お出掛け回[3-3]
屋敷を出るとそこは木漏れ日にキラキラ輝く林の中だった。上を向いてゆっくり歩いていると、横にイーサンが来た。
「おい、危ないぞ。上に何かあるのか?」
隣で一緒に見上げるイーサン。その横顔は太陽に照らされ青い右目がより美しく光っていた。
「なんだ?まだ寝ぐせが気になるか?」
「ううん。なんでもない。」
二人で感傷に浸っているところに今まで黙って先を歩いていたアイザックが振り向いた。
「お気持ちはわかりますが、今日は買うものが多いので早めにお願いします。」
にっこりと微笑む彼を見てイーサンは片方の眉をくいっと上げて私の手をとった。あまりにナチュラルに手をとられたのでアイザックに手元を見られ驚かれるまで二人は手をつないでいた。
「ごめんな、ここら辺は意外と足元危ない。エマは慣れていないしな。」
「ありがとう。」
なんだか目が合わせづらい。そうこうしているうちに私たちはいつの間にか林を抜けて広い原っぱのような場所に出た。
「お前はここら辺に倒れていたんだ。」
イーサンは先日私を拾った時を話してくれた。何より驚いたのは、ラディが私を連れて帰ろうと提案したらしい。
「さて、ここら辺ですかね。」
原っぱを出るとまた木々が生い茂っていた。屋敷の周りと違うのは軽自動車が一台通れるくらいの幅だけ木々はなく平らになっていた。アイザックはヒュウッと口笛を吹いた。何かを呼んでいるようだ。きょろきょろしているところに大きな車輪が転がる音がしたので目を凝らすと大きな馬車が向かってくる。今まで見たことのない綺麗な白馬が引いていた。
「いい子にしていましたか?ああ、この方はエマさんです。すみません、エマさん。見慣れない人を前に少々興奮しているようで…」
美しい白馬に私はアイザックの言葉を最後まで聞かずフラッと馬に近づいた。
「おい、危ない…!」
「大丈夫。怖がらせてごめんね、私はエマ。よろしくね。」
そう言って鼻づらを撫でると白馬はだんだんと優しい目つきに戻っていった。
「まったく。蹴られていたらひとたまりもなかったぞ。」
「本当に。あなたもよかったですね、アロン。」
アイザックが名前を呼ぶと答えるかのようにアロンがフンフンと鼻を鳴らした。
「さ、乗ってください。」
「えっと、御者は?」
「アロンは賢いので町までならしっかり連れて行ってくれますよ。初めて行く場所などは御者を雇うか私がやりますが。」
「アイザックさんが⁈何でもできるんですね。」
驚きと感嘆の声を漏らす私にアイザックは片方の口角を上げ皮肉っぽく耳打ちする。
「あのお二人のお世話をするんです。そのくらいできなければ。」
「早く行くんじゃなかったか?」
聞こえていたのかいないのか、先に乗り込んでいたイーサンが私たちを呼んだ。
馬車を走らせること10分ほどで河とその向こうに港が見え、色とりどりの建物が建っていた。木造の建物は少なく、道路は土の所々に石が埋めてあり整備されているようだ。文字は今まで見たことのないもので少しロシア語の形に似ている。
「…すよ、エマさん、降りますよ!」
窓に張り付いて景色を見ていたらいつの間にか着いていた。慌てて立ち上がった途端、馬車の天井に頭を打ちイーサンに笑われた。
「まったく。気を付けて。」
「はぁ~、久々にこんな笑った。大丈夫か?痛くないか?ほら、手を取れ。」
目のふちに涙を浮かべるほど笑ったイーサンは先に降り手を貸してくれ降りるとそっと頭を撫でてくれた。
「まずエマさんのお買い物に行きましょう。」
「おっさんとこか?」
「そうですね、お洋服や雑貨はあそこでいいでしょう。」
なにがなんだか分からないけれど、とりあえずはぐれないよう付いて行く。様々なものが売っているが、林檎や苺、見たことのある果物と野菜が見える中目を引く
食べられるのか疑わしい色のものもある。値段表記はローマ数字なので、なんとなくわかり少し嬉しくなった。
「エマ、大丈夫か?ちゃんと付いて来いよ。」
「うん。あのすごい色の果物?野菜?が気になって。」
「帰り買って帰ろう。」
「いいの?一緒に食べよう。ラディにもお土産だね。」
「そうだな。食わせてやろう。」
いたずらっ子のように目を光らせたイーサンに不安を覚えるが見なかったことにする。
「お二人とも、もう着きますよ。」
アイザックが指さす方向を見れば看板のないレンガ調の建物があった。ドア横にはいくつかの裸のマネキンが放置してあり、辛うじて服屋だとわかる。日本にあったら入りにくいといわれるような不思議な雰囲気だ。ドアベルを鳴らしながら入る3人の後ろを慌てて追った。
「いらっしゃ…なんだ、お前たちか。」
「こんにちは、フェルディナンドさん。お元気ですか?」
「おっさん、久々だな。」
「アイザック、その名前で呼ぶなと言っているだろーが。まったく寒気がする。」
3人は知り合いなんだろうか。親しげに話しているが、どこかぎこちない。
「あの、はじめまして。」
「ん?誰だこのチビ。」
私を見て眉を顰める。高そうなジャケットの中はワイシャツではなくTシャツなので少し胡散臭い。年齢は30代~40代で長髪を後ろでまとめている。目は、アイザックとおなじ吸い込まれそうな黒。しかし、アイザックと違って私を見るその目はギラついている。
「ああ、先日から家で預かっているエマさんです。」
「預かっている…?おい、アイザックちょっと来い。」
二人は薄暗い店の奥に入ると、コソコソと険しい表情で話し込んだ。私のことだろうか、ちらっとそちらを見るとフェルディナンドと呼ばれた人と目が合った。
「—人間—俺たち——また—」
聞こえてくる単語では何を話しているのかはわからない。ただ、何か嫌な予感というか不穏な空気が立ち込めていた。イーサンを見ると眉をピクピクと動かし苛ついているようだ。
「イーサン」
空気に耐えられず隣のイーサンを見上げた。
「心配しなくていい、あのおっさん俺たちの—俺とラディの叔父なんだが…昔色々あって俺らの家とほぼ絶縁してるんだ。名前はウェルニス=フェルディナンド。フェルディナンドって呼ぶなよ、機嫌が悪いとつまみ出される。みんな、ネレって愛称で呼んでる。」
お金持ちの家は何かとあるんだろう。私には想像もつかない何かが。そのうち、二人は店の奥から戻ってきた。
「まあいい、俺は関係ないからな。そんで今日はなんだ?」
「そうだ、俺たちが少女を預かろうがおっさんにはどうすることもできねえよ。」
皮肉たっぷりな言い方をして鼻で笑った。
「お前はいちいち腹立つな。」
二人は静かに火花を散らせていたところにアイザックが割り込んだ。
「いい大人が子供の前で何をしているんですか。今日は、エマさんのお洋服を2、3着見繕って頂きたく。こんな古めかしいドレスじゃかわいそうでしょう?」
「子供なんて何着たって一緒だろうよ。お前よかったな、こいつらの所に預かってもらえて。」
グシャグシャと雑に私の頭を撫でる手からは言動とは逆にお父さんのような優しさを感じた。
「女の子なんですから、お洒落したいですよね。」
「まあ、少しは…」
2020年の日本からしたら、今着ているドレスも十分かわいいのだがイーサン曰くこれは今どきじゃないそう。確かに町を歩いている女性たちはもう少しカジュアルなワンピースを着ていた気がする。
「子供服なんか滅多に出ねえからしまっちまったよ。待ってろ。」
もう一度店の奥に入ると何やら落としたり崩れたりする音がし、「いってえ!」という声も聞こえてくる。
「はあ、あったあった。」
彼が出してきた服はAラインのワンピースにマーメイド型、それに下にコルセットをつける本格的なドレスまである。
「わあ…」
思わず感嘆の声が漏れた私にアイザックが尋ねる。
「どんな色がお好きですか?今お召しになっている白いドレスもお似合いですが。」
好きな色…常々思っているが、好きな色や食べ物はその時の気分や目に入るものでだいぶ変わるのではないだろうか。きかれると困る質問トップスリーに入る気がする。
「んー。何色が似合うと思いますか?」
「そうですね、黒や赤なども似合いそうですが大人っぽすぎる気がするので、ここは淡い色を試してみてはいかがでしょうか。」
さすがはアイザック。すらすらと答えてくれる。それを見ていたイーサンがクックッと楽しそうに笑う。
「とりあえず全部着てみたらどうだ?」
数十着あるのになんて提案を。このいたずらっ子のような目にはなぜだか嫌と言えない。アイザックのほうを見るとこちらも目を輝かせて私を見ている。
「時間、かかりそうですけど…」
「エマさんのためのお買い物なんですからいいんですよ!」
これはもう何を言ってもダメそうだ。ウェルニスさんに助けを求めて目くばせしてみるも、
「あいつら、女の服見繕うのが久々ではりきってんだ。俺は奥で仕事してるから勝手にやっててくれ。」
もうこちらに丸投げだ。私は全部試すことにした。
「フィッティングルームはどこですか?」
「あ?ああ、そこのカーテンのところだ。鏡もある。」
カーテンを開けると少し黴臭い湿った物置になっていた。
「1着ずつ渡していくので1着脱いだら交換という形にしましょう。」
アイザックは既に何着か両手に抱えている。短く息を吐いてカーテンを閉めドレスを脱いだ。
「1着目いきますよ。」
カーテンの隙間からピンク色の可愛らしいレースたっぷりのドレスが差し出された。それを着てカーテンをそっと開けると鼻唄をうたうイーサンと仁王立ちのアイザックがいた。
「ど。どうですか?」
「おっ!可愛らしいじゃないか。」
「女の子らしくて素敵ですよ、エマさん!そちら買っていきましょう。」
「まだ1着目ですよ。」
「似合うものは買うべきです!」
「そうだ。全部買ってもいいくらいだ。」
なんだか一夜明けて全員の緊張が解けたようだ。同時に私への笑顔も昨日と違って娘や妹に向ける温かいものになった。
それから、本当に(たぶん)出ていたすべてのドレスやワンピースを試着した。今日はよく眠れそうだ。アイザックとイーサンが真剣な面持ちで買う服を厳選している。顔が整った男性二人であーでもないこうでもないと女の子の服をしかも自分のものを選んでいるのを見るのはフクザツだ。
「私は、その白いワンピースだけあればいいです。」
「私もこれは本当に似合っていたと思います。あとは…これと、イーサン、それも。」
「俺はこれと、そこのトパーズブラウンの。あと、最初のピンクだな。」
「決まりましたよ。この六着です。」
最初に予定していた数の倍になってしまった。嬉しい気持ちもあり、申し訳ない気持ちもありでおずおずとお礼を述べた。
「あの、ありがとうございます。でも2、3着でいいです。」
「どれも似合っていてもうこれ以上絞れない。」
イーサンはそう言って私の頭をポンポンと優しく撫でた。私はあきらめて、こんどは素直にお礼を言った。その時、ちょうどいいタイミングで奥からウェルニスさんが出てきた。
「決まったかー?って、2、3着って話はどうした。やけに多くねえか?」
眉をくいっと上げて二人が抱えてる服を見るとおもむろに2着、アイザックの腕から引き抜いた。
「この緑は形がチビが成長した時に合わなくなる。やめとけ。こっちの黒は生地が薄いから、これからの季節に不向きだ。やめとけ。」
さっきまで全く服屋らしさが感じられなかった人が真剣に服を見る。イーサン達の叔父さんなだけあってか恰好いい。
「ほら、代わりにこっちのコートにしな。どうせコートやアウターも古いんだろ。」
すべての服に合いそうなブラウンのコートを投げて寄越した。
「…おっさん、本当に服屋なんだな。初めて実感した。」
イーサンは感心したように口を開いた。
「てめぇは一言多いんだよ。」
ウェルニスさんは舌打ちしながら右の口角は上がっていた。そこに割って入るかのようにアイザックが会計を促した。
「それではこれらを買って帰りましょう。お願いします。」
「おう。35,260ヴェラだ。どーも。」
ヴェラというのがここの通貨なようだ。初めて聞く通貨だ。
「おい、親族割引はないのか。」
「てめぇがもう少しお利口にしてりゃあったかもな。」
「は?俺は十分お利口だ。」
「てめぇがお利口なら、このチビは天使か何かか?」
その時「クウゥ…」と私のお腹がなってしまった。恥ずかしくて顔に熱が昇ってくるのを感じる。
「ふっ、ふふふ。エマさん、ナイスタイミングです。この二人はこうしていつまでも言い合いますから。」
「そういえば腹減ったな。さっさと出て食事にしよう。ほら、釣りはいらねえよ、おっさん。」
「ほー、ありがとさん。」
二人が店を出たところを慌てて追いかけようとすると、ウェルニスさんに肩をつかまれ手に何かを握らされた。開いてみるとそれはお金だった。
「えっ?受け取れません!」
「それはさっきイーサンが置いて行った釣りだ。お前の小遣いにしときな。絶対にイーサンには言うなよ。」
数枚のコインをもう一度私の手に握らせると、ほれ。と背中を軽く押された。出る直前、耳元で「ご贔屓によろしくな」と囁いた彼を振り返るとニヤッと笑っていた。