26.同期は何か、とんでもない人かもしれない。
「疲れたぁ……」
僕はベッドに座り込むと、ベールを脱ぎ棄てながら言葉を漏らす。トランクは床に放り出した。中の本がどうなろうと今はいいや。
あの後、オフィーリア様は悪戯っ子の笑みを湛えながら、僕たちの昼食タイムを見届けて退場してくださった。それからは息をつく間もなく午後の授業。主に歴史についてだった。その中で、僕はついに、その単語を聞いてしまうこととなったのだ。
「黒蛇旅団、か」
ずばり、『暁のエインヘリヤル』内で打倒すべき敵組織、である。
元々は世界に終末をもたらすとされる黒蛇の魔物、ヨルムンガンドを祀る極めて小規模の宗教集団だったらしい(この際、ギリシャ神話と北欧神話がごちゃ混ぜ状態なのは気にしない)。ところがここ三十年程で活動内容がとんでもなく過激なものになった。具体的に言えば、麻薬の密売とか、音魔術による集団洗脳とか、よく分からない怪しい儀式とか色々。各国の主要施設に対するテロなんかもあったらしい。
現在では世界全土で第一級犯罪組織に指定されたこともあり、根気良い摘発によってすっかり大人しくなったとのこと。うん、実際はそうじゃなくて、水面下で信者の補充とか各国政府への潜入とか、色々してるんだけどね……。大した人脈も持ってない十歳児には、前世の知識で分かっててもどうしようもない領域だ。
で、僕が一番怖いのは、この組織の手勢から接触されること。セス嬢破滅の道のりの決定打だからねぇ……。今のところ、そう言った声を掛けられたことはない。未だ神殿外と言えば中央宮殿か、年に二度ある里帰りぐらいなもので、「天才」と言う呼び声をじっくり育成中であることが関係しているのかもしれない。どうせならフラグ自体、完全になくなっていてくれてると良いんだけどな。
そこで僕は、ふと思う。宮廷神官となったセスは、一体何処で、どのタイミングでラスボス、つまり黒蛇旅団の指導者と出会うことになったのか。今の僕と、セスが同じ状況に置かれていたのなら、神殿内なのは間違いないと思うんだけど。曲がりなりにも厳重な警備が配置されていて、宮廷外からの魔術を一切無効化する結界も張られていることを考えると、内部からの手引きがあったのは確実。てことは、神殿内に信者、もしくは協力者がいる?
それはちょっとマズイ。誰か分からない的な意味で。僕は宮廷神官の中でも(主に年齢的に)浮いているせいか、ちょいちょい遠巻きにされてる感じ。観察してそれなりに性格を把握している程度だ。親交があるといえば、ソフィアさんとジョルジュ様ぐらいなもの。アウグスティス様はあくまで上司だし。見抜けない……。
だけど、特徴が分からないわけではないはずだ。彼らは体の何処かに、共通の入れ墨をしていたはず。どんな形だったっけ。まあ、それさえ見つけ出せれば判別は付く。……この分厚いローブを見透かしたり出来たらなぁ。
「あ」
そう言えば、黒蛇旅団がやらかしたアレコレは大雑把には把握してるけど、ゲームの時代になる前に具体的に何をしたのかは良く知らないな。図書室に資料とか無いのかな。
善は急げ、ってことで、僕は立ち上がる。祈りの時間までにはまだ少し、余裕がある。今の内に図書室に行って、目星だけでも付けておこう。
早速廊下に出る。と、見覚えのある影。
「ソフィアさん?」
確か、ソフィアさんは先輩の神官二名と一緒に、冬季巡礼に出ていた筈。そうか、もう三月の終わり頃……じゃなくて、白羊宮の月九日だもんな、帰って来ててもおかしくない。少し声を掛けてみようか。
「ソフィアさ――」
走り寄って声を掛けようとした、その瞬間。
ヒュ、と何かが空気を切り裂く音が鳴った。そして、首筋に伝わる冷たい感触。えーっと。これってアレ? 漫画とかアニメでよくある、大動脈に刃物を添えられるっていう、そういうワンシーン?
それも何というか、何だけど、それ以上に僕を見下ろしてるソフィアさんの顔と視線がヤバい。これはね、汚物を見下してる目に泣く子も黙る氷の面。え、僕知らぬ間に何か仕出かしちゃったの? それか、「俺の背後に立つな」とか……何にせよ、フラグが立ってるね。死亡フラグ!
「あ……ご、ごめんなさいね」
幸い、直ぐに引いてくれた。反射行為の方で助かった……。のか?
「クセなんですの。その……護身術を習っていた時に、そう教えられまして」
「そ、そう、ですか……」
乾いた笑みでしか返せません。そんな照れ笑いされましても。
ソフィアさんはどうやら、ジョルジュ様に用があるらしい。急いでいると言うことで、僕は大人しく身を引くことにした。特に何もないしね、僕からは。
にしても、ソフィアさんがこんなこと出来るとは。今までのイメージは温厚かつ清楚で妹思いのマジカルお嬢様だったんだけど。意外な素顔とか、あるのかな。と、今はそんなことは良いんだった。祈りの時間になるまでに、資料を見つけて来ないと。




