契約
甲斐との初対面を終えた岩清水は、自宅に戻るとすぐさま机へと向かった。
プロットを考える為だが、二時間が経過しても出るのは“ウンウン”という唸り声ばかりである。
もはや“アイデアの便秘”と言っても過言ではない。
頭をポリポリと掻くが、降って来るのはアイデアではなく雲脂だけである。
「はあぁぁ~~」
肺の中身を全部抜かんばかりで溜め息を吐き出すと、目の前のタバコに火を着けた。
そして今度は肺を満たさんばかりに有害物質を思いっきり吸い込む。副流煙すらも独り占めである。
有害物質と引き換えに得たリラックスの中、頭の後ろで手を組み虚空を見上げては、今日の出来事を思い出していた。
「都市伝説って言われてもなぁ…」
これまでもホラーを書いた事はあった。
しかしリゾート地で殺人鬼が大暴れをするという“ベタ”極まりない物である。
当然ながら人気は出なかった。
甲斐が求めるのはそういう類いのホラーではなく、口裂け女やメリーさんの様に噂として拡まり、語り継がれる様な“個体”としての都市伝説であった。
しかも短編のオムニバス形式で、多数の都市伝説を生み出して欲しいと言う…
出版するにあたり最低でも5つの都市伝説は必要だ…と。
5つ…この“5”という数字は単純な物ではない。
幾つかはボツになる事を前提にしなくてはならず、仮に10の物語を考えたとしても半分が採用されてようやく5という数字に辿り着ける訳だ。
再び深い溜め息をついた岩清水は、タバコを乱暴に揉み消すと、交わした契約書の入った封筒に手を伸ばした。
三枚の紙に小さな文字でびっしりと項目が書かれている。文字酔いしそうな程だ。
実は岩清水、それほど読書が好きではない。
本は年に数冊しか読まない。それ故に文字の羅列を見るとうんざりする体質なのだ。
よくそれで作家を目指そうなどと思ったものである。その事は自身も自覚があり半ば呆れていた。
ふと気付いた…
契約書の所々に真新しい血の染みが付着している事に。
「え…?」
慌てて自分の指を見ると、人差し指の先が少し切れていた。どうやら契約書を取り出す際に、紙で切ってしまったらしい。
「やべ…」
急いでティッシュで拭いてみたが、染みの範囲がひろがっただけ…
まずいなと思いながら甲斐に電話をかけてみる。すると3コールで拍子抜けする程あっけなく繋がった。
契約書を汚してしまった事を素直に詫びると…
「なんだぁそんな事ですか、こちらにも先生のサインが入った控えがありますから、全然問題ナッシングですよ♪むしろ都合が良いくらいで…」
「え?都合が…良い…ですか?」
「あ、いやいや、こちらの話でして…忘れて下さい。それより何か良いアイデアは浮かびましたか?」
一瞬、甲斐の動揺が感じられたが、後に続く進捗への問いの方が重くのしかかる…
「あぁ…まぁ…幾つかは浮かびましたが、これだ!と思える程の物は無くてですね…」
嘘である。“これだ!”どころか一つの案も浮かんではいない。
「そうですか、アイデアが浮かぶ浮かばないに関わらず、いつでも相談に乗りますのでお気軽に連絡下さいね!」
「はぁ…ありがとうございます…」
嘘が見抜かれてる様でなんか罰が悪い。
すると甲斐が言う…
「一つアドバイス…というかヒントを言わせて頂くなら、安易なモンスターは使わない事ですね。確かにUMAやSCPは都市伝説に使われ易い題材ですが、怖がられると言うより面白がられる印象です。興味や好奇心の対象ではなく、恐怖の対象…見てみたい会ってみたいではなく、絶対に出会いたくない…そんな存在を目指すのが正解かと」
「はい…ですよねぇ…」
「ですから人型…しかも女性…過去の都市伝説を見ても、拡散力があり長く語り継がれてるのは圧倒的に人型の女性が多い。あとはシチュエーションも大事かと…」
「なるほど…」
「おっと!プロの先生に差し出がましかったですね!すみません」
「いえ…確かにそうだなぁと参考になりました、先ずは一つその線で考えてみようと思います」
「そうですか、楽しみにしております♪あ!それから5つ以上の都市伝説となると、その全てを人型の女性で作るのは無理があると思いますので、UMAやSCPは勿論、男性の怪異や家や場所などの話も一つずつ位は入れて貰って大丈夫ですので!」
「承知しました、頑張ります!」
「ではまた♪」
こうして電話を切った岩清水には、一つのアイデアが浮かんでいた。
忘れない内に…とメモにペンを走らせる。
「ええっと…黒いパーカーのフードを深く被った若い女で…深夜に一人歩きしてる奴の前に現れては、俯いたままブツブツと何かを言う…と。
闇の中に黒いパーカー、更には俯いてるので顔はハッキリ見えない。で、何を言ってるのか聞き取ろうと耳を近付けた相手の耳を、カミソリで削ぐ…いや!ハサミで切り落とす方が怖いかな…待てよ…食いちぎるってのもアリか!うん!名前は“耳狩り”もしくは“耳食い”にしよう♪」
明日にでも甲斐にお窺いの連絡を入れて、GOサインが出たら執筆に取り掛かろう!そう思うと幾らか気分が楽になった。
そして何故か“これはイケる”という根拠の無い自信が沸き上がって来るのを感じていた。