第1話 北山の垣間見1
三月、いつもようにふと家に訪れた兄が言った。
「北山へ行ってくるよ。」
「あら、何かご用でも?」
「瘧病の治療に評判の良い僧都がいるそうでね。」
「いいですわね。治してもらっていらして。」
「ああ。」
北山か。ついに来た。
「北山はどんなところなんでしょうね。元気になられたら、どんなところだったかお聞かせくださいませね。」
「ああ、わかっているよ。姫宮の楽しくなるようなお話を用意しておこう。」
と言って帰って行ったのは、先日の話だ。御簾の向こうには、先日に比べ、何やら楽しそうな兄がいる。よかった。
「おにいさま、何かいいことございまして?」
「わかるかい?」
「北の方さまとの関係が改善なさいましたの?」
「あの方は私と打ち解ける気などないのだよ。いつも人形のようだ。」
「そうですか。」
「それでは何が?」
「ふふふ」
兄は笑いながら御簾の中へ入ってもいいかと許可を求める。いつものように御簾の中で几帳を隔てて座り、人払いをする。
「それで?」
「先日、北山へ行くと言ったのを覚えているかい?」
「もちろん、覚えていますわ。」
だって、その話を待っていたんだもの。
「ふふふ。順番に話そうか。」
「ええ。そうしてくださいませ。」
「夜明け前に都を出て、僧都訪ねて北山へ行くとね、ここらの花と違って、まだ桜が盛りのころなんだ。」
「まあ。行きたいわ。」
「ふふ。もっと奥に進んでいくとね、霞も立っていて、見たことないような景色だったよ。」
山になんて行かないもんね。私も都から出たことないし・・・
「お寺も趣深く、いいところだった。」
「行くだけでも気分がよくなりそうですわね。」
「うん。そんな気もしたよ。」
ふふふと二人で笑う。今日は明るい話のようだ。楽しい。
「それで、すぐ、僧都にお会いできてね、祈祷してもらえたんだ。」
「すぐにしてもらえて、ようございましたわ。」
「ああ。それでね、そのあと外に出て、下に見える景色を眺めていたんだ。」
「なにが見えましたの?」
「行くもの僧房が見えたよ。でも、その中に一つだけ、小柴垣をきちんと作らせてあって、こぎれいな家があったんだ。」
「あら?どなたがお住まいなのかしら?」
興奮する気持ちを表に出さないように必死だ。
「みんな、女人だと騒いでいてね。垣間見に行くものまでいたよ。」
「おにいさまはお行きにならなかったんですの?」
「その時はね。」
ふふふと兄が笑う。
「その時は?」
私も扇で口を覆って笑った。
「それで垣間見てきたものが、美しい女性がいたと言っていたよ。」
「そうですの。」
また、二人で目を合わせて笑った。
「そのあとは、仏前でお祈りなどしていたんだが、僧都が気を紛らわしていた方がいいというので、供人たちと話したよ。こういう山が珍しいという話をしていたら、山や海の話をしてくれたよ。富士の山や須磨は素晴らしいようだ。行ってみたいなあ。」
明石の君の話もあったよね!飛ばさないで!どうでもよかったのか?
「わたくしも行ってみたいですわ。」
簡単に行ける身分ではないので、希望だけだ。おにいさま、おにいさまは行けますよ。明るい気分では
ないかもしれないが。
「そのあと、供人たちに帰ることを勧められたのだが、僧都の勧めで一晩泊まることになったんだ。」
「あら、素敵。」
「旅なんて初めてだから興味深く感じたよ。」




