02 無法地帯の中の天使
コクハクコンビが姿を消してから、すぐに俺はあいつらがなぜあっさり引いたのか理解することになった。
あの二人、俺が拝殿に向かうルートのあちこちに罠をしかけやがった。
さっきの落とし穴なんて可愛いもんだぜ。
二度目にはまった落とし穴の下には、敷き詰められた竹槍が俺の体を直撃しそうになったが、三度目の落とし穴には毒ヘビを仕掛けられ噛まれそうになったからな。
歩いていると横から蹴鞠が飛んできた。蹴り返したはずがブーメランのように戻って来たそれを避けると、蹴鞠は木に当たり地面に落下。ここまでなら俺に害はなかったさ。
俺は今神社の境内を疾走している。いや、正確には追いかけられている。右手に風呂敷包み、左は頭をかばって逃げる俺。
「おいっ、やめろって。これは事故だ。蹴鞠に何か術がかけられていただけだ!」
蹴鞠の襲撃で終わりかと思いきやカラスに襲われるというおまけ付きだ。
蹴鞠が木に当たった衝撃で、カラスの巣を揺らしちまったらしい。
怒ったカラスに散々突かれ、逃げ回る俺の頭上でパンッと何かが爆ぜた。
「何だこのドロドロした液体!」
真っ白な液体を頭からかぶった俺はとっさに目を瞑る。
よろけながらボチャンと何かに足を突っ込んだのだが……。
ふくらはぎや脛に鋭い痛みを感じ、その場で飛び跳ねバシャバシャ足踏み状態だ。
「痛っ、いてっ。俺の足を噛むのは誰だ!?」
俺は恐らく池だろう水の中に腕を突っ込み、噛み付いてくる奴を素早く片手で掴む。
「鯉……?」
目があうと手の中でもがいていた鯉は、俺の手からするりと抜け出した。
殺気をまとった鯉は目を赤く血走らせ鋭い歯をむき出しに、俺に飛びかかろうと顔めがけて襲ってきたからたまったもんじゃない。
俺は鯉を池に放し、すぐに池から遠ざかる。
「鯉って凶暴な魚だったのか!?」
あんなピラニア化した人食い鯉を、虹ヶ丘市民の憩いの神社に放つなってぇの!
違うな、これはコクハクコンビの仕業に違いない。あいつらの術の匂いがプンプンするぜ。
おっと大事な風呂敷包みは……奇跡的に汚れてないな。
しっかし俺の方はちとヤバイな。
うさぎ堂店主のトレードマークである狩衣は池の水に濡れ、俺様自慢の赤と黒の髪が白い液体で台無しだ。
この粘り気や臭いから察するに、白い液体は小麦粉を水で溶いた物のようだ。
今更ながらに毒薬でなくて良かったぜ。あの二人には以前に麻痺薬だの下剤だのを仕掛けられたことがあるからな。
このまま拝殿に行くとここの責任者に何を言われることか。
第一この姿は格好悪いぜ。身なりを整えて彼女に会いに行く方が良い。
しかし着替えに戻っていたら時間がかかるな。
どこかで汚れだけでも落としたいが……お、良い場所があるじゃねぇか。
この卯月神社は水が豊富にある。なんたって湖の畔りにあるからな。
俺は拝殿に行く道をそれ湖沿いに足を進めた。
ここの湖の水は純度が高く保たれているだけあって湖底が青く見える。虹ヶ丘市民のパワースポットとしても名高く、清めの水としても利用されているからな。
畔りの草地に膝をついて頭を洗っていると、気配を感じ首を後ろに回そうとしたその瞬間。
小さな塊が突進して来て、邪気のない気配に俺は一瞬出遅れ背中を押された。
俺は派手な水音を立て湖に顔から突っ込んだ。
最悪だ、びしょ濡れじゃねぇか!
水面に顔を出し突き飛ばした奴に向かって声を張り上げる。
「巫女兎!」
湖の畔りにはおかっぱ頭に、千早を羽織った巫女姿の女の子が立っていた。両手を口に当て目を見開いているところを見ると。
何も考えずに突進した結果、俺を湖に落とした事に驚いているのか?
と思いきや、巫女兎の小さな口から出た言葉は……。
「イチ、身も心も浄化されたか?」
そうそう、ここの水に触れると身が引き締まって心が洗われるんだよな。
「ああ、お陰様でドロドロしたどす黒い憑き物が取れてせいせいしたぜ、ってそうじゃねぇだろ! 巫女兎、ごめんなさいは?」
悪意はなくとも結果、相手に悪いことをし時は謝罪するのが当然だ。こいつの教育上しっかり謝罪を要求しておく。
「すまぬ」
巫女兎は素直に謝り右手を差し出してくる。
よしよし、子供は素直が一番だ。
湖から出るのを手伝ってくれるらしい。
俺一人で上がれるのだが……。
「ほれ、はよ」
しびれを切らしたのか捕まれと催促してくる。俺は巫女兎の好意を有り難く受け、湖から這い上がったのだった。
狩衣の裾や袴をしぼって水を外に出した。
まずった、いくらしぼっても一度濡れたものはどうしようもない。夏とはいえすぐに乾くはずもない。
びしょ濡れで本殿に上がったら……大目玉、最悪出直してこいと放り出されるな。
「さて、どうすっかな」
「あたしが乾かしてあげようぞ」
巫女兎は千早と白衣の袖に腕を突っ込みごそごそ探ると、縦長の紙を一枚取り出した。
「そんなとこに護符なんか入れとくと落とすぞ」
「問題ない。これはあたし用に作った白衣だ。子供は物をよくなくすからな、ポケットが必要なのだ。ここにチャックが付いとる」
巫女兎が袖を裏返しにすると、しっかりチャックが縫い付けてあった。実に機能的じゃねぇか。俺も欲しいな。
「なるほどな。便利な白衣だな」
「ほれ、イチかがめ」
「仰せのままに」
俺が目線を巫女兎に合わせると、巫女兎はペリッと護符を二枚にはがした後、俺の顎にぺたりと護符を貼り付けた。シール式かよ!
そしてなぜ顎なんだ?
巫女兎が術を唱えると水を吸った狩衣や袴が徐々に乾いていく。
歌うように流れる声が止む頃には、狩衣はパリッと乾ききって護符は細かい光の粒子となり風に舞い消えていった。
「巫女兎、感謝するぜ!」
「これくらい任せろ。チョロいものだ」
このヘンテコな言葉使いをなんとかして綺麗な日本語を身につけさせてやりたいが、本人に気にする風がなく何度注意してもどこ吹く風だ。
頭を撫でてやると目を細めて微笑む巫女兎がふと、真剣な顔を見せた。
「イチ、もう時期七夕だな」
「おう、そうだな」
巫女兎の言葉に神妙に頷く。
一年に一度、この時期が今年もやってきた。
「イチ、今年も短冊に願い事を書きに来るか?」
「いや、去年神社の笹に飾ったらコクハクコンビに燃やされたからな。今年はうさぎ堂で笹を飾るからそっちに書く」
「そうか……」
どこか残念そうに寂しそうに下を向く巫女兎の頬をツンツンした。
「願い事は決まったのか?」
「ああ、あたしは毎年同じだ」
巫女兎は迷惑そうに俺の指から顔をそらすと、祈るようにじっと俺を見つめてきた。
「そうだったな悪かった。俺も同じだ」
毎年俺と巫女兎が望むものは一つだけだ。
巫女兎はまた白衣の袖をごそごそやりながら、今度は紐のついた桃色の細長い色紙を取り出した。
「イチ、この短冊をうさぎ堂の笹に飾ってくれ」
短冊の裏には子供とは思えない流暢な筆跡で願い事が書かれてある。
「神社の笹に飾るんじゃねぇのか?」
「イチの短冊の隣が良い。ダメか?」
俺の狩衣の裾をちょこんと握り、不安そうな顔で見てくる巫女兎。
すまない巫女兎。お前に辛い思いをさせてるな。
自分の力のなさと不甲斐なさに情けなくなるのを通り越して、怒りすら覚えるが巫女兎にそれを悟られるわけにはいかねぇからな。
「この壱兎様に任せとけ! 虹ヶ丘一背の高い上等な笹を見つけて、その一番上に飾ってやるからな」
明るく振る舞い俺は迷わず短冊を受け取った。
「一番上でイチの隣だぞ?」
「もちろんだ!」
俺は嫌がる巫女兎の頭を乱暴に撫でた。
「ところで巫女兎、姫の様子はどうだ?」
ゆるゆると首を横に振る巫女兎。
「変わらぬ」
「そうか……そろそろだと思ったがまだか」
巫女兎が草地に置いてある風呂敷包みを手に取ると、草を払い俺に渡してきた。
「これはいつものか?」
「あたりだ。うさぎ堂で出してる和菓子達だ。巫女兎、先に一個食うか?」
巫女兎は風呂敷包みに視線をやったまま首を振る。
「いや、いい。これを一番に見るのはあたしじゃない」
巫女兎のわがままの一つや二つ叶えてやりたいが、巫女兎は一度言ったら聞かない面もある。特に自分がこうと決めた事は守る奴だ。次からは巫女兎ように別の包みを用意しとくか。
「巫女兎、食べたらどれが一番か教えてくれよ?」
巫女兎は少し考えた後、真剣な顔をした。
「あたしの一番はイチゴのショートだ」
「作ってねぇし、ってか洋菓子じゃねぇか! 巫女兎の裏切り者ーー!」
「女子供は甘いクリームと可愛いイチゴに弱いのだ。悪いのイチよ」
悔しいがケーキにはかなわねぇのか……いいや、和菓子には和菓子の良さがあるさ。
俺、泣かないからな。泣いてなんかいないからなーー!