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第8話 海から来た者たち

第三章 海から来た者たち


と、その時――海の方から「バシャバシャ」という水音が耳に届いた。鎧や剣が擦れ合うような金属の響きも混ざっている。


挿絵(By みてみん)


「何事だ……まさか敵?……それとも……?」


アルセリアは緊張の面持ちで音の方を見やった。そこには、大勢の人影が海中から這い上がってくる姿があった。あれは……あの鎧の形は…!


「やった!我が軍の者ぞ!」


その装いは紛れもなく近衛兵の鎧だった。胸にこみ上げる安堵と喜びに、アルセリアは両手を大きく振り上げた。


「おーい!者ども!私はここにおるぞー!」


声を張り上げ、波打ち際へと駆け寄るアルセリア。その表情は、孤独から解放される安堵に満ちていた。

しかし――近づいて見るにつれ、彼らの様子がおかしいことに気づく。彼らの肌はまるで蝋細工のように真っ白で、生気が感じられない。目は虚ろで、主の声に応じる気配もない。

よく見ると、彼らの身体には海草が絡みつき、まるで海底を歩いて来たような様相だった。

アルセリアは、彼等を見て一瞬、顔を歪めたが、認めるのを拒否するように頭を振って、見知った顔に朗らかに声をかけた。


「おおマルセサス!エガトン!リューベク!ロンワサムも!皆無事であったか、心配したぞ…… ん?み、皆の者どうした。さほど疲れ果てたか?」


何の反応も示さない臣下達。アルセリアは戦の疲労によるものだと自分に言い聞かせ、非礼を咎めず、その忠義を賞賛する言葉をかける。


「よくぞ戻った、我が忠勇なる者たちよ。まずは王都に戻り、ゆっくり休むがよい。そして、そなた――マクファネシよ、その方は故郷の恋人に会いに行くのであったな。故郷でゆっくり過ごすが良いぞ。」


だが、彼らは一言も発さず、動きもせず、ただ風に揺れる森の木々のように立ち尽くしているだけだった。


「ど、どうした?皆、我が軍の精鋭たるものが覇気が足りぬぞ!ははは!」


アルセリアは引き攣った笑顔を浮かべ、大袈裟に笑いながら兵たちの肩をガシガシと叩いて回ったが、兵たちは無表情で、何の反応も示さなかった。

アルセリアは困惑したが、サイローネを指差し、怒りを露わにした。


「あれなる者をひっ捕らえよ!私を愚弄する不逞の者である!」


しかし、サイローネは縫い物を続けながら、まるで聞こえぬ風を装っている。その余裕ある態度に、アルセリアの顔が歪む。

 

「皆の者!早う、早う!我が命に従え!」


威厳を込めた声を上げたが、臣下たちは依然として動かなかった。ただ砂浜を吹き抜ける風と波の音だけが、その場を満たしていた。


「な、なあ皆の者、わ、我が声を……う、うう、やはり其方らは…うう…」


アルセリアに涙声が混じり始めた時、サイローネがゆったりと椅子から立ち上がった。

アルセリアはその時、まるで夜そのものがうごめいたかのように感じた。そして、未知の恐怖に膝が震えた。それはまるで、未開の民族が土着の神に畏怖するような、言葉では説明できない恐れだった。彼女は静かに歩み寄り、固まっているアルセリアの脇を抜け、臣下たちの前で立ち止まった。そして柔らかな声で語りかける。


「よく来たな、我が子たちよ。それぞれの長短はあれど、過酷な生をご苦労であった。お前たちの為に、後ろの森にそれぞれ誂えた服がある。心を込めて作ったものだ。その服に身を包めば、お前たちは私の美の尖兵として、剣なき戦いに挑むこととなるだろう。それまでの間、痛みも苦しみも忘れ、美しさと優しさに包まれてしばし微睡むがよい。」


そして、サイローネは、突如として奇妙な踊りを始めた。

その途端、何の反応も示していなかった臣下たちが、彼女の言葉に応えるように、ゆっくりと動き出す。身に着けていた鎧や剣を無造作に地面に投げ捨てると、森の中へと分け入り、まるでその服以外は目に入らぬかのように迷うことなく、それぞれが木々に吊るされた女物の服を手に取った。そして、ためらうことなく、それを身にまとい始めた。

アルセリアはその異常な光景を、ただ茫然と見つめていた。

自分が指揮していたはずの臣下たちが、何のためらいもなく女物の衣装に身を包み終わると戻ってきて、サイローネと共に無言で舞い始める姿を。

その動きはまるで糸で操られる人形のようで、サイローネの身のこなしに寸分の狂いもなく調和している。

一斉に踏み鳴らされる足音や衣擦れの音が独特のリズムを生み出し、それはまるで音楽のように耳に響いた。森から漂う微かな風が彼らの衣装を揺らし、月光が砂浜で踊る彼らの姿を銀色に染め上げている。それは、どこか異教的でありながら、緩急のある独特なリズムを持つ舞だった。野蛮さと美しさが奇妙に入り混じり、どことなく哀しみを湛えている。しばらくの間、鍛え上げられた臣下たちの肉体が躍動する様子に、ただぼんやりと見入っていたアルセリア。しかし、やがてハッと我に返った。


「わ、私の臣下を好き勝手に使いよって……」彼は声を震わせながら叫んだ。


「そ、その方ら、一体何をしている! この戯れはやめよ!」


しかし、臣下たちは王の声に一切反応を示さなかった。それどころか、彼らの舞はますます滑らかさを増し、サイローネを中心に円を描きながら、その動きを繰り返していた。アルセリアの胸には次第に焦燥感が募り、ついにはサイローネに縋るような声を絞り出した。


「頼む、もうやめてくれぬか…歴戦の戦士が哀れすぎる。もう、我が臣下たちを解放してはくれぬか……頼む。」


その言葉を聞くと、サイローネはふと動きを止めた。それに呼応するように、臣下たちも一斉に静止する。

砂浜は再び波の音の響きわたるだけに戻る。

しかし、アルセリアがほっと息をつく間もなく、臣下たち全員が一斉に彼へと顔を向けた。その瞳には、かつて忠誠を誓った者たちの眼差しとは程遠い、深い恨みと怒りが宿っていた。

その視線をまともに受けたアルセリアは、膝が震え、思わず腰を抜かしてしまう。


「ひっ……」


臣下たちは、アルセリアを見下ろしながら、無言のままじりじりと近づいてきた。その動きは、まるで寄せては引く波のように統制され、アルセリアを囲みながらゆっくりと渦を巻いていく。その舞は、彼らの怒りと失望を象徴する糾弾の踊りであろうか。

ついに耐えきれず、アルセリアはよろよろとサイローネに近づきの足元に縋りつき、泣き叫んだ。


「助けてくれ、やめさせてくれ……!」


しかし、サイローネは冷たい眼差しで王を見下ろし、うるさげに足元の裾を払いのけた。

その力でアルセリアは砂の上に倒れ込む。

臣下たちは、まるで急に気が削がれたのようにその場で動きを止め、王を路傍の石を見るように無機質な目で見下ろしている。

サイローネは深い溜息をつき、霧の立ちこめる森の方を指さした。

そして、まるで母親が子供を優しく諭すような声で言う。


「皆、もう良い。この男には、これから罰とも言える様な過酷が待っている。それで何とか納めてくれぬか?」


サイローネがそういうと、彼らは無言で一斉に頷いた。

そして、森の方を指差しながら、穏やかな声で促した。


「では、霧の中でしばし安らぎ、その後、我が僕より来世での技を学ぶとよい。」


その言葉に従い、臣下たちは一人、また一人と静かに動き出した。彼らはアルセリアを一顧だにせず、砂を踏みしめながら森の奥へと向かっていく。

まとった女物の衣装を風に靡かせながら、霧の中へと次々と消えていくその姿は、まるで夢の中の幻影のように儚く、現実のものとは思えなかった。

アルセリアは、遠ざかり霧の中に消えてゆく臣下たちに向けて必死に叫んだ。


「どこへ行く? お前たち、行くな! 戻れ!」


その声は虚しく、霧の中に吸い込まれるだけだった。追いすがるように震える声で、さらに懇願する。


「私を置いていくな!」


だが、臣下たちは一切振り返ることなく、無言のまま濃い霧の中へと歩き続けた。


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