コレクターズブルー
保育園の外遊びの時間、俺は一人で室内に戻って、当時の俺と同じサイズのぬいぐるみと遊びはじめた。
どうしてそうしたのか思い出せないが、どうして悪いのか理解できないまま園庭に連れ戻されたことだけは覚えている。
あの時の俺を弁護するのに、30年の時間がかかった。末っ子で、体が小さく、争えば必ず負けた。そんな俺には、モノという口も利けない非力な友達が、ヒトという友達よりも愛おしかったのだろう。
俺はストーリーを作って遊ぶ子供だったが、それが玩具に反映されると、大人は理解できなくなる。具体的には、大人から見たら同じ玩具を欲しがるようになった。ただの色違い、ポーズが違う同じキャラクター…それは皆個性が違う友達だったし、ストーリーに必要な存在だった。同じ玩具を持っているからそれで遊べばいいと言う大人の言い分は、俺からすれば浴槽があるから便器はいらないと言っているようなものだった。そこまで言語にすることもできず、ただ欲しいからと叫ぶことしかできなかった俺は、より執着を強めていった。
そして、俺は全く同じ玩具を集めるようになった。情けない話だが、スポーツに興味を持ったヒトの友達に比べてフィジカルの遅れが目立ってきた時期と重なる。遊ぶ目的がストーリーの作成から軍隊の結成になっていった。
その軍隊も、ヒトの友達が来る都度、数を減らしていった。口の利けない友達を支配して将軍になりたいという願望を叶えるには、自分で金を稼ぎ、ヒトの友達が興味を失くすまで待たなくてはいけなかった。
その頃には、ストーリーで遊ぶことなどなくなっていた。モノという友達に愛情を注いで思い描いた世界を一緒に旅するプレイヤーは、光の差さない塞がった世界を膨張させるコレクターになった。
コレクションという友達は、ビニール袋に閉じ込めらた状態で幾重にも積まれて窒息していた。最悪な場合だと、夏の高温のせいか変形してしまったり、ビニールの色がそのまま移る友達もいた。
俺がコレクションにやっていたことは、ディストピアの指導者の暴虐と変わらないものだった。
「反発するな」
「理想的であれ」
「いなくなるな」
成績に偏りがあり、スポーツは最悪だった。理想とは程遠い子供だった。そんな俺が大人の愛情を得るために自分に課した指針を、コレクションに求めていた。
学習の機会だったという点を除けば反吐が出るような経験だが、俺はコレクションへの仕打ちを生身の人間にもやってしまったことがある。
肉親にも強がる俺は、そいつのことを唯一無二の弱みを見せられる相手だと思ってしまった。しかし俺が抱えていた弱みは相手の年齢で支えられるものではなかったのに、俺は執着を執着と認識することすらできなくなっていた。その結果、かつて囁かれた夢みたいな言葉は、別れ際には暴言となった。
ヒトへの執着を冷ますのに、ヒトを使うとろくなことにならない。一番の冷却剤は時間だが、ヒトに騙されないためにはコレクションという友達も必要になる。
まだヒトに冷め切っていない頃、コレクションのロゴの向きが揃っていないと気が済まなくなった。検索したらすぐに出てきて、診断されずともこれだと理解できた。強迫性障害だった。自覚したのがその時だっただけで、もっと前から発症していたのかもしれない。
強迫性障害は、コレクションはモノでしかないことを教えてくれた。規律、秩序、愛情、それらが齎す安心感が、ヒトにしてもモノにしても、何かに執着しないと得られないことを知った。その執着のせいで疲れてしまうから、モノにも冷めたいという心理が芽生えたのだ。
このモノにも冷めたい心理に至るには、強迫性障害の発症からそれなりの年月が必要だった。
姪が遊びに来た。案の定、コレクションが行方をくらました。もし今もディストピアの指導者のままだったら、俺は姪にキレていただろう。そうならなかったのは、大人のプライドや秩序の維持などの複数の要因が絡むが、気持ち悪いことを言うとぬいぐるみと二人で遊んでいた時に育んだ愛情も一因なのかもしれない。
姪にかつて思い描いたストーリーを譲り、久々に呼吸ができた友達に手を振ることにする。
見積りはできるが、成約には届かない。そんな日ほど早く帰ってこれる。やることは、米炊いて、風呂を沸かして、洗濯して…捜索だ。
生き埋めになっている友達を助けたいというより、コレクションに執着している。休日には中古屋を巡回しちゃうのがその証左だ。
ただ、冷めようと躍起になるのもきついだけだから、こういう習性の俺ってことで納得する。
もしかしたらこれを読んじゃったコレクターが凹むかもしれないけど、責めたり見下したりするつもりはないことだけは理解してね。