第9話 芸術の戦士
「王の命が聞こえぬのか……」
アルセリアの声は力なく波音に飲まれ、虚しく虚空へと消えた。
臣下たちの背中が霧の中へ完全に消え去ったのを見届けると、王は浜辺に膝を突き、肩を落として呟いた。
「あの先に一体、何があるというのだ……」
「さっき言ったであろう。彼らは来世、皆、女となるのだ。お前の国は、これから数十年、生まれる赤子は全て女児となる。そして彼等は、あの霧の中で、これまで培った蛮勇を捨て去って、私の加護と美の才を受け、芸術を手に世界を調和する真の戦士となるのだ。」
冷ややかで楽しげな声が、王の耳に届いた。振り返ると、サイローネがメルクティアの前に座り、うっとりと死人の行進が霧の奥へ消えてゆくのを見ながら柔らかく微笑んでいた。
「げ、芸術?…真の戦士?」
「そうだ、素晴らしかろうが?」
「そ、そんな……それでは国が立ち行かぬ!いずれ滅びてしまうではないか!」
アルセリアの声は震えていた。
「本当にそう思うか?」
「そうだろう!世界はそんなに甘くはない!綺麗事だけで、政が成るものか!冷徹な現実的思考が必要なのだ!」
「お前さんが、それを言うかねえ」とメルクティアが茶々を入れると、サイローネは肩をすくめた。
「男の政が、冷徹で現実的だというのならば、私はそれこそ愚かな夢物語と言おう。戦乱を広げ、自らを滅ぼす道を選んできたのは、お前たち男ではなかったのか?」
アルセリアはエステリスを思い浮かべる。
「そ、そうかも知れぬが、ではもし、疫病の噂を信じず、他国が攻めて来た場合はどうするのだ?」
周辺国の老獪な者たちの顔が浮かぶ。
「闘うまでよ。勿論、外交努力はするが、叶わぬ時は武器を取る事を躊躇せぬ。我々は戦いを嫌悪しているが故に、戦いに美学は求めぬ。ただ退ける為だけに、お前達のいう卑怯卑劣な戦法を取ることになろうな。」
サイローネの黒い瞳が、不気味に赤く輝く。
「女たちが戦う……そんなことが……」
アルセリアは呆然とし、冷たく微笑むサイローネを見つめ、息を呑んだ。
彼は、最新の戦争手法や兵器について、それなりの知識を持っていた。そして、近頃の戦争がいかに苛烈で容易ならざるものであるかを、先ほどの海戦で痛感していた。
アルセリアは手を震わせながら、指で訳のわからない形を描くように動かしつつ、声を絞り出した。
「そ、そんな……死ぬぞ。女たちは、バタバタと死んでいくぞ!」
「……そうかもしれぬな。しかし、いずれにせよ、お前たちに任せていても女たちは死ぬだろう。ならば、最初から運命に抗うべく備えるべきではないか?彼女たち自身が自らを守ることに、何をためらう理由があろうか。」
「…いや、男がいれば守れるではないか?」
「今まで飽きる程、お前たちに期待してきたよ私は。」サイローネの声にわずかな疲労が滲んだ。
「だが、今回はそれを止める事にした。男がいる事といないことを、両天秤にかけて、むしろいない方が良いのではないかと?というのが、今回の試みなのだ。」
「そ、そんな……」アルセリアは絶句した。