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まだ調音器官が発達していないので当たり前と言えば当たり前なんだけど、僕はとある事を誰にも話さずに生きていかなければならない。
情報収集もままならない現状、こんな事が起こっているのは僕だけだけと思うのだが、世界は広い、はず。頑張って世界中を探せば、他にも同じ様な人が見つかるかもしれない。
でも、僕はこの事は誰にも話さないまま墓まで持っていくと決めているし、もし誰かがそれらしいことを匂わせたとしても知らないふりを決め込むつもりだ。だから、身内であっても一言も話すつもりは全くない。ないったらない。
……もしかしたら、ポロッと喋ってしまうかもしれないが。
そうなったらそうなったで、どうにか誤魔化すしかないのだが、しかしこうも思うのだ。こんなバカげたことを言っても、誰も信じてくれるはずがないと……。
そんな事は、当事者である僕が一番よく分かっている。
だから僕は隠すのだ。
——自分ではない自分が、生まれてから死ぬまでの人生を全て体験した夢を見たという事実を。
全ては、恐ろしくなるほど高い建物に囲まれながら、そのことに何の疑問を持たずに生活をしている夢を見たことから始まった。
その時を境に、僕は毎日の様に同じ様な夢を見る様になった。不思議なことに全く同じ内容は一度としてなく、毎回何かしら違う場所や時間をあたかも自分が体験している様に見るのだ。
どの位長い間見続けたのだろうか。
気が付くと、僕は夢で見たことを基準で物事を考える様になっていた。
そして、同時に思い知ったのだ。
僕が見た夢は単なる夢ではなく、僕ではない僕の産まれてから死ぬまでの人生を擬似的に体験していたという事実に。
おかげで、60年間の知識と経験を得て自我を確立できたのは良かったのだが、そのせいで僕が今生きている世界や家庭の現状が両親の会話で分かってきており、早急に対策を練り来るべき日までに準備をしておかないと、将来は最悪死ぬことが分かっている。
とはいえ、60年間の知識をすでに持っていることには変わりないのだ。この世界で生きていく上で、この上ないアドバンテージとなるだろう。
とはいえ、僕はまだ自分で話すことや情報収集はおろか、動くことすらままならない状態だ。
今は夢の中の自分。たまに混乱するので、【彼】と名付けた別の世界で生きていた僕の人生を軽く振り返って見ることしかできない。
次の記憶を見る前に、【彼】の人生を整理するために少しだけ【彼】が歩んできた生活を話したいと思う。
彼の人生は60年という、その世界では短い生涯を終えた。
主観的に観ても客観的に観ても、相当働き詰めの生活を送っており過労死の犠牲となった内の一人だ。
ただ、彼の生活ぶりを体験した身としては、いい意味でも悪い意味でも勉強になった。
と言うのも、【彼】は好奇心旺盛でパソコンを使ったweb関係の仕事から、建築や土方など現場関係の仕事まで幅広く精力的に働き、海外へと留学して仕事の幅をドンドン広げていったのだ。
短くても3年。長くて9年も同じ会社で働いていたので、技術もコネもある。職種や国境の違う人種との付き合い方も把握しているので、どんな環境でも生活に困まらない程度には金も稼ぐことができる。
自分の好きなことをしつつ、煙草も吸わず、酒も飲まず、彼女も作らずない。
見る人によっては変人扱いを受ける様な人生だったが、他人からこき使われてイヤイヤながら仕事するよりも何倍も魅力的に見えた。
今生きている世界が、どこまで【彼】の知識が通用するかは未知数だが、ないよりかは遥かにマシだ。
しかしながら、赤子というのは便利であり不便であることを、現在身を以て体験している。
考える時間は膨大にあるメリットとは裏腹に、書くことができないので自分の考えをまとめることができないし、動くことも出来ないので、色々な調査もできない。
幸い、記憶のキャパシティは多いようで、一度覚えたことや整理したことはすぐにでも思い出せるので、今は雌伏の時だと逸る気持ちを抑えながら【彼】の人生を少しでも多く見るために襲いかかる眠気に身を委ねた。