9.こんな処に男の子が一人ですか。
西宮殿から出た僕は、庭園に向かった。モロ西洋風の庭だ。植え込みや花壇を利用して、とんでもなく緻密に計算されつくした幾何学模様を作り上げているタイプのあれ。これはあれだ、屋上とかで見ないと真価が分からないな。もしくは航空写真。設計図があれば完璧だ。
それにしても広いな、流石は皇宮。ウチの敷地じゃ絶対この規模では作れない。屋敷潰してやっとかな? 必要ないから問題ないけど。
そこそこ見回ったところで、僕は四阿に向かう。春先にしては中々に日差しがキツイのにうんざりしてきたのだ。<僕>だった頃は余り気にしてなかったけど、女の子になったからかなぁ。日焼けもあんまりしたくない。
「うん?」
そんなことをつらつら考えていると、植え込みの一つがやたらガサゴソと音を立てながら揺れていることに気付いた。なんだなんだ、不審者か? それとも動物? 魔物……は、ないと思うけど。
僕は立ち上がると、未だ揺れ続ける植え込みに近付く。気配も確認。人間だな。
「そこにおわすは、どなたでしょうかー」
「うわぁ!」
それとなーく声を掛けてあげた。ら、甲高い悲鳴が帰って来た。子供かな。それも、男の子。
ぴょこりと姿を現したのは、僕の想像通り、男の子。見た目年齢は今の僕とそう変わらないだろう。くりくりの紅の目で睨んできている。目じりに涙が浮かんでるせいで、ちっとも恐くないけど。そもそも中身の年齢が全然違うんでね。
「な、何だよ」
「不審者がいると思いまして」
「そんなんじゃない。僕は……」
言いかけた途端、男の子は何やら慌てたように口を閉ざしてしまった。皇族か、それとも有力貴族の直系のご子息様かな、この反応を見るに。
「何をしてらっしゃったんですか?」
「別に」
そっぽ向かれちった。でも残念、君が手にしている物を見れば一目瞭然なんですよねー。
「ああ、シロツメカラスソウですか。良いですよね、それ。煎じるといい感じに風邪に効くんですよ」
「……よく知っているな」
「母に叩き込まれまして」
見た目はその辺の雑草そのものなんだけどね。正確に言うと、カラスノエンドウの花が真っ白になっただけの代物。誰が薬草と思うのか。発見した人はあらゆる意味で凄い。ついでに、こんなとこに生えてるってのも。毎日定期的に庭師さんが見回っていて、見つけられたら即引っこ抜かれるようなもんじゃないか、こういうの。
「それで、何でそれを?」
「……」
「誰か、風邪引かれたのですか」
「……」
「何だったら、ぼ……私が煎じましょうか、それ」
「良いのか?」
分かりやすっ。尻尾が見えるよ、それもブンブン振り回されてるの。
「勿論ですわ。ただ、私はあくまでも宮廷神官の候補生ですので、なるべく西宮殿で行いたいのですが」
「構わない。瓶に入れて持っていく」
準備の良いことだ。
僕は一つノビをすると、彼を伴って西宮殿へ戻る。それから、客室には戻らずスティルルームへ。パンを焼いたり香水の蒸留なんかを行うためにあつらえられるこの施設は、その閉鎖性や念入りに湿度管理が行われていることから、薬作りに打って付けなのだ。宮廷神官にはある程度の調薬スキルを求められるからか、僕たちにも開放されていて都合がいい。
「ふうん。こんな部屋があったのか」
「ご存知ませんでしたか?」
「ああ。初めて見た」
無理もない。スティルルームなんて本来は使用人の領域だしね。良いとこの坊ちゃんが見たことある方がびっくりするよ。まあ、維持に大変お金がかかるから、よっぽどの豪邸でしかお目にかかれないとこでもあるけど。
僕が想像していたよりも、好奇心が強いらしい坊ちゃんは置いといて、僕は見つけ出した鍋に水を張る。ファンタジー世界のクセして、ヘーメレー皇国各所には水道が完備されているから、水の確保は簡単だ。火をつけるのも、大して労力は必要ない。かまどにぶち込んで、魔術で火を着けてやればいい。火属性の適性はまるきりないけど、下級魔術ぐらいならキチンと扱えるのだ。エッヘン。
「ほんの十分ぐらいで終わりますから、それまで待っていてくださいね。えーっと、」
「フェル」
「はい、フェル様。ああ、私のことはセスとお呼びください」
「分かった」
あ、ここまで名前も言わなかったのはちょっとまずかったかな。棚の中の小麦粉に興味津々の様子だったおかげで全然突っ込まれずに済んだけど。
現代みたいにタイマーがないから、僕は鍋から目を離すことは出来ない。フェルが変なことしなきゃいいけど。七歳ぐらいならそれぐらいの分別はつくか。
「なあ」
「何でしょうか」
「セスは、僕が誰だか知りたくないのか?」
「詮索する気はありませんから」
僕が見つけたのは、あくまでも雑草みたいな薬草を探し当てた子供一人だ。誰かまで何で突っ込んでられるか。そもそも、皇宮内をウロチョロしてても警備兵に咎められない身分なんて限られてくるから、大体の推察は着くし。本来なら接触したくはないけれど、周囲の期待やゲーム通り宮廷神官になったら、否が応でも知り合う羽目になる類の存在、とだけ分かれば十分。
そんな僕の反応は、フェルにとっては実に奇怪だったようだ。何度か目を瞬かせると、不思議そうにつぶやく。
「そうか」
あ、何か嬉しそう。