第3話 宮廷の宴1 王妃と異国の使節団
きらびやかな宮中の謁見の大広間は、豪奢な装飾と高貴な雰囲気に包まれていた。開戦前の壮行の宴が開かれ、正面の玉座に座るアルセリア王は、勝利を誓う盃を高々と掲げていた。
「諸君、我らの栄光の日が来た!」
王の力強い声が響き、臣下たちは「ベルディア万歳!」と叫びながら杯を掲げた。宴は熱気に満ち、勝利への期待で膨れ上がっていた。
その時、大広間の扉が重々しく開き、異国の使節団が現れた。「クロサリア国、外交特使団 ご来訪!」一行の中でもひときわ目を引いたのは、黒髪に鋭い目をした若い女性だった。彼女は異国の洗練を感じさせる美しい衣装をまとい、堂々とした歩みで王の前に進み出た。
「アルセリア陛下、エステリス王妃様、私はクロサリア国特使団代表のローネと申します。この度は、大国ベルディア国様の更なるご発展を遂げられる勝利の前祝いの宴に参加させていただき、誠に光栄でございます。」
そう言って、異国風の品の良い挨拶をして首を垂れた。その時、ローネと言う特使の服が、明かりに反射して虹の様に輝き揺れる。形も見たこともない斬新なデザインで、繊細な刺繍や革新的な形状が目を奪うもので、広間にいる、全ての人々が瞠目して、興奮の声を上げた。
「まあ、なんて美しいのかしら……」
王妃は息を飲み、その衣装をじっと見つめた。
「これほどの衣装、私はこれまでの生涯で見た事がございませんわ。」
周囲の貴族夫人達も、同意を示す感嘆の声を上げる。
黒髪の女は跪き、静かに微笑んで答えた。
「お褒めに預かり光栄でございます王妃様。流石のご慧眼でございますね。この服は我が国の最先端の流行でございますれば、民も好んで日常で着てございます。」
王妃は、ひどく驚いて 「まあ民も同じく、かような素敵な服を!?」
「はい、我が国の基は美でありますゆえ、貴族からクズ拾いに至るまで、皆、美麗に着飾っておるのでございます。」
「まあ、それはなんて素晴らしいことでございましょう。我が国でもそのようになりましたら、どれほど良いことでしょうね。」
その言葉に周囲が少しざわつく中、アルセリア王は「ローネ」と呼ばれた特使の服を、口を開けたまままじまじと見つめていた。その表情は、まさに忘我と呼ぶにふさわしいものであった。
「陛下?」
王妃が顔を覗き込むようにして声をかけると、アルセリアははっと我に返り、周囲の家臣を見渡した。すると眉間に深い皺を刻み、堅い声で言い放った。
「お、王妃よ。このような服は、民には贅が過ぎるというものだ。土民には土民のあり様に沿った服というものがある。それに、我が国の基は質実剛健と質素倹約。それによって民を守る剣と盾を築いてきたのだ。この事実を、我が国の民も誇りとしているのだ。実際のところ、貴国の民もこうしたお仕着せには迷惑しているのではないですかな?」
アルセリアの言葉は皮肉めいた響きを持ち、特使のローネに向けられた。
王妃は驚き、「まあ、アルセリア様。あなたも若い頃、絵画や彫刻に夢中になっていたではありませんか。服もまた、芸術の一つではございませんか?」
痛い所を突かれたのか、やや声を落として。
「それは……統治の何たるかも、自らの責務も自覚せぬ無知蒙昧だった頃の話だ……芸術では戦争に勝てぬからな。」
「あの頃の陛下は、政治と美が響き合った国を作ると息巻いておられましたよ?」
アルセリアはぎょろりと目玉を彷徨わさせ、「そ、そうであったか?よもや忘れてしもうた……あの口うるさいじいから逃れる都合の良い口実であったのであろうよ。」
彼女は寂しげに微笑みながら、「そうお忘れに…それでも……そのようなお気持ちがあったことを、私は誇りに思いますわ。」
アルセリアはその言葉に応じることができず、むっと口をつぐんで、杯の中身を一息に飲み干した。
だが、ふと気を取り直すように、彼は王妃の手を取り、柔らかい声で言った。
「だが、良いこともあった。アカデミーで、其方という花を見出したことだ。それだけでも十分に意味があったではないか。」
王妃は、寂しさの中から喜びをのぞかせて「ええ、そのことは本当に、本当に良かったですわ……」
その二人のやり取りを、じっと見ていた特使ローネに気づいた王妃は恥ずかさを隠すかのように改まって質問する。
「そ、それでローネ様。何処の国からいらっしゃったと言われましたかしら?」
王妃が少し戸惑いながら尋ねると、ローネは柔らかく微笑み、「はい、クロサリア共和国と申します。ここより遥か東方、フィンリー山脈を超え、その後、アダバンデラ荒野を横切り、アデンの海に荒波を掻き分け、船で2日ほど進んだ先にございます小さな島国でございます」と答えた。
「まあ、随分と長旅を経て、我が国にご来訪くださったのね。それにしても、クロサリアという国は…申し訳ありませんが、寡聞にして存じませんわ。どなたかご存じかしら?」
王妃が首を傾げると、アルセリア王をはじめ臣下たちも一様に顔を見合わせる。ローネは微笑みを崩さずに続けた。
「小さな島国でございますゆえ、無理もございません。しかし、我が国では皆が美を尊び、惻隠の情を持ち、争うことなく、豊かに楽しく暮らしてございます。」
「ほほう、美を尊ぶ国とは…。ところで、先ほど『共和国』とおっしゃったが、それは古代の…あの政治体制のことですかな?」
アルセリアがやや自信なさげに問いかけると、ローネは朗らかに笑みを浮かべ、「はい、まさにその通りでございます。議会制民主主義を採用しておりまして、代表議員を国民の投票によって選出しております。私も若輩ながら議員の一人であり、この度の特使を任じられた次第でございます」と答えた。
その言葉に、臣下や貴族夫人たちから驚きの声が上がり、アルセリア王も思わず身を乗り出す。
「なんと!女性でありながら議員とは…。よほどご実家が裕福で、権勢がおありなのでしょうな。」
ローネは穏やかに微笑んで首を横に振った。「いいえ、代表議員は身分に関係なく選挙によって選出されます。実家は小さな服飾店を営む普通の一市民でございます。」
「なんと!つまり…貴方は平民の身分でありながら、この場にいると?」
アルセリアの声は少し大きくなり、周囲の臣下たちがざわめき始める。広間の空気が一瞬、ぴりついた。
「はい。」ローネは静かに肯きながらも、微笑みを絶やさず答えた。その堂々とした態度に、かえって居心地の悪さを覚えたのか、アルセリアは微妙に身を引いた。
「平民が王に謁見するなど…これは、我がベルディアでは到底考えられぬことですな。外交部の手違いではござませぬか?」と臣下の一人が聞こえよがしに呟いた。
その言葉に、場の空気がさらに張り詰める中、ローネは微笑みを崩さず、落ち着いた声で応じた。
「いえ、ベルディア国外交部の皆様におかれましては、何ら手違いはございません。この訪問は、クロサリア国の正式な国是と慣例に基づくものでございます。我が国では、身分や出生にかかわらず、能力と民意をもって選ばれた者が国家を代表する資格を有します。それに基づき、私がここに立たせていただいておりますことを、どうぞご理解いただければ幸いです。」
彼女の言葉に、臣下たちは顔を見合わせてざわめき始めた。
「身分の隔たりなく…?」「民意で選ばれるだと?」と、小声で交わされる疑問の声が広間にこだました。
アルセリアは場の重苦しい空気を感じ取り、慎重に口を開いた。
「なるほど。確かに興味深い考えではある。だが、ベルディアにおいては、これまでそのような考えが取り入れられた例はない。我が国の国情には合わぬ部分もあろう。」
王の言葉に、一同は微妙な静寂に包まれた。アルセリアや家臣たちは、ローネという存在を通じて、その正体の掴みにくい政治思想に、言いようのない居心地の悪さを感じ始めていた。それは、彼ら自身も気付きたくない本能的な危機感だった。その思想が自らの権力基盤を揺るがしかねない「危険な何か」である可能性を、薄々ながらも悟り始めたのである。王妃がその空気を和らげるように微笑みながら声を張った。
「まあ、それはなんと素晴らしいお話でしょう。きっと、そうした服装を皆様が日常的にお召しになられているからこそ、国全体が物心ともに豊かでいらっしゃるのでしょうね。ただ、こうした時勢において、小国としてご苦労される場面もあるのではないかと、少し心配してしまいますの。」
ローネは軽く微笑み、王妃に向けて優雅に一礼した。
「お優しいお言葉をありがとうございます、王妃様。ですが、我が国は美を愛する心を絆として、周辺諸国との文化交流を大切にしてまいりました。その絆が争いを遠ざけ、平和と豊かさの基盤となっております。私どもにとって、これは何よりも大切な誇りでございます。」
「今の時代、平和とは甘美な夢だ。強力な新兵器が日々産み出されておるのだ、力なくして平和を維持するなど、甘ったるい理想論でしかないわえ。」
アルセリアは鼻で笑いながらも、どこか不安げな表情を浮かべた。臣下たちは王に追従するように笑い声を上げたが、その響きにはどこかぎこちなさが滲んでいた。
「陛下……」と王妃が窘めるように声を上げたが、 ローネは一切表情を崩さず、微笑を湛えたまま、毅然とした声で答えた。
「陛下、それでも私たちは信じております。美しい服には、人々の心を柔らげ、争いを遠ざける力があるのです。剣や盾だけが力ではありません。」
「服の力だと?」アルセリアはそう言って、ぷっと吹き出した。「ははは、皆の者聞いたか、クロサリアなる国では、どうやら服で砲兵を打ち破れるらしい!」
つられて臣下達の追従の笑いが起こる。
しかし、ローネは嘲笑を受けても動じる事無く笑みをたたえている。
「なかなか愉快な国の様だな。服で戦争に勝てればどれほど楽であることか。のう?」アルセリアは軍参謀に皮肉な笑みを見せた。
「して、その服の力とは具体的にどの様なものなのだ?」
アルセリアの問いに、ローネははっきりとした声で答えた。
「我が国には『美服あるところに争いなし』という古い言葉がございます。美しい服は人々の心を穏やかにし、対立を解きほぐす力を持つのです。たとえば、我が国では長年、衣服を通じた贈り物が外交の一助となってきました。対立が予想された場面でも、服が平和の架け橋となることが幾度もございました。」
アルセリアは「ますます、わからぬな。」と呆れたように肩を上げた。
しかし、王妃は穏やかな微笑みを浮かべながら、その話に静かに応じた。
「素晴らしいお話でございますわ。美しい服が、争いを防ぐなんて……。王妃はそう言いながら、サイローネの服をじっと見つめた。その眼差しには、どこか羨望めいた感情がにじんでいた。
「私は常々思うのでございます。この世はこれほどまでに美しいのに……。」
言葉を切った彼女の瞳は、遠い景色を眺めるようにわずかに伏せられた。
「それを、なぜ戦の炎で焼き尽くしてしまうのでしょう……。」
その声は静かで穏やかだったが、かすかな震えが隠せなかった。
ふと見ると、彼女の両手はいつの間にかぎゅっと組み合わされていた。その指先に込められた力が、気づかれぬようそっと緩められる。
「……時折、不思議な夢を見るのです。見たことのない美しいお城が静かに崩れ落ちる姿や、豊かな自然に囲まれた都市が炎の波に沈んでいく様を……。」
その声には、夢の中で感じた深い痛みと、それを飲み込もうとする抑制が滲んでいた。
そう語る王妃の姿は、衆目を集めながらも、どこか現実から切り離されたような、儚い雰囲気を漂わせていた。まるでその場に存在しながらも、自らの奥深い暗闇の底を覗き込んでいるかのようだった。周囲の時が止まり、彼女だけが別の時間を生きているような印象を与える。
広間に奇妙な空気が一瞬流れたが、すぐさまアルセリアは、少しおどけた調子で口を開いた。
「エ、エステリスよ。相変わらず想像力が豊かであるな。それに、些か美酒に酔われたのではないか?」
その軽口に、場の張り詰めた空気が少しだけほぐれたように見えたが、ローネは王妃の表情をじっと見つめ、酷く心配そうな顔を浮かべながら口を開いた。
「おいたわしや、王妃様。そのようにお心を痛められないでくださいませ。今しばらく、今しばらく、お待ちいただければ、きっと王妃様が心安んじて過ごせる美しく平和な時代が訪れることでしょう。どうかそれまで、憂いは胸にしまわれ、ただ微笑んでいてくださいませ。」
ローネの言葉には、どこか確信に満ちた優しさが宿り、その真摯な願いは、王妃の目に一瞬だけ微かな光を灯したように見えた。王妃は、まるで凍てついた花が春の日差しに溶けるように、優しく微笑みを浮かべると、静かに語りかけた。
「お優しいのね、ローネ様。もしも私にも、あなたのような娘がいてくれたら…きっと服や芸術の話をするのが楽しいことでしょうね。」
その言葉を紡ぐ王妃の瞳には、ほんのりと潤んだ輝きが宿り、ローネをそっと見つめた。
ローネは、その言葉に胸を打たれたのか、唇をぎゅっと引き結び、深く頭を垂れると、わずかに肩を震わせながら答えた。
「そのような過分なお言葉を賜り、誠に嬉しゅうございます。私は王妃様にそのように仰っていただけるような者ではございませんが、このお言葉を生涯の宝として胸に刻み、祖国へ帰ろうと存じます。」
「私も素敵なお話ができて、まるで贈り物を頂いたような気持ちでございます。何故か、ローネ様とは初めてお目にかかった気がいたしませんわ。」
そう言いながら、王妃は、ほのかな感激の色を浮かべ、そっとアルセリアに目を向けた。
「陛下、いつの日か、ローネ様の国を訪ねる機会がございましたら、きっと素敵でございますわね。」
アルセリアは、どこか面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、次の瞬間、大仰に頷いてみせた。
「そうだな。内外の問題を片付けた後にでも、考えてみよう。」
ローネはその返事に満足したように優雅に頷き、穏やかな笑みを浮かべながら応じた。
「その時は、全国民を挙げてお二人のご来訪を歓待し、わが国の美と心のすべてをご覧いただきたく存じます。」
王妃はその言葉に目を輝かせながら、「まあ、まだ訪れたこともないのに、なぜかその情景が目に浮かぶようでございますわ。」と微笑み、未来への淡い期待を滲ませた。
王妃がやや機嫌を取り戻した様子に、アルセリア王はほっとした表情を見せながら言葉を発した。
「ローネ殿、遠路はるばるご苦労であった。妃が貴国の服を大いに気に入ったようだ。いくつか所望したいので、手配を頼む。」
ローネは、優雅に微笑みながら、秀麗な顔をさらに綻ばせて答えた。
「ありがたく存じます。もとよりそのつもりでございました故、献上させていただこうと、すでにご用意してございます。後ほど王宮にお届けいたしますれば、アルセリア陛下にもぜひ、『政治と美が響き合った』一つの成果として、我が国の流行の全てをご覧いただければ幸いでございます。」
その言葉には、ごくわずかに挑発めいた響きが潜んでいたが、アルセリア王はそれに気づいた素振りもなく、軽く頷いた。
「さようか、それは楽しみだ。」
ローネは静かに一礼し、落ち着いた声で挨拶を残した。
「では、アルセリア王、エステリス王妃様、皆様、またいずれ。」
そう言うと、使節団を率いて堂々と退出した。