1.転生したら異性になってた。
アルケイディア歴九九〇年、金牛宮の月、十五日。
この日、<世界>の運命は大きく変わってしまったのです。
※※
二日かけて読み終わった本を閉じ、私は満足しながら顔を上げ――そして、本当に小さくだけれど、悲鳴を上げてしまった。
頭の中を、何かが駆け巡る感触。気持ち悪い。渦を描くように走っている。痛い。踏み荒らしている。何、何なの?
幸い、苦痛はほんの一瞬で過ぎ去った。その代わり、脳の隅々にまで液体のようなものが染み込むのが感じられる。
「ど、どうしたんですか?」
「いいえ、何でもありません」
いかにも心配そうな表情で、私の顔色をうかがってきたお付きの人に愛想良く笑うと、いったん下がるように告げる。少しばかり怪訝な顔になったけれど、彼女は詮索することなく「か、かしこまりました。いつでも呼んでくださいね」とだけ言って退出してくれた。
扉が閉まり、足音が遠ざかったところでようやく一息つく。それからドレッサーの鏡を見てまた一つため息をついてしまった。
「どうなってるんだ?」
イマイチ状況が把握出来ていない。いったい何が起きたんだろう、頭の中で。そう思いながら、私は真正面の代物に、それまで感じたことのない、強い違和感を覚えていた。同時に、鎌首をもたげている嫌な予感。もしかして、私。
磨き抜かれた鏡面に映る顔は、丸みを帯びたラインに薔薇色の頬、白く透き通った肌も合わせて、ベテランの職人に丹精込められて作られたビスクドールのようだった。これだけならまだしも、胸やらアソコやらを触ってみれば疑う気力をそぎ落とす。服も柔らかい手触りの白いワンピース。ああ悲しきかな。
え、なんだってそんな変えようのない事実をこんなに気にしているのか、って?
それは、私は本来「男」であるはずだからだ。正確には、「男であった」からだ。
……うん、そうだね。何を言ってるのか分からない、っていうのが普通の反応のはず。それは大いに同意する。だって私自身が一番混乱したし。
だが悲しいことに、これは真実だ。だって、もう。
「僕になっちゃったもんなぁ……」
ごめんなさい、本来生きるはずだった人。
そう、もう僕は<私>ではない。日本生まれの日本育ち、祖国どころか生まれ故郷の東京に引きこもって二十四年生きてきた、さして目立ちもしない一般人であった<僕>なのだ。確か、早々に内定を勝ち取ってホクホク気分で残りの大学生活を送っていたんだ、うん。それと、下宿先を引き払う準備をしていたはずだ。
と、ここで当然の疑問が浮上してくる。
(あれ、元の僕に何があったんだ?)
今お人形系少女になっている、ということは、元々の<僕>に何かあったということだ。そして、こういう時は大抵「転生」とかいう便利な単語で解決することが殆どだ。これがフィクションなら、だけど。
とりあえず記憶をまさぐってみる。と、直ぐに出て来た。どうやら事故死だったらしい。猫か何かを追いかけて道路に飛び出した自分に向かってくる、トラックらしき影のヘッドライトを最後に、<僕>の記憶が途切れていたからだ。ずいぶん呆気ない幕切れ。
元々<僕>には両親も親類も特にいなかったし、残念なことに友達もそう多くはなかった。だから悲しんでいる人は少ないだろう。だけど、こういう時の「申し訳ない」っていう感情は湧いてくるものらしい。ああ、お付きの人を離しておいて良かった。こんな今にも泣きだしそうな顔を見られたらどうなっちゃうか。
何はともあれ、<僕>が転生して女の子になってしまったのは確かだ。事実は受け入れるしかない。ただ、問題はそれだけではないような気がする。過去の<僕>ではない、現在の<私>の方にだ。
けれど残念なことに、<私>の記憶は<僕>のものに上書きされてしまったらしく、あまり思い出せることがない。何かないだろうか、とドレッサーの上を見回した後、引き出しを開けてみた。と、革張りの日記帳発見。
「え、っと……」
裏表紙を見ると、名前らしき文が書いてあった。構成文字はローマ字、しかも日本人御用達のヘボン式らしい。もし今いるこの子の世界が地球とは全く違った異世界だとしても、これが公用語なら、字の読み書きには困らなさそうだ、と少しばかり安心しながら、それを読み上げる。
「セス……カタリナ、ぜ、……じゃなくてじぇ、か。ってことは、ジェラード、かな」
セス・カタリナ・ジェラード。この日記帳の持ち主はこの子だろうから、これが名前に違いない。
「……って、まさか」
僕はこの名前に、見覚えがあった。ついでに言うと、この部屋にもだ。天蓋付きのベッドに壁一面のクローゼット、今僕が向き合っているドレッサーに窓を挟んで右隣の学習机。それからふわふわの白い絨毯。暖炉までついている。どう見ても良家のお嬢様の寝室です、ありがとうございます。とか言っている場合ではなかった。