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第16話 サイローネの苦手と戦士の旅立ち

「きゃっ! なっ、何事か!」


サイローネは思わず、見た目相応の悲鳴を上げ、一歩後ずさった。フィデリオスは、砂地に額がめり込むほど深く頭を下げ、何事かを必死に願っている。


「何? 却下だ。お前は予測が困難だから、遠い国の違う時代に生まれるようにする。」


サイローネが淡々と言い放つと、フィデリオスの顔が驚愕に歪んだ。次の瞬間、彼はサイローネの右足にそっと手を添え、靴の先に額を押し付けるようにして懇願する。


「ひゃっ! やめよ、気持ちの良からぬことをするな!」


サイローネは不快そうに眉をひそめると、指先を軽く動かし、フィデリオスの筋肉を脱力させた。しかし、どういうわけか効果は薄い。あるいは、フィデリオスが異様に耐性を持っているのかもしれない。


それでも彼は芋虫のように身を捩り、じりじりとサイローネににじり寄り、まるで執念の塊のように懇願を続けた。


ついにサイローネが根負けし、悲鳴にも似た声を上げる。


「わかった、わかった! その方の望むままにするから、その動きは、もうやめてたもれ!」


メルクティアがケタケタと笑いながら呟いた。


「サイローネ様にも苦手なものがありなさったとはな。」


力を取り戻したフィデリオスは、サイローネに何度も頭を下げた後、「その方、神様相手に何をやっておるのだ……」と呆然とするアルセリアの前へと歩み寄り、膝をついた。


彼は傍らに置かれていた宝刀を静かに手に取り、さらりと鞘を払う。そして、その柄をアルセリアへと差し出した。その意図を悟ったアルセリアは、ゴクリと喉を鳴らす。


「……私を許し、そしてなお忠義を示してくれるのか?」


震える声で問いながらも、その言葉には確かな感謝と誓いが込められていた。

アルセリアはフィデリオスの想いを受け取り、静かに剣の柄を握る。そして、剣をそっとフィデリオスの肩に置き、再び涙を流した。

アルセリアは深く息を吸い、震える声を抑えながら言葉を紡ぎ始めた。


「汝、フィリアデス……。長きにわたり、余を支え、その忠誠を惜しむことがなかった。余が愚かであり、未熟であった時でさえ、汝は見捨てることなく、その知恵と力を惜しみなく余に与えてくれた。」


言葉を続けるごとに、彼の声は確信を帯びていく。涙は止まらないが、視線は真っ直ぐにフィリアデスを見据えていた。


「今日、この場で誓おう――余は変わる。汝の示してくれた道に従い、もう一度、この国を正すために生きる。余の剣は、もはや無益な戦に振るうものではない。民を守るのために振るう剣となり、余の王冠は、その重責を全うするためにこそ戴くものとなる。」


アルセリアは胸の内に込み上げる感情を抑えこみ、剣を握る手が微かに震えたが、決してその意志が揺らぐことはなかった。


「汝の忠誠に応え、今度は余が汝に忠誠を誓う。この命ある限り、汝の意志を背負い続けよう。汝の想いを無駄にせぬことを、ここに誓う。」


涙声混じりの誓いを終えたアルセリアを見つめ、フィリアデスは満足げに微笑んだ。その微笑みには、これまでの苦難と長き忠誠の全てが込められているかのようだった。

フィリアデスはゆっくりと立ち上がり、サイローネに向き直って膝をついてゆっくりと深く頭を下げた。


「ぬ、まだあるのか?面倒な…申してみよ。」


サイローネは眉間にしわを寄せ、しばしフィデリオスを睨みつけていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……忌々しいが、お前の懸念も一理あるやもしれぬ。試みの頓挫は私にとっても痛い。それに、お前の忠義の一念に敬意を払って、望みを叶えてやる。ただし、十分の一しか割いてはやれぬぞ。行け。」


フィデリオスは深く頭を下げると、アルセリアの肩を軽く叩き、「安心せよ」とでも言うような仕草を見せてから、静かに森へと向かって歩き出した。その背が霧の中に消えていく様を、アルセリアはただじっと見つめていた。


サイローネがふと口を開く。


「……あれは少々、骨がありすぎるな。お前も扱いに困ったのではないか?」


アルセリアは苦笑しながら答えた。


「はい、随分と鍛えられました……。それにしても、今のやり取り、私にも聞かせてはいただけませんか?」


「うむ。あれはな、『女たちも、いざとなれば戦いましょうが。しかし、それでもなお、戦上手な者達がおれば、サイローネ様の試みも成就しやすくなるのではありますまいか? もし自分で良ければ、どうとでもお使いください』と抜かしよったのだ。」


アルセリアは目を見開く。


「フィデリオスが……そんなことを。そして、それを許されたのですか?」


「そうだ。あれは今、女でありながら戦士の心を持つ者たちを選びに行った。」


アルセリアはしばし沈黙し、やがて深く頷いた。


「それは……なんと、なんと頼もしいことでしょう!」


サイローネは静かに目を細めた。


「今度こそ、大事にしてやることだ。」


やがて、霧の奥からフィリアデスを先頭に数多くの兵たちが現れた。彼らはもう、女ものの服を身に纏っておらず、力強く迷いなく徐々に近づいてくる。

フィリアデスがアルセリアの傍を通り過ぎる際、彼は微かに微笑んで頷いて見せた。

その微笑みは静かな励ましと別離の意思を感じさせるものだった。

次に、フィリアデスはサイローネの前に立ち、深々と頭を下げた。そして、兵士たちを率い、ゆっくりと海の方へ向かい始めた。彼らの足音が砂浜に残す規則的な響きが、アルセリアの心を締め付けた。


「皆……ありがとう……ありがとう……きっと、きっと良き国にすると約束する。ありがとう……ありがとう……。」


涙に濡れた顔を隠すことなく、アルセリアは叫ぶようにその言葉を繰り返した。兵士たちが一人、また一人と彼の肩を軽く叩いて行く。その仕草には、かつての忠誠と、今もなお変わらぬ信頼が込めらつつも、友情を感じさせるものだった。

そして、彼らは波間に消えていった。潮風が吹き、砂浜には静寂だけが残る。アルセリアは肩を震わせながら、その場に雄々しく立ち、彼等を飲み込んだ海の暗闇を見つめ続けていた。

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