眺望編
私の甲板から、沢山の飛行機が飛び立っていく。
金属製の機体が煌めいて、蒼い空を舞う。
刹那、機関銃の音。
何処からともなく現れた、別の飛行機の群。
私から飛び立った飛行機達は、そいつらと戦い始める。
一つ、空中に散華してオレンジ色の花を咲かせ、また一つ、海に墜ちて黒煙を上げる。
海面には墜ちた飛行機の、油の輪が浮かび上がる。
綺麗なラインを描いて、飛行機乗り達が戦う。
なんて綺麗で、なんて恐ろしい景色なのかしら。
その時、雲の間をすり抜け、一機の飛行機が私に向かって、一直線に降りてくる。
飛行機はそのまま速度を上げ、私の甲板に----
………
……
…
「ん……」
私は目を覚ました。
改造されてから、しょっちゅうあの夢を見る。
最後は決まって、あの飛行機が私の船体に突っ込んで、目が覚める。
空を見上げると、少し前に飛び立った水上機が帰ってきた。
多分、“中尉”だ。
エンジン音が止まり、水面に降り立つ。
私の名は『若宮丸』。
「丸」というのは、日本において船につける名称だけど、男性を表す言葉でもあるらしく、私自身は普段、若宮と呼ばれている。
元々はイギリスの生まれで、『レキシントン』という名の貨物船だった。
日露戦争の最中に拿捕されて以来、日本軍の運送艦として働いていたけど、今では水上機を戦地まで運ぶのが仕事。
あの夢みたいに、私自身が戦場に立つことは無い。
飛び立った水上機が無事に帰ってきて、乗員の回収が済むと、ホッとする。
それから、気分が良くなって、自然と歌を口ずさんでしまう。
他の船魂たちは、私は歌が上手いと言うけど、あまり自覚は無い。
私から見れば、船魂はみんな声が綺麗だと思うけど。
「黒い瞳の 若者が 〜♪」
歌いながら、船尾へ向かって気ままに歩く。
三番辺りまで唄ったとき、船尾で海を眺める人がいるのに気づいて、声が引っ込んだ。
“中尉”だ。
モーリス・ファルマン水上機操縦士の一人で、私たち船魂の姿が見える人間。
“中尉”は、私の方をチラリと見た。
黒い瞳が私を見つめ、再び海に視線を戻した。
「続きを、唄ってくれ」
海を見たまま、“中尉”は言った。
少し恥ずかしかったが、言われたとおりに先を唄う。
「緑の 牧場で 踊ろうよ〜 私の 愛する 黒い瞳 ♪」
ロシアの歌、「黒い瞳」。
日露の戦いで鹵獲された、ロシアの船魂たちが唄っているのを聞いて、覚えた。
テンポはやや暗いけど、内容は甘い恋の歌で、私は好きだ。
青い目の多い国の人間は、黒い瞳に魅力を感じることが多い。
私も、最初に黒い瞳を見たときにはドキリとした。
その中でも“中尉”の瞳からは、何か特別な物を感じる。
“中尉”は空から帰ってくると、いつもここで海を眺めている。
それが、この人にとって一番大事な時間らしい。
「すみません、お邪魔をしてしまいました」
「いや、お前なら構わないさ。今のは、何ていう歌だ ? 」
「『黒い瞳』……ロシアの民謡です。第二戦隊の人たちが、よく唄っているので……」
「やはり、船魂も故郷は恋しいか」
“中尉”がそう言ったので、私の心に疑問が浮かんだ。
「……中尉、もしかして私たちを、哀れんでいるのですか ? 」
すると彼は、青白い顔に微かに笑みを浮かべた。
「哀れんでほしいか、若宮 ? 」
「いいえ。そういうのは、嫌いです」
「俺もだ」
“中尉”は珍しく、歯を見せて笑った。
私も笑った。
この人は結構、私たちのことを分かっている。
「もっと何か、唄ってくれ」
「えっ……」
「嫌か ? 」
嫌どころか、少し嬉しい。
ただ、凄く照れくさいけど。
「いえ、中尉が聞いてくださるのなら……」
……私は、日本は好きじゃないし、祖国は懐かしい。
けれど、今の自分の境遇を、嘆いてばかりはいられない。
私たちは、船の守り神なのだから……そのプライドが、そうなることを許しはしない。
………
その翌日も、“中尉”は飛び立つ。
ファルマン機が海面に下ろされていくのを眺めていたとき、誰かが私の肩を叩いた。
「遊びに来たよ、若宮」
「あっ、松江さん」
ロシアのスカーフを纏った、短髪の女性。
私と同じ、第二艦隊の付属艦『松江』の船魂だ。
「今日も、偵察任務 ? 」
「はい、爆弾も投下するそうです」
「砲弾を改造した奴でしょ。そんな物落とすだけで、敵艦を沈められるの ? 」
「無理でしょうね。けど、精神的な恐怖を与えることはできます」
そう言うと、松江さんは納得したようだ。
「なるほど、確かに空からそんなものが降ってきたら怖いわ」
その時、エンジン音が鳴り響き、ファルマン機が水面を滑走した。
そして、飛び立つ。
「おー、飛んだ飛んだ。若宮の飛行隊のおかげで、私たちも青島湾内の戦力を知ることが出来たし、みんな助かってる。高千穂さんの仇を討てるって、はしゃいでる奴もいるわよ」
ドイツ軍の雷撃で沈められた防護巡洋艦、『高千穂』。
鹵獲された艦の多い第二艦隊だけど、彼女は日本製の艦だった。
物静かな人で、他国出身の船魂にも優しくしてくれた。
「……高千穂さんの死は、みんなが悲しんだし、みんなドイツを憎んでいた。けど、私たちが敵艦を沈めれば、ドイツの船魂たちは、同じように私たちを怨むでしょう」
「……ええ」
「結局、何か意味があるようには思えませんね」
「……なんだか最近、冷めてるわね。何かあったの ? 」
松江さんは、心配そうに私の顔をのぞき込む。
どうも“中尉”の前と、他の船魂の前では、態度が変わってしまう。
「悪い夢を、見るんです」
「どんな夢 ? 」
「航空機の母艦が発達した夢なんですけど、それで敵の飛行機も味方の飛行機も、どんどん死んでいくんです。なんか、私が造られたせいで、戦争に拍車がかかっちゃうんじゃないかな、って……」
「……うーん」
松江さんは腕を組んだ。
「そういうことも、もしかしたらあるかもね。でもさ、若宮が悩むようなことじゃないよ。いや、そういうこと考えるのは大切なことだけどさ、若宮は艦魂の役目を果たしなよ」
「役目、ですか……」
「うん、大切な人がいるんでしょ ? だったらその人を見守りながら、前向いて生きていけばいいじゃん。沈むか解体されるとき、自分は背筋伸ばして生きたぞって言えれば、それでいいんじゃないかな ? 」
彼女は、結構良いことを言う。
船魂の在り方を分かっているというか、そんな気がする。
「そう、ですよね」
「そうだよ、背筋のばしなよ」
……その後は“中尉”が帰ってくるまで、松江さんと話し込んでいた。
ロシアの意匠に花が多いのは何故かとか、イギリス人は何でこんなに紅茶が好きなのか、とか……
他愛もない話題だけど、楽しい。
いつ別れるか分からない仲間との、大切な時間だから……
“中尉”は帰還後、いつものように船尾で、波を眺めていた。
「空中戦をしたんですね」
「ああ、散々だったよ。性能も技量も、違いすぎる」
「大丈夫なのでしょうか ? 」
「戦況を考えれば、後は艦砲射撃と陸軍さんの歩兵部隊で、カタをつけられるだろう。上の連中には、もっと航空部隊の実績を作っておきたい奴もいるだろうが」
実績……
私のような艦を、もっと造るためだろうか。
「……どうした ? 」
私が自然と下を向いてしまったので、“中尉”は尋ねてきた。
松江さんに言われて吹っ切れたと思ったけど……やっぱり、“中尉”の考えも聞いてみたい。
「私……最近、夢を見るんです」
「夢 ? 」
「はい。……自分の船体が、滑走路のような船になっていて、そこから沢山の飛行機が飛び立って行くんです。そして、敵の飛行機と戦って、敵も味方も次々に墜ちて……それがとても怖くて、とても綺麗で……」
“中尉”は無表情で、私の話を聞いていた。
「私、空が怖いです」
「俺もだ」
「でも人間は、そんな空も支配しようとしている……人間も怖い」
「ああ、そうだな」
“中尉”は頷いた。
やっぱりこの人も、怖いんだ……
「だから俺は、飛びたいんだ。操縦桿を握っている間は、そんなことは気にならなくなる」
「飛ぶのって、そんなに凄いんですか ? 」
「凄いさ」
……私には、中尉の気持ちは分からない。
私自身は、空を飛ぶことなど出来ない。
飛べる中尉は、本当の怖さを知っているし、「凄さ」も知っているんだろう。
それに……
空を語るときの“中尉”の目は、輝いている。
戦争とか国とかよりも、ただ空を愛しているんだ。
「……私も中尉と一緒に、飛べたらいいのに」
自然と、そんな言葉が漏れていた。
「俺も、お前を乗せてやれたらと思うよ。……蒼い海原で踊ろうよ、俺の愛する青い瞳……なんてな」
“中尉”はふと思いついたように、そんなことを言った。
「……日本人もそういう冗談が言えるんですね」
私は笑うことで、照れくささを紛らわせた。
どうもこの人は、東洋の価値観と共に、西洋的な「洒落っ気」も持っている気がする。
「だがお前にはここで、俺の帰りを待っていて欲しい、って気持ちもある」
……ああ、そうか。
それが私の役目なんだ。
「……私も一番嬉しいのは、飛び立った飛行機が……貴方が帰ってきたときです」
“中尉”は鼻の頭を掻いた。
本人は無意識かもしれないけど、もしかしたら照れているのかも。
「だから、何だ、これからも宜しく頼む」
「はい、中尉」
なんだか、完全に吹っ切れた。
松江さんが言ったように、背筋伸ばして生きて行けそうだ。
中尉の隣で、私は自然に歌い始めていた。
今後、この蒼い世界で、多くの命が散っていくだろう。
でも私は、自分の運命からは逃げない。
私は船魂なのだから。
…
『若宮丸』
世界で初めて実戦に参加した、水上機母艦。
元はイギリスの貨物船『レキシントン』である。
青島攻略に参加し、日本海軍初めての航空作戦を行った。
第一号だけに水上機母艦としての性能は低かったが、航空機を運用する艦の有用性を証明した実験艦としては、成功を収めたと言える。
艦魂
長い茶髪に、青い目の少女。
本人はあまり自覚は無いが、美声の持ち主。
やや冷めているものの、“中尉”に対しては多少情熱を見せる。
『松江』
第二艦隊付属艦。
元は日露戦争初期の戦闘で自沈し、日本軍に引き上げられたロシアの汽船『スンガリ』。
スンガリとは中国東北部を流れる河の名で、同じ河の日本名である『松花江』から『松江』と命名された。
艦魂
ショートカットで、割と社交的。
日本という国を割と気に入っているが、その一方で祖国ロシアの行く末を案じ、祖国を忘れないためにスカーフを纏っている。
流水郎「最初は“中尉”視点の話だけを計画していたのですが、若宮の影が若干薄いのと、ボリュームの問題から若宮視点とのセットにしました」
絹海「あくまでも、実験艦的な存在だったんですね」
流水郎「まだ航空機が海戦の主役になるとは、予想されていなかっただろうからな。でもこの数十年後には、ジェットだ ! 音速だ ! ミサイルだ ! ……っていう時代がくるわけだけど」
小夜「そう言えば、平成の日本には空母は無いんだよね ? 」
流水郎「ああ。回転翼機を運用するための、DDHっていう護衛艦は開発されてるけどな。今の日本が空母を持つのは、政治的事情よりも物理的事情で不可能なんだよ」
絹海「そうなんですか ? 」
流水郎「二等海士長先生から聞いた話じゃ、海上自衛隊は殆どの艦が乗員の充足率80%以下ってくらい、人手不足だそうだ」
絹海「なるほど、空母を動かすには数千人は必要ですからね。それに戦略的には、複数保有してないと意味無いですし……。作者さんは平成の日本に、空母は必要だと思いますか ? 」
流水郎「いらんわ」
絹海「……言い切りますか」
流水郎「造ったところで、中国と張り合う前にアメリカのパシリに使われるのがオチさ。税金の無駄遣いだよ」
小夜「あらら」
流水郎「国防は確かに大事だし、アメリカに守ってもらえばいいと思ってる連中はぶん殴ってやりたい。けど農学を志す者として本音を言わせてもらうと、空母をどうのこうのとか言う前に、食糧問題に関心を持って欲しいんだ。日本の食糧自給率は現在40%で、残り60%は外国に依存している。日本の農民は苦しんでるんだよ。後継者不足は多少改善の兆しもあるが、それでも大変なんだ。空母を造ったり、馬鹿高い戦闘機(F-22)を買ったりする金があるなら、農業と食料の問題を解決することに使って欲しい。金の力で何でも出来るわけじゃないけどさ」
流水郎「それに俺、正直に言うと中国好きなんだ。無論、政治じゃなくて文化の意味で。中国製食品への毒物混入とか見てると、悲しくなる。俺は同じアジアの農耕民族として、彼らを助けたいんだ。日本人にも中国人にも、農業は人の命を守っているということを想い出させたい。平和ボケした典型的な日本人の戯れ言と思われるかも知れないけど、平和ボケって言葉はスカイ・クロラを読んでから使って欲しいなー、と」
流水郎「さて、次回は東郷平八郎が登場する……かもしれない」
絹海「なんの船の話なんですか ? 」
流水郎「内緒」
小夜「それでは、次回もお楽しみに ! 」
流水郎「あ、ちなみに艦魂抜きの戦記を書く可能性も高いので。実を言うと俺が得意なのは海戦じゃなくて、空中戦か剣戟なもんだから……」
ちょっくらスカイ・クロラについて語らせていただきます。
読み飛ばしても結構です(爆)
レシプロ機が発明されたときから、その性能に限界があることは分かっていました。
その解決策の一つとして考えられたのが、『震電』のような推進式戦闘機です。
ライトフライヤーや、この話に出てきたモーリス・ファルマン水上機も同様の推進式ですが、それを更に洗練された設計の機体に使うことで、牽引式を上回る空戦能力を生み出すはずでした(空気抵抗が減る、安定性を犠牲にすることで機動力が向上する、など)。
しかし実際には、ジェット戦闘機の発達という革命が起こり、震電のような戦闘機は幻に終わりました。
スカイ・クロラでは「五十年前の戦争のとき、ヨーロッパでジェット機の研究はされていたが、実用に耐えうる物はできなかった」という記述があり、代わりに推進式の戦闘機が発達しています。
実際、主人公たちの乗る『散香』は震電をモデルにしたと思われるデザインです。
空戦シーンも素晴らしいですが、「平和ボケ」という言葉について結構考えさせられるストーリィです。
平和のありがたみを一般人に認識させるため、企業の手によって日夜『ショーとしての戦争』が行われています。
ショーと言っても、普通に人は死にます。
平和って何だ ? 平和ボケってどういう意味だ ?
そんなことを考えさせられる物語です。