二話 旅立ちは妖精の森《フェアリーフォレスト》にて
「……あれ?」
「突然失礼いたしました。これから説明いたしますので、どうぞ」
気付けば、ベッドとテーブルに椅子二つという質素な部屋にいた。石畳の床はひんやりとしていて、ストッキングを履いているだけの足にはとても冷たく感じる。
目の前には見慣れない服装を纏った長身で紺色の短髪の男が立っている。
よく見ると痛々しい痣が至る所にあり、右頬は銃で受けたかすり傷のようなものが残っている。一体何をすればこんな怪我ができるのだろう。
いや、そんなことより先程まで手紙を読んでいたはずだった。その証拠に手紙はしっかりと握っているし、何より仕事着であるパンツスーツを着た自分がいる。
とりあえず、説明してくれるとのことなので、促されるまま木製の丸椅子に座る。テーブルを挟んだ向かいに彼も腰を下ろすと、真剣な眼差しを向けられた。
「俺はルシト・レーリアと申します。この大陸で繁栄を極めるアゼ―レ超大国の王族守衛隊に所属する騎士でございます」
「そ、そうですか」
状況を理解しようと頷くことしかできない。ここは外国かと思ったが、アゼ―レなんていう国は聞いたことがない。もしや夢なのではと考え、彼にばれないようにテーブルの下で手の甲や腕を抓ってみるが何も変わらない。
彼の話によると、この世界では5つの国がある。その中で最も繁栄を極め、かつ大陸の半分を占めているのがアゼ―レ超大国であるという。だが先日、隣国のパルテノン帝国に侵攻された結果、その支配下に堕ちたそうだ。そこで、助けを求めるために柚葉を召喚したとのことである。
「あの、何で私が召喚されたのですか」
「貴方が我らアゼ―レを救う『戦神子』だからです」
「メイデン?」
疑問符が浮かぶと同時に、ルシトは胸元に手を突っ込み、四つ折りの一枚の紙を取り出すと、丁寧に開いて柚葉に見せた。
そこには、見たことのない文字が書かれていた。読めないでいると、ルシトが言葉にした。
「異界より来たれし戦神子、我が国を救う光となりて此処に現れん」
柚葉が読めないのを良いことに、都合よく読んでいるのではないかと疑わしくなる。が、そんなことをするような人には見えないので、信じることにする。
にしても、柚葉が戦神子に選ばれる要素が見当たらない。いや、一つあるとすれば、昔櫂人から教わったパンチやキックができるということくらいだ。だが、よく考えてみれば誰にでもできるのではないかという結論に至る。
「戦神子を守りし四護神を集めよ」
(なんかとてつもなく面倒くさそうだな)
「ということです。そして俺は四護神の一人、天の護神でございます」
そう言うとがっと胸元を開き、そこにある雷光を模ったような白い紋章を見せる。
そんなことより久しぶりに見る男性の胸元に、柚葉は思わず目を瞑った。
「わかった、わかったから早く閉めてください!」
片手を前に出してその部分を隠すと、ルシトは恥ずかしがる柚葉に首を傾げながらもボタンを閉じていく。
「事情はわかっていただけたでしょうか」
「まあ、一通りは」
疑問に思うことはあるが、おそらく今は何度説明されても頭で処理できないだろう。
とりあえず理解したフリをすると、ルシトは安堵の笑みを浮かべた。
「それでは、共に来ていただけますか」
心の中でどっとため息をつくも、戻れたとしても誕生日なのに鬱で嫌な一日が待っている。
それならいっそのこと誕生日を異世界で過ごすのも悪くない。
そんな軽い気持ちで、柚葉は了承した。
「私でよければ、よろしくお願いします」
「良かった、そうと決まれば早速、此処を発ちましょう」
勢いよく立ちあがったルシトは腰に剣を携え、床に置いていたナップザックを肩に掛けると、「さぁ」と手を差し伸べてきた。
「あの……できれば靴を用意していただけるとありがたいのですが」
「あっ。申し訳ございません、今すぐ用意させていただきます」
謝罪を述べるルシトは、頭を下げるとナップザックをテーブルに下ろし、中から薄汚れた白いブーツとやはり白を基調としたスキットの入った丈の短いマーメイドドレスを取り出した。
確かにパンツスーツでは、いくら慣れていても軽装に持ってこいという服装ではない。なので靴だけでなく服も用意していたルシトに感謝した。
ルシトには部屋を出てもらい、着替えを済ませた後、白いワイシャツ、パンツスーツとストッキングをナップザックに入れると彼を呼んだ。
鏡がないため、似合っているかどうかわからないが随分と楽に動けるようになった。
ただ気になるのは、女子高生が履くようなスカートの丈の短さ。膝上までしかなく、普段ジーパンなどのズボンを好んで履く柚葉にとっては、足を出すのは恥ずかしいことこの上ない。
「似合ってますよ、戦神子様」
「あ、ありがとうございます! でも、私には柚葉っていう名前があるので」
「承知いたしました、柚葉様」
「いや、様はいらないです」
注文が多いと文句を言われるのではないかと思ったが、その様子はなく、柔和な笑みで「わかりました」と答えた。そして、ルシトからも「敬語は使わないでください」と言われたので、了承した。
しばらく一緒にいるのだからと、「様」で呼ばれ慣れていない柚葉は、ルシトが理解してくれたことに安心した。
そして少しでもスカートの丈を伸ばそうと下にぐいぐい引っ張るが、伸びてくれる気配はない。
「それでは、行きましょうか」
「そうだね」
ルシトが先に扉を開け、柚葉が出てくるのを待ってから閉める。
森の中でも開けた場所にあった小さな宿屋を後にし、隣にいるルシトに支えられながら歩く柚葉。
少し湿った土を木々の根が這い、歩き慣れていないためか何度も転びそうになる。だがルシトのおかげで、転ばずに済んでいる。
葉を縫って光が差し込む森の中は、涼しいと思う程度に風が吹き、ちょうどよい気温だった。
そして周囲を見渡せば、延々と木々が連なっている景色しか見えない。宿屋はとっくのとうに見えなくなっていた。
「四護神、だっけ? 何処にいるのか見当はついているの?」
「俺の考えですが、マール王国、ロセリア王国、セシール王国に一人ずついるかと思われます」
ルシトによれば、この大陸には四つの気が流れているとのこと。
アゼ―レは雷、マールは炎、ロセリアは水、セシールは風の気が集中しているらしい。
四つの気が集中する国にいるのではないかという予想である。
「今はここから近いマール王国に向かっています」
方向音痴じゃなくても迷いそうだが、ルシトは自分が何処にいて、どの方角に向かっているのかをわかっていた。
その証拠に、背中に添えられたルシトの腕は微妙に左右に振れ、支えるだけでなく柚葉を正しい道にリードしている。
「よく迷わないね、ルシトは」
「小さい頃はよく此処で遊んでいましたから。でなければ、妖精の森、別名迷いの森なんて呼ばれている場所で召喚しません」
人目を遠ざけ、迷いの森で召喚したのは、確実にパルテノンの目がないところで行いたかったのだろう。
戦神子を召喚したことが知れれば、今にも殺しに来るに違いない。
「そろそろ森を抜けるはずですが……」
目の前を見ると、木々の間から鮮やかな緑が一面に敷かれているのがわかる。
やっと出られるのだと思うと、柚葉の気分は高揚し、足取りも早くなる。
二人は森を抜けると、草原と青い空の二色で構成された壮大な景色を目の当たりにした。
風が吹き、雲が流れると同時に草も靡く。
「うわぁ……」
胸に両手を当て、感動している柚葉に、ルシトは疑問に思ったことを聞いた。
「柚葉の世界では、こういう景色は見れないのですか」
「場所によるけれど、私は滅多にないよ」
綺麗な空気を思い切り吸い込むと、満足したのか、ルシトに目をやる。
柚葉と視線が合ったルシトは、思わず逸らした。
「マール王国へ行こう!」
「……はい、行きましょう」
どこか暗い表情のルシトには気付かず、道も知らないのに先に行く柚葉はすっかり機嫌を良くしていた。
そのとき、ルシトの瞳には、柚葉の後ろ姿と重なる、一人の女性の後ろ姿が映った。
同時に、ぐっと拳を握ることで表情に出すまいと、内なる負の感情を押し殺す。
(アゼ―レだけは、絶対に……)
ルシトは先に行く柚葉を追いかけると、やはり道が間違っていたので、マール王国へ向かうために正しいルートへと導いたのだった。