邂逅
岩清水はHPで調べた電話番号で連絡を取り、2日後に近所の喫茶店にて甲斐と会う約束をこぎ着けた。
声を掛けて貰った身である。せめてこちらから出版社へ出向くと伝えたのだが、返って来た答えは「いやいや!スカウトしたのはこちらですから、私が出向くのが礼儀かと…」
「いや俺が…」
「いや私が!」
暫くこの押し問答が繰り返されたが、最終的には岩清水が折れた。
直接話したのは初めてだったが、声だけの印象では驚くほど若く感じた。
その割には物腰も低く丁寧で、若くして財と権力を持った者独特の“嫌な臭い”みたいなの物は感じなかった。
ただただ「好青年」これが声だけでの第一印象だった。
「いやいや!声だけじゃわかんねぇぞ…会ってみるまでは油断すんなよ俺!」
そう自分に言い聞かせながらも、話が良い方向へ向かう事を願い、売れた後の事をあれこれと夢想していた。
当日になった。
約束の時間は午後2時。
待ち合わせ場所の喫茶店までは歩いて10分ほどで時々はプロット作りに利用している。
今となっては珍しいタバコの吸える純喫茶で、カレーとナポリタンが抜群に美味い。
数年に1度しか袖を通さないスーツに身を包み、これまでに書いた作品の原稿を幾つか持って1時半には家を出た。
来て貰うのだから、せめて先に着いておこうという岩清水なりの気遣いだった。
店に着いたのはきっちり10分後。
遅めのランチを食べる客や、食後のお茶を楽しみに来た客で思ったより混んでいる。
空いたテーブルは…と見渡していると、アルバイトのウェイトレスが声を掛けて来た。
「いらっしゃいませ!お一人様でしょうか?」
「あ、いや…あの…待ち合わせでして…後から1人来るんですけど…」
本来コミュ障の岩清水である、目も合わせず頭を掻きながら答えると予想外の言葉が返って来た。
「あの…失礼ですが…岩清水様でしょうか?」
「え!?あ…はい!」
戸惑いながらも答えると…
「伺っております。甲斐様は既にお越しですのでご案内しますね」
笑顔で促され、彼女の後をついて行く。
すると一番奥の2人掛けテーブルでサンドイッチを頬張る男が目に入った。
男はこちらに気付くと、まだ口の中にあったサンドイッチをコーヒーで一気に流し込み、ナフキンで口元を拭いてから立ち上がった。
男の第一声は
「すみません、約束まで時間があったし昼食がまだだったもんで…」だった。
照れた様子ではにかんだ顔には、やはり幼さが残っている。予想以上に若く見えた。
だが男は直ぐに社会人の顔に戻ると
「わざわざ御足労頂きありがとうございます。私、電話でお話しをさせて頂きました甲斐と申します。あ!これを…」
そう言って名刺を出してくれた。
それを受け取りながら岩清水は…
「こちらこそわざわざ来て頂いてありがとうございます。あの…自分は名刺を持っていなくて…すみません…」
ちょっとした劣等感と羞恥心がのしかかる。
「いやいや構いませんよ。ささっ!お座り下さい。あ!食事は済ませましたか?まだでしたら遠慮なく何でも注文して下さいね!なぁに気にしなくて大丈夫ですよ!経費で落ちますから!アハハ♪」
屈託なく笑う姿は好感が持てる。
センター分けのお洒落な髪型に人懐っこい笑顔、当然ながら清潔感もありさぞかし女性にもモテそうである。
ただ…一つだけ違和感を覚える点があった。
黒づくめなのだ。
髪色も黒、眼鏡も黒縁、スーツも黒、中に来ているシャツまでも黒だった。その上、黒のシャツなのにネクタイまでも黒…
まるで闇に溶けようとしているかの様な気味悪さを覚えながら、椅子へとゆっくり腰をおろす。
それと同時にウェイトレスが注文を取りに来た。
探る様に甲斐へ目線を送ると、ニコニコしながら「どうぞご遠慮なく♪」との返事。
「すみません、じゃあお言葉に甘えて…」
ぺこりと頭を動かしてからカレーライスとアイスコーヒーを頼んだ。
「お飲み物は食後が宜しいですか?それともご一緒に?」
「あ、一緒にお願いします…」
またぺこりと頭を動かし答えると、ウェイトレスは愛想の良い笑顔を残してカウンターへと戻って行った。
「では注文の品が来る前に簡単にお話しさせて貰いますね」
そう切り出した甲斐は、鞄から書類入れを取り出しテーブルに置くと
「契約の詳細はそちらに書いてありますので、後で目を通して頂くとして…私共としましては先生に書いて頂きたいジャンルがありまして…」
「はぁ…ジャンル…ですか…」
生返事を返しながら、差し出された書類に軽く目を通す。パッと見ただけだが、当り障りの無いよくある契約書に見えた。
そして思い出したように持参した過去の原稿を手に取ると
「あの!過去に書いて来た作品、幾つか持って来たんですが…読んで頂けますか…?」
すると甲斐がにこやかな表情のまま手を伸ばす。
「この場で目を通すだけでは失礼ですので、お預かりして社に戻ってから拝読させて頂きますね!」
“良かったぁ”
ホッと胸を撫で下ろした時、抜群のタイミングで注文の品が運ばれて来た。
「お待たせしましたぁ♪」
立ちのぼるカレーの匂いが食欲をそそる。
岩清水は甲斐へと一度目線をやり
「いただきます」
そう言いながらぺこりと頭を下げた。どうやらこの「ぺこり」か岩清水の癖らしい。
「どうぞ♪」
甲斐の心地よい声が耳に入る。
スプーンに巻かれたナフキンを解き、ライス部分へと潜らせる。
皿とスプーンがぶつかり“カツン”と音が響いた。
そのままライスごとカレー部分を掬い口へと運ぶ。
スパイシーな香りが鼻腔をくすぐり、すかさず二口目を放り込んだ。
“フ~”と息をつき、口内の辛さを和らげる為にアイスコーヒーへ手を伸ばす。
シロップとミルクをたっぷり入れストローを差し込むと、そのままストローでかき混ぜた。
そして一口吸い込み味覚をリセットすると、思い出した様に口を開く。
「あのぅ…そう言えば書いて欲しいジャンルがあるとか…?」
言い終えると二口目のアイスコーヒーを吸い込んだ。
問われた甲斐は変わらぬ破顔のままで頷く。
「はい!実はそのジャンルというのが…」
三口目のアイスコーヒーをすすりながら次の言葉を待つと、甲斐の口から飛び出したのは意外な単語だった。
「ホラー…と申しますか…怪異と申しますか…都市伝説を…先生の手で新たな都市伝説を生み出して頂きたいのです♪」
岩清水が口の中のコーヒーを喉へと流し込むと、周囲にも聞こえる勢いで“ゴクリ”と鳴った。