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第2話 海戦

海戦


今日、この海域で二つの国が激しい海戦を繰り広げた。

低くたなびく灰色の雲の下、硝煙と無数の破片が漂い、戦の凄惨な余韻を刻んでいる。しかし、勝敗はわずかな時間で決した。

敗れた国の艦隊は、敵の陽動にあっさりと引っかかり、砲撃の格好の的となった。一隻また一隻と砕かれ、沈んでいく。

その中には王の乗る旗艦もあった。沈みゆく夕陽が船体に赤く映る中、炎を噴き上げながら、それは静かに海底へと消えていった。

王もまた、船と運命を共にしたのだろうか――?


──否。


秋の薄暮に染まる波間、煌めく物が見え隠れしている。それは、流れるような金の装飾と、アンズ程もある大きなダイヤを嵌め込んだ王冠。その輝きこそ、王家の至宝であり、三百年以上にわたって続く正当なる王の象徴だった。そしてその王冠を頂く者は、王として尊崇を集めるべき存在であるはずだった。

だが、いま、その王、アルセリア王は──沈没した船から命からがら脱出し、鎧も伝家の宝刀も誇りも脱ぎ捨て、夢中で冷たい海水を掻きながら敵の追撃から逃れようともがいている。

旗艦が沈没してから既に一時間が過ぎた。王の体は波に押され、引かれ、漂い続ける。数珠玉のように重い波が幾度も彼の顔を叩き、冷たく鋭い海水が体の芯まで熱を奪う。季節は秋とはいえ、海の冷たさは容赦なく、体は痺れ、指先は蝋細工のように硬直して言うことを聞かなくなっていた。王は朦朧としながらも、船の破材にしがみつき、かろうじて呼吸を繋いでいた。疲労に苛まれ、意識は次第に現実から遠ざかる。思い浮かぶのは暖かな宮殿の寝間、香り高いミルクティー、焼き立てパンに塗られたバターの芳香。まるで夢のような安らぎの光景だ。


「ああ、これは夢だ。きっとそうに違いない。この世界を創りたもうた慈悲深き神が、こんな過酷な試練を私に課すはずがない…」


波間に揺られながら、王は疲れ果てた顔にかすかな笑みを浮かべた。


「そうだ、私は臣下と民に慕われる良き王だ。全ては天下万民の明日のために、より豊かな国を築くためだったのだ。惜しくも命を散らした兵たちも、そのことをよく理解している筈ずだ…きっと…」


その時、王の目に、波の下から白く浮かぶものが映った。それは手のような影──まるで「おいで」と手招きするように揺れている。その先には、沈みゆく兵士たちの青白い顔が虚ろに漂い、声なき声が聞こえるようだった。


「王よ、王よ、何処におわす…?」 「暗い、暗い、ここは暗く寒い。王よ、我らを導きたまえ…」


王は目を閉じ、激しく首を振る。幻影であるはずだと信じようとするが、影は増え続け、彼の周囲を取り囲んでいく。それはまるで、沈んだ兵士たちの怨嗟そのものだった。


「なぜ、なぜ、この戦いを行った?」 「本当に、本当に、必要な戦いだったのか?」


「来るな…! 私は…お前たちの…!」


恐怖に声を上げた瞬間、影が消える。だが、それが現実か妄想かを問いただす間もなく、波が再び王を叩きつける。冷たい水が喉に流れ込み、目の前が暗転しそうになる。その中で、朧げな意識に浮かぶ一人の男の顔──フィデリオス。かつて王が信頼し、そして遠ざけた老将だった。彼の言葉が耳に響く。


「陛下には軍を率いる才がございません……」


その忠告を彼は退けた。いや、退けたのではなく、自らの傲慢で封じ込めめたのだ。その過ちが、いま、この海の中で彼を責め立てる。


「そうだ…じい、お前の言うとおりであったよ。私には、本当に、本当に才がなかった…それは私自身が一番知っていた筈なのに、何故こんな事に…!」


波が彼をさらい、意識が遠のく。その時、王は心の中で叫んだ。


「戻れるなら──もし戻れるなら、私は……」


その瞬間、彼の体は破材にしがみつき、冷たい海の中で最後の力を振り絞りつつ、脳裏には軽やかな音曲が聞こえてきた。

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