僕の最近の出来事(ある歯科院長の奮闘記) NO.28
僕の近況報告
1月6日(月)の朝に
気分一転 頑張ろうと
奥さんと一緒に車に乗り込んで
さあ仕事に行こうと自宅の駐車場を出て
右折しようとすると、左のほうから
2台の車が近づいてきた。
まず1台が通り過ぎた。
2台目が来るには少し時間がありそうだ。
僕は1台目が走り去ったあと、
急いで右折した。
なんか僕の車のバックミラーに映る
後ろの車が騒がしい動きをしているな
と思い、
もう一度きちんとバックミラーを見ると、
真っ赤な軽自動車が
対向車線まではみだしつつ、
すさまじいスピードで大きく蛇行運転をして、
僕の後ろにぴたっとくっついて、
僕の車を激しく煽っていた。
「うわぁぁぁ~~~
せっかく昨日まで頑張って
年末、年始の
朝から深夜2時まで忍耐レース
超耐久 急患対応期間を乗り切って
すがすがしい朝を迎えて
また心気一転今日から頑張ろうと
思っているときに、
変な奴につかまったなぁぁ~~~
と、むなしくなった。
左の方向指示ランプを点滅させて
左側に寄せて車を停止させようとすると
その赤い軽自動車も僕の車の後ろで
ぴたっと停めやがった。
変な奴が車から降りてきて
絡まれたら嫌だなと思って
僕は車を急発進させた。
するとその赤い車も猛スピードで
蛇行運転をしながら僕の車を追いかけてきた。
僕は瞬時に近所の派出所までに信号機なしで
たどりつける道順を考えた。
そして僕は細い路地につっこんでいった。
大きな道(国道)では、信号機が派出所までは
たくさんあるし、赤信号で車をとめて
前にも車が停まっていたら逃げられなくなるので、
わざと細い路地の田舎道を走った。
むこうから対向車線が向かってきた。
自分の車と対向車線で道幅は
いっぱいいっぱいになるような道だった。
こちらに向かってきた車は
運のいいことにタクシーだった。
僕は車を停めて窓を開けて
右手を大きく窓から上に向かって出して
タクシーにむかってバタバタと
手を振った。
そしてタクシーが僕の横に停まった。
僕は後ろの赤い軽自動車運転者側の窓が
開いているのをバックミラー越しに
確認した。
奥さんに「携帯で後ろの車の運転手の顔と
ナンバープレートの写真を撮れ!!」
と指示したが、おろおろした奥さんは
動けなかった。
僕は後ろの運転手にも聞こえるような大声で
タクシーの運転手にむかって
「すいません!!
後ろの赤い車に煽られているんで
警察に連絡をしてください!!」
と叫んだ。
しかし、タクシーの運転所のおじさんは
状況を理解できていないのか、
とろい人なのかは、今となってはわからないが
ボォ~っとした顔をしていた。
僕はあせり、むかついて
右手で後ろの車を指さして
「後ろの赤い車の奴に煽られているので
急いで警察に連絡してください!!」
と激しく叫んだ。
すると後ろの車の男が
「こらぁぁぁ~~~~!!!!
きさまぁぁぁ~~~~!!!!
はよ 行かんかい!!!!」
と叫んでいた。
それを聞いたタクシーの運ちゃんは
「は、はいっっっ!!!」
とあたふたしていた。
僕は車を急発進させた。
僕は一直線の道で派出所まで行こうとすると
すぐ右側にあった横道に
その赤い軽自動車は猛スピードで
右折して走り去っていった。
僕は奥さんに
「なんや、あれだけ俺の車を煽っていたくせに
警察に連絡してください と聞いただけで
スタコラサッサと逃げていったぜ。
本当は結局 あいつは小心者やったんやなぁぁぁ~~~」
と言った。
それでも僕は派出所に向かっていたが、
赤い軽自動車はどこにも見えなかった。
その車がついてきてる雰囲気はなかったので
派出所行きはやめて
そのまま自分の病院にむかった。
ところで似たような話で
過去(数年前)に 大雨の日に、
大きなデパートの正面玄関の前に
大きな白いワゴンがドンと停まっていた。
デパートの駐車場を追い越そうとしても、
大雨で対向車線が見えなかったので、
30秒ほどまったが、動く気配も
人が降りる気配もなかったので
ブブッと軽くクラクションを鳴らした。
それでも何の反応をなかったので
もう一度ブブッとクラクションを鳴らすと
「なんか!!貴様~~~!!!」
と叫びながら ガラの悪い男が
車から降りてきてこっちに向かってきた。
僕はあわてて車を急発進させて
出口に向かった。
しかし大雨で、お客さんがいたり
狭い道だったので
あまりスピードが出せなかった。
しかし、その大きなワゴン車は
猛スピードであと少しで駐車場の出口
という場所で、僕の車の前に
割り込んできた。
あと少しでぶつかりそうになった。
ただ相手の車は慣れた感じだった。
大きな白いワゴン車から出てきた男が
僕の車の運転席側までズカズカとやってきて
「コラぁぁぁ~~~~
お前~~~~
車からおりてこいやぁぁぁ~~~~!!!!」
と叫んできた。
と、ここでびびって車からでてはいけない。
過去でどこかで、妊産婦がこんな状況で
外にひっぱり出されて、
土下座で謝罪させられて
それでもなお、妊産婦のお腹を蹴って
流産させられたという悲惨な事件があった。
僕はそんな状況でそんなことを考えながら
その叫んでいる男に
「すみません すみません」
というと
「すまん じゃ すまんのじゃぁぁぁ~~~~
コラ!!!!
出てこいや~~~~!!!!」
と叫んだ。
僕はいつも携帯を持ち合わせていない。
カメラで写真を撮るのも趣味なのだが、
そういう時に限って、カメラをもっていなかった。
昔、東京のどこかの球場で
まだ元気で監督現役の長島監督が僕のちょうど横を
歩いていった。
「しまった~~~!!!
カメラを忘れた!!!」
新宿の東口のアルタ前をふらふらしてるときは
川崎麻世さんと 妻のカイヤ婦人と
二人のお子さんが4人並んで普通に歩いていた。
その時も
「しまった~~~!!!
カメラを忘れた!!!」
東京でちゃりで信号待ちしているときも
すぐとなりにちゃりで
反町隆さん主演のときのGTOにでていた
坊主頭の池内博之さんがいた。
また西武新宿線あたりでふらふらしていたら
オセロの黒いほう 中島知子さんが
ロケをやっていて すぐそばで
僕がぼっ~とたっていると、彼女はじっと
僕をみつめていた。無言で・・・
あと、めちゃイケの 鈴木紗理奈さんが
ドラマの収録を新宿の近くでされていた。
だいたいが2000年の頃のお話。
大切なときにいつも僕はカメラを忘れている。
ま、パパラッチじゃないからしょうがないけど。
んでもって、変な怖い奴にからまれた話にもどします。
僕の車のミラー越しに見えたそいつの顔は、
まさにやくざな構成員ぽく、顔の頬に
漫画にでてくるやくざか!?
というような長い大きな傷がついていた。
左目の目じりから左の口角にかけて。
僕はびびったが、あくまでも冷静にふるまい
「すみませんけど、あなた!!
近くに派出所があるんで、お互いの
意見を警察官にきいてもらいましょう!!
すぐそこにある派出所までお互いの車で
行きましょうや!!
そこでお互いの意見をぶつけあいましょうや!!」
と僕が言うと
その男は「なんやと こらぁぁぁ~~~
まず貴様 車から出てこいや!!!」
と叫んでいた。
僕はすぐさま
「あっ、そういえば
あなた、僕の車のタイヤや
ドアなどの車体に蹴りやパンチ
などで傷を少しでもつけたら
速攻で器物損害の容疑で
警察に訴えますので注意してくださいよ!!」
と気丈に言うと、
「なんやとぉぉぉ~~~~!!!!
こら てめぇぇぇ~~~
はよ 車からでてこんかい!!!!」
と叫んでいた。
僕は「だからぁぁぁ~~~
今から一緒に派出所にいきましょうやぁぁぁ~~~」
というと、少し雨もやんできて、
傘をさしたお客さん数人が好奇の目で
立ち止まって僕達をじろじろと見ていた。
すると、その男は
「チッ」
と舌打ちをして自分の車にすごすごと戻っていった。
瞬間、僕は猛スピードで派出所まで急いで
車を走らせた。
しばらく派出所の駐車場に車を停めていたが、
その男が追ってくる気配はなかった。
結構、僕の住んでいる地域はガラが悪い。
患者さんの層も少し悪い。
僕が小学3年生のころ
僕は正月に僕の父親の車の後部座席に乗り、
その父の車の後ろからは、
父の弟(僕にとっては叔父さん)
が車でついてきていた。
今の僕の住んでいる近くの狭い道で
僕の父親が対向車線から来る車に因縁をかけられて
車を停められた。
僕の父親は怒ると怖いが、所詮
サラリーマンで営業マンなので、腰はひくい。
優しそうな顔をしている。
僕の父親は志村けんさんにクリソツだ。
http://ameblo.jp/shimura--ken/
志村けんさんのブログの横顔とまったく同じ顔をしている。
そんな父が外にでて
対向車線からきた男と言い争いをしていた。
僕の父の弟(僕にとって叔父さん)は
宝石や着物を売る商売をしていて、
基本は優しいのだが怒ると、めちゃ怖そう。
僕が小学生のときに、その叔父さんのところへ遊びに行って
彼が読み終わった週刊誌のジャンプをもらうのが、
楽しみだった。
今でこそ20歳をこえた3人の子供がいらっしゃるが、
そのときは奥さんと二人で暮らしていて
白いかわいいポメラニアンを飼っていた。
ある時そのポメラニアンの片目が
ほぼとびだしそうになっていた。
僕の父親が
「なんじゃこの犬!!
目ん玉がとびでてるぞ!?」と驚くと
彼の奥さんが苦笑いしながら、
「あんまりうるさく吠えていたときに
だんなが思いっきり蹴ったくったのよ」
といってたことを思い出します。
あと、僕が自分の歯科医院を開業した時に、
その叔父さんが開業祝いで
観葉植物をプレゼントしてくださった。
僕は記念撮影を皆でしようと、
その叔父さんと奥さんと僕で
カメラのタイマーをセットしているときに
その叔父さんの頭がカメラの視野から外れていたので
「すみません、叔父さん少し
頭を下げてもらっていいですか?
このままだと、頭が切れてしまいます。」
というとその叔父さんは
「俺が頭をさげにゃいかんのか!?」
とわけのわからないところで切れはじめた。
彼の奥さんが「それくらいいいじゃない・・・」
となだめていた。
僕は少しびびった。
そういえば昔、またまた僕が小学生の頃、
僕達の家族と、おじさんの家族でよく
夏休みと正月に温泉旅行に行っていた。
旅館で受付を済ませて、宿泊部屋へ
旅館で働く客室係りの女中さんに
案内されているときに
女中さんの前をその叔父さんが歩いていた。
すると、いきなり大きな屁を
ブッ!!!!!!
とこいた。
僕はびっくりしてその女中さんをみると、
彼女もびっくりした顔をしていたが、
すぐに無表情で宿泊部屋まで案内してくださった。
僕もいまでこそ、めちゃくちゃ丸くなったが、
昔は瞬間湯沸かし器のヤカンくらいにすぐ
沸騰してカッと熱くなっていた。
すぐにブチブチ切れまくっていた。
学生時代は先輩にたてつき、
勤務医時代にも、先輩や理事長に事あるごとに
たてついていた。
僕は歯科医師ながら過去に営業マンもしていたが、
散々、サラリーマンや雇われの身では、やっていけないなと
肌身にしみた。
漫画ブラックジャックの主人公のようにすぐに
これはおかしいと思ったら
後先考えずに口に出し、反抗しまくり、上の人たちに
結構嫌われまくっていた。
おかしなことに、我慢ができなかった。
昔、勤務医をしていたお局さんに
「理事長が白を黒だと言ったら黒だと思いなさい!!」
と言われたときは
「なんでやねん!!」
と反抗して、ある時、理事長との飲みの席で
「理事長、酒の席での無礼講でいいと言う理事長の
お言葉に甘えて、僕の意見を言わせてください!!
お局さんから言われたんですけども、
{理事長が白を黒だと言ったら黒だと思いなさい!!}
と言う言葉には僕は納得できません!!
僕は正義はかえられません!!」
と、よせばいいのにアホな発言をして
「なら、ここから出て行け!!」
と理事長を激怒させ、殴られた。
そして、殴られていじけている僕に理事長は
「お前は熱い男だ!!
お前はいつかおそらく、誰よりも
成功できる男だ!!
なりあがれる男だ!!
お前は人に使われる男じゃない!!
1日でもはやく独立をめざせ!!
でないと借金なんて返せないぞ!!
でもな、よく聞け!!
今のお前の歯科治療の技術力じゃ、
誰も、耳を傾けて聞いてはくれんぞ!!
それじゃ、好きにしなさいと、
放り出されるのがオチぞ!!
悔しかったら、頑張って
一人前になれるように日々、
オレのところで死に物狂いで頑張らんかい!!
俺が白いものを黒って言ったからといって
なにも黒に見ようとしなくてもいい!!
でもな、今はお前の先輩達の言動が理不尽だと思っても
今は我慢してしっかりしがみついていけ!!
そして、誰からにも認められるようになってから
そのときになって初めて自分の意見をほざけっ!!
俺はお前がすごい一流の経営者になれると
見抜いたからこそ、うちのグループで雇っている
100人以上のドクターがいても、
お前だけをこうして毎晩
飲みに誘っているんだぞ!!
頑張れ!!」
と喝を入れられた。
現にその頃、僕はその理事長にめちゃ気に入れられて
2年間、毎晩 高級クラブに飲みにつれていって
もらっていたのだ。
いつか、ここにも書くが、
この理事長との出会いは
僕の歯科医師人生にとって、とても大きな重要な
ウエイトをしめす出会いだった。
僕はその言葉をいただいて、
高級クラブのトイレで泣いた。
洗面所で顔をあらったが、涙はとめどもなくあふれでてきた。
しばらくして、理事長の元に戻ったときに、
美人なキャスト(ホステス)さんに
無言でおしぼりを手渡された。
涙ぐんだ目をそのおしぼりでぬぐっても、また
あふれる涙が僕の頬をつたっているのを見て
理事長は「ほら!!神名!!歌えっ」
と気をつかってくださった。
この文章を書いていたら、なんか妙にあのころの
想い出がふいに浮かんできて、
胸が熱くなった。
話をもどして、僕の父が対向車線から来た男に
因縁をつけられた話のつづきをしよう。
僕は車の後部座席から父親と、ガラの悪そうな男との
言い争いを見ていた。
僕の母も妹も、車中でびびっていた。
すると、後ろの車から叔父さんが出てきた。
叔父さんは
「あにき~~~
どうしたん!?」
と聞くと、僕の父は
「いや、この男が
もうすぐでぶつかるところだっただろう!!」
と因縁をつけてきたんだ。
というと、叔父さんの目が一瞬で鋭い目にかわり、
ダッと自分の車にかけもどって、
すぐに僕の父と変な男のもとに
かけよった。
その手にはでかい木刀がにぎりしめられていた!!
「こら!!きさま!!
俺のあにきに、なに因縁つけとんじゃい!!
貴様の頭 かちわったるぞ!!」
とすごい形相でかけよってきた。
それを見た叔父さんの奥さんが
泣きながら「あなた~~~~
やめて~~~~!!!!」
と泣き叫んで叔父さんを引き止めていた。
叔父さんの奥さんは
叔父さんをしっかりだき抱えながら
ガラの悪い男に向かって
「あんたも、はよ 立ち去らんね!!
なんば、ぼさ~っと しとんね
はやく ここから 立ち去らんね!!」
と泣き叫んでいた。
その男は何も言わずにそそくさと、
車で立ち去っていった。
そのあとは落ち着いたが、
興奮していた僕は年齢に近い いとこのお兄ちゃんに
先ほど起こった出来事を楽しそうにしゃべったことを
思い出す。
僕の父は4人の男兄弟の長男だったのだが、
両親が散髪屋で貧乏で子供のできなかった
僕の歯科医師だったおじいちゃんの養子として
育てられたのだ。
しかし、僕の父は跡をつがなかった。
歯科大学ではなく大阪芸術大学にいった。
男4人兄弟の中で
僕の父親だけが常識人で
あとの3人、なんかこわい叔父さんたちだ。
僕の父はその後、しかし芸術の世界で
生きていけるはずもなく、
会社員になり営業職で僕達(妹)
を養ってくれた。
そのことで結構僕は父と喧嘩をした。
「お父さんがおじいちゃんの跡をついで
歯医者になっていれば、僕はもっと楽に
歯医者になれて、開業も簡単にできたのに!!」
でも今年でおかげさまで、開業して10年目となる
今となっては、僕にとっては、
このほうがよかったかもしれない。
誰にも頼る人がなく、お金もなく、
でもいろんなことを乗り越えて
反骨精神で生きてきた。
ボンボンの2世ならば、僕は今頃、
違う意味で苦しみ悩んでいただろう。
歯科医師としてのツテもコネもなく
自分自身でもがき苦しみ
いろんなことを経験したからこそ、
今の僕があるのだろう。
両親にはとても、ひどいことを
散々言っていたような気がする。
とても、悲しい思いを
たくさんさせたかもしれない。
いつも僕のすぐ近くには、両親がいて、
いつも応援してくれていた。
これからも親孝行はたくさんしなければいけない。
追伸、叔父さんの子供(25歳)に
前記の木刀事件の話をして、
僕は彼に「叔父さん、今でも車に
木刀つんでいるのかな?」
と聞くと、
「うん、いつでも積んでいるよ。
なにか、怖いことがあったらいけないからね」
と、こともなげにいっていた。
でも車のなかに木刀は犯罪よ・・・
と言う僕も病院のある場所に
でかい木刀をかくしています・・・
一応 防犯のため。。。
自分の歯科医院を開業してから今年で10年目です。
2014年1月 現在
日々お仕事などでおこった出来事を、
ありのままに
このお題にて投稿していきます。
ある歯科院長の日常を覗いてみてくださいな
どうぞ よろしく~~~!!!
(僕の文章を読んだ感想などを書いてくださるとうれしいです!!!。)
ちなみに僕は
Youtubeで歌っています!!
Youtube上で{歯聖純}{神名純}で検索してみてください。
あとPIXIVで絵を描いて発表しています!!
Yahooで{神名純 PIXIV}で検索してみてください。




