整える存在
お布団干して、ふかふかにしよう。
汚れたシーツは洗ってね。
鶏たちも心地好い環境を求めてる。
兄弟が殺される瞬間を見たあの日から、私は何だか気分が晴れなくて、下を向いていることが増えた。
足元の木屑をつついて気を紛らわしていると、遠くに人間の気配を感じた。
頭をもたげて見ると、人間が何か道具を持って動いているのが見えた。
あれは、何だろう?
大きなフォークのような形をしている。
それで、私たちの立つ地面を掘り起こしているようだ。
何の意味があるのか?
ここに来てすぐの頃、私たちの生活空間は木屑を敷き詰められていた。
少し前に話したとおり、私たちはこの木屑の上に排便し放置せざるを得ない。毎日、毎日、糞便をし続けた。
糞便は、身体の成長と共に増量する。
最初のうちは、木屑に紛れて消えていた糞便の存在感も、徐々に表に現れてくる。
そうしているうちに、木屑よりも糞便の方が多くなった。
今、我々は正真正銘、糞の上で生きている。
そんな私たちの糞便を、人間が必死でかき混ぜている。
なんと滑稽なことか。
やがて作業をする人間は、私の立つ場所まで来て、更に部屋の奥まで進んで行った。
もちろん私はフォークにぶつからないよう避けたのだが、間近で見た人間は額から指先まで汗でびっしょりだった。
あぁ、そういえば、私たち兄弟姉妹は汗がかけないらしい。
ある日少し暑い日があって(空調も完全ではないらしい)、私は翼を広げて脇下に風を通していた。
その時に気づいたのだ、汗をかいていないことに。
確かに暑かった。 通常ならまぁ、多少の脇汗くらいはかいている。風が少し吹いただけで涼しさを感じるはずだった。
なのに、私の脇はうんともすんとも水分を発しない。
汗をかけない私たちを、熱中症にせずに育てるのは繊細な空調による調整が必要だろう。
さらに今、人間は汗だくで、恐らく私たちの床面環境を改善しようとしているのだ。
人間が掘り起こした後の地面はふかふかで心地が良かった。
先程まで、ただぼんやりとしていた兄弟たちも、こぞって砂浴びを始めたり、地面を足で掻き分けたりしている。
みんな機嫌が良さそうだ。
なんて現金なんだろう。
兄弟が殺されてしまった事実に落ち込んでいるのは、私だけのようだ。
人間は、兄弟を容易く殺す存在であり、こうして私たちの住環境を整える有難い存在でもある。
悲しむべきか、喜ぶべきか。
そして私のこの複雑な気持ちを理解してくれる存在は、この部屋のどこにもいないのだろう。
生まれてから25日目