命の選別
選ばれるのは、君か、私か。
足を引きずって歩く兄弟を見つけた。
座り込んで動かない兄弟を見つけた。
冷たくなった兄弟を見つけた。
そいつらは、皆人間に連れていかれた。
何処に行くのか、その時の私には分からなかった。
私はただ、ぼんやりと見上げていた。
脚を掴まれてバタバタ羽をバタつかせながら連れていかれる兄弟を。
殺されていたんだと気付いたのは、随分経ってからだった。
この日、私は朝からお腹の調子が悪くてあまり動きたくなかった。昨日暑くて水を飲みすぎたせいだろうか。
下痢を一通りした後、隅っこに座り込んでおとなしくしていた。
そこへ人間がズカズカとやってきて、兄弟たちは慌てて道をあけた。
私も兄弟たちに倣って立ち上がり、のそのそと脇へ退いた。
その時だ。
私のすぐ横に座っていた兄弟が、立ち上がらなかった。
顔色が悪くて目が虚ろだ。
呼吸音もおかしく、肺炎を伴う重度の風邪だったのかもしれない。
人間はその兄弟の両羽を後ろ手にして無造作に掴むと、何てことない事のように兄弟の頭を引っ張った。
一瞬の出来事だった。声をあげる暇もない。
頭が抜けたんだと思った。
兄弟は羽と脚を激しくバタつかせた。
それは、人間の手から逃れようと抵抗する際のそれとは随分違って見えた。
不規則で意思を感じられない動き。
あぁ、あいつは助からない。殺されたんだ。
私はそう理解した。
あの兄弟は、殺されずとも、あのままでは明日か明後日には自然と死んでいただろう。ここには風邪を治す為の病院どころか、常備薬のひとつもないのだから。
これだけの兄弟姉妹がひしめき合って暮らしていれば、不調を訴える者も、その後死んでしまう者も出てくる。
当然の結果なのかもしれない。
もし私たちが野生動物のように自由に自然の中で暮らしていた場合、今よりも更に死んでいるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それは分からないが、ここには私たちの命を選別する存在がいる。良くも悪くも。
「良くも悪くも」とは、どういうことか解ってもらえるだろうか。
先程殺された兄弟にとって、どちらが良かったのかは、そいつの気持ち次第だ。
今、一思いに殺されるか、これから数時間或いは数日かけて息絶えるまで苦しむのか。
私だったら?
答えはすぐに出せそうにない。
願わくば、最後まで生きたい。
その『最後』が、どのような結末であるかは、まだ分からないが。
命を扱う仕事では、時折このように選択を迫られることがある。
毎日どこかで、誰かが命の選別をしている。
喜んで生き物を殺す人なんて、滅多にいない。
みんな心を痛めている。
自分が生計を立てるため。
これを悪と呼びますか?
生まれてから23日目