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第15話 フィデリオスの活

フィデリオスは深々と首を垂れ、恭しくその衣を受け取る。しかし、次の瞬間——まるで頭に衝撃を受けたかのようにのけぞり、足元がふらつき、片手を地面についた。


「じい!どうした、大丈夫か!」


慌てて駆け寄ろうとするアルセリアを、フィデリオスは片手で制し、頭を激しく振る。そして、驚愕の表情のままサイローネを仰ぎ見た。


サイローネは静かに頷き、低く告げる。


「ほう、見えたか。そうだ、それを全てやってもらわねばならぬ。それとも——生きたままでは、この男には、やりきれぬか?」


フィデリオスはしばし沈黙し、やがて不敵な笑みを浮かべた。そして、首を振ると、ゆっくりと立ち上がり、アルセリアの前に跪く。


涙に濡れた瞳で彼を見つめるアルセリア。

しかし、フィデリオスの瞳は、生前よりもさらに深く透き通り、まるで死者とは思えぬ輝きを宿していた。その目は静かに、しかし確固たる決意を湛えている。


次の瞬間——フィデリオスは迷いなくアルセリアの上体を引き起こした。


「な、何を——!」


驚くアルセリアの肩に、有無を言わせぬ勢いで、バサリと緋色の服を——着せた。いや、纏わせた。

アルセリアの肩にのしかかる重み——その正体を、彼はすぐに悟った。


緋色のそれは、ただの服ではない。

見れば、錦糸で精緻に刺繍が施された見事なマント——いや、それだけではない!


何かが流れ込んでくる。

言葉か?文字か?いや、もっと広大なもの——歴史、情景、無数の記憶が、爆発するように頭の中に押し寄せてくる。


「あ、ああ、あああっ……やめ……!」


アルセリアは悲鳴を上げた。

咄嗟にマントを跳ね除けようとするが、フィデリオスの万力のような手が肩にのしかかり、びくともしない。


アルセリアの意識は、奔流のように押し寄せる情報の洪水に撹拌され、混乱し、崩れかける。


「こ、ここんな……あああっ!」


そんな彼の苦悶には目もくれず、サイローネは淡々と告げた。


「正しく機能しているようだな。そのマントには、お前を守る術が施してある。そして、お前がやるべきことが記憶として縫い付けられている。それに沿って進めばいい。簡単であろう。」


「か、簡単……? こ、こんなことを……我が国が……」


頭が割れるような痛みに耐えながら、アルセリアは呻くように言った。

「頭が……バラバラになりそうだ……!」


そう言って、彼は額を押さえ、膝をついた。

「慣れぬうちは、少しずつ見ていくことを勧めるぞ。死人用に作った術ゆえ、いささか刺激が強い。」


サイローネの声が遠くに聞こえる。


アルセリアは目を閉じ、意識を集中させた——そして、見た。


知識が流れ込んでくる。

鉄道、蕎麦畑、備蓄庫、鎖国、縫製機械……見たことも、聞いたこともないのに、それらすべてが頭の中に鮮明に刻まれていく。

まるで、存在する前から理解していたかのように。


「新しい国の名は……フィラメンシア?」


まさか、そんな場所に油田が? 鉄鋼床が?

新しい食べられる貨幣? な、なんだそれは……?


目まぐるしく様々な事柄が押し寄せ、脳が処理しきれない。

圧倒的な情報の奔流に飲み込まれながら、アルセリアは息を荒げた。


「す、すごい……こんなことが、本当に……! だが、しかし……」


彼の顔が歪む。


「……こんなことを、私が……私には無理だ……ぐっ……わっ!」


突如、ずしりと背中に衝撃が走った。

フィデリオスが、思いのほか力強く背を叩いたのだ。


不意を突かれたアルセリアはつんのめり、砂地に両手をつく。


「じ、じい! 何をする、痛いではないか!」


顔を上げると、フィデリオスは、かつて幼いアルセリアがぐずった時に見せた、あの厳しげな表情で彼を見下ろしていた。


「ぷっ…その方……ふふふ……」


懐かしい顔に思わず笑みがこぼれ、アルセリアは涙を拭いながら身を起こした。


「まったく……その方は、死んでも変わらぬな。いや、むしろ生前より元気に見えるぞ。」


アルセリアが苦笑まじりにそう言うと、フィデリオスは何かを言おうと口を開きかけたが、言葉が出せないことにもどかしそうに眉をひそめた。


すると彼は、アルセリアの心臓のあたりを指さし、続けて肩を掴むと、乱暴にユサユサと揺すり始めた。


「わ、揺らすな! じ、じい、どうした!?」


だがフィデリオスは、まったく気にする様子もなく、にっと破顔すると、そのままアルセリアに抱きついた。

突然のことに困惑するアルセリアだったが、どうやら彼は何かに喜んでいるらしい。だが、それが何なのかは分からない。


「そ、その……サイローネ様?」


たまらず助けを求めるようにサイローネを振り返ると、彼女はやれやれといった表情で肩をすくめた。


「その者が言うには、ようやく若が本来やるべきことに辿り着いた、ということだ。」


「本来やるべきこと……?」


アルセリアは目を見開き、まだ慣れぬ頭の中の知識を整理しようとするように、こめかみに手を当てる。


「まさか……この頭の中にあるものが、私のやるべきことだと……?」


フィデリオスは力強く頷くと、サイローネへと視線を送った。


「まったく、私を通訳のように使いおって……」


サイローネは溜息をつきつつも、アルセリアに向き直り、淡々と告げた。


「アルセリアよ。その者はこう言っている——お前が本当に向いているのは戦争ではなく、美術や開発の分野であり、それに専念することこそが、お前自身の幸せにつながるのだと。お前がその道を歩むと知り、ようやく安心してあの世へ行ける、と。」


「じい……?」


アルセリアは驚きに目を瞬かせた。しかしすぐに、半ば自嘲するように口を開く。


「だが、お前も知っているだろう。私は決して頭が良いわけでは——痛っ!」


言い終わる前に、突然、後頭部に軽い衝撃が走った。


「なぜ叩く!」


アルセリアが抗議の目を向けると、サイローネは涼しい顔で答える。


「弱音を吐くな。努力しなさい、と言っておる。」


「わかった、わかった。努力するから勘弁してくれ。」


頭を撫でながら苦笑するアルセリアだったが、その表情はどこか嬉しそうでもあった。


すると、フィデリオスは満足げに大きく頷いた。しかし、次の瞬間、なぜか落ち着かない様子でソワソワとアルセリアを見つめ、拳をふるふると震わせる。何かを言いたげに逡巡していたが、やがてハッと何かを思いついたように、急ぎ足でサイローネのもとへ駆け寄ると、砂地に飛び付き、まるで平蜘蛛のように拝跪した。

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