三話 ワケあり四護神《ガーディアン》
降り注ぐ日差しの下、広大な草原の中に敷かれている砂利道を歩く二人の先に、マール王国の城下町が見える。
そしてマール王国とアゼ―レ王国を結ぶこの道で、初めて人とすれ違った。
小汚い帽子を深くかぶり、橙色の半袖のシャツの上に茶色のベストをはおって、七分丈のズボンには所々シミがついていた。
その後ろを人と同じくらいの大きさをしたベージュ色のウサギが、二足歩行で幾つもの大きな袋や木箱を積んだ荷馬車を軽々と牽いている。
道幅は馬車が行き交うのに十分な広さがある。
初めて見る光景に柚葉は目を丸くし、そのウサギを凝視するも、当の本人は気付いていない。
「あの、どこに向かわれるのですか」
「どこって、決まっているだろう。アゼ―レ超大国だよ」
ルシトが問うと、髭を生やした商人が答えた。
さも当然のように言い切る男は、ルシトをちらりと見やる。
「今のアゼ―レは危険です。パルテノン帝国に侵攻され、その手に落ちました」
「なぁーに言ってんだ、兄ちゃん。そんなことがあるはずないだろう」
(アゼ―レが侵攻されたことを知らないのか?)
結局商人を止められず、アゼ―レ超大国に向かって歩み続ける。
アゼ―レ超大国は、パルテノンも含めた全王国と貿易を行っていた。実際、そんなことをしなくても食糧から生活用品など細々したものまで国内で賄えるのだが、他国の経済活性化の為、協力していた。
他国の情報は、様々な方法ですぐに伝わるようになっている。この世界で一番のスピードを誇る『伝鷹』という大きな鳥を通してやりとりすることもあれば、気の流れをネットワークとして利用した「リンロン」と呼ばれる電話なるものも存在する。
そうでなくても、侵攻された当時はアゼ―レに他国の貿易商人もいたのだ。彼らが帰ってこないとなると、家族や親しい者たちが心配するだろうし、アゼ―レの様子を知りたいと思えば誰でも知ることができるため、アゼ―レがどんな状況下に置かれているのかを皆が知っていると、そう思い込んでいた。
「あの商人、大丈夫かな」
「……」
立ち止まって商人たちを見つめる柚葉に、ルシトはてっきり疑われると予想していた。本当にアゼ―レ超大国はパルテノン帝国に侵攻されたのか、危険な状況にあるのか、彼女はその目で見ていないため、疑われても仕方がない。
だが柚葉は、ルシトの話を信じている。そのことに、心の中で安心するのであった。
「心配ですが、とりあえず、今は四護神を探しましょう」
「うん、わかった。あ、そう言えば!」
小さくなっていく商人たちを指し、「あのウサギは?」と聞く。
「あぁ、あれは力兎と呼ばれる生き物です。その名の通り力持ちで、あれくらいの荷物なら余裕で運べるんですよ」
可愛らしいウサギとは正反対の逞しいウサギが、ここでは貿易の手伝いとして重宝されている。
「すごいな」と感心する柚葉は、目を輝かせて力兎の後ろ姿を見つめた。
マール王国城下町に辿り着いたが、ルシトはパルテノンの兵に警戒していた。
だが、入口に立っているだけで検問などは行っておらず、ただ突っ立っている。
元々、強大な兵力で名の知られたパルテノンは、他国と貿易する際はその兵力を輸出している。なので、パルテノン兵がいるのはアゼ―レ侵攻によるものではない。
だが、アゼーレに伝わる戦神子の伝説を、パルテノン兵はまだ知らないのだろうか。
聞いたとしてもそんなものは迷信だと、思い込んでいるのならばそれはありがたかった。
老若男女の人々で賑わう城下町の後ろに、大きな城がそびえ立っている。
暖色系のレンガが敷き詰められた大通りの先に見える城門では、マール王国の兵士が二人立っていた。
「各国の王様に、助けてくれるよう協力を要請してみてはどうかな」
柚葉からの思いがけない提案に、ルシトは賛成した。
だが、先にこの国にいる四護神を探したいと、そう考えた。
「確かに良い案かもしれませんが、先にこの国にいる四護神を探しましょう」
「わかった。それじゃあ、町の人に聞く?」
「いや、皆は四護神を知らないでしょうし、本人が気付いていない場合が考えられます」
早速手詰まった。
四護神ならばそれを示す紋章が体の何処かに描かれているが、ルシトのように服装に隠れている可能性もある。よって、見つけることは難しい。
「四護神の気配や、何か手がかりになりそうなものを感じたりしませんか」
「うーん。これは勘なんだけど、あそこはどうかな」
店やら家が点在し、明るい雰囲気の城下町から少し外れた、赤い屋根の家を指す。
外見はどの家とも変わらないが、そこに近づこうとする者はおらず、訳ありの臭いが漂う。
「行ってみましょう」
戦神子である柚葉の勘を信じ、歩き始めた。
行き交う人々を避けるようにして、大通りから抜けていく二人は、赤い屋根に向かって歩いていく。
近づくにつれて、美味しい匂いが鼻を掠める。
ぐーっと豪快にお腹を鳴らした柚葉は、顔を真っ赤にして、すぐに両手をお腹に当てる。
「何か食べさせてもらえるといいですね」
「……あはは」
苦笑いするルシトであるが、彼もお腹を空かせていたことに今気付いた。
ここ二、三日は何も食べていなかったのだ。
アゼ―レ侵攻で多くの悲しみを抱えたルシトは、『食べる』という行為を忘れていた。
城下町外れにある家の玄関前に着いたのはいいが、何故か視線を感じた。
正体はこの町の住人たちで、どこか冷ややかな目で、隣人とひそひそ話しながら二人を見ていた。
「何だろう?」
柚葉は不快になるも、それなりの理由がこの家にあるのかと実感させられる。
本当に、この家に四護神がいるのかと、ルシトは疑わしく思った。
だがここで止まっていては何も始まらないので、ドアをノックした。
「すみません、誰かいますか」
家の中に聞こえるように、大きな声を出す。
間もなく、黒髪の男が恐る恐る出てきた。右目は分けた前髪で隠れているが、他に変わった様子はない。
扉の奥から、美味しい匂いがする。
「……用は?」
暗い雰囲気を醸し出す男のものとは思えない、凛とした声音。
柚葉は前に出ると、直球に聞いた。
「体に、異変はありますか」
覚えがあるのか、目を丸くした男は二人を怪訝そうに見る。
だが柚葉と目が合ったとき、何を思ったのか、扉を大きく開けると男は中に入って行った。
おそらく、二人に家に入れと言いたいのだろう。
「失礼します」
ルシトに続いて柚葉も中に入ると、ゆっくり扉を閉めた。
案内された部屋は赤い絨毯が敷かれ、暖炉の中には木蓋のされた黒い鍋がグツグツと音を鳴らしていた。照明は四隅と真ん中に置かれたランプのみであるが、それでも十分明るく感じる程狭かった。木製の長方形のテーブルには、資料らしきものや伏せられた写真立て、そして白い手紙と封筒が無造作に置かれている。
男が片づけようとするとき、柚葉は封筒の住所に書かれている文字を見てしまった。
(パルテノン?)
もしかしてパルテノンと何か関係がある男なのだろうか、そう考えた。
ルシトに教えようと手を肩に向かって伸ばすも、彼が四護神の一人ならばかえって教えない方がいいのかもしれないという考えが過ぎり、その手を下した。
これから一緒に旅をする仲間なら、ルシトを不愉快にしても良いことはない。
「体のどこに異変があるのか、教えていただけますか」
男は資料の山を床に置くと、すっと腕を差し出した。
胸元を開け、長袖の黒いシャツを着ている男は、そっと腕を捲くった。
汚れのついた包帯でぐるぐる巻きになっているため、紋章らしきものは何も見えない。
「炎のようなものが、突然現れた」
それは紋章のことを指しているのだろう。事実なら、彼は地の護神である。
柚葉は、「勘が当たった」と心の中で喜ぶが、ルシトは口をへの字にして悩む。
「包帯をとっていただけますか」
「……見ない方がいい」
男は捲くった袖をゆっくりと下ろす。
が、紋章を見ないことには四護神であるかどうかわからない。
「なんで隠すんですか」
「……そんなに見たいなら、見ればいい」
少し躊躇いがちに言う男であるが、再度腕を捲くり、包帯を巻き取っていく。
姿を現したのは、赤い炎の紋章と、無数の刀傷の痕。瘡蓋になっている傷もあれば、形だけ残っている傷もある。
どうやら、傷は腕だけらしい。柚葉は、どこかで見たことのある傷に、ある可能性を考えた。
「まさか、自傷?」
その問いに答えることなく、男は包帯を再度巻き、袖をゆっくり下ろした。
彼に何があったのか、自傷に至った経緯を聞きたいとそう思った。だが、初対面の人に見せるだけでも嫌だっただろうに、そんなことはできなかった。
「あなたは、戦神子である柚葉を守る、四護神の一人、地の護神ですね」
「……それは何だ」
信じられないといったようにルシトをじいっと見つめるも、「自分の腕に突如浮かんだ紋章がその証拠です」と言われれば、疑う気持ちも少しは薄くなる。加えて、ルシトも自ら紋章を見せたのであっては、彼の話すことは事実なのだと思わず納得させられてしまう。
アゼ―レの今の状況、そして伝えられる戦神子の伝説について話すと、無言ではあるが時には頷き、時には首を傾げる。
パルテノンと関係があるならば、アゼ―レ侵攻は知っているはずだと、柚葉はそう思っていた。
だが、男は知らないようだ。どうやら、初耳らしい。
「あのアゼ―レ超大国がパルテノン帝国に堕ちたのか」
アゼ―レ超大国は、人口も多ければ、兵士の数はパルテノンの三倍に上る。確かに、兵士一人一人が屈強で強いと言われているパルテノン帝国ではあるが、人数では遥かにアゼ―レ超大国に負けている。勝率はおそろしく低かったはずだ。
それを知っている男は、その話を素直に信じることはできなかった。だが、ルシトの真剣な表情、そして痣や銃で受けたであろう右頬の傷を見て、嘘をついているとも思えなかった。
「俺もなぜ、アゼ―レ侵攻が伝わっていないのか知りたいのです。マール王国の商人が、アゼ―レに商売をしに行くのを見かけました」
「……そうか」
そのとき、柚葉の腹の虫が盛大にぐーっと鳴った。とっさに手をお腹に当てるも、音は隠されなかった。
そんな柚葉を見て口角をあげた男は、暖炉に近づき、壁に掛けてあった匙を取り、鍋の蓋を開けた。
すると部屋に充満した美味しい匂いに、また腹の虫を鳴らしたかと思いきや、今度は苦笑するルシトだった。
二人を座らせ、木製の深い皿三枚にシチューを盛り、テーブルに乗せた。
匙を渡されると、柚葉は男が座るのを待ってから、「いただきます」とシチューを口に運んだ。
ごろごろと野菜たっぷりのシチューは、食べ応えがあり、本当に美味しかった。
「美味しいですね」
「うん、美味しい!」
柚葉より先に感想を言ったルシトは、その味を噛みしめていた。つい笑顔になる二人を見て、男は微笑んだ。
「俺はレイ・ウルコフだ」
「私は柚葉、彼はルシトと言います」
互いに自己紹介を済ませると、それからは黙々と食べ続けた。7人前のシチューがあった鍋も空っぽになり、柚葉は空の鍋や平らげた皿を集めた。恩返しとして洗わせてほしいとレイに頼み、台所に案内してもらった。
レイが帰ってくると、ルシトは聞いた。
「俺たちと一緒に、ついてきてくれますか」
「……あぁ。よろしく」
悩むことなく、レイは了承した。戦神子である柚葉を守るのが四護神の役目であるが、それ以上に「彼女を守る」という意思が固かった。今度こそは、守るのだと。
「で、次はどこに行く? 隣国ならロセリア王国か?」
「その前に、この国の王に会おうと思います。さすがに王ならば、アゼ―レ侵攻を知っているでしょう。協力を要請しようと考えています」
その言葉に、レイの表情は固まった。元々感情表現が豊かではないが、俯き目を伏せたまま動かない。
帰ってきた柚葉は、レイの異変に気付く。
「どうしたの?」
「……いや、何でもない」
どう見ても何でもなさそうに見えなかったが、言いたくない理由があるのだろう。柚葉はそれを察すると、ルシトに「二人で行こう」と提案した。
だが、決心したようにレイは顔を上げると、「共に行く」と言った。テーブルの下で、ぐっと拳を握りながら。
そのとき、柚葉は初めて気付いた。レイはこの国の民に嫌われているみたいだが、その原因が王ではないかと。だから、会いたくないのではないかと。
けれど、ここはレイの意思を尊重しようと思った。
「それじゃあ、一緒に行こう」
少しでも嫌な気持ちが緩和できるようにと、柚葉がレイに手を差し伸べると、一瞬驚くも、すぐに穏やかな笑みを見せ、その手を取った。