8.明るい世界【最終話】
ふと気づくと、僕は床に突っ伏して寝ていた。いつの間に暖房が切れてしまったのだろう。あまりの寒さと気持ち悪さに僕は目を覚ました。
(は、吐く……)
僕はトイレに駆け込むと、人生で初めてお酒を飲んで吐いた。
自分の意思とは関係なく、とめどなく吐気が襲い、口から吐物が吐き出される。
最後には吐くものが無くなり、黄色い胃液だけになっても吐気は止まらない。
涙と鼻汁と吐物にまみれた顔を、トイレットペーパーで拭く。
(最悪だ……)
トイレの水を流し、また押し上げてくる吐気に耐えていると、遠くで窓ガラスをバンバンと叩く音が聞こえた。
「凪太郎、早く開けろ~! 殺す気か~! 凍え死んじゃうよ~!」
聞き慣れた、大好きな女の子の声が小さく聞こえる。
僕は立ち上がってアパートの窓に駆け出した。
「てめ~! 何やってるんだ! 早く開けろ、ボケ~!」
窓の外には怒り狂った陽菜ちゃんがいた。
僕は慌てて窓を開ける。
窓から陽菜ちゃんが飛んで部屋の中に入ってくる。
「何だよ! 暖房止まってるじゃん、バカ~!」
そう言うと、陽菜ちゃんは僕の部屋着のフリースの中に、首元から入り込んだ。陽菜ちゃんの体はとても冷たく、首筋にあたって僕はゾクゾクした。
僕は暖房をつけながら、陽菜ちゃんに聞いた。
「どうしたの陽菜ちゃん? 妖精の森に帰ったんじゃなかったの?」
ちょっと照れくさそうにして、陽菜ちゃんは言った。
「……いや~、あっちでは大きな古い神木の洞の中に住んでいたんだけど、寒すぎる。凪太郎の部屋で暖房に慣れ切った体には耐えられん。今まであんなところで生活していたなんて、我ながら信じられない」
陽菜ちゃんは僕の体にくっついて、自分の体を温めている。
「しかもあっちには焼酎がない。もう、花の蜜や葉っぱの露だけじゃ満足できない体になってしまった。凪太郎、お前のせいだ!」
陽菜ちゃんが僕の服の首元から顔を出す。
「まさか凪太郎の部屋の暖房がついていないとは。これは体の中から温めるしかないなって……凪太郎! 貴様! わたしの『悪魔界への誘い』全部飲んだのか~!」
「ごめん、ごめんよ。つい飲んじゃったんだよ」
「わたしがいくら付き合えって言っても全然飲まなかったくせに! 肝心な時に飲み尽くしやがって! お前はいつもそうだ! タイミング悪すぎだ~! 焼酎飲めなくてわたしが凍え死んだらお前のせいだ~!」
陽菜ちゃんがカンカンに怒っている。ポカポカほっぺたを叩いてくる。
「わかったよ、今買ってくるよ。でも、こんな時間じゃ酒屋さん開いていないから、コンビニで買ってくるよ。コンビニに『悪魔界への誘い』は売っているかなあ。陽菜ちゃん、焼酎ならどれでもいい?」
「酒を飲まない奴に酒を選ばせるほど危険なことはない。わたしも行く。コンビニに連れて行け!」
僕はすぐに着替えて、フリースの胸ポケットに陽菜ちゃんを入れてコンビニに出かけた。
外に出ると、雪が降っていた。暗い夜空を真っ白な雪がゆっくりと落ちてきていた。地面にはうっすらと雪が積もっている。
「外は雪が降っていたんだ。よくこんな寒い夜に飛んで来たね」
「妖精の森が開くのが今夜だったんだ~! 寒いのがわかったか! 早くコンビニに行け~!」
アスファルトに薄く積もった雪の上を、僕はコンビニに急いだ。転んで陽菜ちゃんをつぶさないように気をつけながら。
左胸のポケットの中が温かい。陽菜ちゃんがもぞもぞと動いているのを感じる。
ああ、良かった。陽菜ちゃんが戻って来てくれて本当に良かった。最高のクリスマスプレゼントだ。サンタさんは、本当にいるのではないかと思った。この世のありとあらゆる神様に感謝したいと思った。
こんな小さな、胸ポケットに入ってしまうような存在が、僕を幸せにしてくれる。
「早く歩け~! 焼酎飲ませろ~!」
陽菜ちゃんが焼酎好きで良かった。
僕はお酒が好きではなくて、さっきは酷い目に遭ったけど、お酒にも大感謝だ。
寝静まった街の中、僕はコンビニへと急ぐ。左胸のもぞもぞと動く、小さな温かさを感じながら。
明るいコンビニの光が見えてきた。ああ、コンビニってこんなに明るかったんだ。
僕は幸せだ。最高に幸せだ。今この瞬間、世界で一番幸せなのはきっと僕だ。
焼酎をたくさん買ってしまおう。コンビニにクリスマスケーキはまだ売っているかな。そうだ、今度の服は、正月用の着物を作ってみようか。初詣に陽菜ちゃんと一緒に行きたいな。甘酒なら僕も飲める。
僕は未来へと続く、陽菜ちゃんとの幸せな日々の想像がとまらなかった。
翌朝、目覚ましの音で目が覚めた。頭が痛い。
二日酔いで思考がまとまらない中、僕は昨日陽菜ちゃんが帰って来たこと。コンビニにお酒を買いに行ったけど、『悪魔界への誘い』が無かったこと。三軒目のコンビニでようやく見つかったこと。小さなクリスマスケーキを買ったこと。家に帰って陽菜ちゃんをお風呂に入れてあげたことをぼんやりと思い出した。
あれは夢だったのだろうか。
陽菜ちゃんに逢いたいと願うばかりに、神様が見せてくれた夢だったのだろうか。
僕は恐くなった。
でも、夢でも逢えて嬉しかった。神様ありがとう。
そう思って、ゆっくりと頭を回し、カーペットの上の人形ハウスのベッドを見る。
そこにはベッドから落ちてだらしなく寝ている陽菜ちゃんがいた。
「陽菜ちゃん……」
僕の口から出た声は、二日酔いでしわがれていた。
「大好きだよ、陽菜ちゃん。帰ってきてくれてありがとう」
陽菜ちゃんが人間になろうとして奮闘するのは、また別のお話。
読んでいただき、ありがとうございました。




