異世界転移しても地味子は地味子なんです
この作品は、アンリさま主催「クーデレツンジレドンキュン」企画の参加作品です。
クール、ジレジレ、壁ドン、顎クイ、が含まれます。キュン……はあるはず。
一体どうしたものか。
経験値にない出来事を前に、私は思案した。
豪華だが落ち着いた色調と装飾は、この部屋の主の性格を表している。そしてその主はといえば、私の目の前にいた。
至近距離に吸い込まれそうな青い瞳。
数センチ先には高い鼻、長いまつ毛の一本一本まで見える。
顔の横には二本の腕。思ったよりもたくましい腕と壁についた手の大きさに心臓が跳ねる。
落ち着け。落ち着こう、私。
なんでこんなことになったのか、冷静に思い出してみよう。
大きく深呼吸。すぅ、はぁ。
よしよし。ちょっと落ち着いてきた。
私、平田 奈美子。
ずっと成績は上過ぎず下過ぎず。運動もぱっとしないけど絶望的でもない。
背も高くもなく低くもなく。太ってもいなければ痩せてもいない。
美人じゃなければ、可愛くもない。
地味まっしぐらな地味 地味子。
なんと。そんな私が今、超絶イケメンの王子さまに、あの漫画やドラマなどで有名な壁ドンをされているのだ。
「君のその、大きくない瞳。低い鼻。薄過ぎず、厚過ぎない唇。高くない身長。大きすぎない胸。長くない手足。ため息が出るほど完璧で美しい」
王子様が私を褒めたたえる言葉の数々。うん。褒める風を装ってディスっている。
ところが実はそうじゃない。
これは褒め言葉なのだ、悲しいことに。
「フィリップ殿下。お気持ちは嬉しいですが」
私は溜め息を吐いた。フィリップ王子のきらきらしい顔から視線を逸らし、地面に落とす。私の足先にほとんど触れている大きな足先が見えた。
「やはりな。私のような平凡な男より美しい兄たちのほうがいいのだろう?」
平凡な男。
これを聞けば、なんて違和感のある自己評価だと思ったことだろう。正解だ。
私は顔を上げて、目の前のフィリップ王子をしげしげと見つめる。
目にも眩しい金髪と吸い込まれそうな碧眼。すっと通った鼻。大きくて、長いまつ毛に縁どられた目。ハリウッドの映画スターのような整った顔立ち。高い身長にすらりとした手足。
透き通るような白い肌は、私よりもきめ細かいんだから嫌になる。
フィリップ王子のいう、美しい兄殿下さまたちも確かにイケメンだ。でもフィリップ王子ほどじゃない。
「違います。殿下はお綺麗です。その、私がこの世界の人間じゃないこと、知っていますよね」
「当り前だ。君をこの世界に召喚したのは私たちなのだから」
そう。俗にいう異世界召喚。私はそれを受けたのだ。
目立たず平均的な成績で、普通の公立高校に通い、人並みな大学を卒業して、一般的な中小企業に勤め、そこでも足を引っ張らず、かといって皆を引っ張るようなこともせず。
それなりに友人もいて、同僚ともそつなく付き合い、でも彼氏はいない。
そんなごく平凡なOLをやっていた私が召喚された。
なにやら私の超絶地味っぷり、平々凡々っぷりが、この世界には必要なんだそうだ。
最初は意味が分からないって思ったけど。
しばらくこの世界で過ごしてみて、なんとなく分かってきた。
まず。
今目の前にいる王子様をはじめ、この世界の人は皆、美男美女。
王様、王妃様はもちろん。
私を召喚した魔法使いさんでさえ、知的で落ち着いたイケメン。私の世話をしてくれる侍女さんたちだって眩しくて眩しくて。お世話してもらうのが申し訳ないほどだ。
男女ともにすらりと手足は長く、目鼻立ちはくっきり。髪はつやつや、肌はなめらかすべすべ。
男性はたくましく。女性はボンキュッボン。
王宮どころか、町に住む庶民の町娘Aや商人Bの人たちでさえ、みーんなモデルや俳優さんみたいなのだ。
ちなみに見た目だけじゃなくて、身体能力も半端ない。片手で牛や馬だって持ち上げられるし、魔法だって使えるのが当たり前で、空だって飛べる。生活も、家電の代わりに魔法が全て賄っている。
こんな世界で私みたいな何の取り柄のない人間が、一体全体どうして必要とされたのか。
ちなみにこの世界に来たからと言って私に何か特別な力が目覚めたとか、女神に特別な力を授けられたとかなんてことはない。
私は地味 地味子のままで。だからこそ必要とされた。
なぜなら。
私から見て、この世界の人は人間じゃないくらい容姿端麗、何でも出来る。
けれど、そのせいで世界の力がどんどんヒートアップしてしまって、このままだと耐え切れずに破滅してしまうんだそうだ。
そこで必要なのがこの私。
超絶平均点である人間ってわけ。
なんでも私みたいな存在がいると、高まっていく世界の力を落ち着かせるというか、薄めることが出来るらしい。
だから世界の危機が近づく度に、異世界から私みたいな地味で平凡な人間を召喚する。
ああなるほど。救世主だから褒めたたえられてプロポーズされてたのかと思った? 半分正解。半分不正解。
なにせこの世界の基準が、基本的に元居た世界と違う。
美男美女、容姿端麗、才色兼備、文武両道。そんな人たちばかりのこの世界では、私みたいな人間こそが完璧な人間なのだ。
つまり、大きくない瞳。低い鼻。薄過ぎず、厚過ぎない唇。高くない身長。大きすぎない胸。長くない手足。
これらは全部誉め言葉。
なんと私はこの世界で絶世の美女。容姿も身体能力も限りなく普通、魔法も使えないという、地味で平凡な人間ほど完璧超人なのだ。信じられないことに。
さらに。いるだけでも救世主の役割を果たすらしいが、結婚して子孫を残すと、よりご利益が上がるというか……世界が長く安定するらしい。
だから。
私はもう一度王子様を見た。
うぐ。近い。
じゃなくて。
目を瞑って、再度、深呼吸。それからゆっくりと目を開けた。
「あのですね。私の世界の基準ではフィリップ殿下は美人さんです。それも超がつくほどの美形です。どちらかというと、兄殿下の方が地味です」
フィリップ王子が、私にこんなに熱烈に迫ってきてくれているのも、そのせい。自分のことを地味で不細工な男って言っているのも本心。それがこの世界の常識だから。
私の世界の基準で美しい人ほど、この世界では地味で醜いのだ。
「しっかりなさってください。殿下まで私の容姿に惑わされるんですか。それともわざと嫌われようとなさってます?」
この世界に来てから、私は非常にモテた。この世界でいう絶世の美女だというせいだけでなく、救世主という存在ゆえにこの世界の人は老若男女、私に惹かれる。色んな人に美しいと褒められて、プロポーズもされた。生まれて初めてちやほやされて、お姫様みたいに扱われて。
はっきり言って、非常にキモチワルイ。
普通なら喜ぶかもしれない。でも私は根っからの地味 地味子。それは外見だけじゃなくて、内面もだ。
ちやほやなんてされたくない。
どこにいても何をしても注目されるなんて最悪。
歯の浮くような口説き文句なんて、願い下げだ。私にとって、甘い口説き文句という皮を被ったディスりでしかないわけだけど、どっちにしろ嫌だ。
そんな私に唯一冷たかったのがフィリップ王子。
「ふん。バレたか」
フィリップ王子の青い瞳が、いつもの冷たい色に戻る。真剣な表情は、むすっと不機嫌そうなものにとって代わった。
「分かったらいい加減ここには来るな。迷惑だ」
突き放すような物言いが、ちくりと私の胸を刺し、そこからじわりと哀しみを広げる。
迷惑、だったんだ。
毎日毎日、嫌になるほどのプロポーズやら、歯の浮くような言葉の羅列にうんざりだ。ただ一人、プロポーズにも褒めちぎり(ディスり)合戦にも加わらないフィリップ王子の態度は、私にとって救いだった。
出来ることなら元の世界のように地味 地味子でいたい。平々凡々な人生を謳歌したいのだ。
しかしこの世界でそれは叶わない。
だから私は告白合戦に疲れたりストレスがたまる度に、フィリップ王子の元に避難した。
この世界で超絶地味な容姿、私にとって超絶美形のフィリップ王子は、いつも仏頂面で私を匿ってくれた。フィリップ王子だけは一言も私の容姿を褒めず、口説くことも特別扱いもしない人だったから。
私が押し掛けると、熱のない瞳でじろりと見て、「また来たのか」とだけ言ってお茶を出してくれる。それが嬉しくて。
ただ本をめくる音とペンを走らせる音だけに包まれた部屋が心地よかった。
でも、そんな風に思っていたのは私だけだったんだ。
「嫌です。私、殿下の所に押し掛けるのをやめるつもりありませんので。こんなことをしても無駄ですから、そろそろ離れてもらえますか」
私は硬い声で、フィリップ王子の胸を押した。
馬鹿だな、私。
壁ドンされて、真剣な顔で迫られて。本当は嬉しかった。つい期待してしまったんだ。
嫌でも、迷惑でも、もう少しだけ、あなたの所に逃げ込ませてください。
そんな風に言わないで下さい。
殿下は迷惑かもしれないけど、私は殿下の側にいたい。
そう言ってしまいたい。けど出来ない。そんなことをしたらきっと余計に迷惑がられてしまう。拒絶されてしまう。それは嫌だ。
だから感情を私は押し込めて何でもない顔をする。
王子さまの目元がピクリと小さく震えた。そのまますぅっと細める。
離れてくれと言ったのに、何故かさらに顔を近づけた。
「俺がこんなことをしても無駄というのは、俺との時間を失くすのが嫌だからか」
フィリップ王子の手が私の顎にかかった。クイ、と上を向かされる。
「それとも。俺のことなど嫌うまでもない、まったく意識していない、ということか」
さらさらの金髪は私の額に当たった。
くすぐったい。いや、それよりも、え? 何、これ。
「き、嫌いも何も。あの、ちょっと殿下?」
おかしい。いつもと雰囲気が違う。
「君は何も分かっていない。その美しい容姿に惑わされるのも、救世主の力に惹かれるのもごめんだったから遠ざかっていたのに、毎日毎日君の方から寄ってくるなんて。わざと嫌がることをして追い払おうと思ったのに、動揺もしないとはどういうことだ」
「ど、どういうことだと言われましても」
動揺はしてます。しまくっています。出さないようにしているだけで。
どういうことだと聞きたいのはこっちです、殿下。
後ろに下がろうにも壁だ。壁についていた手はいつの間にか肩を掴んでいて、反対の手は顎を固定している。逃げられない。
「王族のくせに地味で、いくら誰にも期待されていない私とて、男なんだぞ。少しは意識しろ」
意識しろって何を? フィリップ王子は何が言いたいのだろう。
駄目だ、考えがまとまらない。
「殿下……?」
身をよじって逃げようとしても、肩の手も顎を固定する手も、びくともしない。王子の目に浮かぶ光が強くて、少し怖い。じわりと目が湿り気を帯びてくる。
フィリップ王子の顔はさらに近付き、吐息が私をくすぐる。
キスされる。
私は首をすくめてぎゅっと目を瞑った。
……。
だけど、唇に来るはずの感触が来ない。
顎から手が退けられ、代わりにおでこに柔らかなものが当たる。頭を大きくて温かいもので撫でられた。肩を掴む圧迫感がなくなって、体全体が温もりにすっぽりと包まれる。
「悪かった」
恐る恐る目を開けると、いつになく弱々しい顔のフィリップ王子がいた。
私はフィリップ王子に抱きしめられて、頭を撫でられていた。おでこに感じた柔らかいものは、多分、フィリップ王子の唇だ。
キスは、おでこだった。
ほっとしたような、寂しいような、悲しいような。でも、抱き締められて嬉しい。ぐるぐると渦巻いた気持ちにもみくちゃにされて、訳が分からなくて。私の瞳から涙がこぼれた。
私の涙を見て、フィリップ王子の眉根が苦し気に歪む。頭から手が離れ、背中に回っていた腕から力が抜けた。
離れてしまう。
この温もりも、いつもの仏頂面も、ぶっきらぼうに出してくれるお茶も。失ってしまう。
「……待って」
気が付くと、離れようとした王子の襟元をきゅっと掴んでいた。
小さく目を開いたフィリップ王子を見上げる。
「……行かないで下さい。私、殿下のこと……」
フィリップ王子の腕が、もう一度壁につく。反対の手が私の顎を掴んだ。先ほどよりも熱くて、少しだけ乱暴にクイと上へ向けられる。
私は目を閉じ。
続きを紡ごうとした唇は、今度こそ……。