04 ほんの束の間の逢瀬
過去なんて思い出すもんじゃねぇな。
あの時は良かった、ああしてりゃ今は違ったのにな。
なんて思ったところで過去は過去。今となったら戻す事はできないが、そうかと言って簡単に諦めることもできない。
あの日に戻れるものならどんなに良いか……。
自分の不甲斐なさに嫌気がさすぜ。
おっと、俺としたことが梔子の香りにやられちまった。こんなんじゃ、彼女に笑われちまうな。
反り橋を渡っていると、頂上手前でギシッミシッと嫌な音をたてた。
嵐が来ても流されないよう頑丈に出来ている橋がそう簡単に壊れ……。
バキッ!
「うおっ、なんだこりゃ!」
橋の床に穴が開きそれを避けると、着地した床もグラグラとしなり、板が折れ湖へと崩れていく。
重さで崩れるような罠になっているのか!
踏むたび崩れる橋に追いかけられながら、俺は素早く移動する。
橋の隅や欄干は崩れてないってことは、隅が安全地帯ってことだな!
俺は迷わず欄干につかまる。
が、安全そうに見えた欄干もぐらつき傾く。
「ここも危険地帯なのか!?」
俺は見てしまった。故意に入れたとわかるノコギリで付けた傷跡を。あいつら〜〜!
「やり過ぎだろ!!」
大声を出したところで犯人からの返事はない。
このまま欄干ごと湖にダイブなんてのは御免だぜ。
こんな橋はさっさと渡るに限る。
俺は橋に体重をなるべくかけないようジャンプで俊敏に動きその場を離れた。
反り橋を渡り回廊をまっすぐ歩いた先に本殿がある。
いつもは本殿に上がり階隠しの間の前で中に声をかけるのだが……。
今日は一人の男が御簾の下で俺を待ち構えていた。
普段は別の奴がいる場所にあいつ自らお出迎えとはどういう心境の変化だ?
柱にもたれるようにして腕を組み、にこやかな顔で立っている長身細身で黒髪の男。
透かし紋様入りの紫袴に白衣姿。一目で神社関係者だとわかるな。まあ、実際この神社のお偉いさんだ。
「やあ、今日は随分と疲れた顔をしているね」
俺が疲れることになったきっかけを作った本人がそれを言うか?
にこにこ笑っている黒髪の優男は、この神社の神主であり、卯月の当主でもある玄兎だ。
「コクハクコンビに小細工をさせるのはやめろ。無駄な労力を使うだけだからな」
「何のことかな? 僕は知らないよ」
シラを切る気だな。あの二人が玄兎の命令なしに動くとは考えられねぇ。
「健康診断書を二人に渡しただろ?」
玄兎は人差し指を顎に当て斜め上を見つめる。そのポーズ、女の子ならともかく男がやっても可愛くないからやめろ。
「う〜ん、健康診断書ねぇ。ああ、コク達が二桁がどうとか騒いでいたあれかなぁ。数字の二桁、君はわかるかい?」
二桁を連呼するな!
絶対にこいつは知っていてわざと言っている。
「すっとぼける気か?」
「とぼけるも何も僕は二桁が何の数字の二桁か知らない。二人に二桁と書かれた紙をどうしたら良いか聞かれたから、好きにしなよって答えたけど。それで君は二桁が何かわかるのかい?」
意味ありげな顔で首を傾げる玄兎。
だから二桁を連呼するなっての!
世の中には二桁の男はゴロゴロ居るんだよ!
俺は騙されねぇぞ。言葉よりこの無駄に整っている顔が言っている。
コクハクコンビがどう動くかわかっていて、すっとぼけ芝居に二桁連呼発言だ。
だがどんなに問い詰めてものらりくらりとシラを切るに違いない。玄兎って奴はタチが悪い食えない奴だ。
俺はさっさと会話を切ることにした。まともに相手をしていたら俺はこいつを湖に沈める自信がある。そう簡単にはいかないと思うが絶対に沈める。
「とにかく不意打ちの小細工でこれが台無しになったらどうしてくれる?」
俺は風呂敷包みを持ち上げる。
あいつらから和菓子を守り抜く自信はあるけどな。この和菓子を頼りにしているのは俺だけじゃないはずだ。
「そうだねぇ。それに害が及んだら困るから、二人には行きは手加減するように伝えておくよ」
やめさせると言わないところが厄介だ。行きはって事は今度からは帰りに何かさせる気だな。
「上らせてもらうぞ」
「君もめげないね。何も変わらないのにさ」
投げやりな玄兎をスルーし階隠しの間から本殿に入る。
あきらめたらそこで終わりじゃねぇか。俺は彼女の灯火があるのならここに通い続けるつもりだ。たとえ俺が誰だかわからなくても。
壁伝いにしばらく歩き、一番奥の角を曲がる。まっすぐ進むと突き当たりに扉があり、その扉の前に別の男が控えていた。
本殿内に罠を仕掛けていないのは、この場所が卯月にとって重要な場所だからだ。
コクハクコンビにとっても神聖な場所になるからな。
扉の前の男に風呂敷包みを掲げて見せると、男は黙って頷き塗籠と呼ばれる部屋の扉を開けた。
窓のない部屋の壁際にはいくつかの調度類と、扉のすぐ手前に置かれた几帳。
その向こうで寝ている彼女に声をかける。
「姫、調子はどうだ?」
しばらく待つが几帳の裏から返事はない。彼女の規則正しい寝息だけが微かに聞こえ、俺はそのリズムに安堵する。
ああ、彼女はここにいる。
「邪魔するぞ」
几帳の向こうに足を向け、布団に寝ている彼女の横に座った。
風呂敷包みを解き重箱の蓋を開ける。
「いつもの持ってきたぞ。これは梅あられだ。前に姫が食べて気に入っていた夏蜜柑の金平糖も持って来たぞ」
重箱から小箱や袋に入った和菓子を一個ずつ取り出し眠り姫に見せる。
「今日はこのわさび大福を神にお供えしようと思う」
山で採ってきた野生のわさびで作ったわさび餡入り大福を見せると、姫の指がピクリと動いた。
わさびに反応ありか?
「見た目は抹茶大福、食べると地獄大福。お食べの際は水を忘れずにって、注意書きを張って店に出してみるか?」
今度は首を振るようにゆっくりと右に左に頭がほんの少し動く。
「なんだ、店に出すのは反対か?」
相変わらず眠ったままか。時期的にそろそろ目覚めるはずだ。
「おっ、そうだ。さっき巫女兎から短冊を預かったぞ。今年はうさぎ堂でも笹を飾るって言ったらそっちに飾ってくれってさ」
俺は狩衣の懐から巫女兎の短冊を取り出し願い事の方を彼女に見せた。
「この字、相変わらず達筆すぎて子供っぽくない字だよな。読めるか?」
瞼が微かに震え、目を覚ましそうな気配を感じ、俺は上がりそうになるテンションを必死で鎮める。
焦るな、焦って台無しにするな。
塗籠のすぐ外で控えている男に彼女の様子を感づかれたら、この大事な時間を取り上げられるからな。
もう少し彼女の反応が、願わくば起きた時の顔を一番に見たい。
「兎姫」
外に漏れないよう、彼女の名前を小さく呼ぶとほんの僅かだが瞼が動いたみたいだ。
「巫女兎はまた少し背が伸びたな。ヘンテコな言葉使いは大目にみるとして、巫女兎がついに洋菓子に寝返ったぞ」
兎姫の瞼がゆっくり開き、黒い瞳が辺りを確認するように動く。
こんな事は初めてだ。
今日の俺の運勢大吉か!?
落ち着け、ここで騒いだらこの時間は即終了だ。
ゆっくり深呼吸をし、はやる気持ちを抑えていると兎姫の口から小さな声が聞こえた。
「誰?」
この反応もいつもの事だ。わかっていたとはいえ、上がっていたテンションがガクッと下がるな。
兎姫は俺の顔を見て驚いた表情をするわけでもなく、ぼんやりとした夢の中にでもいるような虚ろな瞳を俺に向けてくる。
声も瞳も姿ですらあの時と変わらないまま。一部の記憶と感情だけが抜けていた。
俺は兎姫の耳にだけ聞こえるように小声で話した。
「おはよう、覚えてないか? 俺は壱兎だ。兎姫の好きな和菓子屋をやっててな。伝えたい事が……ああ、いや。美味しい和菓子を持って来たぞ」
俺がここに来るのには条件が出されていた。兎姫の前で多くを語るなと。
最も大事なことを伝えられないのがまどろっこしい。
「イット……」
ぼんやりと宙を見つめたまま反応に変化がない無機質な表情。
兎姫が人形じゃないことを確かめるため、頬に触れようと手を伸ばした時。
外からバタバタと騒々しい足音が聞こえてきた。
もう勘付かれたか、早すぎだろ!
「巫女兎は偉いぞ。我儘も言わず兎姫が戻るのをずっと待ってるからな。もちろん俺もだ。そうだ、これを御守り代りに持ってろ」
俺は早口で伝えると、巫女兎の短冊と折り紙で折った金魚を兎姫の手に握らせ、その腕を布団の中に入れた。
巫女兎には事情を話して、もう一枚短冊を書いて貰えば良い。
足音が大きくなり塗籠の前でピタリと止まる。
「兎姫が目を覚ましたって!?」
駆けつけてきた奴が几帳を放り投げるよう取っ払って、兎姫の姿を見ると一目散にやって来る。
俺とは反対側の布団の横に腰を下ろすと、兎姫に覆い被さるように抱きついた。
「兎姫〜、やっと目覚めたか! 会いたかったぞ〜」
当の兎姫は変わらずぼんやりとした瞳で、乱入者の思うがままにされている。
それを慌てて止めるのはお目付役の男だ。
「玄兎様、姫が驚かれていますよ。嬉しいのは分かりますが診察が先です。ひとまず心を鎮めてください」
さっきまで塗籠の番人をしていた男だ。
こいつは本家の人間で医者もしている。兎姫の主治医夜兎だ。コクハクコンビの父親でもある。
「ああ、驚かせて悪かったね兎姫……ん? お前がなぜここにいる」
体を起こした玄兎は、初めて俺に気がついたように眉間にしわを寄せている。
さっきからいただろ。いや、入室の許可を出したのはそっちだろ。
「いたら悪いか?」
玄兎は俺をスルーした。
「夜兎、招かれざる客だ」
「壱兎」
主人の命令に夜兎が静かな声音で俺を促してくる。もうタイムオーバーか。俺は両手を上げた。こいつの機嫌を損ねると厄介だ。
「はいはい、わかってるって」
ほんのひと時だったが、今年は兎姫が目覚めた瞬間に一番に顔を見られた。それだけでも運が良いってもんだぜ。
最後に一度だけ、兎姫の頭を撫でようと伸ばした手は、玄兎の扇によってぴしゃりと払われた。
「汚い手で触るな」
「さっき湖で身を清めたばかりだ」
俺がシレッと返してやると、玄兎は額に青筋を浮かべた。
「さっさと出てけ」
こいつが兎姫の事となると周りが見えなくなる、タチの悪い奴だったって事を忘れてたぜ。
憎く一生許す事が出来ない奴だが、そんな事は悟られるわけにはいかない。
「はいはい、わかりましたよご当主様」
記憶と感情を失ってしまった眠り姫。
年に一度七夕の月にだけ目覚める姫。
一度起きた兎姫はしばらくは長い眠りに入ることはないだろう。また来れば良い。
明日には起き上がり歩く姿が見られるはずだ。
俺は自分にそう言い聞かせ塗籠を出た。