創刊
新たな契約書は直ぐに届いた。
岩清水はサッと目を通して変更事項を確認すると、パッと著名捺印を済ませ直ぐさま送り返した。
ただ彼には一つ気になる事があった…
契約書を送った後でまた指先から出血していたのだ。前回も指先を切り契約書に血をつけてしまったが、気付いてないだけで今回も血が付着してしまってるかもしれない…
まぁ送ってしまった今となってはどうしようも無いのだが。
もしダメだったら連絡があるだろう…
てか…二度も連続で指先を切る…これは偶然か?そんな疑問が沸き上がるが、岩清水は首を振りあまり深く考えない事にした。
ー・ー・4ヶ月後・ー・ー
雑誌は無事に創刊された。色んなメディアで取り上げられた事もあって、話題となりそこそこの人気を集めていた。
雑誌名は“ミックスオカルト定食”
なんてネーミングだとも思ったが、甲斐曰く
「マンガ、小説、実体験談、ホラースポットの紹介…この一冊でオカルトファンのお腹を一杯にしよう!って意味合いを込めまして♪」だそうだ。
「はぁ…」
生返事をしながら“正気かアンタ?というより大丈夫かこの会社?”そう思ったのは内緒である。
岩清水の書いた都市伝説小説【耳狩り女】も好評らしく、ホッと胸を撫で下ろしていた。
繁華街で男に声を掛けられた女が、ホテルで…男の部屋で…人通りの少ない裏路地で…時にはハサミやカミソリを使い、時には自らの歯や手で男の耳を削ぎ、切り落とし、食いちぎり、引きちぎる…
男が苦痛にのたうち回っている間に女は消え去り、ホテルや路上の防犯カメラに映ってはいるものの、何故か女の姿だけがノイズで確認出来ない。
そして手口からも同一犯の可能性が高いのだが、被害者の供述による容姿や年齢が一致せず、警察も首を傾げるばかりだ…そんな内容である。
好評と聞いた岩清水はその日、上機嫌で次に掲載する話のプロットを考えていた。
無音が苦手な彼はいつも音楽だったり、ラジオだったり、つけっぱなしのテレビだったりを垂れ流している。
この日はテレビの出番である。
時間は夕方、ちょうどニュースの流れる時間帯となっていた。
まだ原稿に向き合うより手前、メモ帳に設定を走り書きしている段階である。
あーでもない、こーでもない…と唸っていた岩清水の聴覚に、一瞬の隙をついてある単語が飛び込んで来た。
「耳…」
鮮明に聞こえた「耳…」という単語にハッとする岩清水。
大して走りもしないペンを一旦置き、ボリュームを上げたテレビに集中する。
「事件があったのは○○県○○市にあるラブホテルの一室で、被害に遭った男性によると深夜1時頃、一緒に入室した女がいきなりカミソリで切りつけて来て、左の耳を切断されたとの事です。女はそのまま逃走し、警察はホテルや周辺の防犯カメラの映像を解析し女の行方を追うと共に、全国的に似た内容の事件が多発している事から今後も注意を呼び掛けて行く方針だとの事です」
唖然とした。
額から…脇から…背中から…汗が滝の様に吹き出して来る。
「ぐ、偶然…だよな…」
気を落ち着かせる為にコーヒーを口元に運ぶが、手が震えてカップと歯の当たる不快な音がカチカチ鳴るだけだった。
その時ふいにスマホに着信が入った。
見れば甲斐からである。
“事件の事かな…”
“これが原因で打ち切りになったらどうしよう…”
色んな想いが脳裏をよぎるが、努めて冷静を装って電話に出る。
「はい…岩清水です…」
「先生~お疲れ様ですぅ♪次回作の進捗はどんな感じかなぁと思いまして♪」
「へっ…!?」
普段通りの…あまりに普段通り過ぎる甲斐に面食らい、すっとんきょうな声を漏らしてしまった。
「あはは!なんすかその声!踏まれた猫みたいじゃないっすかぁ~♪」
猫を踏んだ事も、踏まれた猫を見た事も無いわい!そんな憤りを覚えながらも
「いや…あの…ニュース…観ましたか?」
大人の対応の岩清水。
「はい?ニュース…ですか?」
「あの!自分の書いた耳狩り女の内容とそっくりな事件があったんですよ!しかも一件だけじゃないらしいんです!」
「あぁ~…なるほど!そういう事っすかぁ~♪」
「すかぁ~♪じゃないでしょ!すかぁ~♪じゃ!!問題にされるかもしれないんですよ!?せっかく創刊した雑誌が発禁なんて事…」
喰い気味に甲斐が遮る
「先生~…ホラーやオカルトには模倣犯なんてつきものっすよ♪そんなの気にしてちゃこのジャンルはやってけないですもん。一休さんも言ってたでしょ?気にしない気にしない…って!あはははは♪」
こいつ…やっぱどこかおかしい…そう思いながら「いや!でもこれだけ似た内容の事件なら、この小説のせいで起きた事件だ!って絶対に批判の的になりますって!!」
「あのね先生…戦争を描いた作品が発表された後に何処かの国で戦争が勃発したからって、その作品が非難されます?通り魔や殺人を取り扱う作品の後で、類似の事件があったからと言って全て非難してたら、この世から推理小説やサスペンス小説は消えちゃいますよ?」
「でも実際にそういった事は過去に何度もあったじゃ…」
またも喰い気味に遮る甲斐
「先生!この国では表現の自由が保障されてるですよ!一部声を挙げる連中も居るでしょうが、そんなのはフィクションとノンフィクションの線引きが出来ないアホゥだけですって!」
「いや…しかし…」
「しつこい!!いいっすか…?我々は絶対に出版を取り止めないし回収もしない。クレームに謝罪もしない!!だから先生…我々を信じて先生も書くのをやめないで下さいよ。いいですね…?」
「……」
「いいですねっ!!」
「は…はい…」
聞いた事の無いドスの効いた声と口調…
岩清水は思わず怯んでしまい、力無く返事をするのが精一杯だった…