06 戦う和菓子屋
カイと別れた俺は玄兎を拝殿から離すことにした。
湖に反り出た西回廊を渡ると舞の舞台がある。ここなら拝殿からカイが兎姫を助けに行っても玄兎には見つからないはずだ。
本家の奴らには見つかるが、カイも卯月の端くれだ。力は弱くても多少の術の知識はある。
運良く見つからずに兎姫を救い出せれば良いがそれは難しいだろう。せめて見つかっても無事に乗り切ってくれよ。今の俺にはそう願う事しかできない。
靄が良い目隠しになっているのか動きやすいぜ。
時折気配を現して玄兎を拝殿に近づけさせないようにかく乱させる。
「君はちょこちょこ動いて鬼ごっこのつもりかい? そんな事は子供のするものだよ。こんな術を使っても僕はすぐに見つけるけどね」
俺は草むらでひらひらと舞う昆虫の群れを見つけ、そこに術でちょっとした化粧を施す。
靄がかかった境内を後に西回廊へと移動する。湖の下に向かってさっき作ったばかりの札を一枚投げ込んでおく事も忘れない。
この作戦はちと卑怯だが、玄兎の動きを止め聞く耳を持たせるためだ仕方ない。
「この靄、良い加減に鬱陶しくなってきたから晴らさせてもらうよ!」
玄兎が境内に雨を降らせ、視界が少しずつ晴れていく。
視界が完全に晴れる前に俺は、舞の舞台の裏に身を隠す事に成功した。
遠巻きながら玄兎が西回廊の真ん中あたりを歩いてくるのが見えてきた。
玄兎が回廊を渡りきったところで俺は玄兎の前に姿を現す。
「六鈴鏡なんて持ち出して親父さんに怒られるぞ」
「心配はいらないよ。こっそり返しておくからね。それより君が六鈴鏡の事を知っているなんて驚いたよ」
ふふんと小馬鹿にしたように鼻で笑う玄兎。
いや、バレるだろうよ。あれだけ境内荒らしてたらな。
「六鈴鏡は卯月の当主だけが持つ事を許されている。それくらい誰でも知っているだろ」
カイは知らなかったが、それはサラリーマンとして歩み卯月に精通していなかったからだ。
バカにされムッとして俺が思わず言い返すと、玄兎は得意げに六鈴鏡を頭の上に掲げ持った。
「君はこの宝物の威力をまだ知らないみたいだね」
それも知ってるけどな。境内の有り様を見て、カイからも鏡の威力を聞いているからな。
「六鈴鏡の威力、壱兎にも見せてあげよう!」
見たくねぇと言ったところでやるに決まってる。
玄兎が自分の頭上で鏡を軽く振る。すると青銅でできた鏡の周りにある鈴が震える。辺りにリンと澄みきった鈴の音が響き、その音に呼応するように鏡面に光りが溢れた。
再び鏡を振り鈴を鳴らすと、光りは空中で矢の形に変わる。玄兎がゆっくり鏡を振り下ろすと矢は俺の方に真っ直ぐ飛んで来た。
これが六鈴鏡、カイに斬りついた斬り裂き魔の正体か。ご先祖様の恨み節日記には鏡の絵だけが描かれてあったからな。光の矢なんて物を見るのは初めてだ。
「ここにはちょうど舞を舞う舞台がある。さあ、壱兎の舞を僕に見せてくれ!」
あいつ頭大丈夫か?
俺は隠し持っていた和菓子屋の武器、落雁の木型羽子板タイプを取り出し矢を跳ね返す。
だが、玄兎は甲高い声で笑いながら六鈴鏡を振り容赦なく矢を放ってくる。
俺が払い退けた矢は地面に当たり、光りが霧散しそこには矢が刺さった切れ込みを残していった。
「よっと……ほっ……まったく、こんな危ねぇ物振り回しやがって!」
テニスか卓球よろしく木型で跳ね返しながら、左手に小瓶を持ちそれを玄兎に向け投げつける。
小瓶は玄兎に届かないくらい高く弧を描いた。
「あはは壱兎、コントロールが下手だね。野球選手にはなれないよ。それにそんな物を僕に投げて、逃げようだなんて考えてないよね?」
このまま行ったら玄兎の頭を超え湖に落下する事くらいわかってる。
「あいにく俺はもう天職を見つけてるんだよ。野球選手になるつもりなんかないね!」
正面から飛んできた光の矢を跳ね除けると、間髪入れずに次の矢が飛んで来た。
「それは残念。じゃあ、舞の練習をして祭りで披露してくれるかな? 君の舞は面白い。観客にウケると思うよ」
玄兎は頭上に近づく小瓶に気を止めることなく、絶えず六鈴鏡をうちわのごとく振ってくる。
俺は矢を右になぎ払い、時には腰を落とし矢をかわしながら左に跳ね飛ばす。
「好き好んで飛んだり跳ねたりしているんじゃねぇよ。お前が物騒なもんを振り回すからだろ!」
俺は木型で光の矢を跳ね返しながら、タイミングを見計らって小瓶が玄兎の頭上に来た瞬間、矢を小瓶めがけて跳ね返す。
跳ね返した矢は小瓶にあたり、小瓶はぱりんと真っ二つに割れた。
割れた中からとろりとした琥珀色の液体が流れ玄兎の頭に落ちると、玄兎は六鈴鏡を振る手を下ろし頭を触り匂いを嗅いで琥珀色の液体が何なのか確認している。
「何かなコレは……蜂蜜?」
「純国産レンゲ草のみで集めた蜜だ」
カステラを作るために養蜂場から取り寄せた高級蜂蜜。玄兎にくれてやるのはもったいない高級品だが仕方ない。
「これはなんのつもりかな? 僕のヘアケアに貢献してくれるとか?」
なぜ話がそうなるのかわからん。蜂蜜は髪に良いのか?
「まさか、俺がそんなことするわけねぇだろ」
「だよね〜。変な頭の君が髪を気にするわけないよね」
「変な頭言うな、これは地毛だ! 身だしなみにも気を使ってるぞ」
失礼な奴だな!
俺は焼きごてを懐から取り出し空中に印を押す。そこにうさぎ堂のロゴが光となり現れ、それを空に向かって息で吹き飛ばした。
光のうさぎはピョンピョン跳ねて境内に向かっていく。
「それが君の式神かい? 君の式神はてんで主人の言うことを聞かないじゃないか!」
玄兎が白衣の袖で顔についた蜂蜜を拭いながら笑っている。
笑いたければ笑えば良いさ。
「しょせん君は分家生まれだね。術師としてなってないよ」
俺、正確には術師じゃねぇし。和菓子屋だ。次期境界の番人でもあるがそれはまだ先の事だ。
光のうさぎが消えた方角から七色に輝く靄のような塊がこっちに向かって移動してくる。
「あれは何だ?」
空を見上げる玄兎の頭にひらひらと舞うのは一匹の蝶。蝶が頭にピタリと止まる。
「見ろ壱兎、僕はこんな美しい蝶にも好意を持たれているんだぞ」
「あ〜、はいはい。良かったね〜」
その蝶は俺が細工した偽物の蝶だけどな。正式名は蛾だ。化粧をすれば蝶の仲間入り〜。
七色に輝く蛾は玄兎が捕まえようとすると、頭から鼻へと飛び移る。
蛾は玄兎の鼻の上で羽を数回羽ばたかせ、鼻を覆うように羽を広げて休み始めた。すると玄兎が急に焦りだした。
「おい、何だこれは! 壱兎、君が蝶に何かしたな!?」
ご名答〜。もちろんしてやったさ。
鼻に張り付いた蛾を必死に剥がそうとする玄兎の声は鼻声だ。なぜなら蛾が洗濯バサミのように玄兎の鼻を挟んでいるからな。本人が蛾だと気づかず蝶だと思い込んでいるところが唯一の救いだな。
「今更気づいたのかよ」
俺の言葉は玄兎には届かなかった。なぜなら玄兎の頭の上に七色の靄、蝶に化けた蛾の群れが集まり玄兎を囲んだからだ。
「うわっ、なんだこの蝶の大群は!」
だからそれは蛾だ。
蛾の群れの中、鼻声でジタバタもがく玄兎。イケメンが台無しだな。
「壱兎、なんとかしろ!」
「話を聞くか?」
「なんの話だ!?」
「お前の妹とカイの結婚の話だよ」
蛾の群れをかき分け顔だけ外に出した玄兎の顔は、鬼の形相に変わっていた。
「兎姫とお前が結婚だと! 断じて認めん!」
まだ言うか。こいつは極度の難聴、いや誤聴だな。俺にも我慢の限界がある。
俺は木型で蛾の群れの中から出ている玄兎の頭をゴツンと殴った。
「今すぐ耳鼻科に行け」
「くぅ〜〜っ」
痛みに両手を頭に当て唸る玄兎。まあ、当然の反応だな。角でゴツンとやってやったからな。頭を冷やせバカ兄。
玄兎が六鈴鏡を落としたのを見て俺はそれを遠くに蹴った。
こんな物騒なもん危険な思考の奴に持たせるなっての!
あ、卯月本家にとっては貴重な宝物だったな。まあ、俺には関係ない。
玄兎は蛾に埋もれながらもめげずに認めないからな、と蛾に鼻を摘まれながら鼻声で叫んでいる。
「そういうのもういいって。俺は最初から最後まで言ってるだろうが、兎姫の相手は俺じゃねぇ。まずは当事者二人の話を聞けよ!」
蛾の群れを体にまといながら、玄兎は血走った目で俺を睨んできた。
「世間知らずな箱入り妹を誑かした相手が他にいるって言うのか!?」
「は〜〜、さっきから言ってるだろうが」
あだだっ、頭が痛くなってきたぜ。
「誰だっ! その不届き者の名を言え!」
詰め寄ってくる玄兎。蛾と一緒に近寄るな。
これはやはり戦意を喪失させないとどうにもならないか。
「まずは落ち着け」
俺は袖の中を探り、プラ製の容器から新作を一個取り出し、間近に迫ってきた玄兎が口を開けた隙に薄桃色の一口饅頭を放り込む。
「早く……むぐっ」
見た目は桜饅頭、さてその効果は?
玄兎の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「ぐむむむ……ゴクッ」
吐き出すのは醜聞が悪いと思ったのか、自分の手で口に蓋をして飲み込んだぞ。
「か、辛いっ! み、水をくれ!!」
「水ならそこにあるだろ」
俺が指差す方に蛾の群れが一斉に動き出す。唇を腫らし涙目の玄兎をぐいぐい押して。
「な、なんだ! 蝶に押される。どうなっている!?」
「そいつらが水の場所を教えてくれるらしいぞ」
「そうか、なら早く俺に水をくれ!」
蛾の群れは玄兎の背中を押しながら、湖に向かってためらいなく玄兎を突き飛ばす。派手な水しぶきと音を立てて飛び込んだ玄兎は、湖の水を手ですくい顔にかけるように飲み始めた。
玄兎の奴、辛さと痛みで理性が吹っ飛んだか。
南国原産の激辛唐辛子のお陰とはいえ、ここまでうまくいくとはな。この饅頭は店に出すのはやめておこう。
さぁて、仕上げをするか。
焼きごてを湖面に押すと、押した場所にうさぎ堂のロゴが淡く浮かび上がる。
湖面に上がってきた玄兎だが、水がジェル状になり玄兎の体を包み込んだ。
さっき湖に放り込んだ札に葛餅と書いといたからな。今の玄兎は顔だけ外に出した人間水まんじゅうだぜ。
「壱兎ーー! これはなんの真似だ!?」
湖の上でぷるぷる揺れる巨大水まんじゅう玄兎入り。
「何って見ての通り、水まんじゅうダルマ略して水まんだ。冷静になったら術を解いてやるよ」
「水まんだと! 分家の分際で俺にこんな真似してタダで済むと思うなよ!」
「あ〜、はいはい。乗りかかった船、そん時はそん時だぜ」
ぎゃーぎゃー喚く玄兎を尻目に俺が舞の舞台に腰を下ろすと、西回廊を渡ってくる一人の人影が目に映った。
「おーーい、イットーー」
なんで兎姫がこんな所にいるんだよ?
「カイはどうした!?」
カイは拝殿に連れて行かれた兎姫を探しに行ったはずだ。二人が一緒にいないのはおかしい。
「イットの方こそカイを知らない?」
「カイはお前を探しに拝殿に行ったぞ」
「ええっ!? わたしは監視の目を盗んでこっちに来たのよ。カイには合ってないわ」
「すれ違ったのか?」
「そうみたいって、お兄ちゃん何その格好!」
湖に浮かぶ水まんじゅうダルマに気づいた兎姫があははと笑うと、玄兎が苦々しい顔になる。
そりゃそうだろうな。可愛い妹の前でこんな情けない姿を見られりゃ、誰でも穴があったら入りたくなる。掘ってやってもいいぞ。
「兄様は今、壱兎の術の習熟度が如何なものか試験している最中だ」
俺は笑いをこらえ玄兎から顔を逸らした。
水まんがよく言うよ。
「ふ〜ん、イットとお兄ちゃんってそんなに仲良かったの? 知らなかったよ」
「仲が良いどころか面識はあまりないな。まったく知らない人だ」
そうなの? と首をかしげる兎姫。
玄兎が目を吊り上げた。
「兎姫、お前には監視をつけたはずだぞ。そいつは何をしている?」
「さあ、監視なんてどうって事なかったわ。そんなことよりカイはどこに行ったのかしら?」
妹にぞんざいに扱われる兄玄兎に俺はちょっとばかり同情はするが、悪いな俺は兎姫の味方だ。
「俺がお前の兄を監視しとくから兎姫はカイを探しに行くか?」
兎姫は少しの間考え込むと首を振った。
「またすれ違うかもしれないから、わたしもここで待つわ。カイが来るまでにお兄ちゃんを説得してみようと思うの」
俺やカイの話を聞かない奴が、まともに話を聞けばいいが……。まあ、妹の話だったら耳を貸す可能性は多少はあるだろう。
「お前の言葉なら聞くかもしれないな。頑張れよ」
兎姫の肩を軽く叩くと、兎姫は任せろとガッツポーズをして、水まんじゅうとなって身動きの取れない兄の前に歩いて行った。