第十一話 再生の女神様
「まこと、もうちょっと早く揺れないようにゆっくり歩いてほしいもん」
素っ裸でそんな矛盾事を言ってるカミノコは現在、俺の背中におぶられていた。
正確にはヒールブーツと俺のジャージを羽織っているため、裸ではないのだけど。
ちなみにドレスが再生しなかったのは、再生の力が常時働いているのは肉代だけだかららしい。
ドレスや髪飾りといった身に纏っているものには、傷つくたびにいちいち再生の光をかけなければいけないとのことだ。
だからドレスの焼けた切れ端でもあれば、今頃再生させてまた着ることもできたのだが、ブレスに飲み込まれた衣類にカケラなんて残るわけもなく。
その結果、今もこうして素っ裸でいるということだ。
しかしまぁ……
「もんもっもーん、もんもっもーん♪」
切り返し早いなぁ……こいつ。
ついさっきまで、服が消し飛んでフリーズしてたくせに。
当の本人はもう完全に、いつもの天真爛漫モードへ突入していた。
裸になったことに驚いてフリーズする、というのも大概変な話なんだが。
触られるのはNGなのに、見られるのは平気というのは本当みたいだ。
現に裸になってからこいつは一切、頬を赤らめたりなんてしていない。
やっぱり女神様の価値観はよく分からないなと、俺は背中で鼻歌を歌ってるカミノコを見て改めてそう思った。
「まことまこと、ちゃんと持ってる? かみのこの神器」
「……ああ、持ってるよ。ほんとは持ちたくないけど」
カミノコの神器。
生命の笛もとい、リコーダー剣。
どんなものでも切れたり、頭部管を差し替えれば、起爆性の持つシャボン玉を出せる、なかなかに強力な武器だが、その代償は「生命エネルギーを吸収される」とかいう致命的すぎるデメリット付きのクソ仕様である。
そんな生命の笛だが、どうやら頭部官を外している状態なら生命エネルギーを吸収されないで済むらしい。
なのでバラして俺が持っているのだが、正直持っていたくないのが本音だ。
再生能力を持つカミノコならともかく、一般人の俺がコレを持っていたら間違えなくあの世行きだからな。
「どうしたもん? ちょっと辛そうもんね。精神再生するもん?」
「れ、レジリエンスって……あの賢者になる光だろ? 今はいい。あれは落ち着きたい時に使うもんだろ。今はなんていうか……落ち着きたくないんだ」
俺はそう言って、苦笑いのまま息を吐いた。
「俺のことより、お前の方こそ平気なのかよ? ワイバーンのブレス直撃してたのにさ」
「へーきへーき。あれくらい全然大丈夫もん。再生を司る女神様をなめなめするんじゃないもん!」
そう胸を張る声は、どこまでもいつもの調子だった。
それでもやっぱり、心配せずにはいられなかった。
「ならいいけど……。そういえばさ、お前の再生のシンボルって具体的にどんな力があるんだ? 精神も落ち着かせるし、傷も治るし、服も乾くし。いまいち範囲が読めねぇ」
「んー、そうもんね。前に言った通り、再生できるものはなんでも再生するできるもん! モノもヒトも、空間も関係も全部もん。信頼や気持ちとか、言葉にできないものでさえ再生できるもんよ? ……仲直りの時に使わなかったのは、かみのこもあわあわして頭が回らなかったからもん」
改めて聞いてもチートだな。
そんな都合のいい力が、神様とはいえ本当に存在するのか。していいものなのか。
でも……
「……だったらさ、なおさら分かんねぇんだよ」
俺は立ち止まり、背中の少女へと問いかけた。
「なんでお前、俺に守って欲しいなんて言ったんだ? 強い弱いはともかくとして、そんな能力持ってたらお前一人で十分じゃねぇか。そもそも死なねぇんだろ? 守る必要なくねぇか」
「……たしかに死ねないもん。かみのこは。たとえバラバラになっても一瞬で再生するもん。存在が消えてもちゃんと戻るもん。シンボルの力を無力化されたって、それは状態の一つだからすぐ元の状態に再生されるもん」
「じゃあ、もう完璧じゃねーか。何が不安で俺なんか──」
「でも、痛みはあるもん」
その一言で、俺の言葉が止まった。
「どれだけすぐに治っても、傷つく瞬間の痛みはちゃんとあるもん。ちくってしたり、ズキってしたり……ほんの一瞬だけど、ちゃんと痛いもん」
「……それも再生すんじゃねぇのかよ」
カミノコは、小さく首を横に振った。
「再生はできるもん。それでも痛みは消えても……痛かったって記憶だけはどうしても残っちゃうもん。それだけは、再生のシンボルでもどうしようも……うんん。むしろ再生のシンボルのせいで記憶も消すことができないもん……」
その声は、少しだけ震えていた。
明るく笑っていても、軽口を叩いていても、そういう小さな震えは隠せない。
想像でしかないが、もしかしたら過去にそんなトラウマ的な出来事があって、彼女の中に残り続けているのかもしれない。
傷を受けた記憶や、その時に感じた一瞬の痛みの記憶が、彼女の中ではまだ鮮明に残っているのかもしれない。
「だから避けるのか。どんな攻撃でも死なねぇのに。ギリギリで避けるのも、絶対に避けたいから。間違えなく今避けたら、当たらないって確信がないと避けれないわけか。痛いから……再生するまでの一瞬の痛みでも、痛いって記憶が残るからなんだよな」
俺の言葉に背中から微かに「もん」と小さな頷きが伝わってきた。
無敵でも怖いもんは怖い。
痛みに耐えられたとしても、その瞬間を忘れられないのが、何よりつらいんだ。
ちくりとした消せない記憶が、心にいつまでも刺さったままになる。
だから守ってほしかったんだ。
もうこれ以上、そんな記憶を増やしたくなかったから。
理屈じゃない。言葉にすればきっと幼くて、甘えにしか見えないかもしれない。
「痛くてもすぐに回復して痛みが引くなら、それでいいじゃないか」と言われてもしかたないかもしれない。
けれど、その甘えた感情はどこまでもまっすぐで。だからこそ、たまらなく胸に刺さる。
── 俺にはそんなカミノコの気持ちがどうしようもなく、愛しくてたまらなかった。
***
沈黙が、しばらく続いた。
ただ風の音と草を踏む俺の足音と、背中から聞こえる静かな呼吸だけがそこにあった。
「……まこと」
小さな呟きが、背中越しに声が落ちる。
「かみのこ、お調子ものさんだったもん。怖くないって思ったら、なんでも自分ひとりで出来るって思い込んじゃったもん……」
その声には、いつもの張りがなかった。
耳の後ろに熱がかかるような小さな感覚。
そこには、確かな後悔の温度があった。
「初めてだから仕方ねぇよ。いくら神様だからって初めはミスするもんさ。俺だって言いすぎたし。……とにかく無事でよかったよ」
そう口に出してみて、ようやく自分の胸の奥がすっと軽くなったのを感じた。
こいつが目の前から消えるかもしれない、そんな瞬間があったからこそなんだろう。
「ねえ、まこと。まことはかみのこが痛いの嫌って思う気持ち、わかってくれたもん……?」
「痛いのは嫌なので、ってことか? わかるに決まってんだろ。俺だって痛いのなんて大っ嫌いだし、好きなやつなんてそうそういねぇよ。……お前が俺のこと心配したのも、痛みの辛さがわかるからこそだろ。『そうなってほしくなかった』って思ってくれたってことなんだよな」
「……もん」
肯定の声は、相変わらずどこか申し訳なさそうに、でもしっかりと届いてきた。
「そう思ってくれるは嬉しいけど、だからこそもう一人で突っ込むのはなしな。痛みが辛いってわかってるなら、あのときお前が死んだと思った時の俺の辛さもわかるよな? 心の痛みもさ。お前が俺に死んでほしくないって思うように、俺だって同じように思ってるんだよ」
「で、でもかみのこは──」
「再生できるっていうんだろ。そんなの俺だって一緒だ。たとえ俺が死んでも、お前なら肉片のひとつでも見つけて生き返らせてくれるんだろ? そしたら変わらねぇよ。どっちが死んでも結果はお前が生き返らせるってことにはな。もちろん、俺は死ぬつもりなんてこれっぽっちもないけど」
その言葉に背中のカミノコが俺に掴まる手の力をぎゅっ、と強めた
きっと何か思うところがあったのだろう。
「だから、そうならないようにこれからは自分一人でなんとかしよう、って考え方はなし。命の価値は平等で、二人で協力する。約束な。ちゃんとそのちっさい頭に叩き込んどけ」
いつまでもしんみりしたカミノコを見たくなくて。
ほんの少しからかうように言ってやると、案の定、すぐに反応が返ってきた。
「ち、ちっさくないもん! かみのこ、神脳があるもん! まことなんかより物知りさんで、知識いっぱいあるもん!」
「知識はあっても、その知識を活かせる知恵がないよな?」
「うぅ……言い返せないもん……」
背中でむくれてる気配がした。でもその声は、どこか安心した響きを帯びていた。
そしてまた数秒の沈黙の後、カミノコは俺の耳元で呟いた。
「かみのこ、もう絶対突っ走らないもん……。ちゃんと、まことと話し合って協力するもん」
小さな決意の声が、俺の背中越しにぽつりと落ちてくる。
決意といっても気合いが入ってるわけじゃない。むしろ、どこかしょんぼりしていて、落ち込んだ子供が反省文を読み上げてるみたいだった。
それでも、素直に言葉にしてくれたことがなんだか嬉しかった。
たとえ小さな声でも、届いてくれたことがわかったから。
──ちゃんと伝わってたんだな。
嬉しくなって、テンションが上がってほんの少しだけ、俺は口の端が緩んでしまった。
「ははっ、えらいえらい。自分の気持ちを素直に伝えるなんてお利口さんだな、カミノコさんは」
「な、なにその言い方!? せっかく素直にいったのに、子供扱いもん!? かみのこは神様もん! お利口さんって年齢でもないもん!」
カミノコはぷんぷんと首を振り、否定の言葉を口にしてきた。
つい言ってしまった、と思いつつもムキになった声に、俺は吹き出しそうになった。
このまま「あーごめんごめん」と軽く流すこともできるが、この重くなった空気をぶち壊すためにも、カミノコの言動を見たくなって、俺は言葉を続けることにした。
「子供扱いも何も子どもだろ。見た目から行動までどこをどうとってもさ。……つうか気になってたけど何歳なんだよお前。神様だしお利口さんって年齢じゃないってことは、もしかしてロリババアとかだったり……?」
「お、おばあちゃんってほどでもないもん! か、かみのこは、かみのこは……その……」
カミノコはしばらく口ごもったまま、俺の背中で身じろぎもしなかった。
「その……」
言いにくそうに言葉を選びながら、もにょもにょと呟く。
「ろ、ろく……もん」
「ん? なに?」
「かみのこ、六歳もん……。地上換算で……」
「………………マジか。いやマジか。すげえガチ幼女だったのかお前……」
「い、言いたくなかったもん……! 子供扱いされたくなかったし……神様の威厳がなくなっちゃうもん……!」
ぷいと顔を背けて、カミノコは口を尖らせる。
背中に上に乗ったちっこい存在が、全力で拗ねていた。
「威厳なんて元からなかっただろ。鼻歌で『もーんもん♪』とか歌ってる時点で」
「な、なにをー! あるもん! 神様の威厳はちゃんとあるもん! たぶん! きっと!」
「威厳ねー。子供口調にお子様体型。感情が100%顔に出て、やたら褒めて欲しそうにしてるお前がか?」
「もぉぉ! それ以上子供扱いしたら、まことのシンボルが解放する前の状態にまで再生して、ただのニンゲンさんに戻しちゃうもんよ!『リリ──』」
「ちょ、や、やめろ! あれ使えなくなったら本当に俺、ただのポーターになるんだぞ!」
わいわいとくだらない応酬をしながら、それでも背中から伝わる温度は、徐々に元通りに戻ってきていた。
──やっぱこいつにはシリアスよりも、コミカルなこっちの方が似合ってるや。