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第7話  サイローネとメルクティア

音のする方へ、アルセリアは木立の陰から慎重に目を向けた。視界に飛び込んできたのは、予想を超えた奇妙な光景だった。

冬木立の下、そこだけ霧が立ち込めていない不思議な空間が広がっていた。その中心には、黄金色に輝く動物を模した彫像が四つ脚で力強く立っている。彫像の太い脚は砂地に深く沈み込み、獣の後頭部にあたる部分からは大きな嘴のような奇妙な装置が飛び出ていて、それが規則正しく上下に動いていた。

その彫像の傍らには、一人の黒髪の女が座っていた。鋭い眼差しを携えた彼女は、台の上に広げられたビロード生地に熱心に何かの加工を施している。

アルセリアの心に記憶が閃いた――あの女だ。壮行会で見た、冷徹な眼光の異国の女。

肩の辺りで切り揃えた黒髪と青白い肌、異国風の黒く美しい服装が脳裏に蘇る。

だが、ここで一人で何をしているのだ?木立から出て近づきながら、アルセリアは自らの王冠に触れ、身分を示す準備を整えた。


「すまぬが……その方、数日前に私と会わなんだか?」


女はアルセリアを見て驚いたようで「何!?アルセリア王か?」と言って呆然とした顔をした。


濡れた肌着で王の威厳も何もあった物では無いが、アルセリアは背筋を伸ばして肩を張りつつ、顎をややあげて「うむ、アルセリア・ド・パピリオス・ベルディアである。」と威を正して答えた。


女は切れ長の目を大きく見開き、「……生きているように見ゆる……?」と、まるでそれが困った事態であるかのように、呟いた。


その言いようにムッとしたアルセリアだったが、「いかにも、生きておる。」と短く応じた。


すると、何処からか奇妙な金属が擦れるような声で


「あちゃー、なんて野郎だ、あの密に詰まった命運の織り目から、抜け出ただと!?どうしやす?いっそ、やっちまいますかい?」という声が聞こえた。


「だ、誰だ?やっちまうとは何のことだ?」


アルセリアは声を震わせながら、辺りを見回した。しかし、そこには誰の姿もない。ただ霧の奥から、その不気味な声だけが残響のように漂っていた。

一方、女はじっとアルセリアを睨みつけていたが、やがてふっと視線を外し、独り言のように低く呟いた。


「……いや、それでは野蛮な彼らと同じになってしまう。計画は狂うが、致し方ない。此奴に働いてもらうしかあるまい。それに……むしろ好都合かもしれぬ……」


「と申しやすと?」


奇妙な声がまた響く。金属が擦れるような調子は変わらず、まるで遠くから聞こえてくるようだった。

女は形の良い下唇にそっと指を当て、しばらく考え込むと、静かに答えた。


「此奴の死体を操るよりも、此奴自身が、計画を理解して動いてくれる方が良い。私が父上の罰を受けて干渉が出来ぬようになった場合、むしろその方が都合が良いかもしれぬ。」


「し、死体!?おい、何を言って……」


アルセリアは目を見開き、その場で固まった。驚きのあまり、声が震える。


「さいですかい。けど、この愚物がちゃんと動いてくれますかねえ?」


姿なき声は、まるで楽しむように言葉を続けた。


「ぐ、愚物!?」そのような侮辱を受けたのは初めてだった。アルセリアは顔を赤くし、ひどく動揺して叫んだ。


「誰だ!出てこい!これ!クロサリアの特使殿、確かローネ殿と申したな。今のは誰だ?それに、あなたはこの様な場所で何をしておるのだ?死体とは何のことだ?」


苛立ちと混乱が交じり合った声が響き渡る。アルセリアは鋭く問い詰めようとしたが、その時だった。


「人間、少しうるさい。暫し黙っていよ。」


まるで胃の腑に冷たく重い氷塊が落ちたような声が、霧の奥から、いや森全体から発せられた様に低く響いた。その言葉には、言葉を封じる力さえ宿っているかのような、冷たく圧倒的な威厳があった。

アルセリアは驚愕の目でサイローネを見つめた。女神のように冷徹な眼差しを返しながら、彼女は静かに口を開いた。


「ナクシエリオスの息子アルセリアよ、私の名はサイローネ。出産と縫製を司る神である。端的に言おう。お前の国はもうすぐ滅ぶ。故にお前は……」


「サ、サイローネ?…神?」


耐え切れずアルセリアが遮るように声を上げた。混乱と疑念が渦巻く中、その言葉が女の言葉を止めたのだ。

すると、サイローネの傍らにあった獣のような機械がギギッと音をたて、首をこちらに向けた。鋭い動きに、アルセリアは息を呑む。


「サイローネ様と呼べよ、人間。」


金属的な響きが混ざった低い声が放たれる。機械の頭部は、あたかも表情を持つかのように微妙に動き、アルセリアを見据えた。その異様な威圧感に、王は思わず一歩後ずさった。


「驚いたか!」機械の声はまるで人間の嘲笑のように響いた。


「まあ、驚くのも無理はねえな。おめえたちのちっちゃな頭じゃあ、俺の存在を理解すんのは到底無理だろうよ。」


「遥か昔、おめえたちが洞穴で震えながらネズミを齧っていた頃に俺は生まれた。」


その言葉には、どこか誇らしげな響きがあった。


「神の叡智が生み出した命を持つ織り機。メルクティア様たあ俺の事よ!」


金属的な音が周囲に響き渡り、メルクティアと名乗ったその存在がさらに存在感を強める。黄金色に輝くその体は、ただの機械ではないことを物語っていた。


「な、な…」アルセリアは驚きと戸惑いが入り混じった声で呟いたが、メルクティアはその反応を楽しむかのように続けた。


「そうだとも、人間。俺はお前達の持つちゃちなオモチャとまるで違う。俺はお前たちが思い描く以上に高貴で、そして遥かに賢い存在でい。」


メルクティアの言葉には、嘲りと同時に確固たる自信が込められており、その圧倒的な存在感にアルセリアは呆然とした。


「機械が……喋った……?」アルセリアは息を呑み、恐怖と驚きに震える手で額を抑え首を振った。


「おやまあ、自分のオツムの中身が心配になったか?安心しろ。そのお粗末な頭は、俺と違って仕組みが単純な分、壊れにくい。サイローネ様が黙ってろって言ってんだから、黙ってろい。ねえサイローネ様」


メルクティアは顎をあげ誇らしげに金属の唇が笑みを形作るように動いた。


「メルクティア、そういうお前もしばし黙っておれ。」


「あ、すいやせん、サイローネ様。こいつがあんまり分かりが悪いもんで、つい……」


メルクティアは金属の首を器用に縮め、恐縮したように答えた。

サイローネが、気をとり直して、口を開く。


「さて、続けるぞ。お前の国は遠からず滅びる。故に……」


「な!? 何だと? 我が国が滅びる? 何を言って……」


アルセリアが再び口を挟むと、サイローネは眉間に深いシワを寄せて鋭く睨みつけた。

その瞬間、アルセリアの体から力が抜け、その場に膝を突き、受け身も取れず前のめりに倒れ込んだ。「ぶ……」と無様な声が漏れ、砂地がその音を吸い込んだ。

体は、まるで砂を詰めた麻袋のように重く、全く動かせなかった。


「黙れと言ったはずだ、ナクシエリオスの息子よ。首だけ動かしてこちらを向け。」


サイローネの冷たい声に従わざるを得ず、アルセリアは首を動かし、サイローネを仰ぎ見た。


「ああ…は…はあ(体が動かぬ)……」舌は思うように動かず、言葉を紡ぐことさえできない!何が起きたのか分からぬまま、アルセリアは瞬時に悟った――これは、目の前の女が起こしたに違いないと…全身を冷たい恐怖が駆け抜けた。

しかし、サイローネはアルセリアの動揺や恐怖には全く意に介さず、冷静に言葉を紡ぎ続けた。


「お前の国は滅ぶ。故に、この後、国に帰ったなら、これまでの好戦的なやり方を改め、国を閉じ、他国と極力交わることなく、美と平和の国としてもらう。」


アルセリアは混乱し、心の中で叫んだ。(こやつ一体、何を言っているのだ?国を閉じる?美と平和の国?)


「そして、最も肝要なのはお前の妃であるエステリスだ。」


その名前を聞いて、アルセリアはさらに動揺した。


「彼女の天寿を全うさせよ。以後、お前は、そのためだけに生きるのだ。」(エステリスを守る?天寿まで?一体何を言っているのだ、この女は……。)話の全貌が掴めず、アルセリアの心はますます混乱していく。


「エステリスには、とある事情で強力な呪いがかかっている。」


サイローネの冷徹な声が、アルセリアの胸に深く響いた。


「それは――彼女が生を受けた国は必ず滅びるというものだ。何度生まれ変わっても、その呪いは消えることなく、彼女の出生国を滅ぼし続けてきた。これまでに滅びた国は、優に50を数える。」


(エステリスが呪われている?あの無垢な少女が、そのまま年を重ねたようなエステリスが?)信じがたい話に、アルセリアの頭は混乱を極めた。


「彼女には前世の記憶はない。だが、それでも魂は少しずつ傷み続けている。」


サイローネは続け、わずかにその瞳を伏せた。


「私の目的は、この呪われた輪廻を断つことだ。そしてそのためには、彼女の呪いを解かなければならない。」


(呪いを解く……?)


「そうだ。彼女の呪いを解くには、彼女の寿命――すなわち100年間を、無事に過ごさせなければならぬのだ。」


サイローネの声には、厳しさと、どこか人知れぬ哀しみが宿っていた。


「や、ややねん!(ひゃ、百年!)」アルセリアは思わず声を上げた。(エステリスはそんなに長く生きるのか?だが……なぜエステリスを救うのだ?彼女にとってエステリスは一体何なのだろうか?)


そう考えた瞬間、鋭い視線が彼に突き刺さった。


「それを、お前が知る必要はない!」サイローネはキッと睨みつけ、ピシャリと言い放った。

(この女、心が読めるのか!?)アルセリアは心の中で声なき悲鳴をあげそうになりながら、息を呑んだ。


「無駄な詮索は不要だ。お前の役目は、ただエステリスを守り抜き、彼女を天寿まで生き延びさせることだ。それが果たされれば、すべてが終わる。」サイローネの冷たい言葉が、まるで岩盤のようにアルセリアの胸に重くのしかかった。

しかし、サイローネは、鋭い眼差しをやや弱めて、アルセリアを吟味するように見て、「……いや…」と呟いた後に、考えを追うように頭を振って、また話を続けた。


「故に、エステリスを危難から遠ざけるために、お前の国を根本から改めよ。亀のように手足を引っ込め、襲いくる天災に備え整え、戦から遠ざかるのだ。そして、内の産業を発展させ、美学を基として民を撫育せよ。」


アルセリアはサイローネの言葉に眉をひそめた。(我が国が亀のようになる?)周辺国の狼たちに囲まれた小さな亀を想像してみる。それは存続など到底不可能に思えた。すると、サイローネが淡々と言葉を続けた。


「可能だ。お前の国はもうすぐ、男児が生まれぬという奇病が蔓延する国となる。それを知った他国の男供は、気安く越境してくることもなくなるだろう。」


アルセリアは息を呑み、思考が追いつかないまま声をあげた。(男が生まれない奇病?それは、ただの噂の類だろうか?噂程度で侵攻が止められると本気で――)サイローネはアルセリアを鋭い眼差しで遮った。


「いや、事実そうなる。私がそのようにするからだ。」


(な、何!いや、そういえば、出産の神だとかを自称していてような……)サイローネは冷然と頷いた。


「そういうことだ。私は出産と縫製を司る神だと言うたであろう?男女の産み分けも、私の領分であるからな。お前の国で男児が生まれぬよう、調整するのは容易い。」


アルセリアは狼狽した。(この女は何者だ?本当に神だと言うのか?)しかし、彼女の言葉には揺るぎない確信が滲んでいた。


「お前は疫病の蔓延阻止を理由に、他国との国交を断てばよい。それによって戦の危険を遠ざけ、内治だけに力を尽くすことになる。それほど楽なことはあるまい。」


サイローネの声音は冷静で、けれどもどこか冷酷な響きを孕んでいた。(楽?何を言っているのだ。完全に理解できているわけではないが、到底可能とは思えない。)


サイローネは冷然と続けた。「そうだろうな。綱渡りのような国家運営が求められるだろう。だが、このまま放置すれば、お前の国は呪いによって天災や戦火に飲まれ、滅びる運命だ。それを避けるには、この道を試すしかないのではないか?」


(試すしかない?本当に私が、それを……?)


アルセリアの胸中では、不安と混乱が絡み合い、喉奥で息が詰まるような感覚が広がった。

「しかし、ただやれと命じられてもお前も心細かろう。安心せよ。私がこれまでお前達人間の文明を観察して得た幾つかの知見と良策を授けよう。帰国したならば、直ちに相手国に赴き、此度の敗戦の戦後賠償として沿岸域と島嶼の割譲を提案せよ。あえて海を手放し、各国に対して防疫の為、鎖国政策を取る旨を宣言するのだ。その後、余剰兵員を山岳部の屯田や鉄鋼、石炭、油田などの開発に充てよ。そして、それらの産出物を基に鉄道を敷設せよ。鉄道網が整備され次第、蕎麦を基軸とした農地開発を進めるのだ。さらに、災害に備えた備蓄体制を構築し、養蚕や牧羊、綿花の生産基盤を確立せよ。その後、紡績工場を建設し、石油を原料とした化学繊維の研究開発に着手するのだ。そして最終的には、これらを支える専門人材を育成するための服飾学校を設立し、国全体で産業の未来を担う仕組みを整えるのだ。どうだ、素晴らしい計画だろう!?」


サイローネの語りは次第に熱を帯び、拳には力が込められ、その瞳には鋭い輝きが宿り始めた。冷徹な印象だった彼女の変貌にアルセリアは驚き、同時に押し寄せる情報の奔流に混乱していた。


「ちょっ、ま……」


口を開きかけたアルセリアだったが、目を白黒させる彼を見て、メルクティアがケタケタと笑い声を上げた。


「くくく、駄目ですぜサイローネ様。此奴のオツム、もう弾け飛びそうですぜ。少し休ませてやりなせえ。」


サイローネははっとして我に返り、どこか照れを含んだ声音で言った。


「そ、そうだな。少し休むがいい。もうすぐお前の配下だった者たちがここに来るだろう。それまでの間、私は術の修正をしなければならぬ。予定していたお前の状態が変わったからな。大人しく待っているが良い。」


その言葉と共に、砂袋のように重かったアルセリアの体に徐々に力が戻るのを感じた。サイローネは再びメルクティアの背中に取り付けられた機械を操作し始めると、軽やかなリズムに合わせて縫い物を再開した。

アルセリアが身を起こし、サイローネに質問しようと口を開いた瞬間、メルクティアがすかさず口を挟んだ。


「おい、今はやめとけ。集中してる時に邪魔すると怖いぞ。」


「そっ、そうか?」アルセリアが思わず声を潜めると、確かに作業に没頭するサイローネの周囲からは近寄り難い気迫が漂っているのが感じられた。


メルクティアはそんなアルセリアを横目に、どこか得意げな調子で言った。「なあ、サイローネ様の計画ってすげえだろ?まあ、正直言うと、俺も聞いてて全部は分からねえんだがな。でも、サイローネ様の言う通りにしてりゃ、きっと上手くいくってなもんよ。」


その自信たっぷりの様子に、アルセリアは思わず唖然としながらも、どこか圧倒されるものを感じた。


「そ、そうなのか?」


「あったりめえよ。それにな、お前は運が良い。普通なら、お前はとっくにくたばってて、サイローネ様の美しいご尊顔を拝むことも、この神の計画に参加することもできなかったんだぜ。」


「くたば……」


「おうよ。俺にはある程度、運命の糸の流れが読めるんだよ。でな、今回も事前にお前が確実にくたばることを確認してたんだぜ。」


そんなことがわかるのか……アルセリアは信じられない思いでメルクティアを見た。


「だがな、時々あるんだよ、どっかでその流れが狂っちまうことが。運命を乱すもの――それは神も驚くような無茶をしでかす奴だ。心当たり、あんだろ?」


アルセリアの胸がどきりと高鳴る。「その顔見るに、何かあるようだな。」


「……助けてくれた兵がいる。誰かとは、しかとはわからぬが……」


「へえ、本当にそうかよ?」


「……」


アルセリアは答えに窮し、視線を彷徨わせた。


「まあ。良いわな。所で話は変わるが、サイローネ様は別嬪だろう?それに何と言っても優しいからなあ。ちょっと怖そうに見えるけど、心根はそらもう神様でもピカイチだ。だからよ、こいつは俺からの頼みなんだが、お前が人界に戻ったときは、一丁サイローネ様の為に神殿建ててやってくんねえかな。お前達、人間の真摯な祈りってのが、意外に神の力になることもあるんだぜ。ああサイローネ神殿…想像すると良いなあ。俺もサイローネ様の神殿で祈りながら歌いてえよ。はああ、星の河のような髪を広げサイローネ様は彼岸に美しく…」


その時、気持ちよく歌い始めたメルクティアの背を、サイローネが拳で一撃した。


「うるさい!メルクティア。針を乱すな!」


その声の冷たさと威厳に、アルセリアは思わず拝跪しそうになった。

(神威……?この女は一体何者なのか――本当に神だというのか?それとも異形の何か……?)

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