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僕の最近の出来事(ある歯科院長の奮闘記)番外編   僕のマインド (思考) 

僕の近況報告

今日はとりとめのない、

時々ふと僕の頭の中で、

もやもやと流れてくる考えをだらだらと

書いてみようと思う。


僕は一時期、自己啓発にはまり

(ナポレオンヒルなど)

超プラス思考になるように

訓練してきた。


起こってしまったマイナスな内容に

いつまでもくよくよしてても

しょうがないし、

起こってしまった物事や過去はかえられない。


たとえば、お金を損して

その損したことにいつまでも

くよくよしている暇があるならば、

その分、もっと働いて、頑張って

それ以上にかせげばいいじゃないか!!

と思うように、僕の頭はなっている。


何か失敗してやらかして、

自信をなくすようなことがあって

その物事から逃げ出したくなっても、

洗面所でまず、冷たい水で

バシャっと顔を洗い、気分転換をはかり

目の前の鏡に向かって

「俺はできる!

俺はできる!!

俺はできる!!!」

と、心の中で叫びながら

自分の目をギュっとにらみつけて

気合いを入れなおして

ふたたび頑張る。


泣き言を言ってたって始まらないし

愚痴を言ったって、それが誰かの耳にはいれば

僕に対する評価がますます下がる。


どうせ同じことをするのならば、

希望のある未来をみつめて

(例えば「仕事の終わりに、

何かおいしいものを食べよう!!」でもいいし

「今度の給料日に出たお金で

何か欲しいものを買おう」でもいい)


そうやって目の前にある困難な山を

何とか歯をくいしばって乗り越えて頑張る!!


またお金に関して言えば、

たとえここで100円、200円損しても、

いつかは死んで、その時

かなりの遺産があったとしても、

すべて家族にいっちゃうし

自分が生きている間に

すべてのお金は使い果たせないだろう!?

それならば、今の数百円って!?

って思えちゃうので、

あまり悩まないようにしている。


お金がなかった昔は少しのお金でもけちくさかったが、

今は、使うときはガンガン使う。

よくわからないうちに数万円なんて一気に無くなる。


ロレックスの時計なんて、100万以上の値段のものを

数本もっている。

自宅は現金で1億2千万かけて建てた。

ちなみにキャッシュで支払った。


疲れてたり、ストレスがたまったら

旅行のチラシなどをみて、

あっさり決めて、予約をとって

病院の玄関先には歯科研修という名目

であっさり2週間くらい海外旅行に行く。


旅行会社に予約の電話をして、帰宅後

奥さんに(病院の電話で予約をとる)

「今度の~月~日に~へ行くよ

準備しとけよ」

とだけ伝える。

僕の海外旅行はいつも突然決まる。

ただし1年に1回だけだが。


温泉旅行なんかは、気が向いたら

1ヶ月に1回は泊まりで行く。

5年前くらいに{世界不思議発見}

をみてて、いきなり

「天空の城マチュピチュに行きたい!!」

と思い立ち、すぐに予約をとって行った。

旅費は1人分 約50万円くらいした。

しかもドルが今は100円以下だが、

その時は150円くらいだった。

でもマチュピチュは感動した。


今まで1年に一回は必ず

海外旅行をしている。


結婚式はハワイでした。

今までにフランス、イタリア、スペイン、ドイツ、トルコ

中国、台湾、韓国、ギリシャ、エーゲ海、ポルトガル、チリ

に行った。

今度は中欧ヨーロッパに行きたい。

昨年は島根、鳥取に親と行き

出雲神社、ゲゲゲの鬼太郎ロード、鳥取砂丘に行き

今年は伊勢神宮に行った。


今思えば、小学生のときは

1円、10円が大金だった。

中学生で100円単位

高校で千円単位。

勤務医時代は5千円単位。

 

独立してお金がまわりはじめると

万単位は、何も考えずに平気で

使えるようになった。


そのかわり、働くときは死ぬほど

気合いをいれて働くし、

人の何倍もがんばっているという自負はある。


開業した年の1年間は

朝も昼も夜も関係なく

それこそ休日もとらずに、

休みも無く死にもの狂いで働いたら

年収が6千万だった。


僕は賭け事は一切しない。

タバコも吸わない。

宝くじも買わない。

お酒は1日350mlの缶ビールを1,2本程度。

お水(夜の世界)もきらい。

あぶく銭の存在が大きらい。


地道にコツコツ働いて得たお金で

おいしいものを買ったり、

好きなものを買ったり

海外旅行や温泉に行きたい。


お水(夜の世界)には

女優さんか!?

っていうくらい、超きれいなおねえちゃんが

たくさんいると思うが

なぜ、大金を払って気を使ってまで

そこに行かなければならないのか。


お水のお姉ちゃんは客のことなんて

何も考えてない。

客に大金うを支払わせる罪悪感もないし、

脳みそを止めて、意味のない会話をして

客は金づるとしかみてない。


そのかわりお水には行かないが、

僕は治療にきたきれいな女の子としゃべって

ストレス発散しています。


過去にお水に行ったら

「職業はなんですか?」と聞かれて、

「歯科医師です」と答えると、

絶対、歯の話になって、なんか疲れてた。


それよりは居酒屋で友人と馬鹿騒ぎするほうが楽しい。

そっちのほうが僕の性にあっている。


最近は漫画本も買わないし、

ゲームも買わない。

TVもあまり観ない。


新聞は毎日、端から端まで

読みまくります。

小説も必ず、いろんなジャンルのものを

毎日、最低1章節は読みます。

僕は活字中毒なのです。


時々、ストレスがたまったりイライラしたら

万札を握り締めて、

ブランド物を買ったり

洋服を気に入ったら即買いしたり

してストレス発散を図る。


僕は過去の一時期にUFOキャッチャーにどっぷりとはまっていました。

UFOキャッチャーに大金をはたいていた。

おそらく約3年のあいだくらいで100万円くらいつかったと思います。

ワンピースやドラゴンボールのフィギュア獲得にはまりました。

いまだに、箱のままでなおしこんでいます。

獲得できたらそこまでで、興味を失うんですよね。


でも今では、なぜあんなに熱中してたかわからない。

大量にとりまくった商品をみると

自分のことながら、ぞっとする。

今はUFOキャッチャー中毒から抜け出れました。


僕は何かに1度はまると、なんでもとことん追求していきます。

今までに

サングラス、皮の黒いブーツ、マフラー、

ブランド物{ロレックス(ROLEX)などの高級腕時計}

漫画本{ワンピース、GANTZ、ベルセルク、ジョジョ、北斗の拳など}

ショルダーかばん、帽子、洋服、CD、エロDVD(!?)

などを一時期集中してガンガン買い集めてきました。


僕はいわゆる買い物症候群なのです。


洋服やブランド物など、買ったままの袋状態で押入れになおしこんでいて

「着もしないのになんでこんなにたくさん買い続けるの!!」

と奥さんに怒られます。


仕事上のストレスが溜まると、

万札をにぎりしめてショッピングに出かけます。


ただ、パソコンが登場してからは、ひたすら毎日

患者さんのいない空いた時間を見つけては、

映画やミュージックPVの動画をみながら細かい絵をコツコツと描き、

それにあきたら歌を歌い、それにも疲れたら仕事上の事務処理をし、

面白い患者さんを見つけたら、

治療の合間にひたすら雑談をしてストレス発散をしています。


それらによって物質的な欲求はあまりなくなりました。



今はつらいことや、苦しいことがあっても、

適度にストレス発散をして、

あまり過去の嫌な出来事を心の中に

引きずらないようにしています。


自己啓発にはまるまでは、いつまでもずっと

悩みまくってウジウジしていましたけどね。


ずっとウジウジしてたって、何も変わらないんですけどね。

それに気づいてからは、どんなことでも、

「まっ、しょうがないか!!」

といって、どんなささいなことでも吹っ切れるようになれました。


つまり、その時の気持ちの持ちようで

人生いいようにも、悪いようにも

どうにでもなる!!

と思えるのです。


幸せである

不幸である

なんてその時の

状況、体調、環境、気持ちの持ちよう次第で

どちらにも感じられるものだ

と、僕は思う。


お気楽なときは診療中でも

ふふふんっ

と歌いながら治療をしている。


ただ悩んでいるときはひたすら、

そのことしか考えられないし、

その悩みにとりこまれないように

他の事を考えよう!!

気分転換をしようとしても、

どんなに努力しても無理。


例えばクレーマーに遭遇したとき、

頭の中はそのことでいっぱいになり、

作り笑いをしていても

心はいつもイライラして、

変な油汗がでてきて、

動悸息切れがして、胃が痛くなる。


でも、それがいいほうに解決すると、

あっという間に、気持ちが軽くなり

数日後には、その嫌な出来事さえ

忘れ去ってしまう。


精神的肉体的に

きつかったり、つらいときは

どんなに解決しようとしても

バキバキに肩と首が凝って

やる気がでない。

しかし、働かざるを得ない。

自営業者なんてそんなもんだ。


歯科治療は頭も使うが、

体も使う。

はっきりいって肉体労働です。


主に手や指先を使う。

イライラしていると、手が震えて

繊細な治療ができない。


その時の精神状態で、かなり

仕事にさしつかえる。

でもプロである以上、そんなことではだめだ。


だから気合を入れて、くよくよ悩まずに、

お腹の底から声をだして、

仕事に集中して必死に働いていれば、

いつのまにか悩みなんて忘れている。


だから、無理やりにでも頑張って

体や手先を動かしまくって働きまくるのです。



勤務医(修行時代)などのつらく厳しかった時代も、

ある程度、成功と言うものを手にいれてしまった

今のぬるま湯につかった状態の僕には

つらかった過去は

なんだか甘酸っぱい

いい想い出になっている。


ちなみに僕は今も働いている。

現在時刻 2013.11.2(土曜日)PM22:36

先ほど、この文章を書いてる途中にも

急患さんの治療をしていました。


自分が人より頑張って働けば、人より裕福なくらしができ、

自分がサボれば、塵となり消えていく。

これは僕が高校生の頃から考えていたことだ。


僕は結婚願望も強かったから、きちんと生活できるお金を

稼ぐことができる仕事に就き、

趣味で絵を描いたり、歌を歌っていければいいと考えていた。


結局、地道に頑張れば誰かが必ず

どこかで見ていてくれて必ず認めてくれると思うし、

それが一番、幸福になる道に一番近いと思う。


僕は昔から地道にコツコツ努力することが好きな人間です。

あぶく銭の存在が大嫌い。


仕事も音楽も絵も昔からコツコツと続けてきました。

本来、僕ははっきりいって、飽き性です。

でもこの仕事と音楽と絵は、飽きたらそれぞれすぐにうまく切り替えて

ずっと続けてこれました。

今振り返ると、趣味があることはとても自分を助けてくれています。

そしてパソコンの登場で、とても効率よく

これらを行うことができるようになりました。


僕の仕事は究極な趣味の延長上にあるものになっています。

生きるためのお金を稼ぐための仕事というよりも、

とことんこの仕事の内容を追及しようと思える

ライフワークになっています。


僕の歯科という仕事はとても奥が深い。

ただ数年に1度は、飽きて嫌になるけど、

海外旅行などにいって、2,3日、手を動かさないと、

なんかムズムズしてきて仕事がしたくなります。


本当はなんだかんだ良いながら、仕事人間なのかもしれません。

この仕事は僕にとって天職だと思えます。

この仕事は幼稚園の頃から目指していたものなのです。

僕はサラリーマンにはむかない。

この仕事にめぐりあえて、本当によかった。


僕は小学2年から公文式に通い、歌を歌いながら計算を解いていました。

だから算数や数学は試験前に勉強しなくてもいつも満点でした。

中学まではずっと通知表がオール5だったが、

高校から成績が落ち始めた。

祖父が歯科医師だったのだが、

幼稚園の頃から祖父の後ろ姿を見て育ち

歯科医師になろうと夢みていたんです。

(父親は跡を継がないで、大阪芸術大学に行き、

絵で食べられるはずもなく、普通の会社員になりました。)


しかし、僕が高校2年のとき祖父が末期がんで亡くなり、

大きなお屋敷はシロアリに食べられ、

その土地が国道開発に切り取られ、

たとえ僕が歯科医師になってもまだまだ時間が

かかるとのことで、歯科器材はすべて

離島に寄付するとのことだった。

祖父の歯科医院も取り壊し更地になった。

その数ヶ月後にすぐ近くに歯科医院が開業した。


祖父の葬式のときに両親に呼ばれ、

前記のことを告げられ、

「もう、お前は歯科医師にならんでよかよ。

お前の好きな道をゆけ!!」

といわれた。


しかし、幼稚園のころからひたすら歯科医師に

なることばかり考えていたので、

いきなり歯科医師にならなくていいと言われると、

突然目標を失い、全てに何もやる気が起きなくなり

毎日、ひたすら眠くなり燃え尽き症候群になった。


それからは全くといっていいほど勉強しなくなった。

毎日、絵を描いたり

学校から帰ってくると眠ってばかりいた。


高校では河合塾、近くの小さな塾、家庭教師、通信の進研ゼミ、

朝補修夜補修のある厳しい進学校にかよっていて、

勉強がノルマのようになって、やる気もくそもなかった。

ただ毎日の勉強のノルマを消化しているだけで、

やる気は全くなくなり、成績はガンガン落ちていった。


今でもあの頃には戻りたくないです・・・。


僕にとっての17歳、18歳の時期は

青春といわれるものではなく、暗黒の日々でした。


しかし、今は毎日が有意義で楽しいです。


患者さんのいない時間には、

細かい絵を描き続けたり

歌を歌ったり

こんな風に文章をかいたり

漫画や小説を読んだり

YouTubeをみたり

ネットサーフィンをしたり

新聞を読んだり映画を観たり。

つまり、何かしらのことをやっている。


おそらく僕が学生時代にパソコン(インターネットを含む)

が登場したら、もっと全く勉強しなかったろうな~と思う。

パソコンの前に座り、絵を描いたりネットサーフィンをしだすと、

あっという間に時間が吹っ飛んでいく。

本当に怖いことです。


これからも、こつこつと絵や音楽を楽しみながら

お仕事を頑張っていきたいと思います。


ところで、人が働いてないときでも僕はお仕事を

頑張っている。

でも、何度もしつこく書くが

僕にとって歯科のお仕事は

趣味の延長上のもののように感じる。



自宅にいても同じことをやっているだろうから

それならば、平日でも土日祝日、深夜までも

病院に待機していれば

痛みのある患者さんの痛みの

緩和処置をしてあげれば、感謝されて

僕もうれしいし、それなりの治療費もいただける。


そのかわり深夜の診療はめちゃ疲れますけどね。

あと、僕の奥さんにはめちゃ

迷惑をかけてるだろうなぁぁぁ~

と思う。

そのかわりに豪邸を無借金で建てたり

年に1回は海外旅行

数ヶ月に1回は温泉旅行

奥さんが欲しいものは「なんでも、すぐに買っていいよ」

と言っている。


僕が働いてるとき(時間)

は少し辛抱してもらって、

それ以外では普通のひとが

できないことを体験させてあげる。

よくいわれるように

{自分の奥さん一人を幸せに

できないようなだんなさんが~~~}

(~~~の部分は忘れました・・・)

っていう言葉が時々浮かんでくるので、

僕は自分の奥さんにはめちゃ

いろんな楽しいことを体験させてあげようと思う。

内助の功には、やはり感謝しているので。


僕の奥さんは料理が得意です。

毎日毎日、違うメニューを考えてくれて

毎日毎日おいしいご飯をつくってくれる。

栄養のバランスも考えてくれていて

僕の健康管理もしっかりやってくれています。


たしか女優、随筆家エッセイストであった

沢村貞子さんが書かれた

「私の台所}(暮しの手帖社)

の著作の中にあるように

{食はその人を根本から支える源である}

と書かれているように。

毎日の普段の食事というのは、

その人の食生活を根本から支える、

身近な分だけ重要なものだと思います。


自分ひとりだけの力ではやはり、

ここまでの成功はつかめなかったと思うし、

僕の奥さんと{結婚しよう!!}と

思った時点で

「僕はこの子を必ず幸せにする!!」

と心に強く誓いました。


僕は基本、人を信じていない。

信じられるのは家族だけ。

つまり僕の奥さんと

僕の両親だけ。


どんな困難なことが起こっても、

他人は絶対に誰も助けてはくれない。

地獄の底から這い上がるためには

自分の力のみでどうにかしなければいけない。


けれども唯一、その時に最大限の援助をしてくれたのが

両親だった。

だから両親には頭があがらない。

ふだんいつも口うるさい両親だが、

両親だけは絶対に僕は大切にしたい。


今まで生きてきて

他人はそれほど自分自身以外の人には興味がない。

皆、自分のことが大切で

自分だけを大切にして生きている。

「自分がよければ。

自分が幸せであれば

それでいい」

という考え方なんだと、

ひしひしと深く味わった。


僕は過去に心の奥から信じていた

深く深く愛していた人に、

あっさりと裏切られたことがある。

結婚して一生を共にしようとしていた女性がいた。

その女性に裏切られてからは、

女性という生き物が心の底から信じられなくなった。


その後、数人とまじめに恋愛しても、

なぜか簡単に裏切られちゃって、なかなかうまくいかず

独りになると孤独に陥り

一人の人だけとお付き合いするということが

本当に怖くなった。


歯科医師国家試験に落ち、

職も未来もなく、試験勉強をしなおしたところで、

その次の年に受かるという保障もなく、

恋人も友人も、その時の自分の前からは全員いなくなって、

その頃、ずっと心の中で描いていた

幸せな温かい家族もつくれなくなり、

明るい未来もあとかたもなく消えて無くなった。


それならばと、僕は自分自身の幸せだけを

究極の自己中心を極端に追求するという

恐ろしい非人道的な考え方を

持とうという最悪の決断をしてしまった。


それからは常に、数人同時に付き合って

別れては、恋人を追加補充していく

というようなことを繰り返していった。


心から信じられて本気で

一生を添い遂げられる人を探し彷徨い

今の奥さんに出会うまでに

何人かの人と結婚をしたいと思ったが、

過去にこっぴどく裏切られた

トラウマが心のどこかで必ず作動して

疑心暗鬼にとらわれて、いつも何かしらどこかに

いいようのない不安を感じていた。

とても深い絶望と寂しさと、

見えない未来に押しつぶされそうになっていた。


過去に付き合ってきた女性たちも

「愛してる」

なんてつぶやいても、それは永遠のものではない。

それは実体験で散々、味わった。


僕の経験上、女性が別れを切り出すときは

もうすでに、次の彼氏が存在していると

思っておいたほうがいい。


だから、女性が別れをきりだしたら、どんなに

男性側が「別れたくない」と言っても

絶対に、もう元の恋人どうしには戻れないと思っている。


男は別れた女性をいつまでも心の中で引きずりまくるが、

女性は過去の恋人のことなんて、

これっぽっちも未練なんて残っていないと断言できる。

女性の皆さん、どうですかね?


女性にとって大切なのは、その時の彼氏であったり

だんなさん、お子さん 家族だけだと思う。


だからよく別れ話を切り出されたことによって、

後にストーカー事件とか起こっているけれども、

たいてい男性が女性をストーカーする事件が多い。

その延長線上に殺人事件などが起きる。


永遠に自分だけのものにしようという

強い独占欲が発生するからだ。

人の、特に離れた女性の心を引き留めることはとても難しい。


別れを自分から切り出す女性はあっさりしすぎている。

だから、そんな女性に別れを切り出されて、

しつこく未練がましくその女性につきまとっても、

明るい未来は全く無いし、はっきり言って時間の無駄。

殺人事件などを起こしてしまうようならば

自分の人生さえも棒にふる。

しかもそんな女性は、はっきり言って、

必ずいつか別れを切り出す。

遠い未来になるが、熟年離婚など。

そんな女性は、はっきりいって愛情が薄い。


もし、そんな愛情薄い女性と結婚して、

子供ができたあとで離婚することになったら、

その子供が一番かわいそう。

将来その子も必ず離婚する確率は高くなると思う。

子供のときに親の離婚というそんな痛い体験をしてしまうと、

心の底から人を愛するという気持ちのどこかに

欠陥ができてしまうと思う。

人を心の底から愛したり信用できなくなると思う。


僕には付き合っている恋人が、

そんな愛情が薄い人間かどうかを

恋愛の時期にいかに見抜くかが勝負だった。


とことん男に尽くす愛情深い女性は必ず、

少なからずこの世に存在する。

そんな女性を探し出して、結婚できれば

安心して仕事にも打ち込め、成功しやすい。

幸せな家庭も必ず築く事ができる。


そんな女性とめぐり合うために、僕は一生懸命に

最愛の人を探す長い旅に出た。


正直、告白するが、

結婚するまでに僕はめちゃくちゃ

たくさんの女性とお付き合いをしてきた。

アホだけど、おそらく3桁は、いっているかもしれない。

一時期はゲーム感覚になるほどの

狂ってる状態に陥っていた時期もあった。

今思うと、病気だ。


その頃の僕は、そんな行動を

浮気なんて思っていなかった。

付き合っている人に対する

裏切りとも思っていなかった。


ただ、振られたり裏切られて

お別れをしたあとに、自分ひとりになるのが怖かった。


だから余計に必死になって、

心の底から信じられる女性を探しまくっていた。


別れた後に、また心の底から信じられる女性と

出会うことができるのか?と・・・

いつも怯えていた。


まじめにひとりの女性とお付き合いして

振られて別れがくると、僕の頭の中では

悲しい寂しい孤独という感情が、

ある港から大海原に向かって長い旅にでる

船がシュポ~と警笛をならして出航する

寂しい風景となって

僕の頭のなかに、あらわれていた。


そのころは、けっこう頭の中で

シュポ~シュポ~鳴って

船がどこかの港を出航する風景が

流れていたような気がする。


それならばと、女性との出会いをガンガン見つけて

「この子が好きだ!!」

と思える子にであったら必ず

鉄は熱いうちに打てとばかりにすぐに

告白していた。


自分でも嫌な行動だったが、

「付き合ってもいいよ」

とか

「私も好き」

といわれると、なんか達成感のような支配欲のような

自分の存在意義を感じられる快感が

脳みその中である種のアドレナリンとなって

麻薬のようになっちゃって

中毒性を帯びて、延々と繰り返されていた。


結果、同時期に平行してお付き合いしている女性

の数が日ごとに、どんどん増えていった・・・。


また独りになるのは怖い。

裏切られて別れがきても、

独りにならなくてすむように

たくさんの恋人のストック!?

がたくさん欲しい。

と変な次元の世界である時期、生きていた。


一時期には20人くらいの女性と同時におつきあい

をしていて、大変失礼な話だが、

僕の中で明確に、それぞれの女の子たちの中で

大切にするべく順位が決まっていた。

その頃の僕の頭の中では、

お付き合いをしている女性という競馬の馬たちが

常に競争をしており、

想像上の馬の胴体にそれぞれの

女性たちの名前がついたゼッケンが取り付けられており、

1番、2番、3番・・・とデッドヒートをくりかえしていた。


順位が上がれば、デートをして会う機会を

増やしたり、誕生日やクリスマス

のプレゼントのレベルがあがったり、

女性への態度や言動を冷たくしたり(オラオラ営業)

超優しくしたりして、区別差別して

自分からは絶対に別れは告げないけれども、

なんとなく別れに持っていくように仕向けて、

自然消滅を図ったりして、その分

また出会いを求めて告白して、

恋人を補充!?して増やしていくという行動を繰り返していた。


TVでマイケル富岡さんが、僕の病的な内容の行動と

同じようなことをされてるとおっしゃってたのを聞いて

僕は少し苦笑いをした。


その頃の僕はそんな悪行をやめたくてもやめられなかった。

自分ではどうしようもなかった。


過去のすさまじい絶望感と孤独感が、僕を狂気じみた

非人道的な行動へと駆り立てたのだ。


こんなことをしててはいけないと

心の中ではわかっていても

すさまじい速さで回転している歯車をいまさら

立ち止まらせること、停止させることはできなかった。

絶対に無理だった。

不可能だった。


今でも超寂しがりやな僕は、しゃべりやすそうな優しそうな

女の子の患者さんがいたら、歯の話とは脱線した

楽しいおしゃべりをして、ストレスを発散している。

ガス抜きを図っている。

患者さんなので、今では絶対に

手はだしませんけど・・・


それでは恋のハンターだったころの過去の僕がその頃、

どんな風に、お付き合いしていた女性たちの優先順位を

僕の頭の中で決めていたかというと、

顔、優しさ、思いやり、言動、態度、気の使い方、

料理のうまさ、お金の価値観

時間や約束をきちんと守るかどうか 

など。


例えば、お金の価値観と言うことに関しては

ある時、過去に付き合っていた女性が

「今度、私の誕生日なの。」

というので、僕は「何が欲しい?」

と聞くと即答で「バーキン!!」と答えた。


僕はその頃、エルメスのバーキンを知らなかったので、

本屋に行って値段をみると、100万くらいだった。

お金のない僕はびびった。


その後、その女性のお金の価値観を知って、

「あのバーキンっていうかばんの値段を調べたら

100万くらいしたよ。

めちゃ高いやん!!何考えてるの?」

というと、その女性は

「ちがうよ!!今度の誕生日にかってとは言ってないやん!!

結婚してから、買ってもらいたいって言ったと!!」

とほざいた。


僕は心の中で

「誕生日プレゼントに欲しいって言ったやんけ!!」

と叫んで、逆にコンビニに行って、

「あ、財布忘れた!!今度おごっちゃるけん、

これ買っといて!!」

と彼女に支払いを頼み、連絡を絶った。

その後数回、デートをしたが、

その回数が週1,2回から、月1,2回になって

自然消滅を図った。




開業するまでの僕には本当にお金がなかった。

歯科医師になって1年目の研修医時代は

月の給料がたったの3万円だった。

しかもお給料がもらえるのが、

3ヶ月後に9万円分を通帳に振り込んでもらうのだ。


お金のない僕は研修医先の大学病院まで、

毎日実家から通勤していた。しかも車で2時間かけて。

ガソリン代もばかになりませんでした。


その頃の僕は歯科医師でありながら、

家庭教師もしていた。

しかし、研修医の大学病院で働いていたときに、

入れ歯を作って上の先生に確認のために見ていただくと

時間をかけて作った入れ歯を

その上の先生は自分の足元に落として、

踏んづけて壊されて

「なに?この岩の塊は?ハイ作り直し!!」

と命令され、家庭教師の約束をしていた日の夜中3時まで

作り直しを命じられた。

そんなことがしょっちゅうで、

家庭教師先のお母様に

「申し訳ございません、今日は仕事で帰宅が夜遅くになるので

家庭教師の日時を、ずらさせていただきませんでしょうか?」

と事あるごとに尋ねると

その母親は「うちの家庭のリズムもあるので

申し訳ないんですけど、クビです。」

といわれて、お金の面で大変悩んだこともあった。


ガンガン僕の通帳の中の少ない残高が減っていった。


研修医として勤務医をしていた大学病院は

大学付属病院なので、歯科学生のときに剣道部だった僕が

お昼ごはん時に大学の食堂に行くと、

僕の内情を知らない剣道部の後輩の数人が

「先輩!!お給料でたんでしょ?

昼ごはん一緒に食べませんか?

おごってくださいよ~~~」

といわれ、僕は顔には出さないが泣く泣く

後輩たちに数千円を渡しお昼ご飯をおごり、

「これでみんなで昼ごはんを食べろ」

といって自分は何も食べずに、食堂を出た。

「あれ、先輩は食べられないんですか?」

と後輩に聞かれると、うそをついて

「あ、俺、仕事があるのをふと思い出したけん、

すぐ、医局にもどらないかん!!」

と言って、皆がいなくなったのを見計らって、また食堂にもどり

温泉施設にあるような足で押すと水がでてくる自動給水器

のお水をがぶがぶ飲んで空腹をまぎらわせていた。

そんな生活を研修期間の1年間やっていたのだった。


それではそんなにお金のない僕がどうやって、

たくさんの女の子たちと付き合えたかというと、

「今は修行の身だから収入は少ないが、

僕は必ず将来、自分の病院を独立させたときには

絶対に成功する!!」

と熱く目を輝かせて夢を語っていた。

そんな将来に対する熱い夢などを

情熱的に語る僕の将来性に惚れて

女性たちはついてきてくれたのではないかと思う。


僕は「俺は必ず、誰よりも成功する!!成り上がる!!」という

根拠のないすさまじい強い自信を持っていた。

その自信が彼女たちとの会話のなかにもでて、

(もちろんその頃、修行時代勤務医時代の僕は

お仕事もバリバリがんばっていた!!)

僕がめちゃ輝いて見えていたのではないか?


だからデートでは、そんなにお金をかけなくても済んでいた。

そんなに高くない金額のものを女性におごったり、

でもその次のデートでは、おごってもらったりしていた。


おごってもらって当然という女性は、

本当に僕が金欠だと知ると

女性のほうから自然と離れていったし

僕が求めている女性ではなかった。


ある女性とのデートで、景色のいい大きな公園で

ベンチに座って会話をしていると、

その女性がいきなり

「ひとつ質問していい?

なぜ、こんなところばかりで、おしゃべりするの?

喫茶店とかになぜ入ろうとしないの?

と聞かれたことがあった。


僕は「喫茶店でのコーヒー代がもったいないやん」

というはずかしいことは絶対に言えるはずもなく

(その頃の僕はフィギュアなどの景品のついた

コーラなどの飲み物以外には絶対にお金は払いたくなかった。

ましてや喫茶店のコーヒーに500円くらいの金額を払うなら、

腹の足しになるランチの500円を食べるという考え方の

人間だった。)

「え~っっっ!?

だって、こんなのどかな風景を見ながら、気持ちのいい

風にあたっておしゃべりするデートってよくない?

よくなくなくなくない?

僕と君さえ同じ時間を楽しくすごせれば、

どんな場所でもいいやん!!」

と言ってごまかしていた。


正直、たくさんの女性と付き合っていて、

やりくりしている少ない時間で、どれだけお金を使わずに、

その子の本性なり本音を引き出せるかが、僕のデートの

内容だった。


調子にのっていた僕はおしゃべりもかなり饒舌だったと思う。

今、草食系という言葉が聞かれるが、

その頃の僕は完全に肉食系だった。

自分でもかなりギラギラしていたと思う。


あと、僕が歯科医師という職業で近づいてくる女性もたくさんいた。

勤務医としてや、これから先の歯科医師としてのの内情は悲惨

なものだったが、それを知らない女性はかなり

積極的に女性のほうから攻めてきた。


でも僕はそんな女性たちには興味はなかった。


根拠のない自信だけはあった僕だが、

さすがに時代的な不安もあって、歯科医師はそんなに

高給を稼げる職業ではないと悟っていたし

逆にそれをお付き合いしている女性に

正直に語ることによって、

それでも僕という人間を好きになってお付き合いしてくれる

女性を僕は求めていた。


そうすることによって、デート代や記念日などの

プレゼント代がそう高額でなくても

納得してくれて、

そんなものでも無邪気に喜んでくれる

きれいな心を持った女性を探していた。

僕もお金の面では無理しなくて心配しなくてすんだ。


でもある時、ある女性がいきなり本当に突然に

電話口で別れを切り出してきて、

僕が「別れの理由を教えて欲しい」というと

その女性は

「歯医者って儲からなくて厳しくて、今の時代

開業しても倒産して閉院してしまう可能性も

かなり高いんでしょ!!」

と平気でいった。


給料や職業、その役職、地位、名誉のみで男性を

判断する女性は必ず少なからず存在している。

そりゃ男だって、女性の容姿は

お付き合いするうえでは大変重要ではある。


しかし、それを前面に言葉にだして

いわれると、正直むかつく。

「お前は何様じゃい!!」

と怒鳴りたくなる。


ただそんな汚い言葉を吐いても無意味だし、時間の無駄だ。

そんな発言をする女性を引き留めることも無意味。

たとえ、彼女がめちゃくちゃ美人であったとしても。


そんな発言を電話口で平気でかました女性に僕は

「だからこそ僕は、今は安い給料でも

がむしゃらに死ぬ気で頑張って働いているんだ!!


どんあことがあっても歯科業界で生きていけるように

高い技術を手に入れれるように努力して頑張っているんだよ!!


君が言うように歯科業界はこれから先はもっと

ますます厳しくなるだるだろうけど、

その中でも、いい夢が見られるようになるために

成功をつかむために僕は日々頑張っているんだよ!!

そういう今の僕を応援してほしかったんだよ。


成功したあとに言い寄ってくる女なんか

僕はいらない!!

今の、このどん底の時期を一緒に乗り越えてくれる

見守って一緒に協力してくれて頑張って

ついてきてくれる女性とともに

僕は生涯を生きて生きたい。


そんな僕を信じてついてきてくれる子を僕は一生

守ってあげたいと思っている。


僕は絶対に成功する。

誰がなんと言おうとも、僕は絶対に成功する!!


こんなに死に物狂いで日々頑張っている僕が

成功しなかったら誰が成功できる?

そんな気持ちで僕は毎日頑張って修行しているんだ!!


そんな今の僕の気持ちも理解できないような奴なんか、

こっちから願い下げだ!!」


といった想い出がある。

そんな女なんかろくなもんではない。

(その頃の僕もろくなもんではないが・・・)


でもその女性が言った言葉は、後々ずっと

僕の心の中に強くこびりついていて

つらいときくじけそうなときに

事あるごとに僕の心の中にこだましていた。


「なにくそ!!」と頑張れた原動力になっていた。

「負けるものか!!

俺は絶対にくじけない!!めげない!!

俺は絶対に

だれよりも成功してやるっっ!!」

と熱い炎を魂に宿らせて奮闘していた。


またデートのときには僕はよく

おつきあいしている彼女にお弁当を作って

持ってきてもらうようにお願いしていた。


お金も使わなくて済むし、その彼女の

料理の力量も確認することができたからだ。


「お弁当 作るのめんどくさい 外食しよう」

なんていう女の子は、

どんな子でもそうだが、お付き合いしはじめのときはそれなりに

僕に対して気を使ってくれるが、

だんだん慣れてくると、あつかましい態度に変化していく。


僕はこんな女性たちを

{デアゴスティーニ女}

とよんでいた。


デアゴスティーニはそのシリーズを全部集めると超高くつく。

皆さんもよくTVCMで時々みかけるだろうが、

「創刊号は千数百円のところを数百円!!」

と言っていてもパーツ集のために全てナンバーの揃えると

すさまじい金額になる。

そんな最初はよくてもだんだんきつくなる女のこと。


{めんどくさい!!} 

という言葉をお付き合いの時期から平気で使う子は

本当に何に対してもめんどくさがりやさんで

もし、そんな子と結婚してしまうようなものなら

絶対に後悔してしまうと思う。

離婚に発展してしまうおそれもある。

僕は結婚したら絶対に離婚はしない!!

そんなことまで考えていた僕は

結婚するそれまでに、いろんな女の子をみて、

一番いい子を探し出そうと奮闘していた。


そんなめんどくさがりやの女の子を嫁にしたら

結婚後に毎日の夕ご飯なんて、だんだんスーパーの惣菜などの

店屋物てんやものを食卓に

平気で出してくるようになると思う。


文句をいうと「じゃ、食べるな!!」「私だって疲れてるのよ!!」

「毎日毎日の献立を考えるのも大変なのよ!!」

「じゃ自分が作れば!!」

などの結婚後の彼女たちの発言が目に見えてくる。


掃除洗濯炊事など、家のなかのことをさぼって全くしなくなり、

僕が仕事に疲れて帰宅すると、

横になったままでTVを観ながら、

お菓子をぼりぼり食べて、

ぶくぶく太って全く身なりにかまわなくなり

色気もくそもない格好で

悪態をつき、ご飯は店屋物かレンジでチン

状態になる。


(僕は想像力 豊かなのです!!)


なんのために一生懸命頑張って毎日、

仕事をしているかわからなくなる。


{こんなはずじゃなかった!!}

と後悔したくはなかった。


現に、僕の後輩が前記のような状態で、

奥さんのご両親を交えて離婚の話をしたと言っていた。

今は様子見だそうだが。

でも料理をする基本的な習慣のない女性はやっぱり

僕はだめだと思う。

やはり、毎日の食は大切だと思う。

{男は胃で釣れ}

というように、やっぱり毎日のご飯が楽しみで

家に帰るということは少なからずある。


ちなみに僕の奥さんは超料理が上手です。

毎日、日々違う献立でおいしくいただいております。


思い出せば、

僕はひどいときには、1日で4人の

女性とデートをしていた。

仕事の休日に綿密に計画を練って、

それぞれの女性に「今日は数時間後から仕事だから」

と、うそをついて朝から数時間ごとに区切ってデートをして、

3,4時間ごとに絶対かちあわないような場所でデートをしていた。


デートをする直前に

女性の名前(あだ名や愛称)、職業、誕生日、年齢、

過去に話した内容、その子の家族構成、過去に話した内容

前回にデートをした日時や場所、観た映画の名前、

好きなもの、嫌いなもの、趣味、特技

などなどを僕自身で大学ノートに書き込んだ詳細に書いておいた

メモの内容を頭の中に完全に封じ込めて、待合場所に行く。


絶対に名前だけは間違えてはいけなかった。

僕は絶対にボロはださなかった。


過去に僕と同じようなことをしていた先輩とお話をしたら、

街中でのデートではたまたま、

かちあうことがあるかもしれないから

映画館のような真っ暗な所で

長時間動き回らないでいいような

デートをするといっていました。


その頃の恋愛は僕にとって、

脅迫観念のような

ノルマのような

仕事のようなものだった。


デートはそれなりに楽しかったが

心の奥から楽しめたかというと、

どうだったか。


僕の経験上、

苦労も無くあっさり簡単に付き合えた人とは

簡単にあっさりと僕の前から去っていった。

頑張って苦労してお付き合いできた人ほど、

濃厚な恋愛に発展していった。


いろんな人とお付き合いしてわかったことは、

小柄なおとなしそうな女の子は、

幼い頃から「チビ!!チビ!!」

といわれて馬鹿にされてきたのか、

めちゃくちゃ気が強かった。

モーニング娘の矢口真里さんなんか、

典型的だと思う。


逆に天海祐希さんのような超美人だが

背が高く宝塚の男役だったような

一見しっかりしたような強そうな女性の方が

案外、気が弱く、

おつきあいをすると

おとなしくて、涙もろくて、超穏やかで優しすぎるくらい

優しいし、寂しがりや。


僕と二人だけになると、

想像もつかないような「にゃん!!にゃん!!」

とこっちがはずかしくなるような

超でれでれな態度になり、大胆な行動をとり、

びっくりして拍子抜けしてしまうほどの

変貌ぶりを見せる。


僕は絶対に相手の女性に嫌なところを見つけても、

別れは切りださなかった。

仕事が超忙しくても、睡眠時間を削って

頭をフルに稼動させて、時間配分して毎日、

数人の女性とデートをしていた。


なんだかんだいっても、そんなんだから、

感ずいた女性には

すぐに振られていたんだと思う。

僕の誕生日だとか、クリスマスだとかなどの

催しものの日にどう切り抜けるかが

勝負みたいな完全にゲーム感覚だった。


だいたいはそんな日はお仕事をいれていた。


僕は車の運転が大嫌いだから、

クリスマスなどのイベントの日などは

大渋滞になるから嫌だと、事前から彼女たちに刷り込ませて、

クリスマスのイベントなどは、大本命の人とすごしていた。


たくさんの女性たちと付き合っていくためには

やはり携帯が、かかせなかった。

携帯がないと、OUTだった。


僕はいろんなことに細かく、正直マメな人間だ。

それが今の歯科のお仕事にも大変役に立っている。

細かい絵を長時間描きつづける根性にもつながっいている。


事あるごとにメールも打っていたし、

返事も即座に返していた。

電話もよくしていた。


ただ今は逆に携帯はいつも持ってない。

ずっと家に置きっぱなし。

実は昔、結婚してからすぐに

全ての悪行が奥さんにばれて

携帯をとりあげられてしまった。

それからは、僕の病気もなおったので、

今は携帯がなくてもなにも苦も無く生きていける。

毎月ほとんど基本料金しか払っていない。


いつかその内容はもっと詳しく

僕の自伝的小説の{わすれられない 人 たち }

に書いていこうと思うが

最終的には先ほど伝えたように

奥さんに僕の悪行の過去がすべてばれて、

別れられそうになったが、

すべてがばれたあと、奥さんの前に正座させられて、

切れた奥さんにビンタされ、

いろいろとお付き合いしていた女性たちとの

ツーショット写真もズタズタにされ

すべての女性に、奥さんの目の前で電話をさせられて

電話に出た女性に別れを告げさせられて、

男友達以外の携帯のメモリーにある

女性の電話番号はすべて

消去させられ抹消された。

そして電話にでなかった女性たち電話に

奥さんはなにやらメールを送っていた。


そしその時期、僕は自分で自覚していた

病気をなおすために自主的に

ドクターコトーとして

無医村地区の離島での診療のために

引っ越して、すべての女性を完全に絶った。


それからはその病気は無くなった。

そこまで自分をおいこまないと、

その病気を押さえ込む自信が僕には無かった。


もし、その行動が無かったら結婚後も

それこそ今でも隠れてこそこそと

延々と平気な顔をして続けていたかもしれない。


最初は最愛の伴侶を見つけるための活動が

麻薬の毒のように習慣化してしまっていたのだ。


よくいわれる麻薬みたいにやめたい

と思っても、その時の僕には

自分の力のみではどうすることもできなかった。


結局、今思うと、自分がされて嫌だったことを

平気でいろんな女性にして

傷つけてしまっていたんだなと思う。

人としての心を完全に失っていた。


本島にもどり自分の病院を独立開業してからは

病気の再発を防ぐために

朝から深夜まで、土日祝日すべて、

お仕事をして、すべてのありあまるエネルギーを、

僕の持てるすべてのエネルギーをお仕事だけに費やした。


すると、独立開業して1年目から

すさまじい大成功をおさめることができた。

最初の数年で開業時のすべての借金を返済し終え

9年目の今は完全なる無借金経営。

新築の夢のマイホームも、無借金で建てれた。


ボクはなんでも1度はまると、とことんはまる。

独立開業したその頃は、お仕事だった。

そんなお仕事が落ち着いた今では、

絵、歌、そしてお仕事に

力を注いでいる。

来年で独立開業してから丸10年目になる。


今回はボクの自伝的小説の

{わすれられない 人 たち} で、

ゆっくりと公開していこうと思った僕の

本当は闇に封印しなければならない

どす黒い過去を書いてしまった。

反省・・・


最初の投稿から文章を追加して追加して

今は、2013.11.3AM3:37


僕は今、すさまじい疲れと眠気でで朦朧とした状態で

気合いだけで、これまでの文章を

黙々と書いてしまいました。

書いてはいけないことを

書いてしまったかもしれない。

僕は明日(日曜日)

も朝から深夜まで普通にお仕事です。

これから帰宅します。

お疲れ様でした。


自分の歯科医院を開業してから来年で10年目です。

2013年10月 現在

日々お仕事などでおこった出来事を、

ありのままに

このお題にて投稿していきます。

ある歯科院長の日常を覗いてみてくださいな

どうぞ よろしく~~~!!!

(僕の文章を読んだ感想などを書いてくださるとうれしいです!!!。)

ちなみに僕は

Youtubeで歌っています!!

Youtube上で{歯聖純}{神名純}で検索してみてください。

あとPIXIVで絵を描いて発表しています!!

Yahooで{神名純 PIXIV}で検索してみてください。

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