3月11日:一足お先の部内パーティ(出題編:前)
3月11日終業後。
俺を含む文芸部員の4人は、部員の大崎佑樹の家の居間に集まっていた。
来客の遠慮をどこに投げ捨て、畳の床に遠慮なくうつ伏せになっているのが2年生女子部員の小暮遥。
足だけをこたつに突っ込んで、明るく染めた背中までの長髪を無造作に床に垂らしている。
気ままな猫そのものの寛ぎ方を見せる遥は、ついさきほど先程包装を解いて袋から取り出したばかりの文庫本に、猫じゃらしを前にした猫のように興味を惹かれているようだった。
文庫本の表裏とひっくり返してつぶさに見て、そしてなぜだか眉をキュッとしかめる。
そのままお茶を抱えて部屋に戻ってきたばかりの家主、佑樹に問いかけた。
「ねー、佑樹。私さー、すごく納得いかないことがあるんだけど」
「ん、部長から後輩ちゃんへのプレゼントのことか? ははっ、お前宛のプレゼントとは質も量も違うもんな。愛の量の違いだろ、お熱いことで」
今日は一足早めのあるイベントのため、文芸部員5名のうち2年生男子2名、2年生女子1名、一年生1名の4人がこの場に揃っていた。
最後の2年生女子部員一名は残念ながら今日は欠席だ。
その欠席の連絡がつい先ほど入ったので、今いる四名でイベントを執り行うことになった。
イベントの趣旨は、昨月行われた女子部員から男子部員への贈り物への返礼品を男子部員から女子部員に渡すというもの。
贈り物の種類、「書籍」は返礼品への希望という形で指定されていたが、内容は男子組に一任されていた。
このため、今この場では文芸部部長の俺と佑樹、二人分の返礼品が、遥と一年生女子部員、二人の目の前に並び、開封されるところだ。
「あ? 分かって言ってんでしょあんた。部長のプレゼントについてじゃないっての。あと、炬燵の温度下げてよ」
「ならどういうことかはっきり言えって、回りくどい。……ほい、一個下げたぞ」
長方形のこたつを中心に、長辺左端に座る部長の俺から見て正面が佑樹の席だった。
お茶を配り終えて着席し、注文通り手元のスイッチで温度調節をしたばかりの佑樹は、鬱陶しそうにすぐ隣の遥を見やる。
佑樹の隣が遥。
そしてその遥の正面、俺の右隣に座っているのが1年生女子の後輩だった。
「えへへ。欲しかった単行本が三冊も。この一冊が部長先輩イチオシの本ですよね! 帰って読むのが楽しみです」
その後輩は、俺が渡した本を代わる代わる眺め、今晩の読書体験に思いを馳せているようだった。
それらの中身はいずれも主人公が道半ばで志潰えたり、すれ違いから起きた不幸な事故で登場人物の誰もかれもが破滅を迎えたりと、とても後味の悪い物語ばかりなのだけれど。
そうした内容こそがこの後輩の大好物だからしょうがない。
好きな物語を前にしてほくほく笑顔で喜ぶ後輩、うん、今日もとても可愛い。
「お、ほら見ろよ部長の顔。おもしれーくらいデレッデレに溶けてるぞ。文庫本1冊渡しただけのお前とは注ぐ愛が違うな」
「や、もうあれは慣れたって。二人が付き合うきっかけの話も聞いたし、あーあー、もうお幸せにーって感じなもんよ。
てか、話逸らすな。私が納得行ってないのはそこじゃないんだってば」
「あん?」
「バレンタイン10倍返しの刑に処された部長が後輩ちゃんに色々便宜を図るのは当たり前じゃん? そもそも恋人同士だし。
てか、私的には超読みたかった新刊本を文庫でもらって満足してるしさ」
「じゃあどこが気に食わねえんだよ? バレンタインのチョコレートプリンのお返しに男子部員から1冊ずつ、2冊も本をもらっておきながら我儘か? ん?」
おっと。
少しばかり後輩の笑顔に気を取られてしまっていたけれど、遥の心の怒りメーターが振り切れる音が聞こえ、視線を正面に戻した。
今日は二人のストッパーが来ていない。
二人のじゃれあいがヒートアップするようなら俺の後輩で抑えなければいけない。
「は? どこもなにも、あんたのよこしたプレゼントに決まってんだろうが! 舐めてんの!? 何この『乙女力の足りないあなたへ』って!」
「ふん、読まず嫌いとは読書家の風上にもおけねーな。超面白いぜそれ。ナメクジを食べて涙を流すシーンとかめっさ気持ちが上がる」
「読みたい気持ちますます失せたわ! てか、絶対タイトルで選んだでしょあんた!」
「お、そう思うってことは自覚あったんだな。意外や意外。ひゅ~」
「よし、表出ろや! 花のJK代表として乙女の敵たるあんたをここでシメる!」
早くも2人の間で火花が散る。
どちらが悪いと言われれば100%佑樹が悪いのだが、感情が高ぶると自分で抑えようとせず周りに頼るのは遥かの悪癖である。
ちらちらと横目で「仲裁して!」と訴えかけてくる遥に、俺と後輩は応じる覚悟を決めた。
とはいえ、部長の俺が頭ごなしに止めるのは少し待ちたい。
隣の後輩に目線を向けると、後輩は小さく頷いて応じ、正面の2人に話しかけた。
「先輩がた、今日はとても嬉しい日なんですから穏やかにいきましょう? 愛ですよ愛。そうですよね、部長先輩」
「そうだね。愛は偉大だ」
「ですね」「そうだね」
「「うっせえ! 黙って爆発しとけこのリア充バカップル!」」
適当なノリに任せたのが良くなかったのだろうか、二人を和ませるのに失敗してしまう。
というか、さっきまで落ち着いていたはずの佑樹からも逆ギレされてしまう。まずいことをした。
申し訳ないので、ここは普通に話しかけることにする。
「いや、ごめん。とりあえず二人とも落ち着いて。というか佑樹、今日はいつにも増して遥へのあたりが強いけど、何かあったのかな?」
遥と佑樹、二人がいがみ合うのは文芸部のいつもの光景だ。
佑樹がからかい、遥が激昂する。
遥かの性格から強くなりがちな言葉尻とは裏腹に本気の掴み合いやいがみ合いなどにはならない、お互いそれなりに弁えたじゃれ合いの延長。
けれど、その怒りやすい遥を既に怒っている状態でさらに煽ることは割と珍しい。
「え、俺? あー、分かっちまうのか。いやな、ちょっと失敗しちまったことがあってな」
佑樹は何故だか、少し困ったような表情で頬を掻いた。
「あんたが失敗するなんていつものことでしょうが」
「お前に言われたきゃねえけどな」
「ああん?」
「おう?」
また火が付きかけた二人の間に、後輩がどうどう、と割って入る。
「まーまー、先輩方。怒りすぎは体に良くないですよ。ほら、そう言う時は人魚姫の最期のシーンでも思い出してください」
「「人魚姫?」」
「そうです、目を閉じて、あのシーンを思い描いてください。希望を失い海の泡に消えた人魚姫に比べれば、今の怒りなんて些細なものでしょう?」
「……」
「……」
「……」
後輩に促され、二人が目を閉じたので俺も一緒に目を閉じる。
自らの想像の海を大きく広げ、その中に世界的に有名な物語を再生するのだ。
文芸部員の面目躍如、想像の世界に浸ると皆すぐに静かになる。
「……グスッ……」
人一倍感情表現が豊かな遥が小さく鼻をすする。
悲しみとともに身を投げた人魚姫に感情移入でもしたんだろう、目端に涙すら滲んでいた。
「その、悪かったな……遥。突っかかったりして」
人魚姫の内容というより、遥のその涙を見たせいだろうか。
一足先に両目を開けて遥の方を伺っていた佑樹が最初に謝罪を入れる。
頬を掻きながら、なんとも殊勝な面持ちだ。
「ううん、私こそごべん、佑樹。いつもすぐ煽りに乗っひゃって」
音を堪えて鼻をかむ遥を見て、俺は争いがおさまったことを知った。
上手くこの状況を作った後輩を褒めようと、俺はすぐ右隣を見る。
「ああ、良い……」
すると、二人の先輩をさし置いて一人、人魚姫の物語に陶酔した表情の後輩の姿が。
想い人に決して手が届かなかった人魚姫の悲痛とやるせなさを甘露のように味わっているらしい。
一人現実に帰ってきていない後輩の肩を叩いて「ふひゃあ」と声を上げさせると、その頃にはすっかり空気が落ち着いていた。
頃合いとみて、俺はぽんと両手を打ち鳴らした。
「そうだ、佑樹。あれ、買ってあるんだろう? ちょっと早いけど、今出したらどうかな?」
「おう、あれな! 佐倉が来ないから予定は狂っちまったけど、まあ普通に食べればいいだけだしな。遥! 手伝えよ!」
「あん? 面倒くさいわねー。今日のゲストって私と後輩ちゃんよね? ま、いいけどさ。冷蔵庫? 常温? 外?」
「外だな、あんがとよ」
「あーい」
のっそりと炬燵から出る遥と佑樹を見送ると、隣の後輩がくいくいと俺の袖を引いてきた。
「部長先輩、”あれ”って何ですか?」
「見てからのお楽しみ――というのが良かったんだろうけど、佑樹は遥にネタばらしするつもりだろうから、俺の方も言ってしまおうかな。まあ、要するにお菓子だよ。女子部員みんなに向けたお菓子のプレゼントだ」
「お菓子! あれ、でも私たち本のプレゼントはもう貰ってますよ? それだと貰いすぎじゃないですか?」
申し訳なさげに眉根を寄せる後輩に、俺は笑って手を横に振ってみせた。
「いやいや、そうじゃない。俺たちは、みんなにもう一つ貰ったものがあるからね。"謎解き"のプレゼントへの返礼は”謎解き”で、ということで、佑樹と俺で相談して、ちょっとした”謎解き”を用意させてもらっていたんだ」
「あ! なるほど!」
昨月、俺たち文芸部男子部員が女子部員三人からもらったのはチョコレートプリンというお菓子と、それにまつわる事件という名の"謎解き"だった。
ミステリー好きの俺達二人に向けた気の利いたプレゼントに、俺達も何かを返そうと相談し、用意したのが”あれ”こと、ある謎解き付きのお菓子だった。
「ただこれは、今日は来ていない佐倉を含めて文芸部員全員5人揃わないとちゃんと機能しない謎解きだから、今回は見送りだね。とはいえ、お菓子自体は問題なく美味しいと思うから、二人で食べて欲しい」
「ネタばらしってそういうことだったんですね。あ、お菓子の正体は秘密ですか?」
「現物を見ればわかるし、そっちは佑樹たちが持ってくるのを待とう」
「はい! ありがとうございます! とても楽しみです!」
うきうきした表情の後輩を見て、俺もとても温かい気持ちが胸の中に膨らんだ。
ついさっき、佑樹と遥のちょっとしたじゃれ合いのような諍いはあったけれど、あれも彼らの仲の良さの裏返しのようなもの。
だから、今日これからの時間が、文芸部員皆にとって楽しいものになると疑っていなかった。
「――――ふざけるなっ!」
それ故に、遥のその激昂に一番当惑していたのは、もしかしたら俺だったかもしれない。
「は? いや、どうしたよ遥。お前が切れやすいのは知ってるけどよ、こんなもん別に――」
「こんなもん? こんなもんって言った!? 佑樹にとってはそうなのね。ああ、もう本気で頭来た。帰る!」
それはいつもの遥の怒り方とは一線を画していた。
遥が佑樹の煽りに乗るときは、他の部員だったり友人だったり、遥の暴走を止めてくれる誰かに目線をやり、仲裁を求めてくる。
聞いたところによると、仮に周りの誰かが遥の怒りを抑えることに失敗しても、適当に言い争い、喧嘩別れした風にして、後から仲直りをするらしい。
つまり、本当にただのじゃれ合いなのだ。
しかし、今の遥は違った。
佑樹以外の人間は視界に入っていない様子で、慌てて声をかけた後輩の声すら聞こえていないようにずんずん玄関の方へ歩いて行ってしまう。
「部長先輩! 私、遥先輩を追いかけます!」
「頼んだ!」
後輩が遥の後を追うが、俺は心のどこかで、遥がここに戻ってくることはないのではないかと確信していた。
「何があったのかな、佑樹?」
「いや、分からねえ……本当に、分からないんだ」
首を横に振る佑樹。
そんな彼の手には、箱入りの5つのお菓子。
今回、遥を激昂させた事件の鍵となる、良く冷えた色とりどりのゼリーフロートが並んでいた。