触だった。人の命を奪うのにふさわしい程に。銃口を二人の方へ向ける。視界が収縮していく。もう二人しか見えない。何も聞こえない。全ての音が失われた世界で、俺は引き金を引いた。
そのあと、すぐに気絶していた監視役にも銃を撃った。この場には一人しかいない。自分自身の手で兄を殺したことに耐え切れず、大声を上げて泣いた。
なぜ、兄が死ななければならないのか。
なぜ、俺はあのとき撃ってしまったのか。
なぜ、俺だけが生きているのか。
優秀な兄と、平凡な弟。どちらが生き残るべきかなんて考えるまでもない。
ならば、この罪を、後悔を、己のすべてを糧に誓おう。俺は生き残った。勇斗は死んだ。
ここにいる俺こそが、勇人だ。
◇◆◇
…………と……ん。……うと…くん?……
「勇人君っ!!!」
「うわぁ!?」
意識が覚醒すると、視界に入ってきたのは彩星の姿だった。
「あぁ、彩星か。どうしたんだ?」
「どうしたじゃないよ! もう丸一日、何も食べてないでしょ! ほら、食堂に行こう?」
「え? あ、本当だ。もうそんなに経ってたのか……」
「そうだよ。皆も心配してるから。ね?」
「……なあ、彩星。その……哀しくは、ないのか?」
嫌な夢を見たせいで、混乱していたのかもしれない。俺は自分でも意味の分からない質問をした。
だけど確かに疑問には思っていた。月夜の死が一番堪えてるのは、彩星のはずだ。それなのに誰かを心配して、明るく振る舞う。どうしてそんなことができるのか、気にならないわけはなかった。
「月夜君のこと? もちろん、哀しいよ。ホントは今すぐ泣いちゃいたいくらい」
「じゃあ、どうしてそんな風にいられるんだ?」
「うーん……信じてるから、かな」
「信じてる? 何を?」
「うん。月夜君は生きてる気がするんだ」
根拠はないんだけどね、と彩星は微笑んだ。
冷静に考えてみると、確かに違和感に気付く。俺が倒したあの魔族に月夜が殺されるなんてこと、あるんだろうか? 月夜の能力値はHPだけでも俺の4倍はある。生きてると考えた方が自然な気もする。
「分かってる、唯の願望でしかないってことくらいは。きっと本当は月夜君が死んだってことを認めて、受け止めて、未来に向かっていくことが正しいんだと思う。
でも、私は信じたい。月夜君が生きてて、いつか帰ってきて、いつもみたいに他愛無い話をする。だから、帰る場所を守ってあげなくちゃいけないの。ここにいていいんだよって、」
それは無理だ。月夜は向こうに帰る気はない。それは本人から聞いていることだ。
だけど、それは俺から言うことはできない。多分、それは今の彩星の唯一の心の支えだから。
「それに、勇人君も月夜君の頼みは断っちゃダメだよ?」
「頼み?」
そんなのあったっけ?
「もう、忘れちゃったの?月夜君、言ってたじゃん。最後に『あとは頼んだ』って。あの時だけのことを言ったんじゃないと思うよ?」
言われて思い出す。確かに、あいつはこうなることを予測していたかもしれない。いや、あの神童ならこの状況を予測していただろう。そしてその頼みを断るのは、彼に対する裏切りだ。
……それに、あの誓いもこのままじゃ果たされない。なら、悩むことは何もない。月夜のため、そして兄さんのために。
「そう……だな。ありがとう彩星。」
明上勇人、復活だ。




