五話 永遠の別れ
何度も思い描いた生活の中で、愛しい彼のためにご飯を作る柚葉。
今日は何時頃に帰ってくるのだろうと、彼の帰りを待ちわびるのもまた、楽しい。
今日の晩御飯であるハンバーグとポテトサラダ、そして野菜スープをテーブルの上に置き、お揃いのマグカップを裏返し、今か今かと待ち続けていたとき。
玄関のチャイムが鳴り、急いで扉を開けにいく。
「お帰りなさい!」
ギュッと、お帰りのハグをしようとしたが、そこに彼はいなかった。代わりに、ルシトが立っていたのだ。そして後ろから、レイが顔を覗かせていた。
そこで、彼が亡くなっていたことを思い出す。
「柚葉、大丈夫ですか」
牢屋の中では縄を解かれたので、片手で体を揺すって起こすルシト。横たわる彼女は、魘されていたので悪夢を見ているなら起こさなければと思い、今に至る。
「ん、おはよう」
「まだ深夜だ」
柚葉が寝ぼけていることに、牢屋に閉じ込められたというのに冷静な二人が、クスクスと笑った。
だが、柚葉は半ば夢の中にいた。どうして櫂人が出てくるはずの夢に、この二人が出てきたのかわからなかった。川崎には全く感じなかった、胸の高揚を彼らに感じたからだろうか。
そんな夢を見たとも知らず、二人は小声でひそひそと話し合っていた。
王国の地下にある牢屋は、幾つも横一列に並んでいるが、他の人が入っている形跡はない。牢屋の番 人は、鍵を持ちながら、汚れた机に項垂れるようにして眠りについていた。寝息といびきが響き渡る。
「抜け道はあそこしか知らない。他に手立ては……」
そのときだった。
カツカツと足音が響き渡る。
警戒したルシトは、出入り口の扉から距離をとる。
壁に背を預けていたレイは、牢屋にやって来た人物に、目を丸くする。
「さぁ、逃げてください」
「王妃」
立ち止まったかと思えば、鍵を手に、扉に取り付けられた幾つもの南京錠を外す。
その言葉に、寝ぼけ眼であった柚葉も、飛び跳ねるようにして起きた。
王妃が牢屋に来るとは、全く思ってもなかった。
「どうして……」
「何も悪いことはしていないのに、死罪なんてあり得ないでしょう」
にっこりと微笑むと、クレール王妃は扉を開けた。
「アゼーレ超大国が支配されたと言う話は、本当に知らなかったのです。どうか無礼を行った彼を、お許しください」
「でも今ここで俺たちを逃がせば、王妃、あなたは……」
「私なら大丈夫です」
そして今、城内は皆が就寝していること、城門は閉ざされているので応接間の抜け道を使えば出られることを三人に教えた。
「ありがとうございます。このご恩は、忘れません」
ルシトにつられて、柚葉も頭を下げる。
開いた扉から二人が出るが、レイはその場から動こうとしない。
「レイ、早く出ようよ」
柚葉が声をかけるも、レイは俯いたまま答えようとしない。
「あなたが今、守るべきものは彼女なのでしょう」
「だが、俺はあのとき――」
「あなたは何も悪くない。本当よ」
クレール王妃自ら牢屋に入り、レイの冷たい手を握った。
「俺は、貴女に助けられる資格はない」
「そんなことはないわ! ……私からの願いを、どうか聞いて」
顔をレイの耳に寄せ、彼にしか聞こえない声量で何かを言うと、レイはゆっくりと顔を上げた。
クレール王妃がそっと離れると、辛辣そうな顔をしながらもこくりと頷き、視線を柚葉に向けた。
「どうか、お元気で」
目を伏せ、隣にいるクレール王妃に別れの挨拶を交わしたレイ。「貴方もね」とクレール王妃は、誰にもわからないようにドレスの袖をギュッと掴んだ。寂しいという思いを言葉にしないように、喉の奥でぐっと堪える。
柚葉はレイが牢屋を出てくるのを見て安心した。ルシトと共にほっと、胸を撫で下ろしている。
後ろを振り返ることなく、先頭をきって上へと続く石畳の階段を上っていくレイたち。
最後、柚葉がクレール王妃に向かってペコリとお辞儀すると、軽やかな足取りで牢屋のある地下フロアを出ていった。
(レイ……愛しています)
彼らが去っていった牢屋で、王妃は一粒の涙を流した。
応接間の抜け道を使い、外へ出た一行は、そのままマール王国を出ることにした。
涼しかった昼間に比べ、深夜は吹く風が冷たかった。
レイの家で休み、早朝に出ることを提案した柚葉であったが、二人に否定される。
此処にいては捕まってしまうと、次の目的地であるロセリア王国に向かうことにした。
ロセリア王国への道は、でこぼこしていて整備されているとは言えないが、それほど歩きにくくもなかった。道の端には、花が咲いている。空が明るいときに見れれば、心も和むだろう。
「ロセリア王国なら、どれくらいの距離があるでしょうか」
「確か、荷馬車に乗って三日かな」
「み、三日!?」
荷馬車で三日なら、徒歩では四、五日歩き続けなければならないことに、開いた口が塞がらない柚葉は、すぐに「ストップ!」と二人の袖を引っ張った。
「それなら、荷馬車で行こうよ! 時間も短縮できるし」
「荷馬車を使うのは、今や貿易商人や金持ちのみです。マール王国では借りれそうにないですし、ましてや盗むなんてことは言語道断です」
「そ、そうだよね……」
ただただ苦笑する柚葉は、盛大なため息をついた。そんな彼女を見て、レイはあることを思いついた。
「疲れたら、俺が背負う。安心しろ」
「いや、私は大丈夫だよ! ありがとう」
二十代で成人男性に背負われるなんて、そんな恥ずかしいことは絶対にできない。それなら、まだ歩く方がマシだ。そう考えた柚葉は、片手をパタパタと振って遠慮した。
思った以上に長旅になりそうなことに、ルシトは心の中で落ち込んでいた。愛国心の強いルシトは、一秒でも早くアゼ―レ超大国を救いたかった。そして、隣国のマール王国の皆が「アゼ―レ侵攻を知らない」と口揃えて言ったことに、疑問を感じていた。昼に会った貿易商人は、大丈夫だろうか。やはりあのとき、引き止めていればよかったと、後悔していた。
その中で、二人が疑う様子を見せなかったことに驚いていた。アゼ―レ侵攻は事実だが、皆が知らないと言う状況の中で、「本当なのか」と一度も聞いてこなかった。特に、柚葉に関しては今日出会ったばかりなのに、すっかり信じているようだった。
自分が逆の立場なら、疑いたくもなるのに、どうしてだろう。
前を歩く柚葉を見つめる。隣にいるレイと話している彼女が、どうしてもあの姿と重なる。茶髪のショートカットの女性が、楽しそうに歩きながら話している後ろ姿が。
一生忘れられないあの光景が、蘇ってきそうになるのを無理やり押さえるように、首をぶんぶんと横に振った。同時に心の中は、パルテノン帝国への憎しみや恨みなど負で構成された思いで満たされていく。
冷静になれと、自分に言い聞かせるために深呼吸し、溜まった思いを吐き出した。
「ロセリア王国に友人がいるの?」
「いや、いない。幼い頃、友人と共に、ロセリア王国に遊びに行った」
「そうなんだ。でも、いきなり出て行ったらマール王国の友人も寂しいと思うけど」
「別れの挨拶をしなくてよかったの?」と聞いてくる柚葉に、一瞬戸惑いながらも、レイは「あぁ」と答えた。優しい笑みを浮かべるも、気持ちは正反対で、レイにとっては思い出したくない思い出であった。あの思い出は、まだ素敵な思い出であったから。
そして、後に起こった、五人の運命を変えたあの忌まわしい事件は、忘れたくても忘れられない過去になった。掘り起こせば、罪悪感が彼の心を蝕む。
「レイ、大丈夫?」
柚葉が心配し声をかけると、我に返ったレイは、「大丈夫、ありがとう」と返した。
自分が選ばれた理由はわからないが、四護神として、一人の女性として、彼女を守ることを改めて決意したのであった。
四護神であるルシトとレイは、何やら複雑な過去があるみたいですね。
これらの真相は、後半に書く予定です。