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03 麦わら帽子の美少女と梔子の花

 

 拝殿前までやって来ると、巫女兎は舞の稽古があると西回廊の方に歩いて行った。

 この卯月神社は一般参拝者が参拝祈祷に訪れる拝殿は湖の畔りにあり、神が祀られている本殿は湖の上にある。そこは神社関係者のみが入ることが許されていた。



 拝殿と本殿をつなぐ朱塗りの反り橋を渡ったその先が俺の目的地だ。

 反り橋には拝殿に一度上がってから簀子と呼ばれる廊下の様な床を歩いて行くのだが、安全に目的地に着くはずがない。

「あのコクハクコンビが何か仕掛けているに違いないからな」

 警戒しながら何歩か歩くが特に何も起こらない。

 罠は境内だけだったのか。

 拍子抜けした俺は先に進むため、足早に簀子を踏んだその時だ。



 ビタッ!

「うぐおぉ〜〜っ」

 俺は板を退かし片手で足を抱えながら突然襲った激痛に悶絶する。

 なぜかと言うと、板がめくれ上がり俺の脚を直撃したからだ。

 悶絶しながら片足で飛び跳ねていると、簀子が抜けて足を穴に突っ込んだ。

「いでででっ」

 板が抜けた部分に釘の先端部が出ていて、袴を破り脛に引っ掻き傷を作った。



 油断した隙をついてくるとは、人の心理をついて罠を仕掛けるなんて手の込んだ事をしてくれる。

 今から捕まえてみっちりこってり説教をしてやりたくなるぜ。

 だが今日はやめとく。年に一度の大事な時が近づいているからな。大目に見てやるよ。



 俺が簀子の向こうに視線をやると、朝から暑いこの時期には珍しく涼やかな風がどこからか甘い香りを運んできた。

 これは何の花だったか、白くて可憐な花だと覚えている。

 あの日もこんな甘い香りがしていた。



 *

 *

 *



 もうどれくらいの月日が経つのか、あれはうさぎ堂を親父から引き継いで間もない頃だった。

 俺は誇りにしている歴代店主の偉業を塗り替えようと、日々あれこれ新作作りに精を出していた。

 その日は変わりダネ煎餅や金平糖を試食用に店に並べておいた。



 うさぎ堂では開店前に客を呼ぶ儀式として店の前に打ち水をする。この日も手桶と柄杓を持ち水をまいている時だった。

 新作の和菓子作りで徹夜だったせいか、ボーッとした頭で周りをよく見ずに打ち水をしていたのが悪かった。

 麦わら帽子を被った少女が後ろから歩いてくる事にも気づかず柄杓を振っちまった。



 パシャッ。

「きゃっ」

 耳には少女が小さく叫ぶ声と、目の端に映ったのはふわりと宙を舞う朝焼け色のワンピースの裾だった。

 突然向けられた柄杓の水に驚いた少女がジャンプして避けていた。



「やべっ!」

 焦った俺は手桶と柄杓をその場に置いて腰を直角に曲げる。

「すまんっ! かかったか?」

 俺って奴はなんつう事をしちまったんだ!

 水をかけた相手が女だなんてこりゃ厄介なことになるぞ。

 女って奴は着るものに関しては特に、怒らせるとおっかない生き物に化けるからな。平手を飛ばしてきたり、ヒールの靴で蹴りをしてくる奴もいるが、彼女はどっちだ?

 来たる制裁を覚悟した俺の予想はあっけなく裏切られた。



「平気だよ、これくらい。わたしってフットワーク軽いから」

 少女が首を振ると、微かに甘い香りを感じた。それは麦わら帽子に付けてある花から香る様だ。

 ピースサインで明るく笑う少女がこの時俺には女神に見えたぜ。



 そんなにあっさり許してくれるのか?

 なんて良い子なんだ!

 よく見ると、ワンピースの裾に転々と濡れたところがある。

 あちゃ〜、やっぱり水飛沫が飛んでたか。

「俺がよそ見してたせいだから何か詫びをさせてくれ」



 俺は彼女とここで別れたらもう会えないような気がして、どうしても引き止めたかった。

 とか言いつつも俺は彼女に興味があった。

 これだけは否定しておく、ナンパじゃねぇからな!

 俺は清らかな心で彼女に興味を持って声をかけたにすぎん。



「こんなのこうすれば乾くって」

 ワンピースの裾を軽く振って乾かそうとする少女。ワンピースが揺れるたびにほっそりとした白い足が覗く。

「それはダメだろ!」

 俺は慌てて少女の手を掴み止める。

「早く乾くのに?」

 可愛らしく首を傾げる少女。

「乙女がはしたないぞ」

 注意すると、少女は表情を引き締め背筋を伸ばした。



「そうでしたわ。わたくし乙女ですもの。でも誰も見ておりませんことよ」

 手を口に当てておほほって、その喋り方は乙女じゃなくてお嬢様だ。

 見てなかったら良いとかそういう問題じゃねぇよ。ってか、俺が目の前にいるだろうが。



「ああっ、とにかく今時間あるか?」

「散歩の帰りだから大丈夫だよ」

「それは良かった。冷たい茶でも出すからちょっと寄っていってくれ」

 店を指差すと、少女の瞳が輝いた。

「お茶菓子出してくれるの?」

「おう、家は見ての通り美味い和菓子屋だからな。おっと名乗ってなかったな、俺の名は壱兎だ」

「美味いか〜。よし、その話乗った! わたしは兎姫」



 おいおい、こんな簡単に他人を信用して大丈夫なのかこの子?

 知らねぇ兄ちゃんについて行くんじゃねぇぞ。俺は別としてだけどな。

 兎姫……トキ?

 名前に何か引っかかるものがあるが、まあ気のせいだな。



 兎姫を店の中に案内すると、麦わら帽子を脱いだ彼女は物珍しそうに、ぱっちりとした瞳をキラキラさせて店の中を眺め始めた。

 麦わら帽子で隠れていた兎姫の顔はとても可憐で、黒く長いストレートヘアが清楚なイメージを醸し出していた。



「ねぇ、ここにあるのはなぁに?」

 兎姫がテーブルの上に並べてある小さな竹籠を興味深げに指差している。

 お、よくぞ聞いてくれました!

 新作試食客第一号様ご来店〜。

「それは試食用の和菓子達だ」

「これ食べて良いの!?」

 目をまん丸くしている。

「おう、俺が茶を淹れてやるからそこに座って味見して良いぞ」

「やったーー! ありがと!」

 兎姫は無邪気な笑顔でテーブルの横にある椅子に座ると、真剣な顔で試食品を選び始めた。

 この顔は見ていて飽きねぇな。



 さて、彼女に適した飲み物は緑茶かほうじ茶に麦茶……麦わら帽子に麦茶って、被ってるか?

 う〜ん、洒落たアイスティーなんて西洋かぶれな物は家にはない。

 ここは器で勝負だ!

 俺は店の奥にある茶器専用棚からひまわり柄のグラスを取り出し、氷を入れて冷茶用の容器から冷茶を注いだ。

 それをお盆に載せ持って行こうとした時だ、店内から呻くような声が聞こえてきた。



「うう〜〜、み……水〜〜」

 俺は慌て兎姫に駆け寄る。

「なんだ、何があった!?」

 兎姫が眉間にしわを寄せ鼻を左手で押さえながら、右手に持っている物を弱々しく振っている。

 俺はそれを見てこの反応に納得した。

「おいおい、それを食べちゃったのか!? ほら、水飲め」

 グラスを渡すと、兎姫は冷茶を一気に飲み干した。



「ぷは〜〜っ、助かった。イット〜、このお煎餅抹茶味かと思ったらわさび味じゃん。まだ鼻がツーンとするよ〜」

 涙目で俺を睨む兎姫。

「ラベルが貼ってあっただろ?」

「抹茶って貼ってあった」

 恨みがましい目を向けてくる。

 抹茶煎餅がわさび煎餅だと?

 煎餅が入っていた竹籠を見ると……うおっ、抹茶煎餅と逆になってるじゃねぇか!

「すまんな兎姫。俺のミスだ。グラスはこの上に置いてちょっと待っててくれ」



 俺は赤い折り紙で折った紙をコースター代わりにテーブルの上に置くと、その場を少し離れショーケースから小さめの箱を取り出した。

 俺の好感度は落ちた……いや、まだこれからだぜ!

 兎姫に見えないように気合いを入れ直すためガッツポーズをきめる。



「ねぇ、イット!」

 兎姫に声をかけられ、ビクッとなる。やっぱり怒ってるか、それともまたミスったかどっちだ!?

「どうした?」

「可愛い金魚だね。ひまわりのグラスも素敵! この上に置いたらグラスの水滴で金魚が可哀想なことになっちゃわない?」

 兎姫は俺がわさび煎餅を食べさせたことを根に持つわけでもなく、そんな事は忘れたように折り紙の金魚とグラスを見て喜んでいる。

 ヘマをして呼ばれたんじゃなくて良かったぜ。それどころか喜んでいる兎姫の顔が見れたのは、折り紙効果ってやつか? 俺様グッジョブ!



「この金魚には特別な防水加工を施してあるから残念な事にはならねぇぞ」

 和菓子屋秘伝の術でちょちょいとな。

「最近はそんなハイテクな折り紙があるんだね〜。わたしって時代に乗り遅れちゃってるよ」

 あははと笑いながら珍しいものを見るように、じっくり眺めている兎姫には内緒だ。

 そうかそうか、そんなに気に入ったか。和菓子屋の嫁に来るか?



「気に入ったなら持って帰って良いぞ」

「えっ、良いの?」

「特別だぞ」

「やった!家に帰ったら金魚鉢に入れて……」

 おいおい、折り紙の金魚を水の中に入れるのか?

 この顔は入れるな。本物金魚と同居させる気に違いない。

「先住金魚が迷惑するからやめとけ」

「そっか〜、一緒に入れたら狭くなっちゃうか」

 残念そうな顔の兎姫の前に俺は持ってきた箱を出した。



「わさび煎餅の詫びだ」

「開けても良い?」

 俺が頷くと兎姫は目をキラキラさせながら箱の紐を解き蓋を開け、顔に満面の笑顔を浮かべた。

「わぁ、天の川だ! こんな綺麗なお菓子ももらって良いの?」

 兎姫の笑顔は良いな。見ていると癒される。



「その琥珀羹は俺の自信作だ。食べたら感想を聞かせてくれよ」

「このお菓子、琥珀羹って言うのね。もちろん和菓子のモニター引き受けるよ!」

 箱を掲げるように頭の上に持ち上げてお辞儀する兎姫。

 やっと和菓子好きな子に巡り会えたぜ!

 帰り際に麦わら帽を忘れた兎姫を追いかけ手渡すと、 兎姫は大事そうに被った。



 また風が吹く。今度はさっきより少し強く甘く香った花の香り。

 ああ、思い出した。

 兎姫が帽子につけていた花、それが梔子の花だったな。




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