十話 可哀そうな犠牲者
月が照らす夜、冷たい風が吹き抜ける中、誰もいない海辺に出ていたのは柚葉であった。
一人眠れず、外に出て風に当たりに来たのだ。
明日は再度王に会いに行くことになり、その後にもう一度、ロッカスに頼むことになった。
だが、柚葉は考えていた。
ケイルに言われた「可哀そうな犠牲者」という言葉が、どう考えても自分に向けられているものだと思えて仕方なかった。
櫂人がこの世界にいる可能性についても、あのコート男の正体を知らない限り零とは言えないだろう。
遠くから見た横顔が、櫂人そのものだったことは、今でも鮮明に覚えている。
(……わからないよ)
もし櫂人なら、どうやってこの世界に来たのだろう。
それに、怪我は大丈夫なのだろうか。自分の目で実際に事故現場を見たとき、大量の血痕が残っていることが一目見てわかるほど酷かった。コンクリートに、べったりとついた血の池のような跡は、今でも忘れることができない。
その場に座り込み、柚葉はその光景を頭から振り切ろうとぶんぶん振る。
櫂人のことは考えても、事実はわからないままである。
とりあえず、頭の中で整理してみる。
四護神が集まるだけではアゼーレ超大国を救えないことはわかった。
アゼーレ超大国を救うためには、何をしなければならないのか。
そこで、ケイルの言葉が浮かぶ。
嘘だと思いたいが、嫌な予感がしてならない。
それを決定づけられるのが、まさか今だなんて、柚葉は思いもしなかった。
月の光を反射して、煌めく夜の海を見つめていた柚葉の肩に、温かい何かが乗せられた。
何だろうと振り返ったとき、そこには、求めていた人物がいた。
「――櫂人?」
櫂人が、どこか儚い目で、柚葉を見つめていた。
コートを掛けられた肩は冷えていたのか、とても温かく感じた。
そして何より、体中が熱くなっていく。
だが、柚葉の問いには不思議な答えを返された。
「貴女がそう思うのなら、そうかもしれない」
櫂人はこんな口調ではないし、声音ももう少し低い。
それに、柚葉のことを「貴女」なんて呼んだことは一度もない。
違うのだと、櫂人ではないのだと、思い知らされる。
「違うんだね」
体中を駆け巡る熱いものは、そのまま涙へと変わっていく。
容姿は櫂人そのものなのに、ロセリア王国で追いかけた男は、今目の前にいる男は、櫂人ではない。
(私は、あなたを悲しませる存在でしかない。泣かないでなんて、言えない)
コートを脱いだ男は、戦装束の格好をしていた。
双剣を携え、銀の胴当てを身に着け、異国であるけれど和を感じさせる服装であった。
ずっと泣いているわけにもいかず、柚葉は深呼吸して気持ちを抑えると、コートを手に取り、男に返した。
「私は、大丈夫です。ありがとうございます」
男は目を見開いた。
こんなつらい状況にいるのに、なぜ彼女は他人に優しくできるのか。
櫂人という人に似ているからだろうか、そう考えたが、きっと柚葉の人柄なのだろうと、結論に至った。
「戦神子、貴女の運命をお教えに参りました」
「私の、運命?」
コートを受け取ると、男はゆっくりとした動作で自ら纏う。
柚葉がまっすぐに見つめ上げる。
「アゼーレ超大国を救うために、貴女がすべきは、四護神の力を得、パルテノン帝国に居る古の神にその身を捧げること」
その意味を理解できないでいる柚葉に、こう付け加えた。
「つまり、死ぬことです」
ケイルの言葉が思い浮かぶ。「可哀そうな犠牲者」という言葉が。
こういうことだったのかと、何故か冷静に受け止めることができた。
だが、なぜ自分が死ななければならないのか、戦神子に選ばれた理由は何なのか、わからなかった。
それを問うと、男は答えてくれた。
「貴女の生まれた世界で生きた人が、異世界に来たことでこの世を乱した。乱した世は、その者の命だけでなく、近しき者の命を持って償わなければならないのです。よって、貴女が選ばれた」
頭の中で、何かが繋がった。
「……櫂人なんだね」
男は頷かず、目を伏せた。だが柚葉には、わかった。
経緯は知らないが、櫂人は何らかの方法でこの世界に来た。
そこできっと、「世を乱した者」として、古の神とやらに殺されてしまったのだ。
それだけでは足りず、櫂人に近しき者として柚葉が選ばれたのだ。
「そっか、もう」
自分の死より、櫂人が死んだという事実に、心を痛める柚葉。
今でも好きな人の二度目の死に、また涙があふれ出そうになる。
「泣いてください」と背中を優しく擦る男の優しさに、歯止めは効かなくなった。
櫂人のせいで、自分が死んでしまうことなんてどうでもよかった。
それで櫂人に呆れて、嫌いになれるならどれほどよかったか。
「……ひっく……う、うっ……」
走馬灯のように櫂人と過ごした記憶が脳を過っていく。
だが、悲しむのも今日で最後だと、ゆっくりとだが、心の中で決意を固めていく。
どうせ死ぬのだから、死ねば、悲しい思いをしなくても済むのだから。
死ねば、櫂人に会えるのだから。
こんな考えを叱ってくれるはずの櫂人は、本当に、もう何処にもいない。
「此処からなら、パルマ山が近いでしょう」
柚葉を宥めながらも、男は説明を始めた。
まるで何かに急かされているように。
四護神の力を得なくてはならず、パルマ山に行けば山の護神の力が得られると言う。
「貴女が身を捧げれば、古の神は、怒りを鎮め、パルテノン帝国もアゼーレ超大国から手を引くでしょう」
心から心配している男は、それだけ言い終えると、コートを脱ぎ、柚葉の冷えた肩に掛けた。
さすがに、返す気力もないのか、そのまま何も言わずに、ただ泣きしゃくる柚葉であった。
(その涙を止めたいのに、私にはできない)
柚葉に合わせ屈んでいた男は、ゆっくりと立ち上がる。
何もなかったかのように踵を返す男であるが、ぐっと拳を握り、悔しそうに目を伏せる。
(四の運命に導かれしとき、貴女はきっと)
海辺に面した建物と建物の隙間を抜ける際、男は誰かによって肩を掴まれる。
「櫂人は、死んだのか」
「……」
「あの娘も、死ぬのか」
「……戦神子の涙を、止めてあげてください」
強い力で掴まれた肩は、痛みを帯び始めていた。
だが、その手を掴んで払うと、男は颯爽とその場を去って行った。




