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3月14日:約束(解答編:後)

 14日の放課後、文芸部後輩と俺の二人は高校の屋上を訪れていた。

 がたつく屋上入口の扉を二人で音を立てて開けると、まだ少し冷たい風が俺たちの顔を撫でつけてきた。


 天に垂れ込めた雲が、太陽の暖かさを遮っているのだろう。


 俺たち以外誰もいない、高いフェンスに囲まれた広いコンクリート製の空間は、まるで一昔前前の漫画で出てくる決闘場のよう。


 俺より先に屋上に一歩踏み出した後輩は、大きな給水タンクの塔や太い鉄柱、倉庫室と思しき鍵付きの小さな建物などを物珍しそうに眺め回した。


「待機場所はどこが良いでしょうか? 色々隠れられそうな場所はありますけど」

「給水タンクの裏が良さそうだね。行こうか」

「分りました、給水タンクの裏ですね!」


 後輩を促し、俺たちは入口から死角になる大きな給水タンクの裏に移動して腰掛けた。


 放課後すぐに練習の始まる陸上部の掛け声が、地上の校庭からフェンス越しに小さくなって聞こえてくる。


 佑樹と仲の良いクラスメイト達の声もその中には含まれているはずだけれど、今日屋上で何が行われるかを知っている生徒はいないだろう。


 今日はこの場に佑樹が遥を呼び出し、仲直りをすることになっていた。


「それにしても、出入り禁止の屋上の鍵なんてよく借りられたね」


 後輩がポケットにしまおうとしていた鍵を見ながら呟く。

 それは放課後すぐ、文芸部顧問の先生から借りてきたばかりのものだった。


「ですね。誰にも聞かれたくない大事な話をしたいからって佑樹先輩が交渉したんですよね。文芸部室じゃ駄目だって」

「あの部室、廊下や隣の家庭科室に声がかなり漏れるからね。迂闊だったよ」


 その点、この屋上はかなり安全だ。

 文芸部員以外で今日本日、ここの鍵を借りて入ってこれる者はいない。


 そして、この場所の防音は中々優秀だ。

 並んだ室外機の唸りはちょっとした会話の声を吹き消すし、高いフェンスが会話の全てを覆い隠してくれる。


 今回の場所は金曜日のように佑樹の家で、という案もあった。


 けれど、今日は佑樹の母親が早めに帰ってくる可能性があると言うことで使えなかったのだ。


 佑樹と遥の隠れた関係を考えれば、リスクを犯す訳にはいかない。


 遥も、佑樹とのギクシャクした関係を抱えながら佑樹の母との対面をこなす覚悟はできていないだろう。


 佑樹と遥のデリケートなやりとりを学内で行うなら、この閉鎖された屋上はうってつけの場といえた。


「そういえば部長先輩。

 お二人の今日の教室の様子はどうでした? 

 放課後になってから話をする、と昨日決めたことは伺いましたけど」

「二人とも自分からは話しかけないようにしていたかな。

 まあ、でも明らかにお互いが意識して交互に目線を向け合っているものだから、クラスの連中に変な勘ぐられていたね。

 引っ掻き回されたくなかったし、興味本位で首を突っ込みそうなクラスメイトは適当に誤魔化しておいた」


 二人を見守るクラスメイト達、特に女性陣の目の輝き方が尋常ではなかったのを覚えている。


 時節柄もあり、クラスの気になる二人の色恋関係のニュースを期待していたのだろうけれど、真相が真相だけに本当のことも言えずとても困った。


 結局、俺自身が多少事情を知っていることを匂わせつつ、変に口出ししないで欲しいとお願いすることくらいしかできなかった。


「それはまた……二人の関係について色々とクラス内の疑惑が深まりそうですね」

「まあしょうがないさ。

 そういう方向の勘ぐりは二人も慣れているだろうし、仲直りできたらあとは二人に任すよ。

 それより、遥が佑樹に対して大きな壁を作ってないかだけが心配だったけど、そうでもなさそうなのは良かったね」


 遥が佑樹の言葉に聞く耳を持つかどうか。

 佑樹と遥が仲直りできるかどうかの最大の難関は、それだけだった。


「部長先輩、そろそろ教えてください。結局、遥先輩が怒った理由はなんだったんですか?」


 膝に両手を置いた後輩が、今日の本題に踏み込んできた。

 後輩には佑樹の許可を得て、二人が姉弟であることなどの事実は伝えている。

 

 その佑樹にはさらに、今日この場で佑樹と遥の会話を俺たちに見届けて欲しいと頼まれていた。


 今回の事件の理由、その推察を俺から聞いて佑樹には思うところがあったんだろう。

 その推察についてはまだ佑樹にしか伝えていない。

 推察を裏付ける証拠の到着を待っていたからだけれど、結果として後輩には色々話ができないまま放課後を迎えさせてしまっていた。


 後輩の少し緊張したような目と目線を合わせて、俺はその推察を語り出した。


「簡単に言うと、大事にしていた約束を破られた

、あるいは信頼を裏切られたと思ったからだね」

「約束、ですか?」

「そう。この本を覚えてるかな」


 スマホを取り出して後輩に見せる。

 その画面には、今朝方佑樹から送られてきた写真の一枚を表示していた。

 小さな家の前に立つ、手を繋いだ二人の子供達が描かれた表紙の児童書が写っている。


「あ、覚えてます。出版社は違うみたいですけど、この前図書館で見つけた本ですね」


 本の名前は「なかよしきょうだいの家づくり」。

 遥の生い立ちや佑樹との関係性を踏まえて改めて考えると、中々に二人にクリティカルな内容だった。


「この本、たぶん遥が相当気に入っていた本のはずなんだ」

「ええと、なんでそんなことがわかるんですか?」

「昔読んだきりの児童書で、相当細かい描写まで覚えているものは少ないと思うんだ。

 よほど心に残る名作か、何度も繰り返し読んだか。

 普通の人は昔読んだ本のあらすじを思い出すのも中々難しいんじゃないかな」


 昔のお気に入りとはいっても、児童書を高校生になって読み続けている人は少ない。

 文芸部員として最近の書籍などにも手を出す遥なら尚更、時間が足りないだろう。


 つい先日、俺と後輩も有名童話シリーズの作品の細かなシーンのいくつかを覚えていないという経験をしたばかりだ。


「んー。あ、確かにこの作品に出てきた虹色のお菓子って、数あるきょうだいのおうち魔改造のうちの一つでしたね。

 ラストの印象に残る演出に使われているわけでもなく、物語のキーでもない、なんでもない描写の一つ。

 普通だとあまり覚えていないと思います」

「その普通だとあまり覚えていない描写を遥は把握していた。

 そしてさらに、それを又聞きしただけの君がそれを思い出せるくらいには遥は熱く内容を語っていたんだろう?

 そもそも、児童書の話題でメジャータイトル以外の話の内容の詳細を出す時点で、心に残って何度も読み直した作品か、あるいは家で大事にしていてふとした時に読めるようにしていた本なのは間違いないと思う」

「なるほど、そうかもしれませんね」


 「なかよしきょうだいの家づくり」が遥のお気に入りであることは、佑樹に昨日確かめてあった。

 どうやら佑樹と会う前からずっと好きな本だったらしい。


 そして、元からお気に入りだったにせよ、もしそうでなかったにせよ、遥が佑樹と会ったことで、物語は遥にとって大きな意味を持つものになったはずだ。


「この物語は、少し穿った読みかたをすると、きょうだいが失敗して、母が困って、最後に父が帰ってきたからなんとかなんとか良い結末にたどり着いた。そういう物語なんだ」

「ーーしかも、その結末は〝元の家に戻る”、でしたよね」

「うん。遥にとってたぶん一番ファンタジーというか、ありえない世界の話になるね」


 遥が父と母と一緒に暮らすという”元の家”はそもそも存在しなかった。

 いや、もしかしたら父と母だけなら一緒の家にいることはあったかもしれない。


 けれど遥には、同い年の弟である佑樹が、別の母の元で生まれているのだ。

 そんな状況で現代日本において、佑樹を含めた「なかよしきょうだいと父と母の家」なんてものは成立しえなかったに違いない。


 母を欠いた、遥と佑樹と父の家。

 あるいは、佑樹と父を欠いた遥と母の家。

 その二つだけが遥にとってのリアルな自分の家だ。

 前者についてはそもそも仮初の家族空間ではあっても、家という風に思っていなかったかもしれない。


「そんな驚くほど自分達の逆の、それでいて自分のお気に入りの世界の話。

 それを、最も共感してくれそうな人と話したがるのは自然な流れだろうね」

「遥先輩と佑樹先輩は、この本について昔語り合ったことがある、そういうことですね」


 ーーそうだ、この本知ってる?


 そういう風に遥から持ちかけたのかもしれない。


 ーーえ、その本あんたも知ってたの!?


 意外と、佑樹との雑談の中で突然その話題になったよかもしれない。


 ーーあ、この本! バカ親父から貰ったやつ! 

   へえ、あんたのとこにも同じの届いてたんだ!


 父の家、あるいは佑樹の家で見つけたそれを、興奮して取り出したのかもしれない。


「そしてここからはもう完全に空想の話になるけど、遥と佑樹の間で、この本の内容について約束ごとをしたんだと思う」

「約束事、ですか?」

「たとえば、物語を反面教師にして頑張ろう、とか。逆に、物語の展開を再現するようなことをしたくなったら必ず二人でやろう、とかかな?

 もしかしたらもっと些細な、二人で語り合ったことを忘れないようにしよう、とか。その程度のものだったのかもしれない」


 詳細については、遥に聞かなければ分からない。

 けれど、おそらくそれは遥にとってはとても重要なものだったはずだった。


「うーん。もしかしてその約束が、遥先輩が怒った理由なんでしょうか? 

 その約束を、佑樹先輩が破ったと。

 でも、遥先輩がそんなに大事にしていた約束を佑樹先輩が破りますかね?

 破ったとして、全くそのことに思い至らないーー遥先輩を怒らせた理由が分からない、とはならなそうですが」

「確かに佑樹は約束を破った。

 でもそれは、佑樹がその約束の全容を理解していなかったからなんだ」

「約束の全容?」

「この写真を見て欲しい」


 俺はスマホをフリックして、佑樹から送られてきた写真、次の2枚目を表示した。


 そこに写っているのは、佑樹の家にあった「なかよしきょうだいの家づくり」の1ページ。

 件の、虹色のクッキーが描かれた挿絵のあるページだった。


 「これ……っ!?」


 後輩の目が丸くなる。


 虹色のクッキーと聞いて人がイメージするのは、一枚一枚が虹色の焼き菓子だろうか。

 俺も基本はそういうものを考える。


 けれど、一昔前の児童書の挿絵というならば話は違う。

 一枚一枚が虹色、なのではなく。

 それぞれ色の違う5枚1組でクッキー瓶の中に積み重なるように収められた、瓶一つで虹色とわかる焼き菓子達。

 それが、佑樹と遥が昔読んだこの本に1ページだけ登場する「虹色のお菓子」の絵だった。


「あの時のゼリーフロートにそっくりです……」

「うん。でも、佑樹は昨日の夜この本を見返すまで、この作品にこんなページがあることは覚えていなかったらしいんだ」

「さっきも話した、普通だとあまり覚えていない、些細な描写の一つ、ですもんね」


 女性は男性に比べて、色彩感覚は鋭敏だと言われる。

 夜景から得る情報量は男性と比べて女性は圧倒的に多いらしい。


 そしてさらに、遥にとってこの本は何度も見返したお気に入りの作品だ。

 虹色の瓶入りクッキーの挿絵は幼い目と心にしっかり焼き付いていただろう。


 一方で佑樹にとってこの本は、読んだことはあっても、数ある読了作品の一つに過ぎなかった。


 遥の話に相槌を打ち、遥が主導で語る物語の良さを聞いて、「そういえばこんなシーンもあったよな、ここも良かったな」と言うことはできたろう。

 けれど、佑樹にとってこの作品はそこまでのものなのだ。


 金曜日の二人を思い出す。

 人魚姫のラストシーンを思い出していた時の二人。

 遥は物語世界にどっぷりとはまり、涙を流すほど感情移入をしていた。

 一方佑樹は、人魚姫の物語世界は思い浮かべていたはずだけれど、それ以上に目の前の遥のことを気にしていた。


 きっと過去にも同じようなやりとりがあったのだ。

 脳裏に鮮明に紡ぎ出した物語世界に浸かりながら、相手も同じ世界を見られると錯覚してしまった遥。

 そんな遥に話を合わせつつも、同じだけの深いところまで立ち行っていくことができていなかった佑樹。


「遥にとって二人の約束は、自分が大事に思っている物語要素の全てに及んでいると思っていたんじゃないかな?

 一方で佑樹は、そんな物語の細かい要素は覚えていない。

 だから、その約束をした時の捉え方が違った。

 物語の概要ーーつまり、きょうだいで何かするとき全般に注意しようだとか、父との付き合い方について二人で相談していこう、だとか、そういう単位での約束だと捉えていたんだと思う。

 本当の全容がそもそとわかっていなかったんだ」

 

 その見えないすれ違いが先日の遥の心を傷つけた。

 「佑樹もきっと大事にしているはずの約束」を破られたと、そう思い込む原因になった。


 遥があの日、佑樹からのプレゼントとして見せられた虹色のゼリーは、遥にとっては佑樹との大事な約束を損なうようなものに写っていた。

 例えば「2人でこういうことはやらないようにしよう」と決めた約束事に真っ向から反するような代物だったんじゃないだろうか。


 そもそも遥は感情の起伏が激しい性格だ。

 思い入れのある物語に出てきた物品そっくりの代物を佑樹の手で見せられて動揺したことだろう。

 そんな中、佑樹に昔の約束なんて覚えていない、とでも言いたげな態度を取られ、頭に血が上っても不思議ではない。


 なまじ、普段から遥を茶化す佑樹が相手だ。

 「おふざけのつもりで、大事な一線を越えてきた、しかもそのことを惚けてきている」とでも思われてしまったに違いない。


「なるほど、そういうすれ違いだったんですね」

「……あー、うん。そっかそっか。やっぱりそうだったかー。あーもう。駄目だなー、私」


 不意に横から聞き覚えのある声がかけられ、俺と後輩は揃ってそちらに視線を向けた。


「よ、おふたりさん。はろはろー」

 

 いつからそこにいたのだろう。

 水道タンクの陰から姿を現した遥が、手をあげて挨拶をしてきた。


 努めていつものように振る舞おうとしているのが見て取れるけれど、授業を終えた解放感から程遠い、肩に力の入っていそうな立ち姿なのが痛々しい。


 ポニーテールに結わえられた遥自慢の長い髪が、屋上の冷たい風を受けてのろのろ元気なく揺れている。

 暗い空の色を写してか、いつもリップクリームを欠かさず艶やかにしている唇さえ重い色に見えた。


 その姿を見て俺が最初にしたのは、急いで立ち上がって頭を下げることだった。


「遥、ごめん。

 どこから聞いていたか分からないけど、自分たちのことあれこれ外野から言われて嫌な気分になったなら本当に申し訳ない。

 それと、たぶん察している通り俺たちは遥に無断で二人の話を聞くつもりだった。

 本当にすまない!」

「ん、あんた達が来るってことは後輩ちゃんから私も聞いてるから大丈夫。

 佑樹から頼まれてるんだっけ?

 じゃああらためて私からも頼もっかなー。

 私達が姉弟だって知ってる二人には、私たちの話を聞いていて欲しいんだ」


 遥は手をひらひらさせて、俺の謝罪をなんでもないことのように流した。

 安堵を覚えつつ、その言葉には聞き逃せない内容がいくつかあった。


「あの、ごめんなさい、部長先輩。実は私、昨日遥先輩からも相談を受けてて。

 その部長先輩が遥先輩の怒った理由を突きとめようと推理してることとか、佑樹先輩から色々聞き出したこととか、全部話しちゃってます」


 申し訳なさそうに言い出した後輩だけれど、その判断は間違っていないように思われた。

 元々、俺だって連絡がつくようなら遥に直接話を聞こうとしていたのだ。


 たぶん後輩は、相談を持ちかけた遥から、相談していることは秘密にしてくれと言われていたんだろう。

 立場上、唯一の遥の味方ともなった訳で、協力者として遥に気を遣うのは当然といえた。


 そういえば今日屋上に来る時、後輩は鍵を取りに行くからまだ屋上に向かわず待っていてください、と俺を引き止めていたなと思い出す。

 屋上の扉が開いた音もしなかったし、後輩を引き込んだ遥はさっきからどこか屋上内の別の物陰に隠れていたのではなかろうか。


「にしても後輩ちゃん。部長さあ、よくまぁこんだけ少ない材料で私らのこと色々推察したよねー」

「ちなみに遥先輩、さっきの部長先輩の推察、正解率はどんなものなんでしょう?」

「んー、8割? 9割? 大体当たってるんじゃない? 

 約束の中身は流石にわかんなかったっぽいけど、ま、そりゃ無理よね」


 遥は少し戯けた風に肩をすくめた。

 まだ表情に翳りは見えるが、多少元気は出てきたのだろうか。


「あと一つ付け加えるなら、私の方は一昨日の土曜日くらいに、佑樹が約束のことを私と同じようには理解してなかったぜって説は浮かんでたんだよね。

 でも、本当にそうか直接確かめるにしても佑樹に嘘つかれるのはヤだし、私からその説持ち出したら私から謝んなきゃいけなさそうでそれもヤだったから、部長に確認してもらって助かったわー。

 あんがと!」


 いや、元気が戻っているというより、俺と後輩を心配させないようにしているのかもしれない。


 けれど、遥の言をよく考えると、遥は金曜日寝るまでの間ずっと、佑樹に対する悶々とした想いを抱えていたということになる。


 少なくともその間、遥が心に深刻なダメージを負っていたことは間違いない。


 今の遥の元気がなさそうな様子は、それがまだ尾を引いている可能性は考えられた。


 だから、こう聞いた。


「それで、遥。これから佑樹とは顔を合わせられそう?」

「やだなもー。なに深刻な顔してんだか。私らのすれ違いが理由ってこともはっきりさせてもらったし、余裕っしょ。

 まずあいつが謝る、私も謝る、以上終了、憂いナーシ。大丈夫……うん、大丈夫」


 v字サインを決めながら、それとは裏腹な表情で自分にも言い聞かせるように問題ないと繰り返す遥に、俺は不安を覚えた。


 本当にこのまま遥を勇気と合わせて大丈夫なのだろうか。


 けれど俺はその時忘れていた。


 そもそもこの場は誰がセッティングした場所だったのかを。


「嘘ついてるんじゃねえよ遥。大丈夫? んなわけねえだろうが」

「佑樹先輩!?」


 闖入者ーーいや、この場の正式な主役の片割れに最初に反応を返したのは後輩だった。

 遥は自分の真後ろからかけられた声に驚いて声を呑んでしまったし、俺は俺で、急な佑樹の登場に何をすれば良いかが一瞬分からなくなってしまっていた。


「な、何よ佑樹。いきなり出てきてさ。喧嘩売ってる?」

「売ってるな。買えよ、遥」


 不穏なやりとりを始めた二人。

 気づくと、俺の袖を後輩がくいくいと引いていた。

 止めなきゃいけないんじゃないかと、そういう主張だろう。

 けれどこれはーー?


「大体な、遥。

 お前のハマった本への没入力は高すぎるんだよ。

 そんで、その本に死ぬほど詳しくなったお前があんまり嬉しそうに本を紹介してはきやがるから、いったい俺が今までどれだけお前のおすすめ本を読んできたと思ってんだ」

「は? なに言ってんの佑樹。

 あんたこそ、普段から聞く力が高過ぎでしょ。

 あんたが聞き上手すぎるから私も本の紹介が好きになってかなっちやら後輩ちゃんやらに色々布教するようになっちゃったんでしょうが」

「良いじゃねーか。本の輪が広がったんだから。

 っつーか、俺が勝手に決めた部長と後輩ちゃんの同席を勝手に許しやがって。

 お前に対して用意してた謝罪と説得の言葉が無駄になったじゃねえか」

「はあ!? あんただけにそんな負担かけさせるとかありえないでしょ。

 てか、私としては文芸部のみんなにずっと言いたくてしょうがなくて、知ってもらったこと自体めっちゃ嬉しいんだけど!」

「マジかよくそっ、勘違いしてたぜ。今度佐倉にも話さねえとな。

 やっぱりお前は俺のことをちゃんと理解してねえし、同じくらい俺はお前のこと理解してねえじゃねえか。

 ちゃんと対話しねえ俺たち二人とも駄目だな!」

「さらっと責任分割すんなし! 

 理解っていうなら今回の事件はどう考えても私の早とちりが原因じゃん! 

 佑樹は普段からヤバいくらい私のこと分かってくれてるって!」

「あ? 俺なんて全然ゴミだろ。遥こそ普段から、どんな忙しい時でも俺の家に来て様子伺ってくれてるし、気遣いの塊じゃねーか。

 昨日後輩ちゃんを抱き込んだのも、予め今日の話の方向を平和に持っていくための準備だったんだろ?

 部長に全部お膳立てしてもらった俺とは行動力が違うわ」 

 

 あ、これ喧嘩じゃないな。

 なんて呼べば良いのか分からないけど、少なくとも普通の喧嘩じゃない。


「痴話喧嘩……? イチャつき……? ええと、お二人は姉弟だから、姉弟喧嘩……?」


 後輩も、目の前で行われ始めたよく分からない大声でのやりとりの名前をどうするべきか悩み始めてしまった。


 そして俺は気付いた。

 先程まで隠し切れないほどの不安さを滲ませていたはずの遥が、いつの間にか、全力の笑みを浮かべて佑樹を煽っていることを。


 ああ、そうか。

 遥はきっとさっきからーーいや、あるいは土曜日の頃からずっと不安だったんだろう。

 それはきっと今日、佑樹と仲直りできないことはついてではなく。

 佑樹との望まない方向の仲直りーー例えば、佑樹が遥に喧嘩を売るようなことは今後避けるようになるといったことに対しての恐れがあったはずだ。

 

 そして、佑樹はそんな遥の不安をあっさり砕いて見せたのだ。


「ほんとに佑樹はさあーー」

「遥こそいつもいつもーー」


 気づくと、遥と佑樹、二人の顔に太陽の光が差していた。

 雲間が晴れ、屋上に光が注がれ始めたのだ。


 二人はお互いの完全な理解者ではないのかもしれない。

 けれど間違いなく、十分に相手を慮れる仲良し姉弟だった。


 元々、二人がやっていた喧嘩でのコミュニケーションは難易度が高い。

 相手が激発する、けれど心の底から嫌悪を抱くことがないように、そんな相手への理解と信頼があって初めてできるやりとりだ。


 羨ましくなるほどに仲の良い二人を前に、俺と後輩、傍観者達は苦笑を交わした。


「私達、いらなかったかもしれませんね」

「そうかもねーーん?」


 と、喧嘩なのか惚気なのかわからない謎の掛け合いをしていた遥から、ちらちらと助けを求める目線があった。


 きっと、かけあいの止めどきを見失って仲裁がほしくなったのだろう。


 そういえば、二人がこう言った具合に誰かに仲裁を求めることを前提に口論めいたやりとりをするようになったのには初めのきっかけがあるはずだ。


 意図的にそういったやりとりを二人が始めたのがいつなのかは分からないけれど、最初のきっかけは予想ができた。


 二人の父の家の前で出会った日のこと。

 その時もまた、二人はこのなんちゃって口論をしていたという。


 きっとそこから、二人は何度も口論をして見せた。

 そしてその場にいた父は自分の息子と娘たちに仲介を頼られ、何度も何度も仲介をしてみせたことだろう。


 それはもしかしたら、遥にとってもう一つの”元の家”と言えるような居心地の良い場所なのかもしれない。


「よし、二人を止めようか」

「はい、そうですね。ーー遥先輩! 佑樹先輩! 喧嘩もほどほどに! そうでないと、私と部長先輩のこの後のホワイトデーデートの予定が潰れちゃいます!」


 割って入った後輩に、遥と佑樹が声を揃えて反応する。


「「ほどほどにしとけ! このリア充バカップル!」」


 今日はホワイトデー。

 バレンタインプレゼントをくれた女の子達に、お返しをする日。


 文芸部のイベントとしてのお返しは金曜にしたし、一番大事な後輩へのお返しは土曜日に済ませている。


 本来なら、本番当日の今日もまた後輩に使うべきところなのだろう。

 けれど今日は、俺たちを信頼してくれた二人の大切な仲間に使う時間にしたかった。


「おっと、そんなことを言っていて良いのかな?金曜日の顛末を聞いた佐倉が今、とびきりのスイーツを調達して部室で待ってるんだけど」

「え、それマ!?」

「部長先輩、初耳です!」

「あー、とりあえず大事な話も終わったしみんなで部室に行かねえ?」

「「賛成!!」です!」

 

 ホワイトデーは家族で楽しむ行事でもある。

 姉弟間だったり、母子間であったり。

 甘さや苦さとは異なる、いろんな種類のスイーツを、雑多に贈りあえる懐の深い行事。


 きっと今年のホワイトデーは、大家族のホワイトデーの卓のような、とても良い一日になるのだろう。

謎解きとしての全四話は完結です。


遥視点の回想回などは後日追加するかもしれません。

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